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詠唱試験

 午前の記述試験が終了し軍食堂の開放が告げらると、受験者たちは一斉に立ち上がり食堂へと移動を始めた。その人の波の中には、半ば茫然自失といった体でふらふらとついていく龍翔の姿があった。


 魔法陣の記述試験は龍翔には馴染みのない――を通り越して常識的にあり得ないものだった。それ以前に外資系企業の中途採用試験が成人能力検査とやらにすり替わっている理由も全く以って不明だった。

 妙な現実感さえなければ、長い長い夢を見ているのだと、龍翔としては正直思い込みたいところだ。


 記述魔法の試験は一貫した理論体系に則っていた。それは夢の中で龍翔自身の脳味噌から捻り出したものにしては、あまりに論理的な整合性が取れていた。基礎となる知識がどこから湧いて出てくるのかという疑問を別にすれば、問題自体の難易度はともかく、龍翔自身の力で思考し解答を導き出すことは決して不可能ではなかった。

 なにより夢にしては不自然に長過ぎた。悪夢のように意味不明の難問にひたすら呻吟することもなく、天才的に解答したつもりが知らぬ間に場面転換して別の苦難に直面しているといった理不尽もなかった。

 魔法の試験という常識破りさえなければ、これは現実であると龍翔はもっと容易く受け容れていただろう。それでも周囲の人々の奇妙な髪色や時代遅れな服装という卑近な例を引けば、ここが龍翔の世界――現代日本とは似ても似つかない世界なのは明らかだった。


 軍食堂は龍翔の想像以上に巨大だった。携帯電話の出荷前テストに派遣された工場の食堂よりも広い。人によっては学食に比定するところだが、龍翔には大学生活の経験はない。

 食堂は列の先のカウンターで注文してその場で金を払い食事を受け取る形式だった。見える範囲にはメニューは見当たらなかったが、それ以前に自分が金を持っているのか不安になった龍翔は、片手で肩から提げた鞄の中を探った。

 鞄の中からは財布と一緒に昼食らしき紙包みが入っていて、財布の中の小銭は昼食代ではなく夕食代であるという誰かの(・・・)記憶が龍翔の中に蘇った。


 弁当の包みを握り締め考え込む龍翔に、列の後ろから「立ち止まるな」と不機嫌そうな声が浴びせられた。


 食事を買い終えた側の流れには、その様子をじっと見詰める小柄な少年の姿があった。何度も背伸びをして覗き込んでいた少年は、龍翔の姿を確認すると大きく破顔した。


「おい、リュウトじゃないか!」


 自分の(・・・)名を呼ばれたことに龍翔は大いに驚き、声の主を求めて辺りを見回す。その目に映ったのは青銅色の巻き毛の童顔の少年だった。まるで見憶えのない顔だ。

 少年は列に並ぶ受験者たちにぶつかっては文句を言われながらも、龍翔のほうへと迷いのない足取りで向かってきた。


「えっと……誰?」

「おいおい、他人のフリすんなよ」


 龍翔が眉を顰めて首を傾げると、少年はわざとらしく肩をがっくりと落としてみせた。悪友同士が巫山戯合うようなその仕草に、龍翔の中の誰かの(・・・)記憶が刺激された。


「……ディルガ?」

「なんだよ、十年ぶりの再会みたいな顔して。昨日も学校で会ったじゃないか」


 龍翔がディルガと認識した少年は、くるりと背を向けて壁際に置かれた機械を操作し始めた。ごてごてとした金属の装飾が施された旧式の給茶機だ。茶碗も使い捨てではなく陶製の器だ。

 白地の茶碗に注がれた茶は、紅茶と烏龍茶の中間のような色合いで、風変わりな香りがした。龍翔が羨ましそうに茶碗を見詰めると、ディルガは食事を購入せずとも茶は無料で飲めると告げる。

 早速真似をして飴色の半透明の石を嵌め込んだ金属ボタンを押すと、旧式だからか龍翔の指先は不自然にビリリと痺れた。


 食堂は混み合っていたが、二人は入り口からいちばん離れた奥の窓際近くに空席を見つけて向かい合わせに座った。


「で、どうだった?」

「どうって……」


 ディルガが午前の試験のことを訊いているのは明らかだったが、龍翔はどう答えたものかと迷った。それなりの手応えはあったのだが、それは問題が解けたことを喜ぶ龍翔自身の感想なのか、客観的に出来が良かったといえるレベルなのか判断がつかないのだ。

