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婚約破棄

「メルヴィン、君との婚約を破棄させて欲しい」


 私を前にして、おどおどした目つきをしながら目の前の男はそう告げた。

 もちろん、私に拒否権などは存在しない。

 彼の言うことに全て、はいの一言で従う。それこそが、私が幼い時から長い年月をかけて教え込まれた淑女(しゅくじょ)教育の全てだから。

 だから、仕方がないのだ。

 仕方のないことだから、私はいつものように、


「はい」


 とだけ返事をした。


********************


 5歳の時から決められていた婚約を、今になってなぜ彼は破棄しようと思ったのか。

 考えられることは1つだけだった。

 私という存在に、私という人間が置かれたポジションに、利用価値がなくなったからだろう。


 金品の貸し借りによって生業(なりわい)を立てていた我がローズ家。それが没落した、という知らせが届いたのは昨日のことだ。

 ついさっきまで婚約者だった目の前の男アランは、地方に住む有力貴族の息子であり、この主権国家アブリエルトの中央都市においての影響力をまったくといっていいほど持ちえていない。

 そこで、中央都市ランドフィールを中心とした商いを行う、我がローズ家の後ろ盾欲しさに12年前、婚約の話を持ち出した。

 我がローズ家としても、富と影響力を十分に備えているとはいえ、やはり年月をかけて(つちか)われた、一族全てが認められている証を持つ貴族との繋がりは、あるに越したことはない。

 家同士の利益のための婚約は、それを実際にする当人同士の気持ちなどはまったく見向きもされずに、足早に進められた。

 つまり、お互いの家にとっての利益がなくなってしまった今、当人同士に気持ちがないこの婚約には何の価値もない。

 アランの決断は、……いやアラン・ダーシーの決断は実に真っ当なものである。


 私が彼の立場でもそうしていただろう、などと、私が考えなくてもいいことをつい考えてしまうあたり、自分でも意外なほどに落ち込んでいるらしい。


「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」


 そうとだけ告げると、私の元婚約者は立ち上がりその場から去ってしまった。

 正午過ぎ、日射しの温かさが身に染みる時間帯に起きた、ほんの一瞬の出来事。

 学園内にある食堂の外に設置されたテラス席において、独り取り残されてしまった私は、何をするでもなく、すでにいなくなってしまった彼に対してポツリと言葉を漏らす。


「はい」


 と、ただそれだけを。


********************


 あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。

 日の光を反射させる白いテーブルを眺め続け、気が付けば辺りの雲行きが怪しくなっていた。

 ――ポツリ、と頬を伝うなにか。

 それが雨なのだと知った時、体だけが動いた。

 このままでは雨に濡れて、自分自身の在り方すら見えなくなってしまう。それが怖くて、私は降り始めたばかりの雨を避けるように、食堂とは真逆の方角へと走り出す。

 食堂に戻ればすぐに雨なんてしのげるはずなのに、アランが去っていったその方角に、私はどうしても行きたくなかったのだ。


 ――何も考えなくていい。何も感じなくていい。

 お前はただ、その場が華やぐような雰囲気を(たずさ)えて、隣を歩く者を立てることに徹しなさい。


 父の言葉が頭の中で繰り返される。


 ――わたくし? わたくしの意見などはどうでもいいのです。

 わたくしはただ、あなたのお父様に言われたこと徹底するだけ。それ以上のものは全て余分ですよ。


 母の言葉が頭の中で繰り返される。


 そうです。その通りです。私も、その通りだと思っています。

 ……でも、……でも。


 幼いころから受けてきた教育が、それ以降の思考を許さない。

 自問自答を繰り返し疲れ果てた私は、見覚えのない木造建ての校舎に辿り着いていた。


「ここ、は……」


 雨宿りも兼ねて、壊れかけの入口らしき場所から中へと入ってみる。

 校舎の中は、ところどころに雨漏りが目立つほどくたびれて、今の自分の心境と重なってか、この世の果てのように思えた。

 そんな場所が不思議と落ち着いてしまう自分に驚きつつも、私はどこか落ち着ける場所を探し回る。

 アランと会っていたのが正午過ぎ。であれば、そろそろ午後の授業が始まるころだろう。

 いくら動揺していたとはいえ、こんなことをするのは今日が初めて。

 自分が置かれた境遇のせいか、それともこの建物が放つ(さび)れた雰囲気のせいか、悪いことをしていると理解しながらも、内心わくわくしている自分がいた。


 パキッ、パキッ、パキッ。

 古すぎる床は、歩くごとに音が出る。その音を頼りにしながら安全そうな場所を歩き、そして建物の中でも比較的造りが新しい部屋に辿り着いた。

 何かを祈るために造られた礼拝堂……だろうか。奥まった部屋の中央に鎮座(ちんざ)している彫像が気になり、惹きつけられるように近づいていく。

 建物の装飾品だろうか。近づけば近づくほど、より鮮明にになっていくそのディティールにはあまり見覚えがない。

 もう少し、もう少しだけ近くに――。

 そのことにばかり気を取られ過ぎていた私は、この幻想的な空間において、自分以外にも人がいるなどとは想像することも出来なかったのだ。


「君は……誰だ?」

「へ……?」


 ……今、声が、しませんでした?

 いや、そんなまさか。だって、こんな今にも壊れてしまいそうな場所に来る人なんて、私みたいに自暴自棄になってしまった者以外にいるわけがない。ましてや今は授業中。規律を重んじる学園内において、そんな無法者がそうそういるわけ……。


「もう一度聞くぞ? 君は誰だ?」


 ……いた。ここにもう1人。

 まさかの事態に驚きつつも、学園内にいる者である限りは礼儀をわきまえるべきだと判断し、即座に表情を取り繕う。


「失礼いたしました。私の名はメルヴィン・ローズと申します」

「ローズ……。聞いたことのない姓だ」

「はい。この学園内においては珍しい姓かもしれません。なにせ私は商人の出ですので」

「なるほど。それで合点がいった」


 相手は、それ以降なにかを口にすることもなくその場にい続けた。

 永遠に感じられるほど長い沈黙。

 流石にばつが悪くなり、私はこの場にいる私以外の人間に初めて視線を向ける。


 ――そこにいたのは、この幻想的な空間に溶けこむように立っていた1人の男性。

 消え入りそうな銀色の髪に、澄んだ青色を有した瞳。

 絵画のようなその造形美に、思わず息を呑んだ。

 そして次の瞬間、私の口から出た言葉は、後々になって私自身すらも赤面させてしまうことになる。


「あなたは、妖精さん……?」

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