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「乙女の戦争」~寝た男の数と格で勝負~

作者: 鷹箸 佳

「乙女の戦争」とは、二人の貴族令嬢が一人の男性を取り合って引き起こした争いのことである。学園および社交界を巻き込んだ大騒動に発展し、最終的に王による裁判が行われたことで知られる。

 

 ヒルダ・セーデルグレーンは学園で「淑女の鑑」という綽名を奉られている。

 由緒ある伯爵家の末娘にして容姿端麗、学業優秀。

 立ち振る舞いも幼少期より完璧に仕上げられ、社交の場に出ればありとあらゆる男がその姿に目を奪われる。

 まさに立てば芍薬座れば牡丹、閨でよがる姿は百合の花。

 彼女の唯一にして最大の欠点はその貞操観念の無さで、淑女の鑑という綽名も婚約者がいながら貞淑さのかけらもないさまを皮肉ったもの。

 そんな彼女の婚約者はヘルマン・アベニウスという。こちらも建国の頃から続く侯爵家の跡取りであるのだが、このヘルマンが婚約当時まだ10歳のいたいけなヒルダに閨教育と称して身体を暴いたのが全ての始まりであったので、明確に落ち度のあるアベニウス侯爵家はこの婚約を破棄できる立場にないのであった。



 先にも述べたようにヒルダはその股のゆるさを除けば完璧な淑女であったので、学園では友人も多い。ある秋のこと、その日もヒルダは友人たちとたわいもない話をしながら昼食を楽しんでいたが、とある令嬢の持ってきた話題が場の平和に終止符を打った。

「そういえばヒルダ様はご存じですか?最近、尻軽と呼ばれている男爵令嬢のうわさ」

「いえ、寡聞にして存じませんわ。そのような方がいらっしゃるのですか?」

「ええ、最近転入されてきたそうなんですが。その…アベニウス様と、ご一緒されていたとか…」

「なんですって」

 そういえば近ごろヘルマンとは寝ていないな、ヒルダには思い当たる節があった。

 ご無沙汰の理由が浮気とあっては大問題である。ヒルダは噂を持ってきた令嬢から詳しい情報を得るべく、昼食を切り上げることにした。


 話題の令嬢はカロリーナ・ブレンバリといって、男爵の庶子だったのが最近になって後継者不足のために貴族に復帰したらしい。もとが平民育ちなのでその価値観や振る舞いも平民に近く、お高く留まった貴族令嬢に飽き飽きした青年たちの興味を引いているともっぱらの噂。婚約者のいる者との逢瀬もしばしば目撃され令嬢たちからの評判は最悪という、お手本のような尻軽娘である。一度寝た男とは二度と寝ないという、ますます男好きのしそうな噂から「月下美人」の綽名を奉られたカロリーナが、最近になってヘルマン・アベニウスと何度も連れ立っているというではないか。すわ月下美人に本命ができた、しかも閨の女王の婚約者じゃないかと噂好きは沸き立ち、学園の教師はますます乱れそうな学園の風紀の行方に頭を悩ませている、だとか。



 さて、ヒルダはその日のうちにカロリーナのクラスを訪ねた。疑惑は早めに晴らすに越したことはないし、確信に変われば叩き潰すまでのこと。

 彼女を座ったまま出迎えたカロリーナは、平民上がりでマナーがおぼつかないことを踏まえてもヒルダを侮っているのが明らかで、ヒルダを烈しく苛立たせた。

「ごきげんよう、ブレンバリ様。わたくし、ヒルダ・セーデルグレーンと申します」

「存じてますよぉ、ヒルダ様。カロリーナとお呼びください」

「…カロリーナ様。こういう時は許しが出るまで名前を呼ばないものですわ」

「そうなんですかぁ?気をつけますぅ」

「ところでカロリーナ様、このところわたくしの婚約者とよくご一緒されているとお伺いしたのですが、なにかご事情がおありで?」

「えぇ?ヒルダ様もしかして焼きもちですかぁ?」

 へらへらと混ぜ返すカロリーナを張り飛ばしたくなるのを全力でこらえ、ヒルダはにっこり微笑む。

「わたくしはあくまで貴族としての常識を説いているのです。カロリーナ様はまだ日が浅いのでご存じないかもしれませんが、貴族女性たるもの、婚約者のいる男性とは二人きりになってはいけないものなのですよ」

