露見する事実
アデル・フォート・エルヴィンス。
エルヴィンス侯爵令息の長子でもある彼は、紳士的で美しい人として有名だった。
長く伸びた黒の髪を高く結い、そこから覗く切れ長の青い瞳がなんとも涼やか。色も白く儚げだが、女性に対する対応がとても優しく、多くの令嬢に好かれていた。幼い頃から決められた婚約者がいなければ、今よりもっと言い寄られていたかもしれない。
そんなアデルの婚約者は、第二王女であるセリスだった。
セリスも、高嶺の花と名高い姫君である。
白銀の髪は動くたびにきらきらと輝き、ルビーのような瞳がなんとも言えず愛らしい。その上彼女は、誰に対しても優しく礼儀正しい姫君だった。
アデルとセリス。
二人は、お似合いの婚約者だったのである。
しかしそんなアデルには、誰にも言えない秘密があった。セリスすら知らない。いや、セリスにこそ言ってはいけない事実だった。
アデルは――女なのだ。
アデルがセリスを自宅に呼び出したのは、セリスが十六になる前だった。
十六と言えば、社交界デビューを果たす年齢である。つまり、結婚の適応年齢だ。なら、まだ遅くないはず。
そう思い、アデルは拳を握り締める。
「すまない、セリス。こんな場所に呼び出して」
「いえ、アデル。私は構いませんよ。だって、アデルからのお誘いなんて滅多にありませんから。とても嬉しいです」
客間のイスに腰掛けるセリスは、紅茶を飲みながら笑っていた。
無邪気な笑顔でそう言うセリスを見て、アデルは顔を歪めそうになる。しかし、自分にそんな資格はない。だから彼は――否、彼女は、努めて平静を装った。
(そうだ。セリスに嘘を吐き続けた私には……傷つく資格なんて、ないのだから)
アデルは、女だった。
そんな彼女がなぜ男装をしているのかというと、至極簡単な話だ。エルヴィンス家に男児が生まれなかったのである。母親は体が弱いため、アデルを産んだ後めっきり塞ぎ込んでしまった。
養子を入れるという話もあったが、親戚たちがろくでもない連中なので両親が嫌がったのである。
そんな理由から、アデルは男として育てられることになった。
魔術を使えば男を倒せるほどの腕を磨くことができたし、声も訓練すれば、低いものに変えられた。そして幸いというべきか。アデルの身長はそこそこ伸び、男として扱ったとしてもなんら問題ないくらいのものになったからである。
しかしやはり、体つきは変わるもので。
自身が女だということを自覚し始めた頃、彼女に婚約者がつけられることになった。
それがセリスである。
美しく純真な姫を騙し続けたこと。またそんな彼女の美しさに惹かれた結果、アデルは三つの意味で苦悩することになった。
一つ目は、セリスを騙しているということ。
二つ目は、こんなにも美しい姫君に、女としての幸せを捨てさせているということ。
そして三つ目は、そんな彼女にどんどん惹かれていってしまっている、ということだ。
セリスは、立場の弱い姫君である。妃が平民の出であるため、日陰に追いやられて過ごしてきた。そのため、侯爵家という後押しが必要だったのかもしれない。
しかしそれを取り除いたとしても、セリスはとても素敵な少女なのだ。女のアデルがときめいてしまうくらいには、美しいのである。
アデルが落ち込んでいるとき、優しく励ましてくれた。
いったい何度、セリスの言葉と微笑みに救われたのだろうか。
(でも、セリスは私といても幸せにはなれない)
何より、結婚した後に女と知られてしまうのが恐ろしかった。そんな大事なことを知らせていなければ、心優しいセリスとてさすがに蔑みの目を向けるはずだ。
しかしそれよりも嫌だったのは、セリスの幸せを奪ってしまうということで。だからアデルは、決意した。
(セリスにすべてを話そう。そして、婚約を解消しよう)
