7.
隣をチラリと見る。窶れた顔をした茜がいた。
「着いたです。……茜、平気ですか?」
「ははっ、平気、平気……」
明らかに平気ではなさそうな茜のことを私は心配そうに見つめた。
「それにしても……ここ、理夢ちゃん家なんだよね?」
「ええ。そうですよ」
「ここ……お屋敷!?」
茜は吃驚した調子で言う。その様子を見て、大袈裟だな、と思いつつも、私は近くに生えていた草木に違和感があることに気づいた。
「あれ。あそこの草が折れています。普段、通らない箇所ですからおそらく客人……誰か来ていらっしゃるのでしょうか」
「えっ、誰か他の人がいるの?」
「ええ。どういった方なのでしょうかね」
私はクスリと笑って玄関の方まで進んでいく。茜は何故かソロソロと忍び足で私のあとをついてきていた。
「茜。どうしたのです?」
「お、お高そうなものを踏まないように、と思って……」
「そんな高いものなんてないですよ。本当に」
「そ、そうは見えないけど……だって、普通のお家は庭に噴水なんかないし……」
「ああ……たしかにそうかもしれません」
言われて、私は頷いた。そういえば、空を飛ぶときに見える家々には噴水がなかった。何処の家もだいたい、ウチの庭の五分の一くらいの広さだっただろうか。そう考えると、ウチは裕福な家なのかもしれない。裕福……裕福だということを感じたことは今まで一切なかったのだが、茜に言われるとなんかそんな気もしてきた。
「使用人の方がおられませんね。応対なさっているのでしょうか」
「……使用人? 使用人なんて、いるの……?」
「……いますけど、たった二人だけですよ? 雇っているのは」
「二人だけでも、使用人の人がちゃんといるんだね……」
茜は震えた声で言いながら、辺りを緊張した面持ちで見ていた。
「私、玄関まで行くのにこんなに歩いたの、はじめてだよ……」
「そうなのですか? ずっと、これが普通だと思っていましたが……」
「理夢ちゃん家って、お金持ちなんだね……」
お金持ち。それは何か良い称号と言えるのだろうか。言葉だけ聞くと、お金を持っていることをアピールしているような感じがして、なんだか茜に申し訳ない気がした。あまり、人前でそういったことをひけらかすのは好きではないから、そんな気持ちになるのだろう。
「ここが玄関です」
「玄関も立派だね……」
「私の部屋まで案内しますです」
ギイッと耳障りな音を立てて、玄関の扉は開いた。
「すごい……入ってすぐにお高そうな絨毯が敷いてある……」
茜は下を向いて、呟いた。それは私の趣味ではなく親の趣味で敷かれているものだ。
「あれ。なにやら話し声がしませんか?」
「本当だ。するね」
何処からか、人と人が話し合っている声が聞こえてくる。やはり、誰か来ていることは間違いないらしい。
「……ん、理夢じゃないか」
「あっ、桃音」
「……えっと、理夢ちゃんの、お知り合いさん?」
話し声の正体の片方は、私の魔法使いとしての先輩に当たる、伊勢生桃音だった。桃音は私より七歳上の人物で、自由奔放に生き、最近は魔法で人のためになろうといろいろとやっているらしい。
「あれ、理夢のお友達?」
「お友達……ええ、そうですよ。紹介するですよ。茜です」
「うんうん……えっ、終わり!?」
茜が驚いたような目をして、こちらを凝視していた。
「で、こっちが桃音です」
「……相変わらずだね、理夢は」
「相変わらず、ってなんですか」
私は桃音のことを睨んだ。
「そういえば、桃音。また、この前みたいに天候を変えろだのと無茶振りをしてこないでくださいよ」
「ええ!? そんなぁ、お姉さんのこと、手伝ってよ~!」
「お姉さん面されるのが余計に腹立つので嫌です」
「じゃあお姉さん面はしないからさ~」
「うるさいです。茜、この人のことは放っておいて、行きましょう。こっちです」
「う、うん……」
私は桃音を軽蔑するような目で見て、その場から去った。桃音は厄介なヤツなので、関わらないように行動することが一番だ。
「えっと、理夢ちゃん。さっきの……桃音さん? のこと、もっと教えてくれない?」
「思い出してしまうと呪われそうな気がするので嫌です。拒否しますです」
「ありゃりゃ……」
「……そんなに知りたいですか?」
私が振り向いて訊くと、茜はウンウンと何度か頷いて答えた。
「まあ、知りたいなら、言いますですか。はあっ。気が重いです」
私は負の感情をため息にのせた。
「ええと、ウチと桃音の家は古くから付き合いが良いそうなんですよ。んで、私の傍にはいつも桃音がいたのです。幼馴染みと言った方が良いのですかね。幼馴染みであり、魔法使いとしての先輩でもあります」
「ほ~。ということは、理夢ちゃんはあの人から魔法とか、そういったいろいろなことを教わったの?」
「そうですね。そんな感じです」
「なるほどね~」
茜はそう言いながら、何故か左にあった部屋に入っていった。
「茜。私の部屋はそこじゃないですよ」
「……あれれ? 今、意識せずにこの部屋に入ってたよ」
「だ、大丈夫なのです……? やはり、さっきまであんなに吐いていたから、まだ調子が悪いのでは……」
「あっ、ううん! 極度な方向音痴なだけ!」
