発声の記述魔法(2)
「ミャルムさん、そこを退いていただけないでしょうか?」
リュウトは作業する手を止めて、目の前の相手に、その日何度目かのお願いをした。口調は至極丁寧に、出来る限りの低姿勢である。
しかしミャルムがリュウトの懇願に絆される様子は微塵もない。机の上にどさりと身を投げ出し、目を細めてリュウトの顔を値踏みでもするかのように見詰める。
ミャルムは巨大な猫である。その体格は〝巨猫亭〟のマルルや〝魔猫のめし処〟のミミュルに優るとも劣らない。白地に薄い黒と灰茶の豹紋を持った珍種の三毛である。
ふてぶてしい態度も、また然り。リュウトの言葉遣いも自然と敬語になる。
「ええと、ミャルムさん? 貴方、歳を鯖読んでらっしゃいませんかね?」
「正真正銘の生後二週間だ。遺跡の守護獣は寿命が僅か一週間と短いのでね、普通の猫と掛け合わせてみたんだよ。守護獣と同じく成長は速いものの、取り敢えず一週間は越えたんで、寿命の引き伸ばしは成功したといえそうだ」
泣きを入れるリュウトに答えたのはミャルムではなくトバロだ。災害対策課のポルパの下の副官である彼は、リュウトも参加した遺跡の調査隊が持ち帰った出土品のうち、守護獣の召喚陣を研究していた。
狂科学者然としたポルパに比すれば常識人と見えていたトバロも、己の興味関心事が話題となれば事情は違うようである。ポルパも顔負けに滔々と語る。餌を生き餌と屑魔石で比較したり、召喚陣を使わずに守護獣同士で掛け合わせて、その性質や能力に変化が生じるかを調べていたらしい。魔猫のめし処の看板猫であるミミュルと掛け合わせて仔を生ませたのも実験の一環だそうだ。
「スタキーノ工房が魔猫のめし処の猫の仔を欲しがっているそうだから、もう少し大きくなったら連れて行ってやりなさい」
遺跡の守護獣がやたらと懐いていたこともあり、トバロは生まれたばかりのミャルム――そうは到底見えないのだが――をリュウトに押し付けようとする。スタキーノ工房のタルチェナが魔猫のめし処のリィリェに猫が欲しいと言っていた憶えはあるので、連れて行くことに吝かではないが、今、この場に於いては作業の邪魔であることこの上ない。
災害対策課の部屋を無理を言って間借りさせてもらっているのでなければ、文句のひとつも言ってミャルムを机の上から退かしたいところである。尤もリュウトとミャルムの力関係では、そんなことが可能かどうかは甚だ疑わしい。
災害対策課を占領して、リュウトはドマシュやフィオメリカと共に、ドマシュの義顎の魔術具に使用するための発声の記述魔法の実験をしている。
魔術具用の魔法陣なのだから工房課で作業するのが本筋というものだが、工房課は人の出入りが多くて騒がしいので避けたのだ。かといって詠唱士としての立場を失ったも同然のドマシュとフィオメリカには、古巣である討伐戦闘課を使うという選択肢は存在しない。
であるならば元々の人員が少ない災害対策課に頼み込もうということになった次第である。そもそも発声の記述魔法は遺跡で得られた呪文が基になっているので、災害対策課とも決して無関係ではない。それに同じ詠唱魔法部門内でもあるので、課長のポルパの口添えをもらえれば、フィオメリカが討伐戦闘課から抜け出す助けにもなる。
ドマシュは記述魔法を生成する呪文――現代魔法ではなく遺跡にあった古代魔法言語によるもの――を何枚も書いている。内容はスタキーノとタルチェナの改善案を実現するもので、記述魔法部門の研究課長であるフェン・ガラッハの助言に基づく。尤もフェン・ガラッハも古代魔法言語の専門家ではなく、しかも魔法陣生成の魔術具に対応した正しい構文書式は未だ不明なため、似たような内容で少しずつ書き方を変えたものをいくつも試している最中だ。
作業工程からいえばスタキーノ工房で行ったほうが生成した魔法陣を実際の魔術具で試せるので効率的なのだが、民間工房の職人たちが忙しく立ち働く作業場に三人も押し掛けるのは憚られたのだ。それに魔法陣生成用の魔術具を外部に持ち出すことを、管理者であるポルパが厭ったというのもある。軍機というほどに秘匿されているわけではないのだが、その言い分は決して間違ったものではない。
「ふぃおめりか詠唱士、手ヲ止メテコチラヲ頼ム」
「はい――」
フィオメリカが受け持つのは、ドマシュの担当分よりも平易な部品を生成するための古代語呪文の作成であった。ドマシュの指示でその作業を中断すると、今度はドマシュが書き上げたものを魔法陣生成の魔術具に通す作業に取り掛かる。
「こっちは通りましたけど、これは……駄目ですね」
