入隊
夏の始まりの月の第一日は週明け、紅の日である。この日、夏からの魔法軍での兵役を課せられた新成人四十八名が、独立第一魔法師団に集められていた。
場所は師団内の魔法軍事応用研究所で大会議室。元は旧皇国立魔法学院の大教室であり、成人能力検査の会場としても使われた部屋だ。
書字板の前に立ち兵役について説明するのは、魔法支援部門教育課副長のツィレリス補佐官といった。厳めしい面立ちだが、淡い金砂色の短髪が灰青色の士官服によく映える軍人らしい男だ。所属は魔法支援部門だが、肩の階級章には三本線の入った歴とした上級詠唱士だ。
「兵役の統括責任者であるパディヴァヌス魔法支援部門教育課長は、所用のため不在である。そのため補佐官である小職が代わって説明する――」
新成人たちは到着するなり会議室に直接連れて来られたので、全員が私服を着用のままだ。生地や縫製の良し悪しはあるが、皆、実用的で華美にならない服装を心がけている。洒落着や装飾品の類いは、机の上の大荷物の中に詰め込まれている。
他の連中に比して龍翔の荷物は随分と少ない。中身はリュウトの母の形見をいくつかと、休日用の着替えを数着のみだ。兵役中は軍服だけでなく生活用品はすべて支給されるので、最低限の物だけ残して、あとはすべて処分した。
「今季より魔法軍の兵役には一ヶ月間の予備訓練が設けられた。予備訓練では魔法軍兵士としての基礎的な体錬、座学、および武器取り扱いを習得することになる。部門間の相互理解を深めることを目的とし、各部門の役割や特徴を実体験を通して学んでももらう。なお各部門への配属は、成人能力検査の結果に予備訓練での成績や適性も加味して決定する――」
ツィレリス補佐官の概要説明に続いて、一本線の下級事務担当官によって給与の支払いや休暇取得方法などの事務的な説明がなされた。元の世界の就業規則と似たような内容は、龍翔に眠気をもたらした。昨夜は巨猫亭で成人祝いだと酒を飲まされたが、二日酔いになるほど量を過ごした憶えはない。それよりも翌日から始まる兵役に思いを馳せて興奮気味で寝不足なせいだろう。
何度目かの欠伸を噛み殺したとき、ツィレリス補佐官の薄い辛子色の瞳と視線が重なり、背筋が凍った。ナントカ軍曹のように「クソ野郎」だの「ウジ虫」だのと罵られるのは鬱陶しいが、冷たく静かな上司のほうが実は厳しく恐ろしい。少なくとも龍翔のさほど長くない派遣社員人生での経験ではそうだった。
「予備訓練は五人組に班分けした集団行動が原則となる。各部門の候補者が必ず含まれるように配分しているので、互いの能力を補うことを心掛けて協力しあうように。では班分けを発表する――」
新兵には管理番号が振られていて、班分けは一番から順に五人ずつだった。龍翔の番号は末尾の四十八番で、班は第十班だった。足りない二人分は補充があると告げられた。
事務的な説明が終わると、班ごとに軍食堂で昼食となった。
○◎●○◎●
「それでは自己紹介から始めようか。皆、緊張しているだろうから、まずは僕から――」
軍食堂の紅の日の献立は豚の赤葡萄酒煮込み、龍翔の感覚では洋風豚角煮とでもいうべき料理だった。曜日ごとの献立は旧ネウリズマ皇国立魔法学院時代に始まり、革命の最中にも決して順序が入れ替わることはなかったという。成人能力検査の日に食べ損ねた羊肉は、紅、朱、黄、翠と曜日を指折り数えて待つしかない。
フォークで切れるくらい柔らかく煮こまれた角煮を頬張っているのは龍翔ばかりだ。他の三人は緊張気味に互いの様子を窺っている。
会話の口火を切ったのは、十五歳になったばかりとは思えないほど堂々とした風采の少年だった。柔らかそうな淡い青紫色の髪と灰色に近い同系色の瞳にのみ少年らしい繊細さが残る。
その隣は凛々しい顔立ちの少年、ではなく長身の少女である。雰囲気も身体つきも硬質だが、胸元の膨らみが隠し切れていない。短く刈り込んだ暗紅色の髪に常緑樹の瞳の色は躑躅の彩りだ。
