見習い供給士
夏の中の月の十五日は黄の日である。夏の季の新兵が予備訓練を終えて見習いとして配属されて、既に三週目も半ばを過ぎた。
記述魔法部門の演習場では、魔力推進装置付き携帯式簡易移動機の試験が、連日行われていた。木剣を使った空中模擬戦を繰り広げているのは魔法支援部門技術補助部隊、いわゆる記述魔法部門付きの供給士たちである。二手に分かれて片方は黒い布を、もう片方は白い布を頭に巻いている。赤毛だの緑髪だの彩り豊かなだけに、無彩色の布地のほうが見分けがつき易い。
黒い布の組を率いるチェデスコ供給士は、試作機が完成して間もない頃から試乗に参加しているだけに、その動きは滑らかで淀みがない。だが白の組を率いる供給士の動きはチェデスコをさらに上回る。中肉中背程度の体格だが、左右のみならず上下にも自在に動いて敵である黒組を翻弄し、身長差をものともしない高所からの打ち込みを得意とする。無駄のないその動きは、板の上での僅かな体重移動だけで敵の攻撃を軽く躱す。重心を後ろに大きく傾け急旋回して方向転換すると、白い鉢巻に被さっていた濃紺の髪の房が跳ねて群青色の瞳が覗く。少年の面影が残る色白の顔は、リュウト・オルディスだ。
「随分と慣れてきたみたいじゃないか」
「う……ん、まあ、そうですね」
チェデスコの言葉は試作機の取り扱いに対するものではない。乗り方だけならスケボー経験のあるリュウトのほうが遥かに巧いのだ。それよりは供給士としての仕事や立場に馴染んできたという意味合いだ。
リュウトの中途半端な敬語も礼を失しているわけではなく、供給士同士の間では普通のことだ。供給士にとって上下関係は詠唱士や設計士に対してのみ成立する。
なんとも煮え切らないリュウトの口調は、チェデスコの心配する通り、彼自身の立場に対する嘆きの表れだ。一ヶ月の予備訓練の間、詠唱士になると信じて過ごしてきただけに、供給士に配属されたリュウトは戸惑っていた。優秀だというのが思い込みや錯覚であったのならまだ諦めもついたであろう。教育課長でもあるラララルウナがこっそりと教えてくれたところによれば、リュウトの記述試験の成績は四十八名中十七位と記述魔法部門の合格圏内だった上に、記述魔法部門では両手を上げて歓迎の意を示していたというのだ。ところが魔法支援部門長と人事課長の強硬な反対にあったそうで、ラララルウナには「吾の力が及ばず、本当にすまなんだ」と謝られた。却下の理由がわからないことには、リュウトとしてもどこに怒りをぶつけていいものかわからない。
「魔力推進装置付携帯式簡易移動機って名前、長すぎるよな」
「魔力滑空板なんてどうだ?」
「あ、俺は魔力板って呼んでる」
「それ、わかりやすくていいな。魔力板か」
地面に降りてきた供給士たちは、実験対象の呼び名の話題で盛り上がっていた。リュウトにはスケボーもどきがいちばんしっくりくるのだが、ラウデリア語には上手い具合に置き換えられる単語はない。魔力滑空板なら機能も含めて表しているが、魔力板のほうがなるほど単純でわかりやすい。
それを耳にした下級設計士のアグダが、供給士からの意見のひとつとして紙にしっかりと書き留める。愚直なまでに真面目な仕事ぶりというよりは、名前が長いという意見に彼自身が賛同しているからだ。
「紙に書いてるだけじゃ、どの意見を採用して、どれに対応が済んだか、わからなくなりませんか?」
「まあ、これは俺の覚書のようなものだから。どうせ報告書も修正依頼書も俺がまとめて書かされるからね」
「俺たち魔力樽は無責任に言いたい放題ですからね。自分が鈍いのに魔術具のせいにして不平不満をぶつけちゃう奴もいるから、本当に申し訳ないです」
通称が魔力板になりそうな乗用の魔術具だが、実地試験をする供給士たちが報告する問題は多岐に亘る。その原因も同様で、水平滑空すると転倒するという問題ひとつとっても、それが単に報告した供給士の運動神経の問題なのか、それとも魔法陣の内容が悪いのか、あるいは魔術具の形状や材質が原因なのか、それによって修正担当者も、その作業内容も大きく変わってくる。「転倒する」という報告だけでは解決の糸口すら見つからないのが普通だ。
元の世界で再現手順や問題点を明確にしてバグ票に記入するように求められたときには面倒だとしか思わなかったリュウトだが、一件一行の一覧表だけで管理するのは無理だと痛感している。作業の進捗や修正状況も含めたバグ管理のようなものが必要だと強く思わざるを得ない。
