座学
翌日からラララルウナは当然のような顔で第十班の一員として訓練に参加するようになっていた。
兵役には珍しい女性兵士である。その珍しい二人ともが同じ班に所属しているということで、第十班の男性陣は嫉妬と羨望の眼差しで見られた。
童顔で親しみやすいディルガと、立派な家名持ちでもなく一応は平民であるリュウトには、中途参加の女性兵士について他の班の新兵たちから質問が集中することになった。
「あの娘はどこの誰なんだ? 紹介しろよ」
「今度の休日に誘えないか?」
「俺らも顔を合わせたばかりだからな。話したいなら自分で話しかけりゃいいじゃないか」
「名前はなんてんだ?」
「ええと、ラララルウナ……?」
「ラララルウナ・パディヴァヌスじゃ」
「パディヴァヌス……って? え?」
ディルガが気を遣って家名を省こうとしたが、ラララルウナは自ら割り込んで堂々と名乗った。入隊初日にツィレリス補佐官が口にしていた兵役の責任者と同じ名に、訓練兵たちの間に微かなざわめきが走る。尤もそれはラララルウナがパディヴァヌス課長の関係者である可能性に思い至っただけであり、リュウトと同じ部屋で試験を受けた者でさえ、彼女が当日の試験官であることはもちろん、課長本人であることに気づいた者はいない。それどころか彼女の階級章に三本線が入っていることすら、無意識の裡に無視しているのだ。
美形ではあっても近寄りがたい雰囲気を醸し出すフィオメリカと違って、一見したところ小柄な美少女でしかないラララルウナは、若い少年たちにはひたすら魅力的に映るらしい。少女らしからぬ口調も、一種の愛嬌のように捉えて、執拗に話しかけようと試みる。
「どうして入隊が遅れたんだい?」
「うむ、緊急討伐に招集されたせいで、原隊のほうの引き継ぎが間に合わなくてのう、着任が遅れてしまったのじゃ。尤もツィレリスのほうが見た目からして軍人らしいから、新人教育には向いておるであろう?」
煩く群がっていた十班以外の新兵たちも、ここまで聞けばさすがにラララルウナすなわちパディヴァヌス教育課長であると認識した。結果、第十班に対する羨望は、上官がいることに対する哀れみと敬遠へと瞬く間に変化したのだった。
○◎●○◎●
予備訓練の科目には、座学も含まれていた。部門により必須とする前提知識が異なる魔法関連の学問を除き、ラウデリアの軍人あるいは兵隊として身につけるべき基礎知識を学ぶ。
そのひとつが国際情勢である。幼年学校でも建国の歴史や周辺の国々に関して学ぶが、軍の座学では、各国の産業、国力、ラウデリアとの関係などに焦点が絞られる。のんびりと授業をひたすら拝聴すればよかった幼年学校とは異なり、次々に当てられては自分の頭で考え答えていく力が要求される。
「神聖ネウリズマ皇国の国力評価は? 四十六番ヴァルエス・カッリジョルド」
「はい。ネウリズマはア・ネウリドルの魔法文明を継承し、魔力持ちによる支配体制を築いています。近年は我がラウデリアの技術魔法融合や隣国レルデルクスの非魔法技術に押され、国際影響力が相対的に低下傾向にあります。我が国の旧宗主国であり、国内にはネウリズマに対する同調者も少なくなく、ネウリズマの動向によっては反政府勢力へと伸長する可能性もあり注意が必要でしょう」
「我が国の南方進出に対する政府の公式見解は如何に? 四十七番ディルガ・ヴェンテス」
「え? ええっと……? たしか南方への積極的な進出はしないんじゃ? ネウリズマとか北東のレルデルクスをはじめ北部大陸周辺の国との関係を重視し、南方大陸諸国とは大きく事を構えない……? なので現在は南洋諸島国家群を通じた交易のみに留める……だったと思います」
「……いいだろう。では四十八番リュウト・オルディス、レルデルクス共和国と我が国との関係は?」
「え…………と? あ、そうか。魔力持ちの少ないレルデルクスは、産出する魔石炭を利用した熱機関の発明で潤う技術立国です。我が国では輸入した魔石炭から魔力を分離して国内利用し、残留物を純粋な燃料としてレルデルクスへ逆輸出しています。現在は輸出入取引に加えた技術交流による友好関係が続いていますが、レルデルクスの魔石炭産出量の予測は低下傾向にあり、近い将来別の魔石炭産地あるいは新しい資源の開発が必要となると思われます」
「四十九番フィオメリカ・デュラレネル、新しい資源産出地の候補について説明しなさい」
「魔石炭の産出場所は、我が国の北側の未開地、北部泥炭地が最も有力です。北部泥炭地東側はレルデルクスにも接しているため、早急にこの同地域を我が国の実効支配下とし採掘権を確保する必要があります」
「北部泥炭地以外に候補はないか? 五十番パディヴァ、ええ……ラララルウナ訓練兵」
「教官殿の想定しているのは東の砂漠であろうか? 古代ア・ネウリドルの遺跡が見つかったと噂になっておったが……」
「あっ……そ、そうだ」
二本線の中級詠唱士である教官は、さすがに直属の上司である教育課長を知らぬわけがない。パディヴァヌスの姓は上官に対する呼称と決めているのか、訓練兵としてのラララルウナには名前だけで呼びかける。
