30. 祝福の花と濃密な薔薇の香り
それから三ヶ月で、フランクとエマの婚姻の儀は行われることとなった。
大商会であるリュウ・シエンのロンハオ商会が全面的に協力してドレスや宝飾品、様々な手配を仕切ってくれたおかげで通常の準備期間よりも早く支度が整ったのだ。
リュウ・シエン的には、自分とマリーとの婚姻もいち早く進めたいという目論みがあったのかも知れないが。
「エマ、とても綺麗よ! これからもお兄様をよろしくね」
「お嬢様、リュウ・シエン様には早く婚姻の儀を出来る様に色々とお気遣いただいて感謝しております」
「お嬢様なんてやめて。マリーって呼んでくれないと本当の妹らしくないわ。でも、リュウ・シエン様には伝えておくわね」
「はい、マリー。ありがとうございます」
そう言って婚姻の儀を前にして、マリーとエマは穏やかに笑い合った。
恙無く儀式は進み、教会の扉の前で祝福に包まれながらフランクとエマは幸せそうに寄り添っていた。
マリーは兄が遠くに行ってしまったようで少々寂しく感じたが、隣に感じるリュウ・シエンの温もりはそんな寂しさを和らげてくれた。
「マリー、フランク殿をエマに取られて寂しいんじゃないか?」
「まあ、何故分かったんですか?」
リュウ・シエンが、珍しく派手な色味の濃い赤紫色のドレスを身につけたマリーの手をそっと握って囁いた。
「フランク殿は幸せそうではあるが、俺がマリーに近寄るたびに微妙な顔をしているから、きっと同じような気持ちなのだろう」
「そうですね……。ずっと兄と二人きりだったから」
「これからはフランク殿にはエマが、マリーには俺がいるからな。そろそろ兄離れと妹離れをしてもらわないと困るぞ」
そう言ったリュウ・シエンは悪戯っぽく笑って、センチメンタルな気分になっていたマリーを元気付けた。
「ふふっ……善処します」
「それに、次は俺とマリーの番だな」
「次は兄がヤキモキする番ですね」
新郎新婦に負けず劣らず甘い雰囲気の二人を、リー・イーヌオが後ろから覗き込んで邪魔をする。
「ほらほら、フランク殿がこちらをジーッと見てますよ。さぁマリー嬢、新郎新婦に花びらのシャワーを差し上げて来てください」
「あぁ、そうね。リュウ・シエン様は?」
「俺はここで」
マリーは花籠を持って、フランクとエマに駆け寄って祝福のフラワーシャワーを散らせた。
温室から摘み取った薔薇の花びらはハラハラと新郎新婦に祝福を告げる。
フランクは近づいてきたマリーにギュウッと抱きついて離さずに、エマはそれを見て優しく笑っている。
幸せそうな三人は本当の家族のように見えた。
フランクとエマの希望で儀式は非常に慎ましやかな物にしたから、領民の一部と使用人たち、そしてリュウ・シエンとリー・イーヌオという気心知れた者たちがみんなで新しい夫婦の門出を祝ったのであった。
その夜、マリーは母お気に入りの薔薇たちがふぅわりと香るガラス張りの温室で、兄が新しい家族を迎えたこと、それが大好きなエマだということを改めて考えては嬉しさが込み上げてきていた。
そしてもうすぐ自分も愛する人と共に生きていくことになるのだ。
目の前で咲き誇る深紅の薔薇を、懐かしい母に見立てて話しかけるのがマリーの習慣だった。
「お母様、私ね……リュウ・シエン様のお国に行くのはとても楽しみなの。誰も私のことを知らない土地で、新しい人生が歩めるのですもの。それに、リュウ・シエン様がいたらきっと私はどこでも幸せになれるのよ」
それでも、何故か浮かない顔のマリーは目の前に咲き誇る紅い薔薇をそっと撫でた。
「……でもね、心配なの」
マリーがポツリとそう呟いた時、少し離れた背後からリュウ・シエンの低く甘い声がマリーを呼んだ。
いつの間にか近くにいたらしく、話を聞かれてしまったことに羞恥の表情を浮かべるマリーはなかなか振り向けずにいる。
「マリー。何が心配なんだ?」
「リュウ・シエン様……、どうしてここに?」
とうとう後ろを振り向くと、リュウ・シエンは片方の手を腰に当ててランタンと月明かりの照らす中に立っていた。
いつもの異国の衣装はやはり彼には似合っていて、マリーはその姿に何度でも見惚れるのであった。
「何となく、マリーの顔が見たくて部屋に行ったらジョルジュがここだって言うから。ここで、フランク殿とエマのことを考えていたのか?」
「まあ……」
「それで? 何が心配なんだ?」
リュウ・シエンはマリーの心配ごとなど全て取り払ってやりたいと考えている。
しかし、マリーもまさかこんな事になるとは思わずに自然と声が小さくなった。
リュウ・シエンは少しずつ歩を進めてマリーの傍へと近寄り、そして耳を傾ける。
「笑いませんか?」
「笑う? 何を?」
「私の心配ごとです……」
「笑うようなことならまだ良いじゃないか」
そうリュウ・シエンが言うと、マリーは頬を膨らませてから愛しい男の方を軽く睨むようにして答えた。
「リュウ・シエン様がカボチャだった時には良かったのですけれど、呪いが解けた途端に皆がリュウ・シエン様の整ったお顔に見惚れているんですもの。今日の婚姻の儀でも領民や使用人の一部がリュウ・シエン様に見惚れていましたわ」
「そうか? それで、どうしてそれが心配になるんだ?」
「どうしてって……。だってリュウ・シエン様を誰かに取られてしまったらと思って……」
マリーは耳まで真っ赤に染めて、ますます頬を膨らませる。
彼女にとっては初めての恋だから、どのようにしていけばいいのか分からず、湧き上がる嫉妬さえも慣れない感情なのだ。
「マリーは本当に可愛らしいな。俺がどれほどマリーのことを想っているのかまだ知らないらしい」
そう言って膨れっ面のマリーをギュッと抱きすくめたリュウ・シエンは、真っ赤になったマリーの耳元に形の良い唇を寄せて囁いた。
「マリーが望むなら、俺はカボチャだろうが骸骨だろうが何にでもなるぞ」
「い、嫌ですっ! 私はリュウ・シエン様のそのお顔も大好きなんですからっ!」
そう宣言したマリーは、リュウ・シエンの胸元に頬を擦り寄せてギュウッと抱きしめ返した。
ふわりと艶めく赤い髪がリュウ・シエンの鼻先をくすぐる。
リュウ・シエンはその黒い瞳を細めて愛しそうにマリーを見つめた。
「そうか。それならば心配する暇もないくらいに愛してやるしかあるまいな。俺がどれほどマリーを好いているか、嫌というほどその心と身体に刻みつけよう」
リュウ・シエンはマリーの顎を掬い取って、その唇に己の唇を重ね合わせた。
もう何度も経験した柔らかな感触にマリーはホウッと身体の力を抜く。
薔薇の甘い香りが濃密に漂う温室で、マリーは嫌というほどにリュウ・シエンから注がれる溺れるほどの愛情を自覚するのであった。




