印章の魔術具
契約の詳細や金額についての交渉はスタキーノとアグダの間で行われた。
工房の職人たちはスタキーノを始め、元魔法軍の関係者が多い。民間工房を名乗ってはいるが、その成り立ちも取り引きの内容も魔法軍に依るところが大きく、実際は半官半民のようなものだ。工房課との付き合いは長く、事細かに条件を詰めずとも、互いに求めるところは十分に理解し合っている。
発注者であるアグダのほうが本来は強い立場ではあるが、野獣モルヴィラの師匠であるスタキーノがその部下に易々と不利な条件を呑まされるはずもない。
二人が難しい顔を作って契約を進める間に、リュウトは奥の作業場でタルチェナに仕事の内容を説明することになった。本来なら中身の説明も確認もしないうちに契約などするべきではないのだが、そこが軍という圧倒的な力に依るものであり、長い付き合いのお蔭でもある。
「こっちが板の設計図で、こっちが魔法陣だ。軍の書式だけど……読めるよな?」
「当然」
リュウトが手渡した図面と仕様書をタルチェナは迷うことなく捲っていく。軍の仕事を請け負う工房なのだから読めないわけはないのはわかっているのだが、頁を捲る手のあまりの速さに、リュウトは思わず不安になる。タルチェナの迷惑も顧みず、知っている限りのことを捲し立てるように説明していく。
「板を浮かべるのは風系統の魔法ではなくて、浮力魔法の応用になっている――。方向転換は重心移動使っているんで物体操作系は弄っていない――」
「随分と詳しいのね……。とても供給士とは思えないわ」
「いや、まあ……記述魔法試験の点数は悪くなかったらしいんだ。供給士でも外の工房との仕事を任されるんだから、ここで頑張れば設計士への道も拓けるかなって――」
タルチェナは口調こそ淡々としているが、言葉遣いは柔らかく、見た目とは裏腹に女性らしさを感じさせる。軍ではリュウトの周りは強い女性ばかりで、優しい言葉をかけてくれるのは人妻である魔猫のめし処のリィリェくらいしかいない。久々に女性に褒められたのが嬉しいリュウトはつい調子に乗って自慢を口にする。
「アグダさんが工房に連れてくるのは供給士ばかりよ。だって試作品や完成品の動作確認をするのは供給士の仕事でしょ。いちいち工房課に納品して確認して結果を通知してってするより、動作確認要員を直接こっちに来させるほうが早いでしょ」
「え? あ、ああ、そうだね。慥かにそうだ」
早々に鼻をへし折られたリュウトは、さり気なく視線を上げて作業場を見渡す。二階を打ち抜いているのか、天井は高い。机や作業台が並んでいるが、奥のほうにはそこそこ広い空間もある。ここなら魔力板の基本動作の確認も可能だろう。
「この表はなに? 作業項目一覧……?」
「ああ、魔力板の製作に必要な作業毎に担当者や必要な日数を書き込むんだ。誰がどのくらいの忙しさかひと目でわかるし、進捗状況をまめに更新すれば次の作業に進められるかどうかもわかりやすい。まあ、俺が適当に仮置きしてみただけだから、そっちでいいように書き直してくれて構わない」
「ふうん、見習いなのに気が利くわね……でも生意気」
最後にぽつりと付け加えられた言葉にリュウトは苦笑する。リュウト・オルディスは十五歳だからタルチェナから見れば子どもだろうが、二十代半ばの杉村龍翔の意識からすればタルチェナのほうが歳下だ。フィオメリカとは性格が違うようだが、男の世界で頑張っているところが似ているし微笑ましく思える。
そう感じるのは己の意識が杉村龍翔に近いからだとリュウトは考えているが、リュウト・オルディスの目にもタルチェナやフィオメリカが健気と映っていることには気がついていない。