そうすれば、少なくともセリスは幸せになるはず。
そう思ったアデルは、父親に相談する前にこうしてセリスを呼んだのである。
(父に言えば、止められてしまうだろう。しかしやはり、私がやろうとしていることは不誠実だ)
そう思っていたものの、口がうまく動かない。本題には入れずだらだらと雑談を続けていたが、あるときセリスが首をかしげた。
「アデル? どうかしましたか?」
「……あ……」
「先ほどから、何かを気にしているようでしたが……」
どうやらアデルは、かなり緊張していたらしい。
そのことに気づき、自嘲の笑みが浮かぶ。
(情けないな、本当に)
しかしこれ以上、セリスの優しさに甘えるわけにはいかない。アデルは深く呼吸をし、心を鎮める。
「……セリス、すまない。私の話を聞いてくれるだろうか?」
そして、震える唇をなんとか動かし、そう切り出した。
セリスは無言で頷き、アデルのことを待ってくれている。
それに泣きそうになりながらも、アデルは本当のことを打ち明けた。
「セリス……私は、女、なんだ」
セリスのルビーの瞳が、大きく見開かれた。
何か言われる。そのことを恐れたアデルは、矢継ぎ早に言う。
「母の体が弱いということもあり、もう一人を望めなかった両親が、私を男として育てたんだ。こんな大切なことを隠していたなんて、本当にどうかしていたと思う。……もちろん、許してくれとは言わない。そんなこと、言えるはずがない。ただ、これだけは覚えておいて欲しいんだ。私は、あなたに幸せになってもらいたい。だから……婚約を解消しないか?」
「……アデル」
「勝手だということは重々承知している。だが、女の私といても、あなたは幸せになれないだろう。子どもを産むこともない。愛する夫はおらず、嘘つきの女だけがそばにいる。……優しいあなただから許してくれるかもしれないが、それではだめなんだ。だからセリス、許さなくていい。……どうか、私ではない人と幸せになって?」
そこまで言い切ってから、アデルはようやく口を閉ざした。
(結局、何が言いたかったのだろうな)
よく分からない。支離滅裂になっている自覚がある。
しかしすべてを言い切ってからようやく、胸の痛みが引かないことに気づいた。
(ああ、そうか。私は……性別とか関係なく、彼女のことが好きなんだな)
どうしようもない事実を感じ取り、思わず笑う。だがこの本音は、言わなくてもいいものだ。逆に、セリスを困らせてしまうだろう。
だからアデルは、それを言おうとは思わなかった。
するとセリスは、アデルを見つめながらゆっくりと口を開く。
「アデル」
「……なんだ」
「私も、本当のことをお話します」
「……本当のこと?」
「はい」
セリスはこくりと頷き、笑みを浮かべる。
その笑みが、ぞくりとするほど妖しげで。アデルは、目の前にいるのが誰なのか忘れてしまいそうになった。
(え……セリス、なのか?)
天真爛漫を絵に描いたような王女がこんな顔をするなど、思ってもみなかった。
思わず固まっていると、セリスの顔が近づいてくる。
避ける、という発想が湧く前に、唇が触れていた。
――ちゅっ。
軽いリップ音が聞こえ、アデルの顔がみるみる赤くなる。
「セ、セリ、ス……?」
「ふふ、そんな顔をしてくれるなんて……すごく嬉しいです」
美しい少女の口から聞こえたのは、普段の鈴のような声ではなく。低く艶っぽい、男の声だった。それを聞いたアデルの背筋が、ぞくりと震える。
(……ど、どういう、こと……?)
理解できないことが幾つにも渡り起き、頭がパニックを起こしている。
そんなアデルをぎゅっと抱き締めたセリスは、耳元でそっと囁いた。
「奇遇ですね、アデル。実を言うと私も――男なのです」
「………………へっ?」
予想し得ない展開に、アデルの頭はとうとう、考えることを放棄した。