武神の夫婦生活
11月22日(いい夫婦の日)特別企画。『三神物語』、『《神》の古具使い』、『白雪の陰陽師』に関係のある短編です。
「緋緒、ねぇ、緋緒ってばぁ~」
普段の彼女を知る者が聞いたら耳を疑うほどの甘ったるい声で夫に話しかける。ここは、時空間統括管理局の本局内にある次元図書館。あらゆる世界から情報が集められて記録し、本として貯蔵している場所である。別名「叡智の書庫」とも言われ、時空間統括管理局の頭脳労働担当者はよく訪れる場所だ。
「なんだい、無双」
本から目を妻の方へ移した彼は、眼鏡を直し、問いかける。この日は、珍しい、2人揃っての休日だった。普段なら滅多にこんなことはなく、どちらかが仕事があるときにはどちらかが休みという場合か、もしくはどちらとも仕事の場合ばかりだった。特に、彼の仕事はひとたび事が起これば、解決か施策を見出すまでは帰れないこともよくある仕事だ。そんな珍しい休日の昼間に2人は「叡智の書庫」に居たのである。
「なんだいじゃないわよ。せっかくの休日にデートで図書館って、枯れた老夫婦かっての」
拗ねるように彼女は言った。彼女も本が嫌いなわけではない。むしろ本は好きな部類に入る。しかし、本は没入する。2人で来て2人で読む必要性を感じないのだ。そもそも、読みたいときに読みたいだけ読み耽るのが彼女の読書方法である。2人で来てわざわざそんなことはしたくないのだ。
「いや、連れ添ってる時間で言えば、枯れた老夫婦なんてとっくに凌駕するぐらい連れ添っているわけだけど」
確かに、そこらの老夫婦が連れ添っても100年に満たないのに対し、2人は100年以上、一緒の時間を過ごしている。まぁ、枯れてはいないのだが。彼女の部下が見たら、頭を打ったのではないかと心配するほどに普段と違う甘い夫婦生活を営んでいるため未だに枯れることなく、新婚ホヤホヤの様でもある。前に一度だけその光景を目の当たりにした親友は「私の入れる紅茶に砂糖を15個くらい入れた甘さですね」と笑った。目は笑っていなかったという注釈付きで。
「そういうことじゃないのよ。5年2ヶ月4日ぶりに休みが重なったんだから、もっとなんかすることあるでしょ~」
することがあるといっても、2人ともいつ急な仕事が入るか分からない身である。そうそうどこかに出かけるというのも難しいことだった。特に、どちらも立場上では、所属している場所のリーダーとも言える立場なのだからなおさらである。緊急時に、居ないときのマニュアル程度は用意してあるが、やはりいるのといないのでは対応が違いすぎるので、何をしている最中であろうと駆け付けなくてはならないことが多いのだ。
「そうは言ってもね、無双の趣味に合わせると、スポーツジムかランニングか、はたまた魔物狩りなんてことになるじゃないか。僕、そういうのは苦手だから、結局、無双に任せ切りだし。かといって僕に寄せると、こういった図書館かはたまた観光だ。この周辺の世界で観光してない場所はないから、飽きるだろう?」
直ぐに戻れるという意味で、彼が本局直属であるし、彼女は第一管理世界「飛天」にある軍に所属している関係で、今から行ける場所は周辺世界に限られる。今までの100年以上の付き合いの中で、それらの世界にはいき尽したといっていいほどに行って回っている。それはすなわち行くところがないということになる。
「う~ん、何かないかしらね……」
そんな風に机に突っ伏して唸っていると、彼女の見覚えのある友人が通りかかった。如何なる赤色にも見える美しい髪をひるがえして、赤という赤を詰め込んだような宝石のように綺麗な紅い瞳をした少女。少女は、彼女にとって非常に面白い存在ともいえ、よくちょっかいをかけていたし、面倒も見ていた。
「あれ、無双さんじゃないですか。こんなところで会うなんて珍しいですね。……そちらの方は?」
少女が彼女に声をかける。彼女は、「んあ?」とやる気のない声をあげながらも少女の方を見る。どうやら自分の知る意外の医療の知識を吸収するために、休みにも関わらず少女はこの「叡智の書庫」に訪れたようで、彼女は「あいかわらず真面目っていうか治療マニアっていうか、変わらないわね」と言いながら身体を起こした。
「こいつはウチの旦那よ。そういや紹介した覚えもないわね。式にも呼んでないし」
そもそも、彼も彼女も互いに天涯孤独とも言えるような状況だったために、結婚式は2人で挙げた。
「二階堂緋緒っていって、本局直属異常現象解析班の班長よ」
「え、だ、旦那って、無双さん、結婚してたんですか?!いつの間に……」
実際、少女の様な反応は珍しくない。天下の烈火隊一門に見合う相手がいるのか、などという話題が常々、下世話なゴシップとして囁かれているほどである。互いに秘密にしているわけでもなく、しかし、仕事場でプライベートの話をするわけでもないので、知っている人数はほとんどいないという結果になってしまっているのだった。親友やこの少女の様に、聞かれれば話しているので、知り合いには割と知っている人もいるが、それでもごく僅かという。
「緋葉、あんた、わたしを何だと思ってるのよ。わたしだって結婚くらいするわよ。好きなやつが出来ればね」
そんな恋する乙女のような、新婚の妻が未婚の友人に向けるような言葉に、少女は目の前が現実かどうか一瞬迷った。少女の知る彼女は、もっと男っぽいと言えば本人に怒られるだろうが、男勝りな性格だった。
