3.
魔法の花がキラキラと煌めいて、空を舞い、儚く消えていく。まるで、桜の花びらみたいに、風に吹かれて。
「魔法の花というものは、希少なものである、というのが魔法使いの間では有名なのですが。ふむ。まさか、こんなその辺にある冬枯れの花畑の中にも咲いているものなんですね」
私はその花を見て、さてどうしようかと考えていた。魔法の花を摘み取って、自宅に持ち帰り、栽培し、その花から魔力を得て、いろいろと役立てようとはしたいのだが、ここはおそらく私有地。勝手にこの魔法の花を摘み取ってしまうのは、法律で禁止されているだろう。地主に許可を取って摘み取る必要があるのだが、果たして、許可を貰うことができるのだろうか。この花の価値を知っていた場合、もしくは知られてしまった場合はほぼ確実に許可は下りないといえよう。価値を知らなかった場合でも、当然、断られる可能性は高い。
法律を犯して、自身に汚点をつくってまですることでもないし、ここは一つ、諦めることにしよう。
そう思って、トボトボと歩き始めたときだった。
「どうされました?」
見知らぬ女の子が私の様子を見て、訊いてくる。
「ああ、いえ。べつに」
おっと、危ない、危ない。私が魔法使いである、ということは、人間にはできるだけ知られてはいけないのだ。知られてしまったら、一巻の終わり。私自身の力を悪用されてしまうだろう。ぶるぶる。想像しただけで、震えと冷や汗が止まらない。さっさと退散しよう。
「待ってください。その花が欲しいんですよね?」
「ああ……いえ、お構い無く。本当に、ぼうっとしていただけなので」
私は遠慮気味に言うのだが、女の子はすぐお隣の家からシャベルを取り出してきて、それで、丁寧に魔法の花を摘み取っていた。
「えっと、プランター、プランター……」
「あの、勝手に引っこ抜いちゃって、大丈夫なんでしょうか?」
「ええ、問題ないと思いますよ。ここ、ウチの土地ですし。私が許可すれば、平気なんじゃないですかね?」
そういうものなのだろうか。私は疑問に思いつつも、女の子のことをまじまじと見ていた。
「な、何か、土でも付着していますか?」
「あっ、特になんでもないです……ただ、申し訳ないな、って気持ちでいっぱいで……」
「いえ、良いんですよ。お気になさらないでください」
そう言われると、余計に気にしてしまう。その花はあくまで希少ってだけで、無いと困る、って花なわけでもないし。
「はい、どうぞ!」
「……ご丁寧に鉢まで用意してもらって、本当に申し訳ないです。今度、お礼の品を差し上げなければ」
「いえいえ、本当にお気になさらず」
そう言ってはくれるのだが、私にはどうやら、気にしない、ということができないようであった。このまま平行線な状態であるわけにもいかないので、私はやはり、女の子にお礼をしようと思った。
「あの、今度、伺いますです。えっと、その……ご都合のよろしい日時はございますでしょうか?」
「えっと、本当に気にしなくて……あれ?」
「どうしましたです?」
女の子は急に驚いたような顔をして、私のことをじっくりと見た。
「その制服、同じ高校の人?」
「……ふむ。あなたも、華馬高校の生徒さんなのですか?」
「ええ、そうです。二年生です」
「先輩さんでしたか。先輩さん、有り難くお花、頂戴していきます」
私は深々とお辞儀をしていた。同じ高校の先輩、ということであれば、尚更、あとでお礼を持っていくべきだろう。
「お名前を聞いても、良いかしら?」
「千夜泉理夢です。一年です。クラスは七組」
「そう。私は熊昼野姫流よ。よろしくね」
「よろしくです」
私は再びペコリとお辞儀をする。先輩には、失礼のないような行動を取らなければ。
「その花、夜でも光るなんて、不思議よね」
「そうですね」
熊昼野先輩の発言を受けて、私は頷いてみせる。私はべつに、この花が夜でも明るい輝きを放つことくらい知ってはいたのだが、魔法使いという素性を知られないために、ある程度相手の話には合わせた方が良いだろう。ただでさえ、この方は先輩なのだ。無礼でもあろうものなら、ただでは済まないであろう。魔法使いだと知られてしまった場合は、余計にまずい展開になってしまうことが予想される。
たしかに、この先輩は、一見すると優しそうな風貌に見えるが、豹変して、狡猾な行動に出てくる可能性は大いにある。故に、油断は禁物。私がこの世で生き残っていくためには、常にあらゆる状況に対して警戒しておかなければならないだろう。
「千夜泉さん……」
「……はいです?」
「その……」
どうしたのだろう。急に、モジモジし出して。
「あの、我慢しているのであれば、行ってきた方が良いですよ。我慢は毒だとよく聞きますし」
「……ああ、いいえ。そうではないの」
「我慢しているわけではないと」
「ええ……」
では、何故、モジモジしているのだろうか。
「その、千夜泉さん……」
「はい」
「わ、私と……」
「なるほど」
「えっ!? もしかして、察してもらっちゃった!?」
「ああ、いえ。これはただの相槌みたいなものです」
「ああ、なんだ……」