進捗管理表についても同じだ。そもそも杉村龍翔の会社員時代には進捗管理など面倒だとしか思っていなかった。それを便利だと感じるのも、鬱陶しがられても他人に広めよう思うのは、若く、野心も希望もまだまだ潰えていないリュウト・オルディスだからこそだ。
「試作を作る工程が抜けているわね……」
「試作……は、こっちで作ってきているのがあるけど? 設計図もあるし……」
「そうじゃなくって……そっちの試作品は設計士の人がひとつひとつの部品を手作業で仕上げたものでしょ? 民間の工房ではそんなやり方はしないの。部品ごとに担当を決めて必要な数を作って一気に組み上げる。この魔術具なら……板の表、裏、方向舵、それから印字用の魔法陣とかね。バラバラの部品を作ったら最低いちどは試しに組んでみる必要があるわ」
「なるほど……ってか印字用の魔法陣って何? 何それ?」
「え? 知らないの?」
リュウトの理解では魔法陣とは筆記具を用いて紙の上に書くものであり、魔術具の場合はそれを基に彫刻刀のようなもので刻みつけるという認識であった。だが工房でのあ使い方は違うとタルチェナはいう。
「こっちへ来て。見せてあげるわ」
すっと立ち上がりタルチェナはリュウトを書き物机のひとつへと案内した。薄水色の髪に鼈甲縁の眼鏡をかけた中年の男が、背中を丸めて設計図に書かれた魔法陣を別の薄手の紙へとせっせと写している。
「特殊な魔法陣はこうやって設計図から直接写して、印章を作るの。エラルさん、見せてあげてもらえますか?」
「ああ、お安い御用だ」
エラルと呼ばれた男は顔を上げ、左の手で机の上に置いてある握りのついた拳大の魔術具を取り上げた。握りの下の部分は四角い台のようになっていて、蝶番で小さな枠が取り付けられている。エラルは魔法陣を写し取った紙をその台の部分の四隅に丁寧に合わせるように載せ、枠の部分で押さえるようにぱちりと嵌め込んだ。握りの部分を持ってリュウトに底面を向け、にっと笑う。
「これで完成だ! 魔力を流しながら押してみろ」
底面の紙は魔法陣の裏返しで、これが印面にあたるわけである。エラルから魔術具を受け取ったリュウトは、作業場に落ちていた金属の板切れをもらい受け、印面を押し当て魔力を流した。押し当てていた魔術具をそっと外すと、金属板には設計図と同じ魔法陣が浮き彫りになっていた。
「おおっ! これって金属板専用?」
「んなわけないだろ。魔力で写すんだから木だろうが陶器だろうが関係ない」
「慥かにこれなら判子をペタペタ押すだけなんだから、魔法陣を刻む時間は短縮できるか。でもなあ……魔力板の魔法陣は結構細かくて複雑なんだよな。設計図も拡大図になってるし」
「別に問題ない。縮小の魔法陣を組み込んだ紙があるから、設計図の大きさで一旦写し取って、あとで小さくすれば済む」
「それに設計図を見たけど、複雑とはいっても既存の魔法陣の組み合わせの部分が多いみたい。汎用の印章を使うことも可能ね」
タルチェナ曰く、条件判定や繰り返しなどの基本命令の印章は汎用部品として工房に常備されているという。簡単な魔術具であればバラバラの部品を設計図通りに並べて押せば十分だし、部品数が多ければ複数の部品を組み合わせてひとつの印章を作り上げ、必要に応じてエラルの説明にあったように縮小すればいいのである。
「へえ、こんなふうにして大量生産するわけか」
「おいおい、なんにも知らなかったのかい、リュウト見習い供給士?」
「おう、興味があるならいつでも鍛えてやるぞ」
話を終えたアグダとスタキーノがいつの間にか作業場へとやって来ていた。いつものごとく軽い調子のアグダはともかく、強面のスタキーノの言葉は冗談なのか本気なのか、付き合いの浅いリュウトには判断が難しい。モルヴィラより強い男の鍛錬は勘弁してほしいとあたふたしながら、リュウトはどうにか百台の魔力推進装置付き携帯式簡易移動機の納品を二ヶ月という期日でまとめあげたのだった。




