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樽栓を咥えた豚〜ある貴族令嬢の独白〜

作者: 櫻井入文

よろしくお願いします。

「樽栓を咥えた豚だわ」


 初めてお会いしたお義母様が私を見て最初に口にした言葉でした。





 お義母様がこの屋敷に来てから、私の生活は徐々に変わっていきます。


 今思い返せば、大人の都合で歪められた生活と言うものだったのでしょう。しかし、当時の私は何も知らない小娘でした。




 毎日のように、私を溺愛して下さっていた従伯母さまとお義母様が口論しています。


 お父様はお仕事が忙しく、邸に戻ってくるのは月に数日程度。時には数ヶ月留守にされることもございました。

 冬には長く戻られますが常に領地を周り、または投資のために国内外を移動される日々。


 母は、私が三歳の頃に儚くなられました。

 産後の肥立ちが悪く、ずっと床に伏しておりましたので私と母の思い出は常にベッドの上での記憶になります。


 そんな母が頼りにしておりましたのが、お父様の従姉。お祖父様の弟、私から見れば大叔父様の娘である従伯母でした。


 父と母は彼女を姉と呼び、私は彼女をおば様と呼んでおりましたの。


 おば様は母を助けるために邸に入られたようです。

 陰日向にと私を愛し、助けてくださいました。

 母もわたくしがおば様に懐いているさまを見て、それは大変に喜んでおりました。

 きっと、そう長くない自身の行く末を思い安心したかったのかもしれません。


 そして、穏やかな日々も静かに終わりを迎えます。


 私を愛し、慈しんでくださいました存在との永久の別れ。


 とても悲しかった。


 泣き暮らす私を慰めようとおば様は沢山のきらびやかなものを見せてくださいましたの。夢のような時間でしたわ。


 それでも、いつかは楽しい時間も終わりを告げます。


 母との別離を経験した私に、新たなる試練が訪れようとしておりました。



 私はまだ幼く、母親が必要であると考えたお父様が新しいお義母さまを迎え入れられたのです。


 私が五歳の時でした。


 シャーリィ=メイ・グランパライム。


 それが、わたくしの新しいお義母さまのお名前です。




 最初の変化が訪れたのは、食事の量でした。


 少しずつですが、皿に盛られている量が減っていったような気がします。それでも皿の数は十分で、幼い私は気にも止めておりませんでした。


 次に、皿の数が減り始めます。


 一皿ずつ、減ったり戻ったりとじわじわと調節されているようでした。


 けれど、当時の私は、まだ気が付きません。

 沢山の美味しいものが、身の回りに溢れておりましたもの。


 そうこうしているうちに、わたくしの教育係の皆様が一人、又一人とお辞めになっていきました。


 当時のわたくしは、語学教養、音楽、家政一般と三人の先生に師事しておりまして、皆様とてもお優しく何かわたくしが失敗したとしても、決してわたくしを叱責などせず、いつも穏やかにわたくしを見守っていて下さいました。


 おば様が選んで下さった大切な先生達が突然いなくなる。


 理由が分からず不安がるわたくしに、日々の世話をしてくれていたドライナースが全てお義母様の指示であると教えてくれました。


 そして最後の先生がお辞めになられた日から三日と空けず、新しい教育係の先生がやって来られました。この方は、お義母様の見立てでやって来られたそうです。

 今まで三人の先生から教えていただいていたことを、たった一人の先生が面倒を見る。子供ながらに不満に感じたものですが、お義母様の、あの最初にわたくしを目に留めた時のゾッとした……青く、やがて白く、そして赤く色を変えたお顔の色と表情を思い出しますと、訴えた所で状況が変わるとは思えず、口を閉ざすしかありませんでした。


 新しい教育係の先生は、とても無口な方でわたくしとは余りお話しては下さりません。常に笑い声が聞こえていたわたくしの部屋は、いつの間にか物静かな淑女に相応しい部屋へと変わっていったのです。


 食事の量が減らされ、やがて回数も減らされ。教育係は、私の話を聞いてくれず。父は仕事にかまけて私を見てはくださらず、お義母様は私を目に止めるたびに歯噛みし鋭い眼差しをおば様に向けるのです。