 聴衆はどの口が言うのだとヒソヒソやり始めたが、ヒルダは聞こえないふりをした。

「ですから、そういう事態が起きたということは奇異なことでありますし、婚約者であるわたくしには事情を確かめる権利と義務がございます」


 ヒルダはあくまで淑女であるから、直接的に閨事情に言及したりはしない。それに、通常こう言えば相手方も内容を察して事情を遠回しに話し、遊びのつもりかそうでないかを伝えて以降の対応に繋げるものである。婚約は家同士の契約であり、火遊びでないなら不義理で賠償問題に発展するからだ。

 しかし残念なことに、カロリーナは平民出身であった。


「ありていに言えば」

 カロリーナは貴族の辞書にない言葉を放った。貴族がありていに言うことはタブーである。

「ヘルマン様がヒルダ様に飽きてあたしと遊びたくなったんですよぉ。けっこう良かったから、あたしと付き合わない?って言ったんです」

「なんですって」

「だいたいヒルダ様ってヘルマン様の他にも体の関係ある方たくさんいるでしょぉ?あたし知ってるんですよ?だったらヘルマン様だって他の人と寝ても良くないですか?」

「カロリーナ様、あなた何をおっしゃってるの?そもそも婚約者のいる男性にお付き合いだなんて」

「婚約者どころか奥さんいる人と寝てるヒルダ様に言われたくないですぅ。王弟殿下のお手つきって有名な話ですよぉ?」

「あれは殿下が強引に…ではなく!」

 あまりにも常識外れのやりとりに疲れてうっかり口を滑らせかけたヒルダは、取り繕おうとカロリーナを睨み付け、

「あなたも色々な方と関係がございますわよね?どうしてヘルマン様にこだわるのです!」

 何も取り繕えていなかった。

「いや、やっぱり嫉妬じゃん」

「違いますわ!」

「ヒルダ様、だったらこうしましょぉ」

 カロリーナはチェシャ猫もかくやのニンマリ笑顔で、

「あたしとヒルダ様、どっちがより魅力的か、侍らせた男の数と質で勝負。勝ったほうがヘルマン様を手に入れる。どうですか?」



 どうしてあの時ヒルダがうなずいたのかは、今なお不明とされる。その条件ならカロリーナに勝てると踏んだのか、あるいはヘルマンへの愛ゆえか、それとも肉欲に負けたのか。

 ともかく、その日を皮切りに学園や社交界の男性陣を巻き込み、のちに「乙女の戦争」と呼ばれる闘いが始まった。


「オーバリ様ぁ、今日の放課後お時間ありますかぁ?今日の授業でわからないところがあってぇ~」

 カロリーナは持ち前のフットワークの軽さを活かし、学園に通う子息たちに次々と声をかけていく。思春期真っ只中の男子ほど肉欲に弱い存在はいない。彼らに一夜の過ちを犯させることなど赤子の手をひねるよりも容易なことであった。

 貴族のしきたりに反抗心を抱いている少年たちは淑女たるヒルダを敬遠し、気さくなカロリーナを好む。めったに人の来ない木陰で華奢な体に青い欲望をぶちまけ、少年たちはカロリーナの思うがままとなった。


「あら、オースルンド侯。先ほどはダンスのお相手ありがとうございました。控室でお話を?かまいませんわ。ご一緒いたしましょう」

 カロリーナが学園に強い一方で、ヒルダの強みは社交界にある。淑女であるヒルダは自分から誘うことなどしない。相手の誘いを断らないだけなのだ。

 カロリーナを尻軽令嬢と嘲笑する男ほど、所作の美しいヒルダを抱きたがる。ダンスホールで艶やかに舞っていた体がシーツの上で悩ましく跳ね乱れるさまに、紳士諸君はすっかり魅了された。