 それに目の前に座る童顔の少年ディルガとの関係性も、いまひとつ定かではなかった。幼年学校の同級生という認識はあるのだが、付き合いが長いだけの単なる知り合いなのか、包み隠さず何でも話せるような親友なのかわからない。


 ディルガにリュウトと呼びかけられたことも龍翔に迷いを生じさせる一因だった。耳で捉えた響きは龍翔(・・)とは若干発音が違ったが、カタカナ書きすればリュウト(・・・・)としか書きようがない。

 ディルガが龍翔(・・)を知っていて、この国の言語風の発音で呼びかけたという可能性は薄い。龍翔自身がディルガを同級生と認識しているし、ディルガの幼馴染であるリュウトなる人物が存在するはずだ。

 ならば龍翔がリュウトに生まれ変わった、いや入れ替わったのだろうか?


「一応、解答欄は埋めたけど……」

「リュウトは頭いいから羨ましいよな。俺なんて半分もできたかどうか」

「……」


 返答に窮した龍翔は肩を竦め、手に持ったサンドウィッチにかぶりついた。

 持参したサンドウィッチは手作りで、茶色い穀物の粒入りのパンに具はかちかちに固いチーズだった。青カビ臭いのよりはましだが、どちらも龍翔は苦手だ。ところが龍翔の舌はそれを美味いと感じていた。


「ディルガの食ってるそれは何?」

「羊の窯焼き。毎週翠の日の献立は羊なんだと」

「翠の日?」

「今日は十日だよ」


 龍翔の鈍い反応にディルガが怪訝そうな顔をしたので、龍翔は曜日別の献立に話題を逸らした。二つ上の兄から仕入れた情報をディルガが嬉々として語り倒す間に、龍翔は曜日や月に関する知識を己の中に探し求めた。一週間は六日、曜日には色の名前がついていて、一ヶ月は五週間つまり三十日で固定らしかった。綺麗に割り切れるので、毎月十日は翠の日で固定であった。


「あ〜あ、詠唱試験、合格したいなあ」


 ディルガはフォークで皿の上の肉を追いかけ回しながら、大袈裟に嘆息した。羊肉は食べたことのない龍翔だったが、パサパサのサンドイッチよりは余程美味そうに見える。しかも軍人と違って受験生は有料だとはいえ、一般の店よりも遥かに安い割引価格だったと聞いて、なおさら龍翔は損をした気分になった。


「俺の体格じゃ……あと二、三年しないと一般徴兵の訓練についてくのは無理だからな。最悪、魔力樽で我慢するつもりだよ」

「魔力樽……?」

「詠唱魔法部門に記述魔法部門、魔法軍で有名なのはこの二つだけど、兄貴の話だと魔力支援部門ってのもあるんだってさ。詠唱士にも魔法陣設計士にもなり損ねたら、そこで拾ってくれるらしいんだ。ただし待遇は通常軍並みって話」


 たしかに詠唱魔法部門は軍の花形であり、記述魔法部門は最高頭脳の集まりという認識が、龍翔の記憶にもあった。だが魔法支援部門の名称に聞き憶えはあるものの、落ち零れの救済部門とは知らなかった。というより龍翔が自分の中の誰か――リュウトから見出した知識では、魔法軍の試験に落ちたら即通常軍で兵役を務めることになるはずだ。


「魔法軍の兵役は三年だからな。最初から下士官待遇の詠唱士や設計士ならいいけど、給料が安いなら兵役が一年の通常軍に切り替えるほうが得じゃないか」


 要は通常軍に切り替えるのが一般的、圧倒的多数なため、魔法軍に存在するもうひとつの部門についてはあまり知られていないというのがディルガの説明だった。

 成長が遅く未だ子どもの体格であるディルガは、通常軍の訓練は無理だと冷静に判断し、安い給料で長期間の魔法樽を選択することも已む無しとしたのだ。


「リュウトは、もし駄目だったらどうするんだ?」

「……まあ詠唱試験もこれからだし、終わってから考えるよ」


 龍翔の言葉は、詠唱試験に合格する自信があると仄めかしているわけではなかった。龍翔としては単にリュウトの置かれている状況を理解しきれず、曖昧な返しになったに過ぎない。

