10 夏祭り
帰省して5日目。
「お待たせしました」
家の前で止まった自動車の後部座席から降りてきたのは俺の幼馴染にして婚約者。
九曜沙耶香だ。
身に纏っているのは薄桃色をベースにした生地に花火の絵が描かれた浴衣だ。
いつも下ろしている艶々の黒髪はアップにされていて、ぱっとみただけでサヤちゃんだとは直ぐには気が付かない。
顔は薄く化粧をしているのだろうか。
いつもとはちょっと雰囲気が違い大人びて見える。
「あの、何かおかしいでしょうか?」
思わず言葉を失い立ち尽くしているとサヤちゃんにそう言われた。
「ごっ、ごめん。その、あまりにその、きれいだったから……」
「そっ、そうですか。その、ありがとうございます……」
サヤちゃんが顔を赤くして視線を逸らした。
恐らく俺の顔はもっと赤くなっているだろう。
サヤちゃんと婚約者として正式に顔合わせをした日の翌日。
この日、近いところでお祭りがあるということでサヤちゃんと一緒に行くことになった。
そのお祭りは正式には隣街のお祭りなのだが大規模な花火大会もあるということで、隣街とこの地域との境になっているそこそこ大きな川の河川敷がお祭りの会場になっている。
そんなわけでそのお祭りは隣街のお祭りであるにも拘らず、この地域の者にとっても毎年参加するお馴染みのお祭りになっている。
隣街とはいえ、ここは田舎。
距離はそれなりにあるので移動にはサヤちゃんのおじいさんの運転する車で連れていってもらうことになっていて、こうしてサヤちゃんと合流したわけだ。
「ほら、早く行った行った。サヤちゃん、うちの孫のことを頼んだよ」
家の中からばあちゃんが出てきてそう言うと、サヤちゃんは「お任せ下さい」と微笑んだ。
ばあちゃんとサヤちゃんは元々顔なじみということもあるからだろう。妙に仲が良さそうだ。
これならうちに限っては嫁姑問題はないだろう。
あれ?
ばあちゃんって姑?
姑は俺の母親だよな。
じゃあ、ばあちゃんは何なんだ?
そんなことを考えながらさやちゃんのおじいさんの運転する車にサヤちゃんと一緒に乗り込んだ。
車で5分。
お祭り会場付近は交通規制がされているとかで少し歩くことになるけどぎりぎり近くまで乗せてもらってそこで降ろされた。
「啓ちゃん、沙耶香のこと、頼んだぞ」
「お任せ下さい」
さっきとは反対のやり取りをしておじいさんと別れた。
時刻は夕方。
そろそろ日が暮れるという時間だ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
サヤちゃんと並んで二人で歩く。
やばい。
単に一緒に歩いているだけなのに顔がにやける。
俺もばあちゃんに用意してもらった浴衣を着てサヤちゃんと並んでゆっくりとお祭りの会場へと向かう。
二人とも草履を履いているのでその歩みはゆっくりだ。
そういえば、昔もこのお祭りには来たことがあった。
でもサヤちゃんと一緒に来たという記憶はない。
人の多い場所はサヤちゃんの身体に負担になるからと当時はサヤちゃんと一緒にお祭りに来ることはできなかった。
「ふふっ」
「どうしたの?」
「いえ、啓一さんと一緒にお祭りに来ることができて嬉しくて」
そのくらいで、と一瞬思ったがそれは間違いだ。
サヤちゃんにとってはそれくらいと思えることもできなかったのだから。
お祭り会場に近づくに連れて人が多くなってくる。
多くが隣街の住人のようでサヤちゃんも知らない人ばかりのようだ。
しかし、俺たちに向けられる視線が多いことに気付く。
まがりなりにも俺は都市部に住んでいるからこの程度の人混みは正直混雑のうちにも入らない。
だから人が多いことによって感じる違和感ということはないはずだ。
その視線の主たちの顔を見て気付く。
男が、特に俺たちと同年代の若い男が多い。
そしてその視線の先は「俺たち」であって「俺」ではない。
俺はチラッと隣にいる愛しい幼馴染に視線を送る。
幼馴染は俺が向けた視線に気付くとわずかに首を傾げた。
そりゃそうだ。
こんなかわいい子が歩いていたら視線が向くのが正常な男として当たり前の反応だ。
超絶美人のサヤちゃんの隣にいる俺に対しては怨嗟に満ちた刺さるような視線を感じる。
そんな中で俺は隣のサヤちゃんの手に無言で手を伸ばした。
「あっ……」
その手に触れた瞬間サヤちゃんから声が零れた。
俺はそのままそっとサヤちゃんの手を軽く握る。
サヤちゃんも俺の手をそっと握り返してくれた。
その様子を見ていたのか、周囲から舌打ちの音がする。
俺は叫びたかった。
どうだ、俺の幼馴染は、婚約者は世界一かわいいだろうと。