 決着は年末にセーデルグレーン伯爵家で開かれる夜会と取り決められた。学園のパーティーはカロリーナに、王家主催の夜会はヒルダに有利すぎるとされたためである。また、決着までヘルマンには互いに手を出さないこととなった。

 ヒルダはただ貞操観念に欠けているだけで本来は高潔な伯爵令嬢であるので、年末の夜会への招待状を普段は呼ばないような貴族たちにも送付し、カロリーナの味方が夜会に来れないという事態を回避した。

 勝負の場を整えたら、あとは勝つための努力をするだけ。ヒルダはいつも以上に夜会に出て勢力拡大(情交)に励み、睡眠不足がたたって年末の定期試験で初めて首席を逃した。



 いよいよ決着の夜会が間近に迫った当日の昼、セーデルグレーン家は異様な雰囲気に包まれていた。ヒルダは婚約者であるヘルマンのエスコートを受けて夜会に参加するはずであったが、今朝いきなりアベニウス家から使者がやってきて「諸事情のため、本日のエスコートは難しい」というではないか。

「乙女の戦争」を知らないセーデルグレーン家の人間は顔面蒼白になって対応を協議した。ヒルダから「婚約の事実を広く発表したい」との名目でいつもより多くの貴族を呼んでいるのに、これでは不仲を喧伝するようなもの。当日だから夜会の中止もできないし、もはや打つ手がない。

 一方のヒルダは、カロリーナが協定を破ったのだと受け取った。彼女がヘルマンにエスコートされて夜会に現れれば、彼の不貞は皆の知るところとなり、婚約関係に大きなひびが入る。火遊びはあくまで公然の秘密として行われているものであって、その相手を連れて公の場に現れればそちらが本命と見なされるからだ。実際、ヒルダはヘルマン以外の男性とダンスやベッドは共にしても、エスコートを受けたことなど一度もない。

 正々堂々と勝負をしようと考えたわたくしは間違っていたのだろうか?ヒルダは己の価値観を初めて疑った。そもそもヘルマンはヒルダの婚約者なのだから、手を出したところで何も非難される筋合いはなかったというのに。

 もし今日のことで婚約がご破算になったら、遊び相手の誰かに頼んで愛妾か後妻として生きていこう。ヒルダは負けを覚悟して次善の策を練ることにした。


 夜会に現れたカロリーナは、ヘルマンではない男にエスコートされていた。

「ごきげんよう、カロリーナ様」

「ヒルダ様、本日はお招きいただきありがとうございますぅ」

 形式上はにこやかに挨拶を交わす二人だが、あたりの空気は冬の朝よりも張りつめている。

「ところで、ヘルマン様はどちらに?」

 小声で尋ねるヒルダは美しい笑顔だが、目は笑っていなかった。一方のカロリーナは本当に驚いたようで、

「え!?ヒルダ様をエスコートされてなかったんですか?」

「ええ、急きょ知らせがありましたの」

「それは、ええっと?でも、その」

 取り乱すカロリーナを見て、ヒルダはどうやらこの状況がお互いに予想外であるらしいことを察し、彼女を疑った己を恥じた。

「…ヘルマン様の不在は後にして、先の『勝負』をいたしませんこと?本日はその為に多くの方をお呼びしたのですから」

 ヒルダの提案にカロリーナも応じ、勝負は賞品不在のまま始まった。


 オーバリ伯爵令息、オングストローム子爵、オールステット侯爵令息、オリアン公爵令息など、主に下位貴族やまだ爵位を持たない貴族の子供たちがカロリーナを守るように囲み、ヒルダをにらみつける。その数、27人。