「古代ア・ネウリドルの都があった東の砂漠は現在はどこの国にも属しておらぬが、我が国の調査団が魔石炭に代わる魔力資源の魔石油を発見したことにより、俄に各国の注目を浴びるようになってのう。砂漠の北西に接するレルデルクスに加えて、ア・ネウリドルの遺跡が発見されたことで、今後はネウリズマまでもが権益を主張してくる可能性があるのじゃ。北部泥炭地よりも紛争の火種としてはこちらのほうが大きく厄介そうじゃのう」
「う、うむ、大変結構……である」
何が琴線に触れたのか一気に捲し立てるラララルウナに対して、教官が実にやり難そうな顔を顰めたまま国際情勢の座学は終わる。
魔獣の生態と討伐方法に関する講義でも、ラララルウナは教官よりも知識も実戦経験も豊富なところを示した。
「――魔獣の分類は基本的には、その大きさに依る。蝿や蜂などの虫類および鼠などの獣や鳥のような小型、犬、狼や山猫などの猫科肉食獣を含む中型、鹿や熊などの大型獣に分けられる。魔法軍による討伐は、発生規模にもよるが、原則は中型以上での出動となる。中型および小型でも危険度が高いと判断された場合は複数の詠唱士で対応する。大型の場合は上級詠唱士に出動要請がされる場合もある」
「小型の魔獣や虫型は、どうするのですか?」
第七班所属の淡い黄緑の髪の少年が挙手をして訊ねた。座学も体術にも優れ、ヴァルエスと同じく自然と班のまとめ役の位置に就いた、元貴族の少年だ。同じように教官の説明に疑問を抱いたのは、皆、元貴族や大商人のような裕福な階層の子弟ばかりだ。
それに対して一般市民、いわゆる平民階級の者たちは、逆になぜ知らないのかと言わんばかりの不思議そうな表情を浮かべて、互いに顔を見合わせている。代表するように、金赤色の髪の少年が挙手して答えた。
「魔獣蟻とか魔獣鼠くらいならば燻蒸か煙硝の魔術具を使います。大きな巣を作られたときなんかは、ちょっと値が張るけど、魔力配給所とか魔術具工房の害虫駆除担当に頼んだりもしますが」
「まさか詠唱士がいなくても対応できるのか?!」
「魔術具ですから誰でも扱えます。調理器具や風呂の魔術具と同じで貯蔵樽から魔力供給できますしね」
「軍による討伐でも、魔獣鼠や魔獣鼬程度ならば魔術具を使って詠唱士抜きの討伐隊を編成することも稀にだがある。その場合は詠唱魔法部門ではなく魔法支援部門の機動補給部隊から選抜されることが多い」
「機動補給部隊というのは魔力樽のことですか?」
「魔力樽というのは俗称というか蔑称だから、なるべく使わないように――」
魔力樽が多少の侮蔑的な意味合いを込めた呼称だというのは誰もが知っていることだったが、ならば代わりになんと呼べばいいのかと新兵たちはざわつく。教官の説明によれば、詠唱部門は詠唱士、記述部門は設計士なのに対して、魔法支援部門の場合は供給士というのが正式名称であるということだった。
「魔獣には大きさによる分類とは異なる特殊な種類のもいるが、知っている者はいるかね?」
教官の問い掛けに勢い良く手を上げたのはラララルウナだけであった。他の新兵が首を傾げるばかりの中、仕方ないと諦め顔で教官はラララルウナを指名した。
「水棲の魔獣を別種と数える向きもあるが、教官殿の意図するところはそうではなかろう? 植物も魔獣と呼ぶのはどうかと思うが、大中小での分類は可能であるしの。益獣・害獣という区別も曖昧だし、討伐難易度のつもりじゃろうか? だがそれにしても大きさによる判断もあれば、単独か群れを作るかでも異なるしと、基準が多過ぎてどれが特殊とも言い難いのう。その中で敢えて特殊なものを上げろと言われれば、やはり災厄級か。レルデルクスとの境の火山口に棲まう竜を退治した話は、皆、知っておるじゃろう?」
「あ、ええと……そういった伝説の類ではなく、人工的に造った魔獣のことなのだが」
「伝説ではないのだがのう? レルデルクスの竜はネウリズマ時代の軍の出撃記録も残る歴とした事実なのじゃが。まあいい、ふむ、人工的か。人工的な魔獣ならば災厄級と同等の守護獣がおるな。ア・ネウリドルの遺跡には守護獣召喚の魔法陣が残っているそうだから、そのうちに記述魔法部門で解析するのではないか? 尤も起動するには詠唱士が必要じゃのう」
「そ、それはそうだが、そういう大掛かりな話ではなくて……」
大半の新兵たちは教官とラララルウナの会話についていけずに、目を白黒させるばかりだった。哀れな教官は、ラララルウナを叱り飛ばすこともできずに、なんとか答えを講義の内容に沿ったものへ誘導しようと奮闘した。
「うむ、そうか。教官殿が想定されているのはあれじゃな。守護獣のように大掛かりではないということは、軍用魔獣のことか」
「そ、そうだ。魔法軍では兵士の戦闘訓練用および魔法の開発実験用に魔獣を使用している。駆除依頼で討伐せずに捕獲した魔獣を飼育することもあるが、大型や危険度の高い魔獣の長期飼育は困難であるから、必要な際に適宜召喚するための研究がされ実用化もされている。明日からは持久走や組手に加えて、武器を使用した戦闘訓練が始まる。そこで諸君らも本物の魔獣を目にすることができるだろう」
「教官殿、それを言いたかったのであれば、もう少し意図の通じ易い質問にするべきではないかのう?」
ラララルウナが不思議そうに首を傾げると、教官は顔を赤くした。
新兵たちの間には、ざわりとした空気が流れた。