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断章:はらから

 黄の日の魔猫のめし処の昼食は、肉料理が獣ではなく爬虫類や両生類であるためか、食べ盛りの兵士の数は他の曜日よりも少なくなりがちだ。加えて今日は朝から雨模様なので、なおさら出足は落ちる。


 そんな中、魔法軍教育支援課長付き補佐官のツィレリスは、ひとり蛇魚料理を堪能していた。蛇魚はその悍ましい見た目から魔物扱いされることも多いが、実はただの水棲の蛇である。陸棲の蛇よりも脂肪分が多く、その味わいは意外に濃厚で腹持ちもいい。リュウトならば「鰻だ! 蒲焼きだ!」と狂喜するところだが、この世界では香辛料をまぶして蒸し焼きにするのが一般的だ。


 課長のラララルウナの姿がないのは、雨の外出を厭ったわけではなく、副官の同席が認められない会議に出席しているからだ。討伐戦闘課にいた頃は、ラララルウナがまだ幼かったこともあり、四六時中行動を共にしていたが、流石に成人してからは常時監視するような真似は控えている。予備訓練の同期と親しくなれた様子に安堵したが、訓練も終わって少しばかり疎遠になっているのが気がかりではある。


 ツィレリスが座るのは店の奥の柱の陰になった席だ。元々、客が少なかった上に昼食時から少しずれていたこともあり、食事を終える頃には既に他の客はいなくなっていた。料理をする店主も、給仕をする店主の妻も、食後の飲み物を供した後は、店の奥に引っ込んでしまっている。

 店の入り口脇の客用の傘立てにあるのは、ツィレリスが持参した黒い細巻きの傘。その隣に、もう一本、焦げ茶色の傘――。


「相席してもよろしいですかな?」


 声をかけてきたのは、ひとりの男だった。他の席がすべて空いているのに何故、とツィレリスの頭には疑問が浮かぶ。軍人であり、その中でも厳つい風貌の自分に、意味もなく声をかけてくる者がいるわけがない。


「何者だ?」


 詰問口調に怯むことなく、男の穏やかな笑みがツィレリスの誰何を正面から受け止める。仕立ての良い外套を羽織った商人風ではあるが、ツィレリスが気付かぬうちに店に入り近づいてきたことといい、只者ではないだろう。ここまで近いと詠唱魔法では対応できない。魔術具か武器での対応を考えるべきだろうか――。


「私は武闘派ではないので、あまり乱暴はしないで欲しいですな」


 ツィレリスの緊張に対して、男の口調はのんびりとしていた。油断を誘ったのならば、疾うに攻撃してきているはずであろう。仕掛けるつもりはなさそうだ。

 警戒を緩めたのを了承と解釈したのか、男は勝手にツィレリスの向かいの席へと腰掛けた。店主や給仕が注文を取りに来ないのは、異変を察知して身を隠しているというより、来店に気づいてすらいないのだろう。

 地味な茶の外套に馴染む枯草色の男の髪は、赤や青といった目立つ髪色の多いラウデリアでは容易く埋没してしまう。年齢はツィレリスよりも上、おそらくは三十代半ば以降だろう。


「――ツィレリス・パディヴァヌス殿ですね」

「ツィレリス、だ」


 男の問いに、ツィレリスは端的に名前だけを以って答えた。ラララルウナと同じパディヴァヌスの姓を持つツィレリスだが、その立場は彼女とは大きく異なる。妾腹とはいえ娘であるラララルウナに対し、彼の場合はパディヴァヌス家の庇護下にあることを示すのみ。だからツィレリスは、常に自分の名前だけを名乗る。

 その矜恃を知ってか知らずか、男は眉を上げ下げするだけで興味深気な表情を作ってみせる。


「ツィレリス・ヴフス・パディヴァヌス殿とお呼びすべきでしたか?」

「……!」


 ヴフスはネウリズマの古語で所有を意味する言葉だ。家名の前につけば、その家に所有されているという意味――言い換えれば隷属していることを示す。身分制の廃止されたラウデリアに於いては、法的には後見人と被後見人の関係だが、ネウリズマであればツィレリスの立場は奴隷であった。

 出自がネウリズマにあることをツィレリスは隠しているわけではない。その砂色の髪も、鞣革のような肌艶も、ラララルウナ共々ネウリズマ系であるのは明らかだ。

 男の薄い色合いの髪や瞳もまた、ネウリズマ人の特徴に近い。ネウリズマ人にはラウデリア人のような鮮やかな色彩は少なく、灰色や砂色に近い色味ほど古来からの正当な貴種――魔法能力も身分も高い――の血が濃いとされ尊ばれる。