 私のよすがは、おば様だけでした。


 おば様のお部屋で沢山の美しいものを見て、きらびやかに着飾るおば様に感嘆する。その僅かな時間だけが、私の心休まる時間でありました。


 なのに。


 その楽しみすら遠い思い出とさせる。そんな日が刻一刻と近付いていたのです。


 もうすぐ七歳の誕生日を迎える。そんなある日の出来事でした。



「このような横暴、許されると思っているの?!」

「許されるも何も、わたくしがこの樫の館(シェナウッド)の女主人です」



 午前の学びが終わり、昼食を終えると館の外へと出され、日が傾き始めるまでは戻ることは許されない生活が始まって少し経った頃です。


 お義母様が雇い入れたドライナースと共に庭を歩いていた私は、庭に流れる小川に虹色に輝く小石を見つけました。余りの可愛らしさに拾い上げた私は、まだ帰るには早い時間でしたがおば様に見せたいと館に戻ることにしました。


 それがいけなかったのかもしれません。


 早くおば様に見せたい。


 その一心だったのです。盗み聞きする気は、毛頭ございませんでした。


 おば様の部屋へ向かう途中、お義母様の書斎の前を通るのですが、その時、二人の言い争う声が扉を締めていても外まで漏れ聞こえていました。


 今まで、一度として聞いたことがないおば様の鋭い声。それに対し、お義母様はいつもの平坦とした冷たい物言いでした。

 対照的な二人の会話は、それでも激しい怒りが双方に込められていて怖ろしく震え上がった私はその場から一歩も動けなくなりなりました。

 私の後を追ってきたドライナースが、そっと私の耳を塞ぎます。その手はとても優しく温かかく、私はとても安心したのでした。


 お義母様とおば様の口論は毎日のように繰り返されておりました。わたくしが居ります時は決して声を荒げることはなく、わたくしの耳に届く範囲での言い争いも決してされません。

 けれど、わたくしはお二人の仲の悪さを存じております。人の口に戸は立てられないと申しますが、例え口にされることがなくとも空気で伝わるものがございます。


 そうして、そのような日を経てから十日ほど過ぎた辺りでしょうか。お父様が国外からお戻りになるにはまだ早い時期にも関わらず、邸へとお戻りになられました。


 あとから思えば、お義母様とおば様の不仲が理由の一つだったと思い至るのに、その時はそのようなことをつゆとも思いませんでした。


 わたくしは帰宅の無事を喜ぶ挨拶をするために玄関ホールへと向かったのですが、降りる階段の途中で階下に見たお父様のお顔が余りに厳しく、その恐ろしさに怯えてしまいご挨拶することなく部屋へと逃げ帰ってしまったのでした。

 そのような態度をとっても、誰もわたくしを咎めません。おば様が怖がりなわたくしを心配して、お父様や使用人達にわたくしが自分から部屋を出てくるまでは、そのままにしておいて上げてほしいと話して下さっていたからです。


 ですから、お父様も挨拶に来ないわたくしを無理に呼びつけるような真似はなさいませんでしたし、同じ部屋で寝起きするドライナースは常に傍についておりましたので生活に困るような事もありませんでした。


 お父様が戻られてからは、邸の中が何処か落ち着きがなくなって、わたくしはますます部屋から出なくなっていったのです。


 今までは、おば様がすぐにお声を掛けに来てくださいましたから、部屋に閉じこもっても翌日には食事の席についておりましたが、今は身の回りの世話をしてくれるドライナースがおります。それに、わたくしが部屋に逃げ帰った日の夜、お義母様からの押し花がとても綺麗なカードを頂きました。そこには、明日から午後の外遊びはわたくしが強く望まない限り控えるようにと記されており、代わりに、毎朝一番で庭に咲く花をあなたの部屋に届けるとも書いてございました。


 部屋を出て庭まで行く間に、あのように厳しいお顔をされたお父様に会ってしまったらと恐れたわたくしは、お義母様のご提案は渡りに船で午後の外遊びは当分の間お休みすることに致したのです。


 ですから、お父様とは、ご帰宅されてから一度も顔を合わせておりません。


 食事も全て部屋に運んでもらい一人で済ませます。ドライナースは常に身近に控えておりますし、家庭教師の方も淡々と仕事をこなされる御仁でわたくしの行いを咎めるような事はありませんでした。


