天秤にはかけられない(ラウル視点)
走りながら、俺は考えた。
呪いが発動するきっかけが、婚約の誓約書へのサインだということは、対象は「アリス殿の婚約者」なのだろう。俺個人を狙ったものではない。
二人の破局を狙う意味とは、何だ。
ギルツ家に聞けば、教えてもらえるだろうか。
(誰がこんなことを)
呪った本人も、ただでは済まないのに。
それが気がかりだった。
呪いの根源は、強烈な憎悪だ。そんな劇薬に等しい感情を継続させるなんて、呪っている者は相当苦しいはずだ。
確かに、理不尽な扱いを受けたり、暴力的な行為を受けたりしたとき、相手をころしたいほど憎んだり、しを望んだりするのは理解できる。
ただ、そればかりに囚われて人生を棒に振るのは、あまりにも惜しい。
(……どうしたら、救える)
心の整理に時間はかかるだろうが、呪いに使うパワーを、自分が幸せになるために使えないだろうか。勉強、仕事、趣味、恋愛、何でもいいから没頭して、輝かしく生きる道を選んでもいいではないか。
(……いや、そんなに簡単な話ではないな)
自分のされたことなら耐えられるが、身内を傷付けられたり、愛する人の命を奪われたりしても、俺は同じ事が言えるだろうか。
(無理だ。きっと、この世の全てを呪うだろう)
アリス殿に何かあったら、俺は正気ではいられない。人は、容易く魔に落ちるのかもしれないと思った。
平日の昼間だというのに、街には多くの男たちが行き来している。敗者復活戦を聞きつけて、アリス殿を探しにやって来たのだろう。今のところは遠巻きに見ているだけだが、いつタガが外れるか分からない。警戒しなくては。
(何だ?)
ある店の周りに、人集りが出来ていた。「ここに入ったよな?」「大丈夫かな~」と心配する声が聞こえてきて、足を止めた。
(まさか、アリス殿のことか?)
近付いてみると、明らかに怪しげな店だ。あんな所に一人で入るなど、よほど追い詰められていたのだろう。人の間をすり抜けて店へ近付くと、少年が飛び出してきた。その子の声を聞いて、アリス殿だと気付く。
(変装したのか!?)
それだけでも驚きだが、なぜか柄の悪い男たちに追われていたので、細かいことを考えるのをやめた。
(とにかく、助けなくては!)
懸命に追いかけ、何とかゴロツキどもを倒したのだが、最後の最後で、彼女は俺の手をすり抜けて行ってしまう。そこに、レオンがいたからだ。
(いや、レオンのせいではない)
彼女をとるか、仕事を取るかの選択を迫られたとき、迷わずにアリス殿を選べない自分がいた。
俺は決して、彼女を軽んじたわけではない。
特別な存在だと、心から言える。
ただ、奴らは放置してはならない相手だった。
騎士団と自警団が、長年に渡り追いかけてきたターゲットであり、友の敵だから。
*~*~*~*~
クロードは、いい奴だった。
不幸な生い立ちにも負けず、必死に教養を身に付け、真面目に働いていた。
それなのに、悪友によって、クスリの沼へ引き摺り込まれたのだ。
魔薬の副作用による、幻覚や妄想に悩まされていたクロードは、仕事を失い、ひどく荒れていた。たまたま俺が発見して病院に連れて行ったが、あのまま魔薬を続けていたら、命はなかっただろう。
積み重ねてきた信頼と、コツコツと貯めてきた金、そして、健康な体をクロードは失った。
(今は、どうしているだろうか)
元の体には戻らないが、回復させることは可能だと医師は言った。だから、俺は希望を捨てない。また、共に笑える日が来ることを祈っている。
*~*~*~*~
クロードだけではなく、前途有望な若者が被害に遭っている。何とかして捕まえたいのに、なかなか成果をあげられなかった。
(そいつらが、今、手の届くところにいる)
奴らを放っておいたら、これからも犠牲に遭う若者が出るだろう。逃したら取り返しがつかない。
その僅かな迷いが命取りとなり、レオンは彼女を連れて行ってしまった。
(待ってくれ! 俺は何も伝えていない!)
慌てた俺は、去りゆく背中に向かい、叫んだ。
「傷付けてすまなかった! 許してくれ! せめて、話をさせて欲しい! このまま終わりたくない!」
しかし、時すでに遅く、アリス殿は二度と振り返ることはなかった。呆然と立ち尽くしていると、ふいに、彼女がレオンの首に腕を回す。
(……彼には出来るのか)
その衝撃は、俺を打ちのめした。
目の前が滲んで、何も見えない。
二人の距離が近いことを思い知った俺は、絶望して膝から崩れ落ちたのだった。




