表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/41

中途採用試験

 そのタワービルの上層階にある会議室では、その日、ある試験が行われていた。

 主催しているのは、とある新興国に本社を置く外資系のIT企業で、試験の内容はシニアエンジニア登用試験だ。

 受験する人材は社内、社外を問わず幅広い。社内からはジュニアエンジニアが昇格試験として臨んだり、他部門から職種転換を希望する場合もある。社外に対しては中途採用試験として機能している。

 中途採用組の中には、現在勤務中の派遣社員も一部含まれている。会社全体の業績は好調であっても、四半期に一度の見直しで不採算部門は容赦なく切り捨てられる。日本支社ではIT下請け事業が今期限りで廃止され、その結果整理される派遣社員の中の優秀な人材に対しては救済措置と称してスカウトがかけられたのだ。


 杉村龍翔(りゅうと)も、その試験を派遣社員救済枠で受験している一人であった。ただし彼の場合は優秀な人材としてのスカウトではなく、文字通りの救済措置である。

 派遣元に引き上げた先輩たちは既に新たな派遣先を得ているが、龍翔だけは契約満了までの員数確保の名目で残されている。要は引き取り手がなかったのだ。昨年末の社内クリスマス・パーティーで親しくなった人事担当がエンジニア試験の枠に潜り込ませてくれたお蔭で、首の皮一枚で繋がっているといったところだ。


 龍翔の試験運は悪い。電車遅延や道に迷って遅刻は毎度のこと、試験日を間違えていたり、解答欄を間違えて全問不正解の経験もある。補欠合格のFラン大学を蹴って就職有利なIT専門学校を選べば志望した就職先は大卒以上が採用条件だったりと、望みが叶ったためしがない。どうにかありついた仕事もエンジニアとは名ばかり、与えられる仕事は員数合わせのテスト要員ばかりだ。

 それでも本来なら龍翔のスキルでは近づくこともできない人気企業に派遣されたのは幸運だった。文系科目の成績が壊滅的だから理系を選んだ龍翔に英語力があるはずもないが、営業担当にプログラミング言語で会話すればどうにかなると騙された甲斐があったというものだ。外国人たちの日本語学習意欲のお蔭で言葉で困ることはなく、文化の違う人間の集まりは空気を読めという圧力も低くて居心地は悪くない。今度こそは試験運の悪さを覆して、ここを転職先としたいところである。


 外資系の例に漏れず服装自由だからかスーツ姿は少ない。龍翔の派遣元は派遣先が自由でもスーツ着用が義務だが、すっかり転職するつもりの龍翔は既にビジネス・カジュアルだ。中途採用組が多いからか、さすがにTシャツ、ジーンズ姿は見られない。

 その代わりに奇妙な髪色が目立っている。それもピンクや緑といった人工的な色合いだ。アーティスト風の派手な色だが、髪型は意外に普通の短めの髪が多い。


 試験官もまた個性的で自由な服装だった。背の高い男と小柄な女の二人組で、服装はアニメか何かのコスプレなのだろうか、灰青色のスタイリッシュな軍服風だ。日本人なら完全に痛い格好だが、二人とも外国人のようで淡い金髪風の髪色にも助けられてなかなか様になっている。特に女のほうは革を鞣したような独特の艶のある灰茶色(チャコールグレイ)の肌色も相俟って美人度も高い。


 男のほうが前に立って説明を始めたが、龍翔にはその言葉が日本語ではないように聞こえた。社内公用語は英語でも試験は日本語との案内があっただけに驚いたが、よくよく耳を傾ければ、今日の段取りを説明しているのだとすぐにわかった。外国人なので日本語の発音や抑揚が不自然で聞き取り難かっただけなのだろう。


 試験問題と筆記用具が配布され、試験が始まった。

 以前はPC持ち込み可どころかWebベースでの試験だったが、人数が増えたので不正対策も兼ねて紙ベースになったらしい。IT企業の技術職なら紙とペンなど滅多に使わないから、筆記用具の貸与は決して不自然ではない。


 表紙には紋章(エンブレム)のような紋様が描かれていたが、企業のロゴとは異なっていた。

 用紙を一枚捲って問題文を龍翔が開くと、そこに書かれた文字は日本語ではなかった。英語でも況してやアルファベットですらないことは、いくら英語が壊滅的に苦手な龍翔にも一目瞭然である。

 企業の本国の言語という可能性もまた龍翔はすぐに否定していた。プログラマとしての経験こそほとんど無い龍翔だったが、多言語対応のアプリやウェブサイトのテスト経験は豊富である。読めない、理解できない外国語でも、文字化けや翻訳漏れの有無を確認するのに、文字コード表と見比べさせられたことは何度もある。

 だが問題文を構成する文字列には、ひとつたりとも龍翔が見憶えのある文字は存在しなかった。


 他の受験者たちは、皆、黙々と問題を解いていた。試験会場には、さらさらとペンを走らせる音だけがする。

 誰も文句を言わないどころか戸惑いすら見せないことに、龍翔は自分がいかに勉強不足か思い知らされ、深い溜息を吐いた。それでも諦めようとはせず、龍翔は何度も繰り返して試験問題の文面を目で追い続けた。


 謎文字で書かれた問題文には、奇妙な記号や紋様を配した円が添えられていた。明らかに問題の一部であるその図は、漫画や小説に出てくる魔法陣によく似ている。魔方陣(・・・)ならば専門学校でも解き方を習ったが、魔法陣(・・・)の描き方など教わった憶えはない。難解なプログラミング言語を操る技術者がウィザードだの魔法使いだのと呼ぶことはよくあるが、いくら遊び心に溢れる外資系企業でも、採用試験の問題にそんなお巫山戯を紛れ込ませるような真似はしないだろう。

 仮に出題者の悪戯だったとしても、それはそれで絶対に誰も解けないような問題であるはずはない。どこかに解き方の糸口があるに違いない。


 祈るような気持ちで問題用紙を見つめ続けていた龍翔は、ゆっくりながらも問題文の内容を理解し始めていた。



 設問1:右図の例を参考にして、下記の魔法陣に継続時間制御の補助魔法陣を組み合わせよ


 設問2:下記を時間制御の魔法陣とした場合、複数の魔法陣を下図のように並べたときの継続時間をそれぞれ計算せよ。なお並列魔法陣の減衰率は0.88とする



 設問1の文中には二つの魔法陣が並び、さらにそれらが組み合わせられた図も描かれていた。こちらが例なのだろう。そして問題文の下に、例と似てはいるが異なる種類の魔法陣が二つ描かれている。例を真似て、この二つを一つに合わせればいいということだろう。

 そして設問2では同じ種類の魔法陣が縦に並べられたり、横に繋げられたりしている。その図は龍翔に中学で習った電池の直列つなぎ、並列つなぎを思い出させた。


(……なんだ、簡単じゃないか)


 一旦、理解が及ぶと、頭の中から知識はするすると引き出された。その知識が自分自身の常識とはかけ離れていることには目を瞑り、龍翔はひたすら答えを書き続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