 外遊びの時間が無くなりましたから、お昼間のお勉強の時間が増えるかと思いましたが、家庭教師の先生はお裁縫の時間にしましょうと繕い物の遣り方を教えて下さいました。

 貴族という身分ですから、繕い物や縫い物は使用人がやるものと思っておりましたが、「そのように考える方もいらっしゃることは確かですが、多くの貴族女性は裁縫の類いは出来て当たり前なのですよ」と、今までとはまた違った見識を教えて頂きました。


 わたくしは初めて自分で針を持つことに興奮し、それは真剣に針を動かしたものです。


 時々、廊下が騒がしいような事がありましたが、誰かが部屋に押し入ってくるとか扉を荒々しく叩くといった行為はありませんでしたので、わたくしに用事があったわけでは無かったのでしょう。


 ゆっくりと日々が過ぎていきます。


 わたくしが部屋に閉じこもって七日目の夕方。お父様から食事をご一緒するようにと申しつかりました。


 オロオロとするわたくしの元にお義母様がやってきました。彼女がわたくしの部屋を訪ね、中に入るのは、これで二度目です。一度目は、わたくしの六歳の誕生日でした。


 そう。

 その日は、わたくしの七歳の誕生日だったのです。


 お義母様はわたくしに、若葉色のワンピースを贈って下さいました。背伸びしたい年頃だろうと、少しだけ大人びたデザインにするためにフリルは少なめで代わりにレースリボンと刺繍がふんだんにあしらわれております。

 ポケットには、共布で作られたサシェが一つ。柔らかな花の香りがし、大人の女性に一歩近付けたような気がしました。


 そういえば、前年の誕生日もお衣装をいただきました。輝く青空色の春のコートにときめいた覚えがあります。あのコートのポケットにもサシェが入っておりました。


 ドライナースが言うには、このサシェは特別なものだそうです。十五歳の誕生日が楽しみですねと彼女は笑い。わたくしはその意味が分からず、ただ首を傾げるばかりでした。


 今までの誕生日は、おば様が選んでくださった花を部屋に飾って終わりでした。

 庭に咲く美しく可愛らしい花をおば様が手づから集められわたくしの為にブーケにしてくださるのです。


 お父様はお仕事に忙しく、わたくしはカード一つ頂いたことがございませんでした。そんなわたくしを悲しませまいとおば様は沢山の花を贈って下さいました。


 そんなおば様からの大切な贈り物。

 いつもならお昼間に届けられるそれが、その年は届いておりません。


 わたくしは、おば様からのプレゼントが無かったことよりも、おば様からプレゼントを頂いていないことに気が付かなかった自分に、少なからず衝撃を受けたのでした。


 そして、なぜおば様からの贈り物が届かなかったのか。その理由を、わたくしはその後の夕食の時間にお父様から聞かされることとなります。


 それは、わたくしの幼児期の終わりを告げる鐘の音でもあったのです。





 わたくしには、常にドライナースがついておりました。お義母様がいらして一週間と経たずにやってきた者です。それまで、わたくし付きのそのような者はおらず。お義母様はわたくしを見ると直ぐ様、彼女を手配したのでした。

 彼女が来てからは、わたくしは一人でおば様にお会いすることはほぼ無くなりました。常にドライナースが傍に控えていたからです。

 常に傍に人が控える生活は、窮屈な暮らしになると思われるかもしれませんが、子供とは目を離せば何をしでかすか分からない生き物。予想外の物を踏み台に高い所に登って落ちたり、未知のものを好奇心から口に入れたりと、油断なりません。