「進捗管理の魔術具みたいなのってないんですかね?」
「どうだろうかな? 研究課に話せば誰か興味を持つかもしれんけど……」
研究課に限らず、工房課も他の部門も、通常軍に比べて人数の少ない魔法軍は常にぎりぎりで仕事を回している状態だ。余計な仕事に手を出している余裕など、そうそうない。
もしも研究課に配属されていたら、せめて設計士になれていたら、自分ならば仕事の合間を縫って管理方法を編み出しただろうに、とリュウトは想像する。だがそうやってたらればばかりの言い訳を考えているうちは、たとえ機会が巡ってきても結局動き出さないものだ――そう達観しているリュウトであった。
○◎●○◎●
「まさかリュウトが俺と同じ魔法樽だなんて思わなかったよなあ」
「僕も父や兄に訊ねてみたのだが、詳しい理由はわからなかった。すまない」
「またその話かよ……もういいよ。それよりもディルガ、久しぶりだな」
「あ、うん。今朝、リュウトが部屋を出た後に帰ってきたんだ」
見習い兵の立場になっても兵舎の部屋割りは変わっていない。リュウトとディルガは同室なのだが、機動補給部隊すなわち詠唱部門付きの供給士となったディルガは泊まりがけの討伐遠征に出かけることも多い。昨晩もその前の晩も魔獣狼退治とやらで帰ってこなかったので、顔を合わせるのは三日ぶりだ。
身体の持ち主であるほうのリュウトとディルガは同室であるだけでなく幼馴染でもある。特に示し合わせたわけでもないが、時間が合えばこうして共に昼食を摂る。そこにヴァルエスも加わって、三人一緒のことが、ここのところ多い。
「ラララルウナはさっきツィレリス補佐官殿に引き摺られて、上級職だけの会食に連れて行かれたよ」
「いいなあ、きっと美味い料理が出るんだろうな。あ、あそこにいるのフィオメリカじゃないか? おおい、フィオ! こっちの席、空いてるよ!」
給茶機の前に佇む躑躅色の髪を見つけたディルガが、破顔して大きく手を振る。茶碗を持ったままフィオメリカは顔だけをのろのろと動かして声の主を探す。長身で姿勢のいいフィオメリカだが、その動きはどこかぎごちなく精彩を欠いている。子犬の尻尾のように千切れんばかりに手を振るディルガを発見したフィオメリカは、力なく微笑み返すと、軽く手を振り返すだけで去っていった。
心配そうにその後ろ姿を見送りつつ、ヴァルエスがふと呟く。
「彼女は少しばかり伸び悩んでいるようだ。弟のため家のためにと必死で努力をしてきて、それなりに己を恃む気持ちもあったんだろうが……」
「出来の悪い馬鹿がてめえの無能を隠すために、有能な女に嫌がらせしてんだよ」
ヴァルエスに反論する声は、自分の分の盆を抱えて新兵たちの後ろに立った工房課長のモルヴィラだった。黄の日の肉は魔蜥蜴、今日の献立は衣揚げだ。立ったままのモルヴィラは手掴みで衣揚げを口に放り込み、瞬く間に咀嚼し嚥下する。
「時間や場所の変更を知らされず、討伐に必須の呪文を教えてもらえない――それって嫌がらせ以外のなにものでもねえだろう?」
「演習の開始時間の変更が伝わらなかったのは、ちょっとした手違いで――」
「あれだけ慎重で真面目な娘が何度も同じ失敗を繰り返すか? まさか本気でそんなこと信じちゃいないだろ、ヴァルエス? いやカッリジョルド家のご子息様」
「それは……」
「ま、嫌がらせしてんのは見習いだけじゃねえしな。カッリジョルドの名前があっても庇いきれないどころか、下手すれば余計にあの娘の立場を悪くする」
苦い顔をしたまま言葉を失うヴァルエス。
「可哀想に思うなら紫の日に食事でも奢ってやれ。模擬戦のときの魔術具選びを手伝ってやった礼にラララルウナに奢ってもらう権利を譲ってやってもいいぞ」
そう言ってにやりと笑うと、モルヴィラは皿の上の残りの魔蜥蜴の衣揚げをひと口に片付けた。
「そうそう、リュウト。お前、ポルパの爺と知り合いなのか?」
「知り合いというか……成人検査の担当試験官だったのと、詠唱部門の予備訓練でちょっと顔を合わせただけですが?」
「ふうん、そうか。いやなに、今度の遺跡発掘調査隊に記述部門付きの供給士を借りたいとポルパから話があってさ、お前を指名してきたんだよ」
「やったじゃん、リュウト。俺もその調査、行くことになってんだ。一緒に遠征なんて予備訓練以来初めてじゃん!」
ディルガは目を輝かせているが、ポルパに対して決して良い印象を持っていないリュウトとしては、何をさせられるのか不安が掻き立てられるばかりであった。