そして龍翔の隣では、腐れ縁とでもいうべきか、幼馴染のディルガが恨めしそうに角煮を睨みつけている。
「僕の名はヴァルエス・カッリジョルド、元侯爵家のカッリジョルドの三男だ」
「カッリジョルド家って……?」
侯爵ならば上流貴族だろうが、龍翔はもちろんリュウトにも貴族に関する知識は少ない。龍翔が首を傾げると、ヴァルエスはむっとした表情を浮かべる。だがほんの一瞬だ。
「父は詠唱魔法部門の長で、次期の魔法軍総帥候補の最右翼だ。長兄のドマシュは筆頭詠唱士、次兄は昨年まで記述魔法部門の特別研究員だった」
「へえ……で、あんたは何者なの?」
「君は随分と失敬だな……まあいい。僕は詠唱士……だ、予備訓練終了時に正式発表される。身贔屓ではないぞ! 初等詠唱士養成所では特等の成績だった」
揶揄にもめげずにヴァルエスは熱の篭った自慢を続けるが、龍翔の関心はすぐに皿の上の角煮へと引き戻されていた。親の威光を笠に着る二代目社長など珍しくもなかったため、実績の伴わない自慢には、呆れる以前に飽きているのだ。
その不躾な態度にヴァルエスの不機嫌さが次第に増していく。龍翔は意に介していないが、ヴァルエスの隣の少女は、落ち着かなげに腰を上げかけたり下ろしたりを繰り返す。
空気を読んだディルガが、無垢な幼子のような笑顔で割って入った。
「えっと、ヴァルエスさんが四十六番だから、次は四十七の俺の番かな?」
「……ヴァルエスでいい。軍での上下関係は階級のみで決まる」
「あ、うん、了解、ヴァルエス。えっと俺の名前はディルガ。ディルガ・ヴェンテス。一般市民だから家名なんて意味ないんだけどね。詠唱もできないし魔法陣も苦手だけど、こんな体格なんで魔力樽……魔力支援部門でもいいから魔法軍に絶対に残りたいと思ってる」
魔術具の給茶機でいれた茶で口の中の脂を洗い流した龍翔は、ディルガの挨拶が終わるのを待って口を開く。
「四十八番、龍翔……リュウト・オルディス。そこのディルガと幼年学校では同級だった。詠唱魔法はたぶん使えない。記述魔法は……苦手ではないな」
「オルディス……? 聞いたことのない家名だな。父の話では第十班の平民はディルガだけのはずだが、君はどこかの貴族なのか?」
「さあ……知らん」
嘘は吐いていない。オルディスは母方の姓だが、龍翔はその来歴までは把握していない。さらにはリュウトの感情が拒否反応を示す父の素性も、敢えて探ってはいない。
それよりも反射的に龍翔とこの世界とは異なる抑揚で発音したことが龍翔は気になった。不自然に思われそうだし、今後、自身の名はリュウトとして認識するようにしようと龍翔――リュウトは決めた。
リュウトの気が逸れて考え込んだのを挨拶の終わりと捉えたヴァルエスが残った少女へと話を振る。
「で、お前は……君は何者だ?」
「四十九番フィオメリカ・デュラレネル、皆より一年早い生まれの十六歳だ。双子の弟に代わり私が兵役に就くことになった。性別は女だが、男として扱ってもらいたい。名前もフィオと呼んでくれ」
「デュラレネル……? たしか子爵だったか。嫡子である詠唱士が訓練中に負傷し退役となったと聞いたが……」
「弟のリーヴィデのことだ。弟には敵わないが、私も詠唱士を目指している」
「そうか……余計なことを詮索してすまなかった」
一家でひとりでも男が兵役に就いていれば女は免除となるが、男が期間満了前に退役となれば免除は取り消される。それでもなお回避する方法もあったが、元貴族の家系で誰も兵役に出さないのは外聞が悪い。幸いにも弟と同じく姉も詠唱能力持ちでもあり、何年も前に兵役を終えた遠い親戚に代理を依頼するよりはと、フィオメリカが一年遅れで参加することになったのだった。
「四人目はフィオ、で五人目は? ヴァルエスは偉いお父上から何か聞いてないのか?」
「これは僕の聞き間違いかもしれないのだが……もうひとりはパディヴァヌス教育課長自身だそうだ」