 彼女はとても穏やかな性格で温かくわたくしの成長を見守ってくれていました。


 わたくしが十歳になると彼女の役割はレディースメイドが引き継ぐこととなりました。

 これより先は、わたくしは立派なレディとして扱われるということです。


 おば様は、わたくしが七歳の誕生日を迎える前に邸を出て行かれました。

 わたくしに会うこともなく。ひとり静かに邸を去ったのです。


 あの誕生日の夜。父から聞かされたのは、おば様が邸を出てご自分の嫁ぎ先である子爵家へと戻られたこと。


 彼女とは二度と会うことは叶わないかもしれないということ。


 もし、会うことがあったとしても、それは遠い未来でわたくしが一人の大人の女性となったあとだろうということ。


 最初に聞かされたとき、わたくしは何がどうなっておば様と離れなければならないのか分かりませんでした。

 おば様だけが、私の味方。おば様だけが、幼い頃に母を失くした不出来で憐れなわたくしを愛してくださっている。そう思っていたからです。


 きっと食事の席でのわたくしの表情は絶望に染まっていたことでしょう。


 同じように食事の席についていたお義母様がカトラリーを扱う手を休め、わたくしを見つめております。


 お義母様が来てから何もかもが変わってしまった。


 食事の量は減り、回数も料理の内容も変わった。


 座学の時間の楽しみであったお茶の時間は無くなり、お菓子を口にする機会も減った。


 午後からは、疲れるまで庭で遊ぶよう言われ、家には入れてもらえなかった。楽しくはあったけど、ブランコも木登りも最初はできなくて嫌だった。


 おば様は沢山のキレイなものを持っていた。それをわたくしに見せてくれた。フォーシーズンに必ずウットリと見惚れてしまうドレスを仕立てられていた。


「いつかは貴女も着ることができるわ」


 そう仰言って下さっていた。


 わたくしの誕生日が近付くと新しい宝石を見せて下さった。


「宝石は財産よ。そしてそれを身につける自分自身が何よりも尊いものなの」


 おば様は身につけられた宝石と同じくらい輝いて見えた。


 叫びたいのに。お父様に言いつけてお義母様を追い出し、おば様に帰ってきてもらいたいのに。


 わたくしを見て、怒りに打ち震えていたお義母様。

 そんなお義母様が、今は悲しそうな顔をわたくしに向けている。


 多くのことが起こり過ぎて。わたくしは何も言い出せず、ただ時が過ぎ去るのをそれ以上料理に手を付けることなく待ったのでした。





 季節の移ろいに合わせて、子供だったわたくしも成長していきます。


 背丈は伸び、手足もほっそりと長くなりました。絡みやすい金の髪は、指通り良く手入れされ。丸かった顔は、骨の成長にあわせて顎先が細く尖り、女性らしい稜線を持ち始めています。


 幼かったわたくししか知らない人は、今のわたくしを見てもきっと紐付かないでしょう。


 それほどに。


 おば様と別れてからの年月は、私にとって学び深い濃密なものだったのです。





 十五歳となり、成人の儀を無事に迎えることとなったわたくしは、お義母様から贈られた靴を履き社交界デビュー(デビュタント)致します。この靴を贈るという風習は、『貴方を幸福へと導いてくれますように』という願いが込められたものだそうです。


 そして、成人の祝いにファーストジュエリーも贈っていただきました。


 人生で初めて身につける宝石。それは、わたくしが生まれた時とわたくしの誕生日に贈られていた裸石たちをダイアデムとイヤリング、そしてネックレスにセットしたものです。


 わたくしが六歳の時から十四歳までサシェに隠して贈られていた九つに、お父様が管理されていた生まれてから五歳までの分。


 ……いいえ。わたくしは知っております。


 本当にお父様が管理されていたのは、生まれた時に作られた銀のスプーンとともに贈られた一つだけだと。

 そして五歳までの分が足りないことに気付いたお義母様が、そっと買い足しお父様にお預けになったことを。


 幼き日の思い出が傷付かないように、お義母様はすべてを隠してわたくしを守って下さっております。


 あの日から、ずっと。


 十五歳となったわたくしは、年相応の判断力を身につけました。


 おば様が、何をなさろうとしていたのか。

 わたくしが、どうなる運命だったのか。


 お義母様が何を見て、震えるほどの怒りを感じたのか。


 丸くブクブクと醜く太り、まともに歩くことすらままならず、一日中休みなく口の中に何か物を含んでいるような生活をし、勉強と称してただお喋りの花を咲かせまともな教育を受けさせない。運動は皆無で、外は危ないからと出歩かせない残酷さ。