「結婚ですか……、敬介さんも乗り気になってくれればいいんですけどね」
少女は思い人を思いながらつぶやいた。少女の外見をしておきながら、多くの部下を持つ少女であるが、その中の一人が少女の思い人である。
「まあ、付き合ってからが長いってのは無くはないでしょうけど。緋葉の性格じゃないの。わたしは結婚すぐだったし。あんた、敬介と普段どんなことをしてるの?」
少女は彼女に比べて、非常に消極的な性格なので、そうなってもおかしくはないのだろうと彼女は思った。
「どんなことと言われてもですね、普通に医学書を読み漁ったり、異界に行って無償治癒活動をしたりですかね?」
きわめて少女らしい活動であるが、カップルのすることではない。もっとも少女の本質をしる彼女は納得する。そう、彼女は知っていた。少女は「敵も味方も関係なく、人間も非人間も関係なく、善も悪も関係なく、美も醜も関係なく、等しく皆を治療し、救う」という聖女性を持つと同時に、狂っているとも思うほどの精神を持っている存在であるということ。
「治療魔に聞いたわたしが馬鹿だったわ。何かいい観光地とか、穴場スポットとか知らないの?」
彼女は少女に問いかけた。別に大した答えは期待していなかった。しかし、聞かれた少女は少し考えて、あることを思い出したのである。
「そういえば、火野さんが言っていたんですけど、確か、飛天の端から行ける風雲天界城の近くに温泉があるらしいです」
それは彼女も知っていることだった。そもそも彼女が拠点にしている飛天という世界は、割と端から端まで見ている。
「なんでもその温泉、千年に一回、『天嵐』と『翠鳳』と『紫闇』が見えるらしいです。その前回からの千年目が今日あたりらしいので、ベストスポットかもしれないと」
彼女の眉があがった。知らない情報だったのだろう。凄い景色として名高い八景の内、三つが同時に見えると聞けば反応もするだろう。
「へぇ、面白いわね。緋緒、行きましょうよ」
早速彼女は彼に提案した。その提案に彼も乗り気なようで、二つ返事で「OK」を出した。さあ、いざ行かんとした、その時、「叡智の書庫」中に豪快な音が鳴り響く。そして、すぐさま、二人、それぞれに連絡が入った。
「チッ、間が悪いったら、ありはしないわね。人のデートを邪魔するとかどこのどいつよ?」
その連絡に耳を傾ける。状況は切迫しているようで、可及的速やかに隊に戻ることという厳命が下る。彼女は舌打ちしながらも、彼に向かって言うのだった。
「いい、緋緒!千年後、千年後よ!絶対に行くから千年後の予定を今から押さえときなさい!じゃないと許さないからね!」
そう言うや否や、彼女は駆けだす。それを彼は見送った。暖かな夫婦の日の光景から、仕事へと互いに切り替わっていくのだった。
それから、千年が経った。時の経過とは無情なもので、されど美しくもあった。彼は、温泉に浸かりながら、雄大な光景を眺める。
「…………」
言葉はなかった。それは景色に圧倒されて、ではない。隣にいない、彼女を思ってのことだった。遥か空に逆巻く天、美しい緑の羽が舞い、それを紫の闇が呑み込んでいく。偉大なるその景色の前に、共に見ることを約束した彼女はいない。遥かなる世界の片隅で、彼は泣き続け、この約束を思い出し、この地へと来たのだ。
約束は、果たされない。そして、未来永劫、果たされることが無いのだろう。そう思いながら、彼は温泉を感じた。冷え切った彼の心は、温泉ですら冷たく感じるのだった。
さらに千年、もう千年と時が流れていく。もはや習慣となっていた。その日はその地へ赴くと決めていた。長い長い日々の中で、千年後にその温泉に浸かるのは決まり事であった。そうしなくてはならないと、彼の中で重い枷になるように。まるで、重たい鎖によって、そこに縛られているかのように。何があっても必ず、彼はそこに足を運んだ。
それから、幾年の年が流れただろうか。もう、彼にも分からない、幾度目かの千年を迎えた。もはや、勝手知ったる風呂であり、いつものようにその温泉に向かった。しかし、いつもと違うことがあった。先客がいたのである。
混浴温泉であると言えど、そもそも、この古びた廃城跡にある温泉にわざわざ入りにくる物好きは少なかった。いくらいい光景が見えると言えど、もっと不思議な光景を日常的に見ているために、温泉になど興味はないというものが多かったのだ。
その先客は若い女の客であった。茶色い髪をタオルで巻き上げ縛り、体は隠そうともしていない若い女。髪巻くタオルがあるのなら、それで少しは体を隠したらどうなのだろうか、と彼は思った。
「あら、ようやく来たのね。……いえ、この場合はきっと、逆なんでしょうね」
若い女は彼を見て、そう言った。その口調、雰囲気が酷く誰かを思い起こさせる。彼は動揺し、困惑した。そんな彼を見て、若い女は続けて喋る。
「久しぶり、緋緒。千年って約束はムリだったけれど、約束通り、この温泉に来たわね」
その言葉に、彼の口は、勝手に言葉を吐き出した。
「む、そう……?」
この数千年、会うにも会えなかった妻を思い起こさせる女性に、彼は自然とそう言ってしまったのである。
「さあ、積もる話もあるでしょうし、早く入りなさいな。風邪をひいても知らないわよ」
そうして、湯で語られる彼女の嘘のような本当の、奇天烈で優美な物語を聞きながら、その幾度目かの千年後が過ぎていく。
――新しい千年が始まった。
――輝く万年が始まった。
――愛しき日々は再び始まった。