あの男の姿を、私は絶対忘れない。
どろりと溢れ出る血が地面を這って広がっていく。むせ返るほどの強烈な鉄の匂いに吐きそうになる。
全く状況が理解できず、ただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできない。
目の前で、人が倒れていた。
それそのものは大して珍しくもないし、驚くようなことでもない。元から平和とは程遠い場所に身を置いているのだから。
いつもと違うのは、いつもの比ではない量の血が流れていることと、
倒れているのが私のたった1人の家族だったこと。
はっと我に返って急いで母にかけ寄る。
「お母さん!聞こえる!?私だよ!」
「............ぇ」
そう声をかけると、酷くかすれて聞き取れないものの、よく知る母の声が聞こえた。
「よかった。だいじょうぶ、すぐ血とめるからね」
「、…けて。」
母の意識がちゃんとしていることへの安堵と、絶えることのない出血への焦りで涙が出そうになる。
とにかくはやく血を止めなければと傷口を探す。
見ると何ヶ所にも傷があったので、しばし迷ったが服を破って包帯がわりにすることにした。
「痛かったらごめん、すぐ終わるからちょっと我慢してね。」
「、げて」
そう言って特に目立っていた背中の傷口に布をあてる。
大きな切り傷は深さもそれなりにあるようで、見ているこっちも辛い。
焦りで手が震えそうになるが、それを必死で押し留めて、大きな傷を塞いだところでふと違和感を覚える。
出血はここを中心に広がっていく。母さんはここで怪我をしたんだ。この切り傷を見るに、誰かから刃物で背後から。
なら、
母さんを刺した犯人は今どこにいるの?
「にげて」
酷く掠れた声。それでも確かにそう言った。
血の気が引いていくのが感じられる。
そう、このどう考えても人を殺そうとしているとしか思えない様な傷を付けた人間が近くにいるのだ。
相手が何人でいるのか分からない以上、いち早くここを離れるのが得策だ。
「逃げなさい!」
「母さんをおいて行けるわけないでしょ!」
素早く母を担いで立ち、誰か人がいる所へ走ろうとして、
その瞬間、私の身体は固まった。
“母さんを連れて、速く遠くへ行かなければ”そう思うのに、身体は全く動いてくれない。
緊張で研ぎ澄まされた感覚が異様な雰囲気を纏った集団を感知した。
すぐそばにいる。
ゆっくり、しかし確実に複数の足音が近づいてくる。
今逃げなければ確実に殺されると、いやでもわかってしまう。にも関わらず、私達のすぐ後ろでピタリと止まったそれに何の反応もできなかった。
振り上げられた鎌が夕焼けの光を反射して光ったのを視界の端で捉えた。
“それ”が振り上げられた気配を感じつつもどうすることも出来ないでいた私の背中に、衝撃が走った。
「───!!」
背中から母の体温がなくなったことで、母が私を突き飛ばしたのだと理解した。その衝撃で緊張の糸がが解けたのだろう、身体が動いてくれる。
これなら母さんを助けられるかも。
男共の威圧に負けないようにと喝を入れて叫ぶ。
「引きずってでも連れて行く!!」
怖い。こわいけど、今私がやらないと、
母の手を引いて逃げようとと振り返り、手を掴んだ、掴もうとしたのだ。ただ、掴めなかった。
なぜならば、掴もうとした母の手が、本来あるべき場所になかったからだ。
「あ……れ?、何で?」
母さんの手、どこに行っちゃったの?
困惑して改めて母を見たのと母の首がはねられたのは、ほぼ同時だったと思う。
ぼとりと落ちた母の顔からは涙が流れていて、
「ごめん、ね。どうか、」
そのあとは聞こえなかった。
不意に腹部に衝撃が走り、倒れこむ。
母の髪を掴み上げている男も、周りを囲っている奴らも、全員が笑っていた。私たちを見下して、嘲っていた。
薄れゆく意識の中、その悪辣な態度に似合う悪魔のような黒髪が、いやに目に入っていた。
皆様はじめまして。まずは本作第1話をお読みいただきありがとうございます。これから精進して参りますので、もしよろしくれば続きも読んで頂きたいです。