愚かな恋心
「では一体、あの言葉は誰へ向けたものだったのだ?」
「え?」
この人の性格なのだろうか。何かが気になると掘り下げずにはいられないのは……。
「僕ではないとして、一体誰の事を言っていたのだろうか……」
「………………」
気まずい。とても気まずい。私自身の事です、などと言おうものなら、彼の事だその先を更に追及してくる可能性が高い。
けれど、何も答えないというのも流石に失礼だろう。
何か、何か手はないだろうか。これ以上掘り下げられることなく、かつ無難に会話を進められる何か……。
そうだ。以前、友人のエメットが恋愛相談の時に使っていたあの手を使わせていただこう。
「ゆ、友人の話です」
「メルヴィン嬢の、かな?」
「はい」
「……なるほど。その友人は一体何に追い詰められていたのだ?」
「友人の話ですから、あまり詳しいことは言えません」
「そうか。参考までに聞かせて欲しかったのだが……」
そう言われてしまうと、言わない私が冷たい人間のような気がしてきてしまう……。
言ってしまっても大丈夫だろうか。そう、あくまでも友人の話として。
「友人はつい先日、婚約を破棄されてしまったらしく酷く落ち込んでいて、恐らくそれが原因で逃げ出したんだと思います」
「当人同士ではなく、家同士が関係してくる婚約の制度を、そう簡単に破棄できるわけはないだろう。何か理由があったのでは?」
「はい……。没落、してしまったんです。家と家との利害関係のもと成り立っていた婚約は、その時点で何の意味も無くなってしまった、らしいです」
「そうか。まあ、よくある話ではあるな」
そうとだけ呟くと、青年は何かを考え始めた。
何はともあれ、これで相手もようやく納得してくれたことだろう、などと悠長に考えていた私。その隙をつくように、青年は更なる疑問を呈するのだった。
「しかし、おかしな話だ」
「と、言いますと?」
「家同士の利害関係のもと成り立っていた婚約なのだとしたら、当の本人が落ち込む必要はないはずだ」
この人は、深堀の達人なのだろうか。
よくある婚約破棄だな、で済ませればいい話を、なぜそこまで突き詰める必要があるのか……。私には到底理解できるものではない。
――けれど、青年のその問いは、私が私自らに投げかけるべき問いのようにも思えてしまった。
「確かに、その通りです。ただ…………」
「ただ?」
「ただ、虚しかったんです。
友人はそれまで、婚約相手との結婚こそが全てだと思い生きてきました。良き妻になるために、出来ることは何でもしてきたつもりです。勉学に励み、教養を身につけ、踊りを覚え、苦手な料理だって頑張りました。頭の天辺から爪の先まで、淑女であろうと努力し続けてきたんです。
だから、婚約破棄を伝えられた時、自分はなんて無価値なんだろう、と思ってしまって……」
そう、私はそのことに耐えられなくなって、あの場所から逃げ出したのだ。
アランとの結婚以外の選択肢を持ち得ていなかった私は、あの瞬間、空っぽの人間になってしまった。
突然暗闇に放り出されてしまったように、それまで見えていたはずの道が見えなくなり、いつの間にかこの場所に辿り着いて、そして――――
「そうか君も、どこに向かえばいいのか分からなくなってしまったのか。僕のように」
そう言われ伏せていた視線を上げると、青色の瞳がこちらを捉えていた。
――――そして私は、彼に出会ったのだ。
「あ、あくまでも友人の話ですけど!」
「そういえば、そういう話だったか……」
誤魔化しきれていないような気もするが、青年がそれ以上の言葉を発しようとはしなかったので、私も下手に補足や訂正をするのは止めておいた。
雨はまだ降り止む素振りを見せず、必要な会話を終わらせた私達の間にはさきほどの沈黙が戻ってくる。
横目で赤い絨毯越しの長椅子に座る彼を盗み見た。
はあ、というため息を相手に聞こえないように1つ。
なんだか変だ。
この沈黙はさきほどのものとまったく同じはずなのに、嫌に落ち着かない。