「ツィレル補佐官の上司? そんな偉いおっさんが一緒に訓練を受けるのか?」
「地位も肩書も立派だがパディヴァヌス課長は、随分とお若いそうだ。天才詠唱士として成人前から軍務に就いていたために正式な訓練を受けていないから、改めて受けることにしたんだとか……」
「本当?」
「なんだか嘘くさいな」
「だから聞き間違いかもしれないと言っているだろう!」
気色ばむヴァルエスの様子を横目で窺いながら、フィオメリカが軽く眉根を寄せた。彼女の窘めるような視線で、リュウトも尻馬に乗るディルガも肩を竦めて言葉を慎む。
「若き天才女性詠唱士……らしい。天才というのは噂だがな。まあ、若い女性でもパディヴァヌス公爵家の名があれば詠唱士を従えるのも容易いだろう」
「へえ、女の子か。フィオも友だちができるといいね」
「私は男として……いや、そうだな。同性がいるのは心強いな」
「若いっていっても教育課長としてはってことだろう? 同じ歳頃とは限らないぞ」
魔法軍の年齢構成は不明だが、課長という肩書で若いというならば二十代半ば程度だろう。リュウトの内面である杉村龍翔にとっては同年代かそれより以下だ。そんな若い女に子ども扱いされる状況に、リュウトは甘んじなければならないということだ。
「要するに面倒な女がひとり増えるってことか……」
リュウトがうっかり本音を漏らすと、フィオメリカは困ったような硬い笑みを浮かべた。
「申し訳ないな……。でも魔力は性別による差がないから、そうそう足手まといにはならないつもりだ」
「そうだよね、俺も体力が無いから魔法軍を選んだわけだし、気持ちはわかるよ」
魔力は同じでも体力差がと言い募りかけたリュウトだったが、ディルガの言葉に思わず続きを呑み込んだ。ヴァルエスからも批難の眼差しを向けられ居心地はさらに悪くなったが、それも余計なことを口にしたリュウトの自業自得であった。
○◎●○◎●
昼食後には、装備や支給品が配布された。
式典用の制服、戦闘用の兵隊服。予備訓練中は仮の身分なので階級章は何も着いていない。その場で簡単に採寸して近い大きさの服を選ぶのだが、裏に魔法陣が仕込まれていて多少の相違は自動的に調整される。
座学のための教科書も配られた。魔法陣や魔法を使った戦闘に関する説明もあれば、国の体制や国際情勢についての基本知識もあった。軍隊でも机に向かって勉強するのかとリュウトには驚きだったが、この世界の常識を知らない龍翔には是非とも必要なものだ。
最後に魔石が各自三個ずつ配布された。手のひらに丁度収まるくらいの大きさの物で、石にしては意外に軽く持ち運びも容易である。
魔力量には個人差があるが、魔石に貯めた魔力を使って補うことが可能である。魔力樽――魔力支援部門による魔力補給は部隊単位で計画的に行われるものであり、破壊力の大きい魔法や武器、あるいは全体の防御に関わるものが優先される。
蔑ろにされがちな個人の魔力不足を補う目的で用意されているのが個人用の魔力貯蔵具や魔石だ。
「魔力切れを起こした状態で敵に包囲されながらも、個人用魔石の魔力を使って窮地を脱したという例もある。魔石は休息中も含め常に携帯し、余剰の魔力を貯めておくこと。明朝の訓練開始時には、最低でも二個の魔石を自分の魔力で満たしておくように。
小職からの説明は以上で終了する。この後は寝具を受け取り、宿舎へと移動するように」
ツィレリスの言葉に、新兵たちが机の上に置いたまま眺めていた魔石を一斉に懐にしまいこむ。皆、席を立ち、部屋の入り口でシーツや枕カバーの一式を指導担当の先輩兵士たちから受け取る。
部屋に荷物を置いたらあとは自由時間だと誰もが期待したが、軍隊はそう甘いものではない。厳しい先輩兵士たちの指導の下、宿舎の各自の部屋に案内された後に夕食や風呂にありつくまでに、全員が最低でも五回は寝具を整え直させられたのだった。