記述魔法部門:研究課
部屋の中には、カリカリ、サラサラとペンを走らせる音だけがしていた。
場所は旧魔法学院の研究棟、現在は記述魔法部門研究課が使用している建物だ。上級設計士には旧学院の研究者用居室兼実験室が割り当てられているが、中級以下の設計士たちはいくつかある講義用の部屋を共用している。ここは、その中でも特に大人数が入れる会議用の部屋だ。
第八班と第十班は、中級詠唱士のアルヴァジエルの監督下、既存魔法陣の不具合修正依頼の対応実習中だ。未教育の新人には過度な要求のようだが、対応する依頼はアルヴァジエルによって予め選別されている。大半は幼年学校で習う補助魔法陣に関するものだから、魔法軍の試験に合格した訓練兵たちなら問題なくできるはず。主機能魔法陣に関する依頼も含まれているが、書写する際の誤記が原因の依頼のみで、正しい魔法陣と見比べて間違っている箇所を指摘するだけで済むように配慮されている。もちろん必要な資料は、四方を囲む書棚に見つかる。
依頼書は作業机の中央に山積みされている。訓練兵たちは長机に並んで座り、順番に上から一枚ずつ取って調査し回答を書き込んでいく。新兵からの質問や相談を受けるため、アルヴァジエル以外にも設計士たちが詰めている。訓練兵には難しすぎると判断されれば、先輩設計士が引き継ぐ体制はしっかりと整えられている。
この方式で、前週の奇数班や今週前半の二、四、六班の研修は滞りなく行われていた。八班に関しても、特に問題は起きていない。例外は第十班であった。
「降雨の魔法陣を使ったら雪が降ったって文句が来てるんですけど……?」
「おそらく降雪の魔法陣の誤り。奥の棚の本で調べる!」
「えっと……違いがよくわからなくって……」
ひとり目の例外はディルガである。幼年学校の成績も、成人能力検査の成績もあまり良くない彼は、記述魔法全般を苦手としている。魔法陣を二つ並べて見比べるという単純な作業でも、両者の差異が見つけられない。モルヴィラのせいで十班は主機能魔法陣に関する説明を受け損ねているが、彼の場合はそれ以前の問題だ。尤も能力に個人差があることは、指導側にとっては織り込み済みである。
もうひとりはリュウトだった。記述魔法試験の成績は上位で、理解力も対応力も指導側が要求する水準に達している。問題は不具合修正依頼の対応という仕事が、彼の前職――元の世界のテスト要員の仕事に重なる部分が大きいという点だ。
「軍用魔犬の複数召喚と単体召喚で、主機能部分の記述が微妙に違うみたいなんですが、放置していいんですか?」
「召喚される魔獣の数が想定と違うっていうのは、増やせってことですか? 減らせってことですか? 指定できるようにしろってことですか?」
「爆裂の魔術具使用に必要な人数が随行する供給士数と異なるので使いにくい、って正直、意味不明なんですが?」
「実行時に敵に攻撃されないように対抗手段をつけろって、ひとつの魔法陣で二種類の異なる攻撃をしろってことですか? 変じゃありませんか?」
「変更依頼なのか、問題報告なのか、全体に書き方が曖昧でよくわからないんですよね。緊急度とか重要性とかもわかりにくいし……」
他の訓練兵たちが要求されるままに変更を加えるのに対し、リュウトは次から次へと疑問点をアルヴァジエルに投げかける。問題の本質を突いてはいるが、迅速な解決への貢献には程遠い。
訓練兵の中には目を瞠り大きく頷くものもいるが、指導側の多くは苦々しげな、そして苛立たしげな表情が占める。アルヴァジエルの眉間の皺が深まって、眼鏡を押し上げる回数が自然と増えていった。
「埒が明かないんで、直接、話を聴きに行ってきます」
業を煮やしたリュウトが依頼書を手に勝手に部屋を出て行くと、アルヴァジエルが溜息とともに眼鏡を机に置いた。
○◎●○◎●
魔法軍に於ける三つの職種である詠唱士、設計士、供給士の中で、魔法陣の修正依頼を上げてくる数が最も多いのは、当然ながら利用機会が多い供給士だ。
供給士が所属しているのは魔法支援部門だが、支援部門用の魔法陣の修正依頼は実は少ない。教育課であれば訓練用が主のため種類も数も限られているし、後方支援にしても既に安定した使用実績のある魔法陣を運ぶだけであって支援部門自体のための利用は少ないからだ。
