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窓際のあの人  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
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その人は微笑んだ

 


 私をみつめて微笑んでいる。


 その視線が嬉しくて、私も顔を上げた。




 彼……なのかな。それとも彼女?


 男にも女にも見えるその人。


 失礼と思いながら胸元に目をやるが、どちらとも言えなかった。


 でも私にとって、その人が男であるか女であるかはどうでもよかった。


 それよりその幻想的なまでの美しさに、心を奪われていた。


 他人のことを、ここまで愛おしく思ったことはなかった。


 興味を持ったことはなかった。


 お互い、言葉も交わさず見つめ合う。


 それなのに息苦しさを感じない。


 私にとって、初めての経験だった。


「これは……サービスです」


 目の前に差し出されたコーヒー。


 見上げると、マスターが微笑んでうなずいた。


「あ……ありがとうございます……」


 そう言ってカップに口をつける。


 その人は私をずっと見つめたままだった。




 しばらくして、私は意を決して言った。


「あの……失礼なお願いなんですけど、その……よければ私に、あなたをスケッチさせてもらえませんか」


 私の言葉にその人は、一瞬驚いたような顔をした。


 しかしやがて微笑むと、小さくうなずいてくれた。


 私は大袈裟に頭を下げ、スケッチブックを開いた。


 ペンを走らせ、何度も何度もその人を見る。


 その人はそんな私を優しくみつめ、微笑んでいた。




 マスターがくれた三杯目のコーヒーを飲み終えた頃に、絵が完成した。


 ほとんど人を描いたことはなかったが、自分でも満足いく仕上がりに口元がほころんだ。


 するとその人が私に手を向けた。


「え……あ、でも……ごめんなさい、下手ですよ……」


 嘘だった。


 自分にとってこれまでで最高と言っていい出来栄えだった。


 でも、それを口にすることが出来なかった。


 その人の微笑みに赤面し、うつむきながらスケッチブックを差し出した。




 その人はスケッチブックをじっと見つめ、そして穏やかに笑った。


「ありがとう、お嬢さん」


 初めて聞いたその声に、私の全身は震えた。


 そしてその人はゆっくりと立ち上がると、私の元へと歩いてきた。


「え……」


 一瞬の出来事だった。


 その人は私の額に優しく口づけした。




 突然の出来事に呆然としていると、その人は扉の方へと向かって行った。


「マスター、長い間ありがとう」


「どういたしまして」


「え……」


 そこで初めて私は、違和感に気づいた。


 扉の前に立ち、マスターに微笑んでいるその人。


 それは私だった。


 マスターと話す声。


 私の声だった。


「え……どういうこと……」


 そして自分の違和感に気が付いた。




 これは……私の声じゃない。


 手を見る。


 自分の手じゃない。


 顔を触る。


 いつもと違う感触。


 窓ガラスに映る自分の姿に、私は呆然とした。




 ――私はその人になっていた。




「……じゃあマスター、これで」


 私がそう言って扉を開ける。


「ま……待って、これってどういう……」


 すると私は振り返り、もう一度私に向かって優しく微笑んだ。


 古めかしい鈴の音が店内に鳴り響き、その人は店から出て行った。


「マスター、私は一体……」


 そこまで言って、私の声は音を無くした。


 それ以上言葉が出なかった。


 体の自由もなくなっていた。


 そう、最初にあの人を見た時と同じ、窓から外の世界を眺めることしか出来なくなっていた。


「はい、コーヒーのおかわり。置いておきますね」


 マスターが、4杯目のコーヒーを持ってきてくれた。


「大丈夫、おかわりはたくさんありますから」


 そう言ってマスターが微笑んだ。





 何が起こったのか分からない。


 でもこれだけは分かった。


 これから私はこの店の窓際で、コーヒーを飲みながら生きていくのだ。


 マスターと二人で。


 私はずっとこの景色をみつめ続けるのだ。


 あの人と同じように。


 待ち続けるのだ。


 次のお客がやって来るのを。




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[良い点] ほのぼの~……からの驚愕ッ! [一言] リアルに「えっ!?」って声出ました。
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