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7話 乗り越えられる いにしえの 傷痕

「と言うようなことを、こないだブラドさんと話しまして」

 テストも返却され、夏休みを前にした土曜日。

 僕と板垣さんは、市立図書館のロビーで一緒に勉強をしていた。前にオフ会をした駅前からすぐのところだ。

 本当は、今回こそブラドさんも来て三人でオフ会をやり直すはずだったんだけど。

「……血の衝動が! 我の中であの忌まわしき者どもが暴れ出す!」

 という残念ここに極まったメールを僕らによこして、姿を見せないままだ。

 そんな経緯もあって図書館に来た。

 僕にとっては勉強の指南を請うため、板垣さんは男性対処トレーニングの一環として。

「……ぅ、あ、あれは、違うんです。くく、黒木ィェ~。呪ってやる~~!!」

 ジェノハンのキャラをネタにしたBL妄想がバレたことにダメージを受けたらしい。

 板垣さんは頭を抱えて呪詛を吐いていた。

「無意識にブラドさんらしき人の本名が出てるっすよ」 

「あ! ……まあ、いいです。バラさないって約束だったのに、裏切ったのは、黒木さんですから」

 なにか弱みを握られていた風だったけど、そんなことだったのか。

 冷静になると、BL好きなんて今時珍しくもない。うちのクラスの女子にも軽く十人はいると見た。

 まさか自分がネタにされるとは思わなかったけど。実物じゃなく、ゲーム上の分身でまだ救われる。


 そしてブラドさんの本名が意外と普通で驚く。

 なんでも、黒木を英語でブラックウッド、略してブラド。それにドラキュラのモデルになったヴラド三世という歴史人物の名前も重ねたハンドルネームらしい。

「凝っていると言えば凝ってますね。僕なんて山田陽平でY田Y平っすよ。安直すぎ」

 僕が自虐気味にそう言うと、ほんのわずかだけ、板垣さんがクスリと笑ったように見えた。

 ブラドさんの真実に一歩くらい近付いたし、板垣さんの笑顔が見れたので、今日のオフは大収穫だと思おう。

 何より板垣さんの本名も教えてもらえた。名字はそのまま板垣で、名前はほのかと言うらしい。可愛い名前だ。

「でも、板垣さんもブラドさんもそういうのが好きだったんですねえ」

 漢と漢の絆が形を変えて発現してしまった、いわゆるボーイズラブ愛好者だったとは。

「わっ私は、そんな、かっ、軽い方です! ジェノハンのイラストも、ブラドさんに意見をくれって言われて、ね、ネタっていうか、こんな感じ? みたいな」

 取り乱して自己弁護している彼女に、僕は唐突な質問を投げてみた。

「関羽と張飛はどっちが攻めですか?」

「関羽が精神的上位の張飛が攻めです!」

「即答っすね!」

 どう見ても軽い方じゃないです。ありがとうございました。 

「山田さん意地悪ですね。ネットだと可愛い弟分って感じなのに……」

 イジワルまでしか、小声すぎて聞こえなかった。

 でも、やっぱり前に会ったときより板垣さんの笑顔が増えたと思う。僕もつられて笑顔になる。

 


 土曜日と言うこともあり、図書館は人が多い。学生から大人まで幅広い年代の人が利用している。

 たまに走ったり騒いでる子供もいて、夏休みを前に浮かれているようだ。図書館は静かに使おう!

「混んできたっすね。あんまり長い時間、机を占拠し続けるのも悪いかな」

 辺りを見渡すと、学習スペースの机や、僕らのいるロビーの席に空きがないか、ウロウロと探し回っている学生の姿が増えた。

 必要な本を図書館から借りて、僕たちは場所を移動することにした。

 ここの駅前は日曜日より土曜日の方が飲食店の混雑が少ない。

 探せばファミレスなりカフェなり、座って勉強できるところが見つかるだろう。

 図書館の出入り口は地上二階にある。自動ドアを抜けて屋外に出ると、真夏の日差しが容赦なく襲ってきた。

 この辺り一帯は市民公園になっている。広場に目をやると中学生らしき数人がバスケットボールで遊んでいるのが見えた。

「お、上手い」

 思わず口をついて出た。ボールを持っている坊主頭の子が、ディフェンス二人をすり抜けたのだ。

「なんですか? ああ、バスケット……」

 僕が見ている光景を把握した板垣さんが、複雑な声を出す。僕が怪我をして高校バスケを断念した事情を、彼女はすでに知っているのだ。


 二人ともほんの少しの間、中学生たちのプレイを見ていた。

 本当にほんの数秒の間。

 僕は若干放心気味。板垣さんは僕にかける言葉を探してたんだと思う。

「それにしても、喉が渇いたっすね」

 沈黙を破って僕は図書館の階段を降り始める。

 先月までは一段降りるたびに鈍い痛みが襲いかかってきたけど、最近はずいぶんマシになった。

「山田さんっ!」

「え?」

 後ろから急に板垣さんの声。

 僕が振り向くのと、図書館から走って出てきた子供たちがぶつかるのは同時だった。


 ダン! 