 その視線を遮るように、オースルンド侯爵、オーケソン伯爵、オーケルマン侯爵など主に家庭のある遊び人たちがヒルダを取り巻いた。その数、13人。


「数と若さではあたしの勝ちですね~、ヒルダ様」

 カロリーナは勝ち誇ったように笑う。

「家格ではわたくしのほうが優れておりますわね、カロリーナ様。それに、」

 ヒルダも余裕の笑顔を見せ、右手を挙げた。その合図に応えて、一人の男がヒルダに歩み寄ってくる。

「わたくしには王弟殿下が味方してくださいますの。勝負あったようですわね?」

 王弟エドガーに肩を抱かれながら妖艶に微笑んで見せるヒルダ。しかしカロリーナは不敵に笑って、

「それはどうでしょう、ヒルダ様?そろそろ到着されると思うのですが」

 カロリーナが言い終わらないうちに「王太子殿下、おなり!」の声がして、ダンスホールにいる者は一様に跪く。

 ホールに現れたドウグラス王太子はセーデルグレーン伯への挨拶もそこそこにカロリーナに歩み寄り、「待たせたね」とその肩を抱いた。

 王太子に敗北などあってはならない。これはカロリーナの勝ちが決まったとヒルダが諦めかけた時、ホールの扉が激しく音を立てて開いた。

「すまない、遅れた!」

 開いた扉の向こうに、見知らぬ令嬢をエスコートして、ヘルマン・アベニウス侯爵令息が立っていた。



「それで、あの勝負は決着つかずという終わりを迎えたのよね」

 安物の紅茶をすすりながらヒルダがつぶやくと、カロリーナが心外なという顔で振り返る。

「違いますぅ!あれはあたしの勝ちでした!」

「本当に勝っていたなら、あなたはここにいないでしょうに」

 ヒルダの指摘に、それはそうですけど、とカロリーナは憮然として黙り込んだ。


 ヒルダとヘルマンの婚約は両者有責として白紙解約となった。

 ヘルマンがエスコートしていた令嬢はアベニウス家に仕える子爵の娘で、ヘルマンが手を出して孕ませたのでこちらと結婚させると決められたのだが、ヒルダの身持ちの悪さと「乙女の戦争」が明るみに出てセーデルグレーン家の責も問われてしまい、王の裁決を仰いだ。ヒルダの身持ちの悪さ自体はヘルマンに起因するためアベニウス家の責とされたものの、「乙女の戦争」は結果的に王族同士が対立する事態を引き起こしておりその責は重いとして両者対等の立場で婚約は白紙、ヒルダは勘当の上修道院送りという判決が言い渡された。カロリーナも同様に修道院送りとなったが、庶子ということでブレンバリ男爵は責を問われなかった。


「それにしても、男ってホント最低ですね」

「お口が悪いですわよ、シスター・カロリーナ」

「シスター・ヒルダだってそう思うでしょう!?あの時みんな保身を優先してあたしたちを切り捨てたんですよ!」

「まあ、彼らの子を妊娠しなくてよかったと思いましょう」


 当時、嘆願が少しでもあれば二人の貴族籍剝奪は回避される見込みであった。二人と関係した男たちが嘆願書を出せば、ヒルダはもちろんカロリーナも貴族として生きていくことはできたはずなのである。しかし、男たちは我が身可愛さに減刑嘆願書を出すこともなく、淑女の鑑と月下美人は学園および社交界から姿を消した。


「それにね、シスター・カロリーナ」

 ヒルダはにっこりと笑った。

「今のわたくしたちは神の近くでお仕えしているのだから、彼らの不幸を祈ることだって容易なのですよ?」

 カロリーナもにっこりと笑った。

「うふふ、そうですね!あたし今のシスター・ヒルダとは仲良くなれそうな気がします」

「奇遇ね、シスター・カロリーナ。わたくしもよ」

「ね、シスター・ヒルダ。あたしもう男はコリゴリです」

「わたくしもよ、シスター・カロリーナ」

 紅茶を入れて差し上げるわ、とヒルダはポットを持ち上げた。



「乙女の戦争」は二人の貴族令嬢がその身を滅ぼした闘争であったが、敬虔な修道女を二人生んだ。

 二人の修道女は、生涯にわたって仲良く神に仕えたと伝えられる。





コメディのつもりで書きました。登場人物の貞操観念が壊れています。

疑問点やツッコミは感想欄にお願いします。


小ネタ:二人が侍らせたモブの名前の頭文字は全て「Å」です。

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