魔術具が読み込んだ呪文は、必ずしもすべてが魔法陣を出力するわけではない。何も反応が起きずに素通りするもの。魔法陣の体をなさない出鱈目な文様がひたすら出力されるもの。途中までは順調に魔法陣が描かれたものの完成を見ずに止まってしまうもの。一見、まともそうな魔法陣だが、まったく機能しないもの。まともな魔法陣が完成するほうが圧倒的に少ない。
フィオメリカは完成した魔法陣を生成に成功したものと失敗したものとに手早く分けていく。動作確認は決められた一音が発声されるか試す以上のことはしない。
分けられた呪文はリュウトに手渡され、今度は呪文の書式や論理構成の立て方に基づき、さらに分類されていく。
成人検査での筆記試験の成績は悪くなかったリュウトだったが、そもそも現代の記述魔法は既存の魔法陣を組み合わせて書いていくものである。古代言語は基礎しか知らないリュウトには生成呪文作成は手を出せる代物ではない。その点、詠唱士は詠唱呪文を学ぶ過程で古代言語に多少なりとも触れるらしく、筆頭詠唱士であったドマシュはもちろん、フィオメリカもそれなりに読み書きができたため、リュウトは呪文生成の試行錯誤は二人に譲り、成果物を試験する側に回ったのだ。
そして提案したのが、発声の魔法陣の機能ではなく、まずは記述魔法の生成自体を試験しようということだった。魔法陣の前段階の呪文自体を試験対象として扱い、その生成の成否を試験結果と見做すのである。その成否を分類し解析していけば、呪文の書式も自ずと明らかになるはず――というのがリュウトの考えだ。
適材適所、元テスト要員の面目躍如といきたいところである。プログラマになりたかった杉村龍翔としては内心忸怩たるものはあるが。
「古代言語じゃなければ、俺でも少しは役に立てたのに……」
「残念ながら魔法陣生成の原理の解明は、未だ道半ばでな。見ればわかるように、こちらは人手が足りぬ」
リュウトが零した愚痴ともつかぬ呟きを、すかさずポルパが拾い上げる。
「現代語からの直接生成が無理なら、現代語を古代魔法言語に変換できればいいんじゃないんですかね。別に生成原理が解明できなくても、動けばそれで構わないんだし」
リュウトは頭の中でモヤモヤと思い描いていたものを口に出してみる。変換には専用の魔術具を作ることを想定している。古代言語と魔法陣の生成がプログラミング言語とコンパイルのような関係だとすれば、現代語と古代言語の間でスクリプト生成用のツールを作るようなものといえるだろうか。
だが元の世界のプログラミングの知識のあるリュウトには馴染み深い考えも、呪文という一種の文学的表現が主流のこちらの人間には若干わかりにくいのは否めない。リュウトの言葉を無視しているわけではないが、皆、少しばかり反応が薄い。トバロだけが反射的といってもいいほどに、すぐに否定的な意見をぶつけてきた。
「……迂遠だな。現代語から古代語に翻訳し、それを記述魔法言語として妥当なものに書き改め、そこから魔法陣を生成する。理屈としては可能だろうが、手間が掛かり過ぎる。古代言語ができる人間に書き方を学ばせるほうが、よほど効率的だ」
「まあ、それはそうなんですけどね……。古代言語での書式すら未だ手探り状態なわけだし、一足飛びに翻訳機ができるわけもないか……」
上手くいけば古代言語に習熟していない自分にも自由に記述魔法が書けるかもしれないと期待していたリュウトは、がっくりと項垂れた。それを慰めようとしたわけでもないだろうが、じっと考え込んでいたフィオメリカが首を傾げながら呟く。
「失敗なら途中で生成が止まって欲しいのだが……。せめて生成失敗の理由が示されれば……」
「ああ、そっか! シンタックス・チェックか」
リュウトは思わず手をぽんと叩いた。
「しんた……くす?」
「ええと……構文解析、かな? 呪文の書き方に間違いがあれば、その時点で指摘してくれる仕組みみたいな? デバッガとかもあると便利かも……」
勢いづいてリュウトは杉村龍翔の知識のいくつかを皆に披露した。だが元々がうろ覚えの上に、プログラミング言語の概念を無理矢理に魔法に当て嵌めたわけであり、思うように話は通じない。それでもドマシュやポルパは、多少なりともリュウトの意図するところに理解を示した。
「慥カニ迂遠ダ。迂遠デハアルガ、スベテヲ魔術具化デキレバ、記述魔法ヲ書クノモ容易ニナル」
「その通りだね。設計士の教育にかかる時間も費用も削減できるし、なかなか有用な提案だな、リュウト君。そのためにも君の分類作業は重要だ。頑張りたまえ」
「ああ!」
現行の魔術具を手直しすることで構文解析の結果を出力することは不可能ではないだろうが、その修正のための判断材料はリュウトが手掛けている魔法陣生成の成否の分類に依存する。そのことに気づいたリュウトは、大きくがばりと机の上に伏せる。
ミャルムの太い尾が、リュウトの頭をぱさりぱさりと叩いていた。




