本当に起こる怖い話でした
人が死にます。ご注意ください。
俺が聖牛になって、もうすぐ一年になる。
相変わらず食う寝るオンナの生活だが、飽きることはない。
まあ、牛だしな。人間だった頃のように、娯楽や嗜好品を求めることもない。
変わらない日々を穏やかに過ごせることが、一番だ。
最初の方に生まれた俺の子たちは、聖牧草の地ですくすく育っているらしい。
会ったこともない我が子らよ、細かいことは気にせず気ままに暮らせよ。
「聖牛様のお子たちもたくさん育ったし、もうすぐ儀式があるかもですねぇ」
ピンク髪のジョウカくんが、俺の背中を丁寧にブラッシングしながらそう言った。
んんん〜、おほぉ、そこそこ! まさに痒いところに手が届く! もうちょっと右……んほぉ! そこぉ!!
「ふははっ! ちょっ、顔面白すぎんですけど! はぁ〜、聖牛様のお世話するのホンット面白いんで、ちょっと寂しくなりますねぇ」
ん?
そうか、そういや忘れてたけど、俺は元々ここで百年に一度の神事とやらのために準備していたんだったか。
てことは、神事が終わったら俺はまたあの牧場に戻るんだろうか。
上げ膳据え膳の贅沢に慣らされた体じゃ、普通の牛生活に馴染めるか不安だなあ。
「聖牛様は、儀式のあと王族とか偉いお貴族様とか高位神官とかに供されるんですよぉ。そんな心配はご無用です」
ほーん。
王族とか貴族ってことは、今よりも贅沢な生活ができるのか?
そりゃ楽しみだな。
「うんうん、楽しみですよねぇ。僕らみたいな下っ端神官は儀式には参加できないんですけど、聖牛様のお世話係だけはご相伴にあずかれるんですよぉ。いやー、楽しみだなぁ、聖牛肉ステーキ!」
へぇー、ジョウカくんは神官だったんだ。
へえー、ほおー、ふーん。
……………………………………は?
えっ……いや…………はいぃ???
今、聞き間違いかな?
なんか、ジョウカくんが俺のステーキとか言ってたような言ってなかったような……?
「ステーキだけじゃないですよぉ! 焼肉モツ煮ハンバーグローストビーフしゃぶしゃぶテールスープメンチカツ! 血は薬に、革は靴や鞄に、骨や角は装飾品になるんです! 聖牛様って、無駄なく使えてすごいですねぇ〜!」
えっ、いや、ちょっと待って。
いやいや、えっ???
まさか、まさかとは思うけど、もしかしてもしかすると、聖牛ってのは、つまり――。
「大地の力をめいっぱい溜め込んだ穢れのない聖牛様の体は、最高の素材なんです! 食べれば寿命が伸び、身に着ければ厄災から身を守り、飾れば繁栄を約束されるなんて言われてますからねぇ〜」
無邪気に笑うピンク頭を前に、やっと状況が理解できた俺は凍りついた。
俺は、食われるために飼われていたのか。
そりゃそうか。牛なんて、乳を搾るか肉にするかじゃなきゃ普通は飼わないよな。
犬猫みたいな愛玩動物でもあるまいし。
少しずつ冷静になると同時に、じわじわと恐怖が込み上げてきた。
全身が小刻みに震えて、息は荒く、目は霞む。
なんだ。なんでだ。
俺が何をしたって言うんだ。
よっぽど前世の行いが悪かったのか?
自販機でお釣りが多かったのにそのまま財布に入れたとか、電車で隣の女性が居眠りしてもたれかかってきたのをそのままにしたとか、ムカつく上司のコーヒーを勝手に飲んだとか、一人一個ずつって言われたお土産を勝手にもう一個貰ったとか、俺がそういう極悪人だから天罰がくだったのか?
ふざけんなよチクショウ!!
あからさまに様子がおかしくなった俺を見て、ジョウカくんが小首を傾げる。
「どうしたんですか聖牛様ぁ? あ、そっかぁ。儀式のあとはもう雌牛も抱けないですからねぇ。それを思うと辛いですよ――ね、ゴペッ……」
ニヤニヤ笑ったジョウカくんが、言葉の途中でおかしくなった。
傾げた小首がなくなった。
さっきまで俺の背中を撫でていたブラシを持ったまま、首のない体が後ろにひっくり返る。
ゴトンと落ちてころころと俺の側まで転がってきたピンクの塊は、ニヤニヤ笑ったままだらりと舌を垂らしていた。
「不快な思いをさせてしまい申し訳ございません、聖牛様。ジョウカ・ルービィは聖牛様に仕える資格なしとして厳しく処罰いたしましたので、どうかご容赦ください」
青髪のシャリアさんは、いつものように優美に佇んでいた。
いつものように、にこやかで穏やかで優しげな微笑みを浮かべて。
右手に握られた鈍色の剣だけが、いつもと違っていた。
ぞわり、と身体中の毛穴が開いた。
心臓がバクバク鳴っているのに、全身が凍るように冷たくなっていくのがわかる。
口が渇く。瞳孔が広がる。
震えが止まらない。
「ご安心ください。聖牛様の儀式はわたくしが担当いたします。ご覧の通り、痛みなどは一切感じさせませんので。……恐れることはございません」
そのセリフのどこに安心して、恐れなくなるのか、俺にはさっぱりわからない。
シャリアさんの握る鈍色の剣先から、ぽたりと赤い滴が垂れた。
ぽたり、ぽたりと、暗く赤いシミが床に広がっていく。
どうしたことか、見たくもないのにそこから視線が逸らせない。
シャリアさんがにっこりと微笑み、俺はどさりと倒れて気を失った。