どうしてだろう……。
あの人に、色々と話し過ぎてしまったせいだろうか。
思えば、ここまで誰かに自分のことを赤裸々に話したのは初めてのことである。
だからなのだろう。妙に気恥ずかしいというか、動悸が激しいというか、今にもこの場から逃げだしたくてたまらない。
軽めの会釈でもして立ち去ろうか? いや、雨が止んでもいないタイミングで居なくなるのは印象が悪いだろう。
そうだ、この沈黙が悪いのだ。何か話しかけて――……。
――一体、何を話しかければいいのだろうか。
こういう時、いつもの私ならどうしていただろう。相手の話を聞いて無難な返事をしたり、相槌をうってその場を受け流したり……。
使えない。何1つとして私の中にある、対人関係に用いていた手札が役に立たない。
なぜなら彼は、自分の話を積極的にしている印象がほとんどないからだ。
この短時間の中で行われた数回のやり取りでしか判断することは出来ないが、人の話は聞きたがるのに、自分の話は有耶無耶にしていることが多いように思う。
……その在り方は、まるで私のようだ、などと不意に思ってしまう自分がいた。
それなら尚更、自分から話しかけるきっかけを見つけなければならないだろう。そう思い改めてまじまじと青年を観察してみる。
座っているはずなのに、立っていた時と同様すっと伸びた背筋。虚ろな青い瞳は、膝の上で組まれた白く細長い指先を見つめている。本当に、妖精と見間違えてしまうほどの透明感を持つ、硝子のような人物だ。
その在り方に思わず見とれていると、ふいに彼の青い視線と自分の視線が交わったのが分かった。
「あ…………」
思わず声を上げてしまった私に対して、彼は目を細めて笑いかけてくる。ただ、それだけ。ただそれだけの些細な動作から、私は目が離せなくなってしまう。
――時が止まってしまったかのようだ。
瞬きすら忘れてしまうほど青年を凝視し続けて、次の瞬間、己の愚かさに気付いてしまった。
ああ、私はもしかしたらこの人のことを――――――――
ガタンッ。
屋根を打ち付ける雨音が弱まるのと同時に、私は長椅子から立ち上がる。
「雨も止みそうなので、私はそろそろ失礼させていただきます」
「もうそんなに時間が経ったのか」
「そのようです。グレイシス様、一時とはいえ楽しい時間をありがとうございました」
私の去り際の挨拶に対して、青年も長椅子から立ち上がり礼儀正しく答える。
「こちらこそ、憂鬱な雨を忘れるほどの愉快な時間に感謝する」
「それでは、またどこかでお会いしましょう」
彼とはもう二度と会うことはないだろう、と思いながらも社交辞令を口にして、私は礼拝堂を後にした。
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古びた校舎の中を歩きながら考える。
最後の瞬間まで、私は上手く体裁を保てていただろうか。
この学園は、家柄によって教室が区分けされている。それだけでなく、階数や出入り口まで丁寧に分けられているため、恐らく彼との出会いはこれが最後になるだろう。
出会えたとして、だからどうなる訳でもないけれど、少なくとも私のこの気持ちが露呈する機会は少なければ少ない方がいい。
全くもって愚かな話だ。
私は、息詰まる己の人生の中において、唯一だったこの鮮やかな瞬間と、穏やかだったあの青年に対し、どうやら好意を抱いてしまったらしい。
額に手を当てる。
大丈夫。どうせ明日からはまたいつもの日常が戻ってくるだけだ。
いや、それどころか金銭的に追い詰められた両親は、目先の利益を優先して、早急にどこかの家との縁談を進める可能性だってある。
大丈夫。そんな日々の中にい続ければ、この場所での私のことなんてすぐに忘れてしまえるだろう。
視線を雨上がりの空に向け、自分自身を納得させると、私は壊れかけの校舎から1歩前へと足を踏み出すのだった。
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