 五歳の子供にする仕打ちではございません。


 子供は、近くの大人を真似て様々なことを覚えていきます。子供は、何が正しく何が間違っているかを教えられない限り知りません。


 おば様は、わたくしに「怖いと感じたら、すぐにお部屋に逃げるのです」、「嫌だと思ったら、大きな声を上げてお部屋に入りなさい」と、お教えになりました。


 そして、おば様が部屋に来てお声を掛けてくださるまで、決して扉を開けてはいけませんとも言いつけられました。


 わたくしは、我知らず癇癪持ちとなり、おば様以外を受け付けない我が儘娘となっていたのです。


 母を亡くしてからのわたくしの変化に、お父様が何かを察していたのかは分かりません。


 けれど、お父様が急いで後添いを探し、お義母様が来てくださった。この事実は揺らがず、お義母様は貴族の女性らしく高潔で、頭の回転が早く、そして愛情深い方だった。


 お義母様には感謝しかございません。

 無理にわたくしの生活に介入するわけでもなく。離れたところから見守り、必要なものを揃え、不必要なものは取り去り、新しい価値観と寄り添わせ、矜持をもって生きるすべを教えていく。

 随分と気の長いやり方を選ばれたものと、振り返ってわたくしは思いますが。人はすぐに結果を求め、目に見える成果を求めたがるもの。それをお義母様は、わたくしが傷付かないように、混乱しないようにと優しい方法を選ばれたのだと分かります。



『樽栓を咥えた豚だわ』



 あの時、あの一瞬。


 初めてお会いしたお義母様は、わたくしをひと目見て意図的に健康を害されていると悟ったのでしょう。


 あの言葉は、わたくしの見目を嘲笑って呟かれたものではなく。お義母様が輿入れをお決めになる少し前までお過ごしになられていた国の『豚が樽栓を引き抜き咥えて逃げる』という諺から出た言葉だったのです。

 監督不行き届きから恐ろしい結果になる。と、いう意味だとか。


 おば様は、お母様がご存命の頃から女主人のように振る舞っており、そのように我が家の資産からご自身へも投資をされておりました。


 なぜ誰も気が付かなかったのか、不思議な話ではありますが。


 おば様は、元は侯爵家から従属爵位を譲られ、伯爵となられたお祖父様の弟の娘。子爵家に嫁がれる前までは、樫の館(シェナウッド)にもよくご滞在になられたそうでおば様を幼い頃から知る侯爵家や邸で働く上級使用人達からも信頼は厚く、まさかそのような行動をなさるとは夢にも思わなかったそうです。


 しかし、お義母様は違います。


 一切の先入観を持たないお義母様は、わたくしをひと目見て何か恐ろしいことが起こっていると感じ。すぐにご実家に人の手配を頼むお手紙を早馬で出されたのでした。


 そして、邸に関わる汎ゆる人と物の流れをつぶさに観察され始めたそうです。


 気まぐれに食事に手を付けては、食べ残して席を立つわたくし。教えを受けているはずなのに笑い声が絶えない子供部屋。


 お父様が遊び育ったツリーハウスや木の枝に掛けられたブランコは、常に手入れをされていたけれど、遊ぶはずの娘は庭先にすら出てきたことはない。


 すべてが異常です。

 なのに、それが当たり前となった邸では、誰も気に留めないのです。


 お義母様がいちばんに手配されたのが、わたくし付きのドライナースでした。

 彼女がわたくしの身の回りの世話を始めたことで、おば様とともに過ごす時間が減っていきました。ドライナースの仕事は、子供の身の回りの世話をするだけでなく、部屋の片付け方を教えたり、年齢や体躯にあった適切な食事を摂るよう管理したり、健やかな体を手に入れるための遊びという運動をさせたりと多岐にわたります。


 お義母様は、何よりわたくしの健康を。命を優先して下さったのでした。


 続いて彼女が手を付けたのは、出納帳でした。

 家計管理は、我が家ではハウス・スチュワードの仕事です。ですが、邸の大きさによっては主人や女主人の仕事とする場合もあり、貴族の子女は皆、帳簿の付け方、読み方は幼い頃から学びます。