 ただ龍翔(・・)を基準にすれば普通の軍隊の訓練についていけるとは到底思えないし、先行きが不透明なら三年間の身分保障のある魔法軍のほうが得だと漠然と考えたのであった。


               ○◎●○◎●


 午後からの詠唱試験は個別に別室に呼び出されての試験だった。数百人からの受験者がいるのだから、当然、別室は複数用意されている。試験が終了後は順次帰宅が許されていたので、後ろのほうの座席の龍翔に順番が回ってくる頃には、会場の中の人数は半分ほどに減っていた。


 灰緑色の軍服の兵士に案内された別室は狭苦しく、面接用というよりまるで取調室だった。試験官は灰青色の士官服に階級章が三本線の男性で、明るい色の髪は金髪や銀髪ではなく白髪のようである。


「リュウト・オルディスだね? 詠唱士の家系ではないか……ふむ、母方の姓か。では君のお父上の姓は何というのかね?」


 自分の姓がオルディスであることすら、名前を読み上げられるまで龍翔は失念していた。ディルガに会ったときのように記憶を探ってみれば、たしかにそのような名前であったと得心する。だが父方の姓についての記憶は、何も浮かばない。仕方なく龍翔は「存じません」と当たり障りのない答えを返した。


「すまないね、家庭の事情を詮索しようというわけではないのだよ。ただ、詠唱能力は遺伝に左右されないはずなのだが、近頃は詠唱士の血筋からしか新人が誕生しないものでね。何か別の要因があるのではないかと調べておってな、ついつい家系が気になってしまうのだよ」


 そういって微笑む試験官の物腰は軍人とは思えぬほど柔らかだった。その温和な瞳の中に狂科学者(マッドサイエンティスト)的な熱情をふと見出してしまった龍翔は思わず警戒心を強めたが、試験官がそれ以上に自らの学究的探究心について語ることはなく、試験は淡々と進められた。


「では、こちらの問題用紙に目を通しなさい――」


 受け取った紙に書かれた文字は、午前の記述魔法の問題文や魔法陣の図柄とも違って、龍翔にとってはまたもや初見のものだった。またかとうんざりしたが、悩んだり戸惑ったりする暇もなく龍翔の中のリュウトの知識がすらすらと内容を読み解いていく。リュウトが特別なわけではなく、この国の義務教育で当たり前に習う知識のようだ。

 問題文に書かれているのは、古語の詠唱呪文だった。それも魔法で火を灯す呪文のようで、そういえば机の上には燭台が置かれていた。


「この呪文を詠唱して魔法を発動させなさい――」


 義務教育で習うのはあくまでも古語の読み方であり、発動させるには特別な語句が必要なはずだった。そんな語句はリュウトの知識の中には存在しない。無茶を言わないでくれ、という抗議の言葉を呑み込み、龍翔はリュウトの知識に従い書かれた呪文を読み上げた。


『我は求めん、熱き炎よ光となりて――』


 詠唱を始めるとすぐに、龍翔は熱の塊のようなものが身体の中で蠢くのを感じた。その塊がやがて背骨や太い血管に沿って動き出し、頭の天辺や手足の指先などの身体の末端にビリビリとした刺激が走る。

 龍翔の目の前の空間には、幻のように青白い魔法陣が浮かび上がった。それを見た試験官は「おっ!?」と嬉しそうな表情になったが、魔法陣が光ったのはほんの数瞬ですぐに消えてしまった。

 その後は、暗記したままに龍翔が詠唱を繰り返しても、魔法陣が再び顕現することはなく火が灯ることもなかった。


「……ふむ、結構。退出して外の係官の指示に従いなさい」


 明らかに試験官は「惜しい」とか「残念」とか口にしようとしていた。だがその「残念」の意が、試験の合否についてなのか、それとも試験官の個人的な関心事についてなのかまでは、龍翔にはわからなかった。

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