表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/41

基礎体錬

 魔法軍の施設の中には演習場もあった。リュウト――ではなく龍翔の感覚で測れば、学校のグランドよりは広く、市営球場くらいはありそうに見える。

 新兵たちの訓練は、この演習場から始まった。予備訓練の間にラウデリア国軍兵士として最低限の基礎体力を身につけるための走り込み、要は持久走のことだ。


 杉村龍翔はあまり運動が、特に陸上競技は得意ではなかった。持久走も学級の中位くらい、それも運動部所属の生徒たちは体育の授業など手抜きしている状況での成績だ。社会人になってからはまともに運動していないので、演習場三周が制限時間つきで課されたときには、走り切ることができるのか不安しか感じなかった。

 だが身体の持ち主であるリュウト・オルディスには、その程度の課題は大したことがなかったようである。走ることが取り立てて好きというわけでもないが、さすがに十五歳の若い身体は走ることを大きく厭いはしない。欧米系に似通った体格のこの世界の人の運動能力が総じて高いのもあり、二十五歳の杉村龍翔はもちろん、彼の十五歳の頃より速度も持久力も遥かに上だ。実に軽快に気持ちよく走ることができている。


 約五十人の集団は、班ごとに緩やかなまとまりを作って走っている。連帯責任で班の結束を高めて脱落者を減らすというのもあるが、個々の兵士がばらばらに行軍するのを許していてはそもそも軍としての体をなさない。

 第十班は遅過ぎもせず、速すぎもせず、中央付近にひとかたまりとなっている。青紫色の頭がひとつ突き抜けているのが班の四人の先頭を走るヴァルエスだ。


「デュラレネル、もう少し速度を上げられるか?」

「ああ、大丈夫だ。それと前にも言ったがフィオと呼んで欲しい」

「わかった。フィオ、頑張ってくれ。ウェンテスは体力は保ちそうか?」

「うん、あ、はい。あ、俺もできればディルガで……」

「悪い、これからはそうしよう、ディルガ」


 少し速度を緩めて後ろに並びかけると、ヴァルエスは遅れがちな二人に声をかける。第十班では家柄も、体力も、おそらくは能力も最も高いヴァルエスが当然の如く班長的な役割を担うようになっていた。平民であり体力も魔法関連の能力も平均に劣ると自覚しているディルガはもちろん、同じく元貴族で年齢も僅かながら上のフィオメリカも特に異論を挟みはしなかった。リュウトは杉村龍翔として生きてきた分だけ人生経験は豊富だが、班長だの上司だのといった経験は乏しく、自ら手を上げて人の上に立とうという気概にも欠けている。


「このまま行けば班順位は問題ない。あとは制限時間超過で罰を喰らわないように努めよう」

「「了解!」」

「頑張るのはいいけど、俺には大丈夫かって訊いてくれないわけ?」

「君は周囲を気遣う余裕があるじゃないか、オルディス」

「……オルディスじゃなくてリュウト」

「魔石に魔力を貯め損ねた分の罰則は君個人のものだろ、リュウト」


 朝までに貯めた魔力量が最低限(ノルマ)の魔石二個分すら危うかったリュウトには、他の兵たちよりも厳しい制限時間が課されている。最後尾から様子を見ながら走るのは、二人に足を引っ張られないよう、さり気なく圧力をかけるためでもある。ヴァルエスが考えるような仲間思いの行動というわけでもないのだ。


「俺の魔力が足りなかったわけじゃないんだ。ただちょっと……」

「だよね。でも、まさかリュウトの寝相が、あそこまで悪いとは知らなかったよ。まるで寝小便垂れのガキみたいだよな」

「ディルガじゃあるまいし、寝小便まで垂れないぞ」

「俺だって最後に寝小便してから、もう十年は経ってるんだから!」


 宿舎は元々は貴族向けの魔法学院のものだっただけに、個人部屋が用意されている。だが新人の訓練期間中に限り、二人で一室が原則とされていて、リュウトとディルガは同じ部屋に割り当てられていた。

 そのお蔭で昨夜は安眠を妨げられたのだとディルガは文句を言う。ディルガの隣の寝台で眠るリュウトは、ひっきりなしに寝返りを打ち、頭と足の位置が入れ替わり、終いには音を立てて床に落ちたのだ。激しい落下音に目覚めたディルガは、リュウトの寝間着からシーツの上に転がり落ちた三個の魔石を見て「御伽話みたいにリュウトが魔石になっちゃったのかと思ったよ」と笑う。