方向音痴でも、さすがに先行している人間がいるのを見ながら他の部屋に入っていってしまうことはないと思うのだが……茜の天然な性格的に、あり得ることなのかもしれない。
「茜。普段、日常生活、ちゃんと送れているのですか?」
「お、送れてるよ!? バ、バカにしないでよね!?」
「それなら良いのですが……」
今の反応的に、怪しさはあった。
「それにしてもこのお屋敷、広いね……」
「広いですかね?」
「広いよ! だって、まだ理夢ちゃんのお部屋に辿り着けないんだよ!?」
「もう、そこですよ?」
私は目と鼻の先にあった部屋を指差した。そして、そこの部屋の扉をゆっくりと開けた。
「ここが理夢ちゃんのお部屋?」
「ええ。……なんですか、その目は」
「理夢ちゃんって、やっぱり可愛い趣味してるなと思って!」
「嫌味ですか?」
「えっ、そんなつもりは全然ないんだけど……ほら、お部屋がぬいぐるみでいっぱいだし!」
「ああ、これですか……」
私はすぐ近くにあった私より少し大きいくらいのクマのぬいぐるみを触る。
「このぬいぐるみたちはべつに趣味とかそういうのではなくて、すべて鍛練のためのものですよ」
「えっ、そうなの?」
「ええ。茜にお話はしたと思うのですが、魔法を放つ際には自分の魔力を杖に溜めて放っている、と言ったでしょう?」
「そういえば、そんなこと言ってたね」
「これは、魔力をものに込める練習をするための道具です。ちなみに桃音から全部貰いました」
茜は話を聞きながら、近くのヤギのぬいぐるみやペンギンのぬいぐるみをぷにぷにと触っていた。
「そういうものなんだ~。……あれ、でも、魔力を込めるもの、ってなんでも良いってわけじゃないんだ」
「……いえ、なんでも良いですけれど」
「てことは、やっぱり、理夢ちゃんの趣味でお部屋をぬいぐるみにしてるってことだね、うんうん」
「半ば強引に桃音に貰い受けたものですから、仕方なくあるだけなのですけれど……」
言っていて、言い訳のように聞こえてしまう。言い訳ではないのだけれど、これ以上こんなくだらない話をするのもどうかと思ったので、私が折れることにした。
「お茶を出しますです。茜は紅茶とアップルティー。どっちが良いです?」
「おお! やっぱり、上品なものをお出しするんだねぇ! うーんと……じゃあ、アップルティーで」
「はいです」
私は部屋の戸棚から茶器を取り出して、器にアップルティーを注ぎ、茜の前に出した。
「お菓子のクッキーもどうぞ」
「モグモグ。ありがとう!」
……言う前に、食べていた。茜は食欲旺盛な人間である。
「あ~生まれ変わったら私、理夢ちゃんのお姉ちゃんになろっかなぁ~」
「……冗談でもやめてくださいです」
私は真顔でそう言っていた。
「茜。ゲームでもしますですか?」
「ゲーム?」
「ええ。私は人間のつくる、ゲームは評価に値すると思うのですよ。だから、はい。最新のゲームから所謂『クソゲー』と呼ばれるものまで、たくさんのゲームを取り揃えていますです」
「おお~すごい! ちゃんと整理して一つずつ棚に入れてある!」
茜は目を輝かせて、ゲームソフトの入っている棚を見つめていた。
「よくわかんないけど、じゃあ、これやろう!」
「あっ、それは……」
私は茜の手にしたものを見て、ワクワク顔をした。
「えっ、これ何かすごいものなの? 私、あんまりゲームとかよくわからないんだけど……」
「そのソフトは伝説のクソゲーと呼ばれるくらいにはクソゲー度の高いクソゲーです。茜。早速やりましょうです」
「よ、よくわからないけど、うん、わかった……」
私はパッケージからソフトのカセットを出して、ゲーム機にそれを挿入した。
「えっと、このゲームはなんで『クソゲー』って呼ばれてるの?」
「対戦ゲームなのに、何故か謎ストーリーを強制的に進めさせられたり、理不尽な仕様があったり、作り込みが甘かったらしくバグもてんこ盛り。おまけに、あるコマンドを使ってしまうと、このソフトがぶっ壊れてしまいます。そんな理由で『クソゲー』と巷では呼ばれているのでしょうね」
「待って。話だけ聞くと、これ、不良品ってことなんじゃあ……」
「クソゲーです」
「えっ、でも……」
「愛すべきクソゲーです」
私は二度即答した。
「べ、べつのゲームやらない?」
「そ、そうですか……」
言われて、私はシュンとする。
「ほら、これとか、名作シリーズの一つだろうし、私でもこの作品の名前は聞いたことあるよ!」
「あっ、茜。あなた、見る目ありますね!」
私は興奮した声で言って、鼻息を荒げていた。
「それは、そのシリーズの中でも唯一『クソゲー』と呼ばれてしまった作品です。なんでも、シナリオライターに超大物作家を起用したようですが、製作陣と作家さんとの間にすれ違いが生じて、ストーリーが無いに等しいものとなってしまった故に『クソゲー』と呼ばれてしまった、悲しき遺物!」
「……えっと、それなら、無難にこっちのパーティーゲームやろうか。これもテレビのCMでやってたし、さすがにこれはクソゲーってやつじゃないでしょ……」
「あっ、はいです……」
私はがっかりした顔をしながらも、それからしばらくは茜とそのパーティーゲームをしていた。