 それ故に、お義母様は難なく帳簿を読み解かれ、わたくしのお衣装を仕立てる際、おば様のお衣装も同じように仕立てられているとお気付きになられたのでした。

 家令は、勿論気付いておりましたが、主人たるお父様が何も物申さないことから、そのように計らうものと疑わなかったようです。


 季節毎に新しいお衣装をお仕立てになるだけなら、お義母様も目を瞑ってくださったかも知れません。あくまで、もしかしたら(・・・・・・)の話ですが。


 邸を彩る装飾品や美術品を購入なさる時に、子爵邸にも何らかの美術品が送り届けられていたり、子供のわたくしには必要のない宝飾品や化粧品などが品目を偽られて購入されていたりと不正を追及する官憲が如く暴き出す姿は、鬼気迫るものがあった。と、わたくしが帳簿付けについて学ぶようになりますと、『あの頃の話』として家令や執事から聞き出すことに成功致しました。


『あの頃』、おば様とお義母様は毎日のように口論されていた。


『あの時』、本当にわたくしを守ろうと必死に戦って下さっていたのは誰だったのか。


 あのまま不摂生を続けていたら、わたくしはこの晴れの日を迎えることは出来なかったでしょう。


「ベティ、そろそろ出る時間ですよ」

「はい。お義母様」


 この日限りの純白のドレスに身を包み、白の肘上まである長手袋を付けたわたくしは、これより戦場に向かいます。


 身を守るのは、両親より贈られた宝飾品。


 ダイアデムは、わたくしに気の利いた会話を楽しむ機転を与えてくれるでしょう。


 イヤリングは、わたくしの瞳を神秘的に輝かせる光を集めてくれるでしょう。


 ネックレスは、普段より磨き抜かれたきめ細やかな肌をより美しく魅せる助けとなるでしょう。


 お義母様から贈られた靴は、領の職人たちと相談に相談を重ね、長く戦場を駆け抜けても疲れないよう、足を痛めないように工夫された智慧と技術の結晶たる最高の逸品です。


 そして、わたくしの武器は笑顔のみ。


「あなたは今日、誰よりも美しいわ。エリザベス」

「当然ですわ、お義母様。だってわたくし、シャーリィ=メイの自慢の娘ですもの」


 ベルの舞踏会(デビュタントボール)はお見合いの場。


 お義母様は、より条件が良く、何よりわたくしを愛し、わたくしが相手を信頼できる。そんなお相手を見つけると意気込んでおられました。


 勿論、お義母様はわたくしの好みも性質も熟知されております。幾ら条件が良くても、わたくしと本質が合わない男性との交際はすべてお断りするでしょう。


 わたくしが、つい見目で心が揺らいでもお義母様は、その眼識で善し悪しと中間を振り分けて下さる筈です。


 まずは縁を。


 そこから婚約に発展し、婚姻にまで至れるかは本人たち次第。わたくしの理想であり、お義母様の最愛。お父様のような男性とわたくしは結ばれたいと思っております。


「さぁ、これを持って」


 お義母様から花飾りを渡されました。オープニングセレモニーで披露するフォーメーションダンスで手に持つブーケです。


「わかっているわね、ベティ」

「勿論ですわ、お義母様」


 お義母様の言葉に、わたくしは微笑んで頷きます。


 ――――亭主元気で留守がいい。


 わたくしはお義母様からの教えを胸に、扉の前で入場を待つ花の乙女(デビュタント)達の元へと向かうのでした。


お時間いただき、有り難うございました。


追記。

4/10ジャンル別日間1位まで頂き、何が起こったのかと終日動揺しまくりで変な人になっておりました。

応援いただき有難うございます。


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[良い点] 最後!! 真理!!! 上質な供述ミステリの趣すらあるお話でした。 うっすらと伺える不思議な生活からの謎があかされるまでがお見事。 父親も出来るだけの手を尽くしていた、ということなのでしょう…
[一言] 読者が鈍くても、上手く真相の想像がつくようないい塩梅だったと思います。 叔母の不正についてどうなったのか気になる人もいそうですが、この話の本質はそこにはないと思うので私は気になりませんでした…
[気になる点] 不正に子爵家に齎された商品や宝飾品やドレス代等返金させたのでしょうか? [一言] 子爵夫人は何がしたくて主人公を不健康にしていたのでしょうか?・・・お家乗っ取りとかΣ(・□・;) 最…
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