詠唱魔法部門と記述魔法部門では、当然、詠唱魔法部門が多い。記述部門の研究課は修正を依頼される側であるし、工房課も実験を重ねながら自ら修正していくことが多いからだ。それに対して詠唱魔法部門では主体である詠唱士自身はほとんど魔法陣を使わず、討伐などで魔法陣を使うのは主に供給士の仕事だ。記述魔法試験の序列は供給士は設計士に劣るし、詠唱士からの無理難題に応えるためには変更依頼を出し続けざるを得ない。
王侯貴族の宮殿と見紛うばかりの詠唱魔法部門棟だが、部門付きの供給士たちが待機する控室は簡素な造りである。元は側仕えや護衛騎士の控えの間であり、質実剛健といえば聞こえはいいが、手狭で殺風景といったほうが実情を表している。
控室に屯している中から、リュウトは依頼を出してきた供給士を探す。ひとり目は濃い緑の髪に金の瞳の、よく見ると意外に二枚目の中年男だった。
「レイガ供給士殿、爆裂の魔術具の件ですが、供給士の数が異なるので使いにくい、って意味がよくわからないんですけど?」
「あ、それね。爆裂の魔術具って四人用なんだけどさ、討伐隊の供給士は通常は五名乃至六名編成なんだよね。四人用だと一人か二人が余ることになって無駄が多いんだよ。だったら五人とか六人で使うようにして威力を増してほしいんだよな」
「うーん……理論的っていうか魔法陣の書式的には可能だと思います。けど実験しないでそのまま増やしちゃって大丈夫なんですかね?」
「知らないよ。それを調べるのは設計士の仕事でしょ?」
「そっか、そうですよ……ね? あ……無駄な記述で魔力を余分に使ってるっぽいんで、整理すれば魔力使用量が多少は減らせるかも? 六人で三人用を二発同時使用とかできるかな?」
「いいじゃないか、じゃ、そうしといてくれよ」
「いや、でも安全性の確認は必要ですから……」
「それを確認するのが設計士の仕事だろ?」
レイガの要求は筋が通っているようで、実は不具合修正の範疇を逸脱している。取り敢えず最低限の情報を得たリュウトは、言質を取られないように返事は濁し、二人目からの聴き取りに移る。
「ナバフ供給士殿、敵からの攻撃への対抗手段をつけろって本気ですか?」
「本気だ」
「それをすると起動中に定期的に敵の様子を確認することになるんで、起動時間が倍以上かかるかもしれませんが、いいですか?」
「駄目だ」
「困ったな……。ナバフ殿の依頼って要は起動時間の短縮が目的で、それが実現できるなら反撃機能はつけなくてもいいですか?」
「え? あ!? ん、まあ、そうかな?」
ナバフは赤紫の派手な色の髪を手櫛で撫でつけるのに夢中で、リュウトの話は碌に聞いていなかった。実は真の依頼者は上司の中級詠唱士であり、ナバフ自身には何をどうすればいいという具体的な考えがあるわけではない。何を質問しても要領を得ないので、リュウトは早々に話を切り上げた。
「イルデン供給士殿、水流の魔術具のせいで討伐に失敗したというのは……どういうことなんでしょう?」
「盗賊団の地下の隠れ家に水を流し込んで飛び出てきたところを叩く予定だったんだがよ、水がちゃんと流れなくて駄目だったんだよ」
「ちゃんと流れないというのは、水量が足りなかったということですか?」
「そうじゃなくてちゃんと流れなかった……ああ、だから魔術具を五つ仕掛けて一斉に流すつもりが、ちゃんと起動しなかったんだよ」
「ええと、ちゃんと起動しないというのは具体的には――」
濃紺の髪に藍色の瞳がリュウトによく似た色合いのイルデンだったが、問題の要点整理能力は共通していなかった。散々に質問の仕方を変えて、漸くのことでリュウトは原因のひとつが魔術具の時間指定方法の煩雑さにあることを突き止めた。
これはイルデン供給士の能力が特別に低いということではなく、供給士全般に共通する問題のようにリュウトには思われた。尤もそれは供給士の試験の点数が総じて低いからというよりも、不具合修正に必要な情報のまとめ方が確立していないからという面が大きい。事実、実戦に於いての供給士たちは斥候任務に就いたり、複雑な作戦に参加することだって少なくないのだ。
元の世界の知識を活かせば、不具合修正の書き方を洗練することができる。そうすれば大幅な業務改善にも繋がるはずだ――リュウトは漸くこの世界に自分の居場所を見出だせたような気がしていた。