 ドン! ドン! 

 ドドドダダダ!

 ズダッ。


「うっおーあっぶねー!」

「ごめんなさーい!」

 走り去る子供たちの声。

 幸いにも階段を転げ落ちた人間はいない。つんのめりながら、僕もなんとか地上に二本の足で着地を成功させていた、が。

「あっがっがっがあぎぎい!!」

「だっだだだ大丈夫ですか!?」

 踏ん張ったり勢い余ってジャンプしたりさらに微妙にひねって着地したっぽい左足が!

 死ぬほど、痛い!!

「んがぎぎぎ、だだ大丈夫、かどうか、わからんっす」

 また折れたのか!? 少しボーっとしてただけで、またこの左足は折れたのか!? とにかく病院だこれは!

「わっ私、いいい痛み止め、持ってます! 生理痛の!」

 取り乱しすぎです板垣さん。生理って。

「ね、姉ちゃん、に、電話して、迎えに来てもらうんで」

 気の遠くなる痛みをこらえながら、僕はスマホを取り出して姉ちゃんの番号に発信した。

 …………。

「出ねえっ」

 この肝心な時に! 

「救急車呼びましょうか!?」

「い、痛いのは痛いけど、そこまで、大ごとにするのはなー……」

 アワアワしている板垣さんを見ると、痛いのは僕のはずなのにかえって冷静になれるのが不思議だ。

 その冷静な目で周囲を確認すると、大通りにタクシーが見えた。駅前からすぐ近くだし当然の話だった。

「た、タクシーで病院に行きますわ。ご心配おかけしました」

 怪我をしてない右足と両手を使ってなんとか立ち上がる。

「あ、あ、か、肩、貸しますっ。捕まってくださいっ」

 胴体を横から支えられた。

 あれ、確か板垣さん、男が苦手なんじゃ。治ったのかな。それなら、良かった……。

「すんませんっす。なにからなにまで」


 乗ったタクシーの中で、運転手さんが言った。

「二人とも、死にそうな顔してるけど本当に大丈夫かい?」

 二人とも?


 タクシーを降り、病院のエントランスにたどり着くまでの間も、板垣さんは僕の杖になってくれている。

 しかし、その体は明らかに震えていた。

 僕の耳のすぐそばでは、彼女がしきりに自分の歯をカチカチと鳴らしている音が聞こえる。

「い、板垣さん、やっぱりかなり無理してるんじゃ」

「そんなことないですっ!」

 くわっと振り向いた彼女の顔。明らかに涙ぐんでいるし、唇なんて真っ青だ。

 これってかなり深刻じゃないのか? 男が苦手って、そこまでのレベルだったのか?

「も、もういっすよここまで来れば。マジありがとうございました。これ以上は」

「だ、大丈夫ですからっ。ちゃんと、中まで、送りますからっ」

 一歩、一歩。震えて硬直して、それでも板垣さんは僕の左足の代わりに、前へ歩を進める。

 それは怪我人に対する同情や単純な善意と言うよりも。

 意志と言うか、意地のようなものを感じる必死さだ。


「わ、私、山田さんがゲームで私を頼ってくれるのが、嬉しかった。ゲームでも勉強でも、私の教えることを一つ一つ覚えていってくれてるのが、嬉しかったんです」

 震える喉と口を必死に駆使して、板垣さんは、小さな声で、だけど激しく。

「でも、でも、教師になりたい人間が、そんな相手を、自分を頼ってくれる相手を途中で投げ出してたら、夢なんてかなうわけがないじゃないですか!」


 夢。

 そう彼女は言った。僕が失ったもの。もう一度見つけられないもの。

「男が苦手とか、上手く付き合えないとか、そんなの知ったことじゃないっ。山田さんは私の教え子みたいなものです! 教え子の前で自分の夢に責任を持てない教師になんて、私はなりたくないっ!」

 病院のエントランスを抜けて受付まで、目測でおよそ18メートル。

 だけど板垣さんには無限に感じる18メートル。

 怪我をして片足を引きずる僕と同じ速度で、彼女はその距離を縮めていく。  

 

 彼女と同じ歩幅で歩いていると、僕ももう一度夢を見られるんじゃないかと思い、少し泣いた。



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