8話 見果てぬ 気高き 夢
幸いにも、左足は大事に至らなかった。骨は無事。無理な体勢をして患部付近の筋肉が伸びて云々。
完治までの日数が多少伸びたのは確かだ。少しの間、松葉杖の小さいやつを使うことになる。
今はある程度痛み止めが効いているし、病院のベッドで姉ちゃんが来るまで少し寝たから、気分もすっきりしていた。
「弟くん、やるね! なんて看護師さんに茶化されたわよ。病院の中で一体なにしてんのアンタ」
僕からの連絡に気付いて姉ちゃんが来てくれたのは、夜になってから。
一通りの検査や処置は終えていたので、僕は姉ちゃんの車に乗せられて家に帰った。
車の中で姉ちゃんが話す。
僕を運び終えた板垣さんは病院の待合でしばらく動けなくなっていた、と。
それでも連絡をもらったブラド黒木が板垣さんを迎えに来て、一緒に帰ったそうだ。血の衝動はどうした。
「久しぶりに会ったけど、黒木さん変わってなかったな」
「な、なんで姉ちゃんがブラド……じゃない、黒木さんを知ってんの?」
「高校のときの同級生。ブラドってハンドルネームなの? らしいって言うか、なんて言うか」
「ちょっと待って。なにがどうなってんの」
話が急展開すぎて着いて行けないぞ。
「アタシが前に電話で黒木さんに相談したのよ。怪我してからうちの弟がフヌケになってる、って。そうしたら黒木さん、私にいい考えがある、って」
「ちょ、なんだそれなんだそれ」
「そのあとのことは詳しく知らないわよ。でも陽平、最近勉強も進んでるみたいだし、可愛いお友だちもできたし、前より元気になったようにアタシには見えるけど」
ことのあらましはこうだ。
教育大生の黒木さんは、後輩にして友人である板垣さんの男性恐怖症を治してやりたいと思っていた。
ちょうどそのころ、夢を失い勉強も行き詰っている弟がいる、と僕の姉ちゃんに相談をもちかけられた。
二人をつるませてしまえば、双方の問題が解決するのではないかと、首謀者たちは意見を同じくした。
姉ちゃんから譲り受けたパソコンにジェノハンがインストールされていたのも、このための罠だったのだ!
「あ、病院で黒木さんにこんなもの貰ったわ。アンタに渡してくれって」
そう言って姉ちゃんが僕に手渡したのは、ステンレス製のブレスレット。
チェーンとプレートで構成された、平凡なアクセサリーだ。
プレート部分には「絆」と楷書体で刻印されていた。ちょっとダサい。
半ば記憶の片隅に追いやっていた、ジェノハン夏のボス祭り記念アイテム「絆の腕輪」だった。
「病院まで来たんだったら直接渡せや! すっかり忘れてたよこんなもん!」
「黒木さん、照れ屋だからね」
照れ屋とかいう次元の話じゃねえだろ。
「黒木さんっていったいどういう人なの……?」
「なんか詳しく教えないほうが面白そうだから、教えない」
意地の悪い人間が、多すぎると思った。
次の日の夜、自室でゲームを立ち上げる。
板垣土下座衛門さんもオンライン状態だ。
「してやられましたね、うちの姉と、ブラドさんには」
「全くだな。それよりも、大丈夫なのか? 無理は禁物だぞ」
ゲームの中で、板垣さんは兄貴キャラを崩さない。頼もしいことだ。
これからも着いて行きます。尻尾を振って。
「ちょっとの間だけ杖付きに逆戻りっす。無理せずじっくり治しますよ。だから板垣さんも、無理はしないでください」
いろいろと、ね。
板垣さんは元々気弱なところがあり、それが原因で小学校時代を通して、男子にいじめられっぱなしだった。
長く続いた嫌がらせが彼女の心に深い傷跡として残った。
しかしその状況で優しく根気よく勉強の楽しさを教え続けた先生がいて、大いに救われたのだという。
その先生にあこがれて教師を目指す。しかしその道は果てしない茨の道だ。
これは板垣さんからではなく、ブラドさんからのメールで今朝知ったこと。
僕は足の怪我からまだ半年も経っていない。それに比べて、彼女はどれだけ長く苦しんできたんだろう。
今もなお、苦しみながら足を震わせながら、前に進み続けている。
ゲーム上の強く温かい土下座衛門さんは、本当の意味で彼女の内面だ。
追い求め続けている彼女自身の本当の姿なんだ。
……もちろん、青侍と狼男のBL妄想ネタを同時にしっかり積み重ねつつ、だろうけど。
「ゆっくりでいいんす。立ち止まってもいいと思うんすよ。諦めなければ、それで」
「生意気を言うようになったじゃねえか」
「ええ、なくしかけてた夢をもう一度見ることができましたから。誰かのおかげで」
頑張って大学に入って、バスケをしよう。
今は走れなくても跳べなくても。完治にどれだけ時間がかかっても。
いつかコートの中でジャンプシュートを撃ち、ボールがゴールネットを揺らす音を聞こう。
死闘の果てに仲間と喜び悲む、あの場所へ帰ろう。
大会のためでも、姉ちゃんを見返すためでもなく、自分自身のバスケを、力尽きるまで。
大学時代に果たせなかったとしたら、仕事に就いてからでも。
弟分として、教え子として、僕も板垣さんのようにいつまでも自分自身を追いかけよう。
「でも僕バカだから、自分の夢がなんなのか、忘れたりするかもしんないんすよね……」
「大丈夫だ。俺が思い出させてやる」
そうして僕たちは、いつものように日本史クイズをしながら、新たなモンスター討伐の旅に赴いた。
ブレスレットを巻いた僕の右手が、コントローラーの攻撃ボタンを押す。
ワンワンバズーカ弐式から放たれた弾が、果てしなく遠くへ飛んでいく。
僕らの夢まで届けと願った。
ここで完結です。
おつきあいありがとうございました。