「今日はご挨拶代わりに、貴方と妹さんに朗報を持ってきました」

「妹……?」

「ラララルウナ・パディヴァヌス教育支援課長殿のことですよ、ネウリズマ生まれである貴方の、父親違いの妹御の」


 パディヴァヌスの被後見人であるツィレリスを養子と勘違いする者は多く、パディヴァヌスの娘であるラララルウナと義兄妹の関係と解釈しても不自然ではない。

 だが事実は男の示唆した通り。ラララルウナは、ツィレリスと共にネウリズマから亡命してきた母親が、パディヴァヌスの当主に産まされた娘である。ラララルウナが庶子であること自体は隠されているわけではないが、その母親やツィレリスとの関係は、外見から推測されるのは別として、厳重に秘匿されているはずだ。


「……それがどうした?」


 その程度のことは知る人は知っている――とばかりにツィレリスは虚勢を張る。だが男の笑みは崩れない。


「では、これならどうでしょう?」


 男はいくつもの事柄を並べ立てた。曰く、ツィレリスの父親が古代ア・ネウリドルの皇位に連なる血統であること、ネウリズマに於いて政争に敗れ奴隷落ちしたこと、母親は貴種の中でも最も血が濃い一族の出であったこと、等々。

 聞いているツィレリスはますます不機嫌になっていく。ラウデリアに亡命した時点で母は過去を捨て去り、彼は自分の父親の正確な地位も、その名前すらも知らされなかったのだ。だから男が失意のうちに亡くなった父の話を聞かせることで同情を示しているのか、それとも貶めて挑発しているのか判断がつかない。そもそも男の言葉はあまりにも嘘臭く、事実かどうか確かめる術もない。


「付け加えれば、御母堂はネウリズマを離れたときには既に身籠られていたという噂もありますな」

「だからなんだ?」

「妹御はパディヴァヌスの胤ではない、ということです」

「しかし……」

「権力争いに敗れた男の妻は誰のものになるのか、自明ですな」


 男は意味ありげに、にやりと笑う。

 

 男の言葉が事実だと仮定すれば、いちばんありそうな筋書きは、争いに勝利した人物が母を手に入れたということになる。長いこと最高権力者の座が空位のままのネウリズマに於いて、皇位に就く可能性のある人物と争うことができる者といえば、ネウリズマ元老院の上席者ぐらいのものだろう。


「俺には……私には関係のない話だ」

「そう言い切れますかな? パディヴァヌス家が、善意だけで貴方がたを庇護しているわけではないのは百も承知でしょう?」

「それは……」


 子を産んでもなお若く美しかった母、貴種の血を引く女を手に入れたかったから。圧倒的な詠唱魔法の才能を持つラララルウナに戦功を挙げさせ、詠唱能力者が途絶えかけているパディヴァヌス家の再興を狙ったから――いずれにせよ、道具扱いされている。


「貴方がたは、切り札になり得る――」


 何に対する切り札か、男がそれを口にすることはなかった。だが察することはできる。

 ネウリズマの体制の転覆を目論むことも可能ならば、その芽を摘むためと称して元老院と取引することもできる。そのような存在を確保していることで、、ラウデリア内での立場の強化もできるだろう。

 ラララルウナもツィレリス自身も、直接的な戦力であると同時に、人質、人身御供、あるいは傀儡――パディヴァヌス家にとっては、如何ようにも利用のし甲斐があるということだ。


「今、すぐに答えは求めません。いずれ近いうちに、また――」


 パディヴァヌス家の思惑以上に、男がどの立場から物を言っているのかは不明だった。現ネウリドルに抗する勢力なのか、ラウデリアに対する態度はどうなのか。パディヴァヌスに与するとも思えなかったが、利用するつもりぐらいはありそうだ。

 いずれにせよ、男がツィレリスに揺さぶりをかけ、いいように操ろうと考えているのは間違いないだろう。

 だが母との生活を記憶しているツィレリス自身はともかく、ラウデリアで生まれ育ったラララルウナにとってネウリズマは単なる異国だ。ツィレリス自身にしても、ネウリズマへの郷愁も恩讐も既に記憶の彼方になっている。パディヴァヌス家に道具として使い潰されることに対する忌避感はあるが、積極的に敵対しようという意志もない。情緒的な揺さぶりで動かそうなど、男の考えはその点に於いて間違っている――。


               ○◎●○◎●


 思考に耽っていたのは、そう長い時間ではなかった。だがツィレリスが顔を上げたとき、店の中に男の姿は既になかった。入り口の傘立てには、ツィレリスの黒い傘が一本だけ残されていた。

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