1-09 噂の真相
オリヴィアの婚約が成立しないのは、アーネスト卿が自分の権力を確固たるものにするために娘の婚約話を利用しているのでは。
クロフォードの一件以降、社交界ではそう噂されていた。
だが、アメリアの言う通りアーネスト伯爵が、ましてやオリヴィアが。
婚約話の破断を仕組んだなど、そんなことは。
全く、これっぽっちもなかった。
今回の一か月前のクロフォードの件においても。
オリヴィアは顔合わせをするために隣国の舞踏会まで会いには行った。
しかしそれは、突然ローウェル家に送られてきた『婚約したい』というクロフォードからの一方的な手紙の真意を知りたかったからであり、遅れて到着したのも国境での検問側の書類上の不備でありわざとではない。
舞踏会の廊下でぶつかったのが初対面。
にも関わらず、呼び出した張本人であるクロフォードは。
『す、すいませんでした!』
初対面の相手に向けるような態度ではなく。
まるで化け物でも目にしたかのように怯え、なんとか落ち着かせようと笑顔を向けても。
『ひいっ!!』
クロフォードの顔色はますます青ざめるばかり。
最終的には脱兎のごとくその場から去っていってしまい、結局、オリヴィアは状況が飲み込めぬまま帰途につくこととなったのだ。
その上、帰国後、クルーニー家から。
『婚約話はなかったことに』
そう綴られた手紙が届いた。
『こちらでお灸を据えさせるから頼むからお取り潰しだけは何卒。ただでさえ今回の一件で領地から人が減っているのに、もしここで国際問題に発展すればお取り潰しは確実。平民になるのだけは嫌だ』
オリヴィアからの報復を恐れるかのような文面。
調べてみると、どうやらクロフォードはかなりの問題児だったようで、破天荒な女性関係を舞踏会で暴露してしまったらしい。
当事者であるクロフォードは騒ぎの大きさに恐れをなしたのか舞踏会の日から姿を消し、雲隠れをしたとのこと。
こうしてオリヴィアは通算十二回目の婚約のお断りとなった。
しかし、オリヴィア自身は。
何故クロフォードが自分に婚約を申し込んできたのか。
何故クロフォードの秘密が暴露されたのか。
何故こんな大事になったのか理由がわからず。
手紙を眺めながら、ただただ困惑するしかなかった。
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「だけど舞踏会で婚約破棄なんて……何を考えているんだろうね」
「しかも暴露したのって噂好きのザラゲス子爵夫人の主催の舞踏会でしょうぉ。社交界で死ぬようなものだし、いつもながらなかなかの男に関わっちゃったわよねぇ」
フレッドとアメリアが顔を見合せ苦笑いを浮かべるとオリヴィアは再び頭を垂れる。
「申し訳ありません。私事でまたしても皆様にご心労とご迷惑をおかけしてしまい。なんとお詫び申し上げればいいのやら……」
先程の自身の父の不参の時と同様、自身のことのように誠心誠意謝罪するオリヴィア。
まさかそこまで深刻に謝られるとは思ってもいなかったアメリアとフレッドは慌てた。
「べ、別にオリヴィアちゃんを責めているわけじゃないわよぉ。自分から送りつけておきながら実は婚約者がいて、なおかつ他の女とも浮気していましたなんてあのボンボンが全面的に悪いのぉ。そんな奴早く忘れちゃいなさい」
「そ、そうだよ。過去に縋るよりも新しい出会いに期待した方がいいと思うよ」
「流石! いいこと言うわね、フレッド様。オリヴィアちゃん、この際だからここでいい男を捕まえちゃいなさい!」
「そう、そう」
「なんなら夜会でひと波乱起こしちゃってもいいのよぉ」
そのアメリアの発言に今までリズムよく相槌を打っていたフレッドが顔を引きつらせた。
「あ、あの、ロザリアス夫人? この夜会の主催、僕の家なんですから。問題を起こされるのは流石に困りま」
「何よぉ。私達普段オリヴィアちゃんのお父様にお世話になっているのよ。私は貿易、キーリス卿はマルグリット侯爵領地への支援、フレッド様はアリアス共和国との外交でね。その恩返しにパーティーの一つや二つちょっとダメになるぐらいいいじゃない」
「一つや二つって簡単に言わないでくださいよ! うちの領地、近年、凶作続きで実入りが少ないんですから! 紅茶の商いで上手くいってるロザリアス夫人のところと一緒にしないでください!」
「あらぁ、このウェルシェル宮殿を借りられてるのにお金がないとはよく言うわね。それとも何ぃ? 可愛いオリヴィアちゃんに協力できないっていうわけ?」