熊昼野先輩はホッとしたようなシュンとしたようなそんなよくわからない顔をしていた。
「あ、あのね……」
「はい」
「わ、私とお友達になってほしいの!」
なるほど。そうきたか。私の答えはもちろん、ノーに決まっている。何故なら、私が魔法使いだと知られて被害を出してしまう、あるいは被害に遭ってしまう危険性が高まってしまうからだ。というわけで、ここは丁重に断る他ないだろう。
「あの……申し訳ございませんが、先輩……」
と、いったところで、私は言葉をピタリと止めた。よくよく考えてみれば、熊昼野先輩は私が魔法の花を欲しそうに見ていたのを見て、親切に私のためにその魔法の花を私にくれた人間だ。ということは、この誘いを断ることは、非常に失礼なことに値するのではなかろうか。ご迷惑を掛けた上に、先輩のお願いは断ってしまう。それは、道徳的に、良い行いと言えるのだろうか。いいや、言えない。ということは、私はこのお願いを聞き入れる必要がある。
「……なりましょうです。熊昼野先輩」
「わ~、嬉しい~! 千夜泉さん……いいえ、理夢ちゃんって呼んだ方が良いのかしら?」
「『千夜泉さん』でお願いしますです……」
「ふふっ。わかったわ。じゃあ、千夜泉さん。今日から、私たちは、お友達ね」
「は、はいです……」
厄介なことになってしまったな、と思いつつも、『お友達』という関係を受け入れている私がいたのである。これは、いけない思考だ。すぐに振り払わなければならない。
「あ、あの、熊昼野先輩……」
「私のことは、姫流って呼んで?」
「……熊昼野先輩」
「……まあ、呼び方はいっか。強要するものでもないし」
そう言いつつも、熊昼野先輩は残念そうな顔をして、項垂れていた。
「それで、なーに、千夜泉さん」
「あの……私のことはご存知でしょうか?」
「……いえ? 今日が初対面……のはずよね?」
その発言を聞いて、私は若干ホッとしていた。
どうやら、上級生の間では、私が魔法使いってことを知られていないようである。魔法使いってことを知られてしまったら、いろいろな眼差しで【私】というものを見られてしまうので、それは有り難いことだ。
「千夜泉さんは、何か、部活動でもやっているのかしら?」
「ん? どうして、そんなことを聞くのです?」
「いえ。実はさっき、大きい棒みたいなものをくるくると軽やかに振り回しているのを見てしまったの。だから、バトン部か何かにでも、入っているのかなーって」
しまった。迂闊だった。ただでさえ人通りが少ない道である上に時間は夜ということで、私は普通に箒に乗って、家まで帰ろうとしていたのである。むむむ。まさか、自分から隙を見せに行ってしまうとは。一生の不覚。
「部活は特に……」
「じゃあ、何か習い事をしているとか?」
「習い事……」
魔法の特訓は、果たして、習い事と言えるのだろうか。
「……はい、そうですね」
ここは嘘でも良いから、何か言って、適当に誤魔化しておこう。
「おー、何をやってるの?」
「秘密です」
「えっ」
「秘密……です……」
誤魔化せるだろうか。私に、演技力というものは、ない。よって、簡単に嘘は嘘だと見抜かれてしまうのが私だ。
「少なくとも、バトンではないです」
「そうなのね~」
とりあえず、どうにか話題を変えないと。
「え、え、えっと、熊昼野先輩。と、突然ですけれど、し、し、進路の方はどうでしょうか?」
本当に突然なのである。しかも、ずいぶんと上からな物言い。私の脳はどうやら思考することをやめてしまったらしい。
「…………? 急に、どうしたの?」
そりゃ、当然、そんな反応をする。私は、話題転換の仕方が下手くそか。コミュニケーション能力、皆無か。はいはい、いつも、魔法の特訓しかしていないものだからね。コミュニケーションなんてまともにやったことがないんだよ。まったく、もう。
「ああ、いえ。なんでもないです。ちょっと、さっきまで走ってたせいなのか、身体が疲弊してしまっているようで……」
「そう。無理はしないようにしてね?」
熊昼野先輩に心配されてしまっていた。これは、余計に迷惑を掛けてしまったのではないだろうか。これ以上、迷惑を掛けないように、もう、去ろう。さっさと去ろう。今度は本当の本当に退散しよう。
「すみません、熊昼野先輩。めちゃくちゃご迷惑を掛けてしまったです」
「ううん。そんなことないわ」
微笑みを向けられた。ぺカーッと。なんと、眩しい笑みなのだろうか。
「それでは熊昼野先輩、私はこの辺で……」
「うん。またね」
「はい。またねです」
熊昼野先輩が手を振って見送ってくれているので、私も手を振り返してみる。……ハッ、まずい、まずい。人間色に染まってしまっている。冷静になれ、私。私は魔法使いの家系。普通の人間と関わってしまったら、私自身が危険な目に遭遇してしまう。それを避けるために、私はわざわざ人間たちとなるべく接触しないようにしていたのではないか。
「まずい、まずい……」
私は何度も『まずい』と呟いて、頭をブンブンと振った。
今日は、このままヘッドバンギングをしながら、お家に帰るとしよう。