角
短め
上着をルーカスに取られたままのアレクスは肌寒さを感じながら自宅の扉を開いた。室内に一歩進む前に、廊下の土足跡が視界に入る。今朝にはなかった複数のそれは廊下の先のワンルームに続いている。軍部の人間が押し掛けているのだろう。予想より少し早いかと自嘲の笑みを浮かべながら2つ目の扉を開いた。
簡素なベッドに腰掛けていたのは額の右に角を生やした青年だった。苛立ちを隠さない青年は杖を鳴らし、口調はあくまで紳士的にアレクスに挨拶を投げる。
「こんばんは」
「ご、ご機嫌麗しゅう、ハイロ卿」
角持ちと呼ばれる特種のハイロは若くして国王陛下付きの六騎士に数えられている。ここまで高位の者がただの容疑者のために赴くのも珍しい。アレクスはルーカスが本当にそうだったのだと確信した。彼は今の国家を揺るがす存在なのだと。
「あれは、どこにやった?」
ハイロの眼光にアレクスの体は動かなかった。喰われるという恐怖を感じていた。そういうものを彼らは感じさせるのだ。
「まあまあ、そんなに睨んだら彼も何にも言えないでしょ」
アレクスを気遣う様に声をかけたのは、同じく六騎士のレイトだった。竜の角が両耳の上から後頭部に添うように伸びている。
耳元で囁かれるいたって優しげな声と肩に置かれた手から、首を、精神を絞められていく感覚が広がる。
「君が逃した彼はね、陛下にとって大層不利益になるらしいんだ。それなのにずっと手元に置いて壊さないから、この機に乗じて僕らはあれを殺してしまいたいんだよ。だからある意味感謝しているんだ。今なら君が手を貸している集団にも目を瞑ってあげる。さあ、彼はどこかな?」
言い知れぬ恐怖が思考を狭める。裏切れないと言う正義感が呼吸を妨げる。動悸が早くなり、滝のように汗が全身を伝う。
「はっ、はっ、」
「おや、彼には脅しがよく効くみたいだ」
混乱の末にアレクスは自分の口を塞ぐために舌を噛んだ。
血が溢れてぼたぼたと床を汚す。ナルバは失望したように天を仰ぐとハイロに任せたと視線を送った。ようやくかとハイロが杖を振り上げた時、何かが派手な音を立てて部屋の窓を割り、そのままハイロの後頭部に直撃し、即座にレイトの腹を突き飛ばした。
「消えろ!」
言われるより少し早く、アレクスは透明化で姿を消した。それと入れ替わりにルーカスが透明化を解き、レイトの背後から馬乗りになって両腕を締め上げた。
「あいつには一飯の恩があるんだ連れて行かれると困る」
「まさか貴方の方から来てくださるとは、ハイロ!!」
肺を圧迫されつつもハイロを呼ぶが反応はない。
「俺を知ってるのか?あいにく俺は知らない。ああでも、その角は覚えがあるぞ盗人ども」
「ストックもロクにない貴方が今の僕らに勝てるとでも、ハイロ!!」
もがきながら再度ハイロを呼ぶが反応はない。先ほどアレクスを脅した時とは変わって余裕がなかった。
「しばらく動けないだろ。頭蓋割ったからな、流石にまだそこまで化け物じゃないだろ?」
レイトは焦っていた。主人から常に言い含められていた言葉が耳を回っていたからだ。
『彼は牢に入れたままでいい。殺したと思って手元から離したとしても彼はまだ生きているかもしれない。それほどまでに彼は執念深く、しぶとい。彼が自由になった時、彼は必ず奪いに来る。私たちの角を』
角を奪われる。角を奪われる。ようやく手に入れたこれが奪われる。ようやく手に入れた場所が奪われる。逃げなければならい。この男から。この場から。
レイトの焦燥に拍車をかけるようにルーカスが耳元に口を寄せる。
「ラグナに伝えろ。お前が殺した奴ら全員連れて殺しに行くって」
角に触感が走る。呼吸が止まり、冷や汗が目に染みていく。
メキメキ、ぶちぶちと肉が引き切れる音がして声とも言えない悲鳴を上げた。
やかましく痛いともがくが、ルーカスは手を止めず、容赦なく引き抜きにかかる。少し手こずってひねるたびに悲鳴が変わって響く。その声に周囲に隠れていた憲兵たちがようやくルーカスを取り囲んだ。
「今は一本が限界か」
ルーカスは引き抜いた角を片手にゆらりと立ち上がり、滴る血を口にした。
無数の氷の槍がルーカスを覆い、憲兵たちを貫いた。
「氷、なかなかいい能力じゃないか」
ルーカスは痛みで気絶したらしいレイトを一瞥すると、蹲った兵たちを踏み進みながらの場を後にした。