「ふふ、二人は仲が良いんだな」

「同部屋がいるってのは、楽しそうで羨ましいものだな」


 女性は兵役の義務が無いため、魔法軍で訓練を受ける人数は季節ごとに多くても三人ほどだ。ひとりも居ない季節も珍しくはない。そして今季はフィオメリカがひとりのため、彼女は必然的にひとりで部屋を専有している。

 ヴァルエスもまた一人部屋だ。元貴族かつ軍上層部に親族がいる特権という面も否定はできないが、それ以上に一般市民と同部屋にして要らぬ気を遣わせたり軋轢を産むのを避けるためなのだと当人は主張している。


 三周走り終わり、演習場の出入り口が近づいてくる。第十班は六番目を走っているから、順位上はなんら問題ない。制限時間にも余裕で間に合っているので、罰則による周回の追加はなさそうだ。これならば魔力量不足に対する罰則のほうも免れられるだろうと、リュウトは安堵し少し力を抜く。


 しかし先頭を行く班は、決められた距離を終えたにも関わらず、止まるどころか速度を落とすことすらなく、そのまま走り続けている。二番目も、そして続く三番目もだ。愕然として膝を崩しそうになる者、天を仰ぎ見る者と、反応は様々だが、皆一様に落胆を示しながらも、止まることなく演習場の外へと走り出ていく。

 第十班の面々も、不安を感じながらも出発した地点へと向けて走り続ける。出入り口の金網の横に立つ指導補助の先輩兵士たちの怒鳴り声が、近づきつつある彼らの耳にも届いた。


「ここを出たらそのまま直進! 記述魔法部門の演習場へ向かえ!!」

「記述魔法部門の演習場も同じく三周だ!」

「「ええ〜!?」」


 第十班もまた他の先行する班同様、支援部門の演習場を出て記述魔法部門へと向かう。

 生真面目なフィオメリカは黙々と命令に従い、ヴァルエスは涼しい顔で走り続ける。ディルガとリュウトは僅かながらも抗議の声を上げたが、二人もまた軍隊という場では本来は不平不満を表すことは許されないことは理解していた。


               ○◎●○◎●


 初日の訓練は個々の基礎体力確認の意味もあり持久走一辺倒で終わった。当然、全員が汗みどろであり、終わるなり宿舎の浴場へと向かう。浴場といっても浴槽はなく、扉でしっかり仕切られた個室のシャワーがずらりと連なっているだけだ。

 訓練を終えた新兵が一斉にシャワーに向かうとさすがに混み合うため、着順で班毎に利用時間を区切り調整がされている。


 浴場の区画内でも男女の区別はなく、唯一の女性新兵であるフィオメリカも一緒に行動する。当然、行動は着衣のままで、服を脱ぐのは個室の中でと厳格に決められている。女性兵士採用のために男性専用だった施設を中途半端に改良したことによって生じた不自然な規則である。


「軍に入ると決めたときから、多少の不都合は覚悟はしているさ。混浴しろ言われないだけましというものだろう」


 割り切ったフィオメリカは、訓練用の上衣を既に脱いでいて肌着に近い薄物姿で歩き回っている。よく鍛えられた筋肉の引き締まり具合が却って女性的な線を強調しており、お蔭で男性陣はすっかり落ち着きを失っている。ディルガは微塵の遠慮もなくフィオメリカの胸を凝視し、ヴァルエスも前を歩きながらも会話のために振り返るたびにチラチラと盗み見ている。身体は思春期真っ盛りでも中身は一応は慎みのある大人であるリュウトは、無闇に不躾な視線を向けたりはしないが、膨らみの割に走っても胸が揺れないのは脂肪よりも筋肉が多いからだろうかと、こっそり思い巡らしてはいる。


 フィオメリカはといえば、兵役前に弟からされた忠告がこうも当たるものかと、羞恥や憤りを覚える以前に苦笑を浮かべていた。まだ幼さが残るディルガの感情や欲望が丸見えなのは仕方ないとして、誇りや名誉を重んじるヴァルエスまでもが優雅さに欠ける振る舞いをしているのには呆れる。少し醒めたところのあるリュウトも、視線が身体の線を執拗に何度も上から下までなぞっている。当人は隠せているつもりらしいが、目が合うところまで視線を上げていないだけで、フィオメリカの側には実は丸わかりなのだ。


 入口側の個室は使われ始めたばかりで、使い終わって出てくる者がいるのは奥のほうの個室ばかりだ。

 並んだ個室の列のおおよそ真ん中あたりまで来たところで、通り過ぎたばかりの個室の把手がカチャリと音を立てた。ちょうどいいとばかりに身を捻って空いた個室に入ろうとしたディルガが、出てきた人物を見るなり絶句して立ち尽くした。