「………………冷淡」
「キーリス卿まで!!」
心外だと声を上げるフレッド。
「皆様、落ち着いてください」
オリヴィアは言い争いがヒートアップする三人の間に入った。
「お心遣いありがとうございます。ですが私はこの場にお招きいただけただけで充分感謝しております。お気持ちだけ頂戴いたしますのでどうかこれ以上お気遣いなさらないでください」
「オリヴィアちゃん……そうよね、こんないい子なら私達がどうこうしなくてもすぐに新しい相手に声をかけられるわよねぇ!」
「あ、いえ……それは……」
オリヴィアの顔に憂いの影が差したのに気がついたアメリアは眉をひそめた。
「もしかしてオリヴィアちゃん。夜会が始まったから誰とも言葉交わしてないのぉ?」
「は、恥ずかしながら。ドレスは母の、形見のものを選んだので見目は見苦しくはないとは思うのですが……」
オリヴィアは自身のドレスに視線を落とした。
オリヴィアのセレストブルーの瞳に合わせたラピスラズリ色のドレスと純白のハイヒール。
シンプルだが、ヨーク部分に使われたオーガンジーの透け感がオリヴィアのはち切れんばかりの胸元を強調しており、スタイル抜群な身体のラインがしっかり出る格好となっている。
自分の趣味ではありませんが似合っていないわけでは……ないはず。おそらく。
「ですが、皆様。こちらに顔を向けていたとしても誰とも目が合いませんし、私が視線を合わせようとするとすぐに逸らされてしまうのです……」
気まずそうに告げるオリヴィア。
一方、フレッド達は違う意味で気まずかった。
「う、うん。多分それは」
「男って単純だから別のところに目を奪われてるだけかと思うけどぉ」
オリヴィアの首から下げられた鍵を乗るほどふくよかな胸元をちらちらと見ながら、口ごもるフレッドとアメリア。
だが、その言葉を自分の努力不足だと捉えたオリヴィアは。
「はい。ですのでもっと魅力のある人間になれるようこれからも邁進してまいります」
両手を握り健気に答える。
アメリアはフレッドとランドンを集め、耳打ちをした。
「どうするのよ。オリヴィアちゃん、貴族にしては珍しくすっごーく素直ないい子だから、誘われないのは全部自分のせいだと思っているみたいよぉ」
「………………不憫」
「このままじゃオリヴィアちゃんが可哀想。フレッド様、あなた軍人なんだから顔広いでしょうぉ。誰か紹介してあげなさいよ」
「そりゃぁ、僕だってオリヴィア様の境遇は同情しますが、流石にオリヴィア様に見合う貴族との縁談なんてすぐに用意はできま……」
断ろうとしたフレッドであったがアメリアとランドンの冷ややかな視線攻撃。
断れる雰囲気でない。
それにフレッドもオリヴィアを不憫には思ってはいるようで。
「ロ、ローウェル家は辺境伯の名家だから、きっとみんな尻込みしているんだよ」
アメリア達に背中を押される形ではあったがオリヴィアに言葉をかけた。
オリヴィアは首を傾げる。
「お声をかけにくいということでしょうか?」
「そ、そう。だから逆に。オリヴィアちゃんから話しかけてみたらどうかな? 前に言ってたよね。花が好きだって。ここの庭園は有名だし話かけるきっかけにするのはどうかな? ほら、あの方とか」
フレッドはオリヴィアより少し年上の、二十歳そこそこのブラウン髪の青年に視線をやった。
「は、はい。頑張ります」
オリヴィアはこちらの視線に気がついた青年に精一杯の笑みを作った。
実はオリヴィア。
クロフォードに笑顔を向けた際、怯えさせてしまったこともあり。
『自分の笑顔が不気味だったのでは』
そう考えていた。
以降、表情筋のトレーニングを行っている。
その甲斐あって浮かべられたのは、天使の微笑みと呼んでも過言ではないぐらいとろけるような甘い笑み。
男の心がハートの矢で瞬時に打ちぬかれたのは当然のことだろう。
男は鼻の下を伸ばしただらしがない顔で手を振り、吸い寄せられるようにオリヴィアに近づこうとした。
が。
「え?」
「あら?」
突然、青年の顔が、腑抜けた顔から恐ろしいものを見たかのように変わる。
そしてそのまま何も見ていないと言わんばかりに足の向きを百八十度変え、逃げるように立ち去ってしまったのだ。
取り残されたオリヴィア。
「ええ……」
「どうしてぇ?」
戸惑うフレッドとアメリアを横目に、ランドンは後ろを一瞥するとボソリと呟いた。
「………………番犬」