「あ、あぅ……」

「うん? ここは空いたぞ、入らないのか? どうしたのじゃ? 体調でも悪いのか?」

「お、おいっ、お前……」


 ディルガの正面には、彼らと同じ歳頃の少女が、一糸纏わぬ姿で堂々と立っていた。

 少女は長身のフィオメリカよりは頭ひとつ分ほど背が低く、全体に華奢な印象だが、胸から腰にかけては絶妙な曲線を描いている。湿らせた鞣革のような濃い目の肌色は日焼けではなく元々の色なのだろう、普通なら服に隠れる部分まで一様に同じ色だ。

 ディルガは顔を真っ赤にして必死で目を逸らし、その横ではヴァルエスが呆然と少女の均整のとれた立ち姿に見蕩れている。リュウトは少女の濡れそぼった濃い砂色の頭髪と体毛とを見比べて、なるほど上も下も同じ色なのかと、妙なことに感心している。

 そんな少年たちの不躾な視線から隠すように、フィオメリカが慌てて少女の身体を持っていたタオルで包み込む。


「あなた、そんな格好をしてちゃ駄目よ!」


 僅かに取り乱したフィオメリカはいつもの男性的な言葉遣いが崩れて少女の喋り方になっている。我に返ったヴァルエスとディルガが、慌てて少女に向かって言い募る。


「全裸で個室から出るな! 共用空間は着衣が規則だぞ!」

「そうだよ、こっちだって困るよ……」


 少女のほうは困ったような表情を浮かべながら、片手で前髪を掻きあげる。後ろへと撫でつけられた髪を見て、リュウトはその少女の顔を見たのが成人能力検査の当日であったことを思い出した。


「……パディヴァヌス教育課長?」

「リュウト、まさか若い女だからっていう短絡的な発想じゃないよね?」

「それもあるが……成人能力検査のときの試験官だぞ」

「そうじゃ、その者の申す通り、(われ)はラララルウナ・パディヴァヌスじゃ。もしや(うぬ)らは第十班か?」


 少女がにこりと微笑むと、規則や礼節を重んじるヴァルエスとフィオメリカがなおさら気色ばんだ。


「教育課長ともあろう方が、なんですか! 上官自らが規則を破ってどうするのですか!?」

「同じ班の仲間としても見逃せません! そもそも男性の目に肌を晒すなんて、淑女としての慎みが足りません!!」


 浴場を出入りする他の班の新兵たちが、大声でやり取りする彼らに好奇の目を向けながら通り過ぎていく。リュウトは居た堪れず少しでも距離を置こうと足踏みし、ディルガは助けを求めるように周囲を見回す。

 そんな様子を見て取った裸の少女は、胸のところでしっかりとフィオメリカのタオルを押さえながらも、にやりと笑みを浮かべる。次の瞬間、きりりと真面目な顔になり、胸を反らして声を張った。


「ここは軍隊で吾々は兵士であるぞ。男女の区別はなかろう。戦場ならばなおのこと、寝るのも起きるのも、風呂だって一緒じゃ。フィオメリカ・デュラレネル、其方は今季唯一の女性兵士だそうじゃが、兵役に就くにあたっての其方の覚悟はその程度のものであったのか?」

「それは……。でも……いや、たしかに女だからと戦場で死や怪我かあら逃れるわけでもなし……。ああ、やはり私には覚悟が足りなかったのだろうか……?」

「そうじゃ、フィオメリカ・デュラレネル! わかったならば、さっさと服を脱ぐのじゃ!」

「えっ? は、はい!」

「お、おい、フィオ? 何を考えている?」

「こら! やめろったら!」

「ちょっ、駄目だよ、フィオ!」

「誤魔化されるな、デュラレネル訓練兵。パディヴァヌス課長殿、部下を揶揄うなと何度言えばおわかりいただけるのですか?」


 勢いに流されて服を脱ぎかけるフィオメリカを最終的に押し留めたのは、いつの間にか姿を現したツィレリス補佐官だった。補佐官は手慣れた様子で少女からタオルを剥ぎ取りフィオメリカに返すと、服を着てくるようにと少女を個室の中に押し込めた。


「あれは肩書だけは諸君らの上官だが、中身は未熟な訓練兵と一緒だ。うかうかと彼女(あれ)の戯れ言に乗せられぬよう、気をつけろ」

「「「「は、はい!」」」」


 颯爽と靴音を高く鳴らしながら浴場を出て行くツィレリス補佐官の姿を、四人は毒気を抜かれて呆然としながら見送った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