詠唱魔法部門(3)
ラウデリア国の北東地区は入り組んだ運河と水路の街である。北の泥炭地や北東のレルデルクス国から運ばれてきた魔石炭の集積地だ。南側には国内向けの輸送拠点となる列車の駅もあり、魔力抽出済みの石炭の逆輸出中継地でもある。貿易で栄える街ではあるが、取引されるのが魔力資源のため、華やかな商業地域というわけではない。
街に巡らされた水路は国境東側の砂漠の侵食から国土を守るために魔法によって造られたものだ。古代ア・ネウリドルの詠唱魔法により産み出され、今では遺跡から発見された古代魔法によって維持されている。
夜空の端には仄かな白い線が見え始めていた。
盗賊討伐のための兵は、既に配置についている。内通者から賊の標的だと知らされた倉庫は、物理的な破壊と不定形の魔物や魔術具を使った鍵開けのどちらにも対応できるよう、詠唱魔法と魔術具で厳重な封印が施されている。テオファン中級詠唱士の率いる部隊が隠形の魔法にて身を隠し、盗賊たちを今や遅しと待ち構えている。敷地の外側は灰緑色の軍服の通常兵たちが、詠唱士たちとの挟み撃ちを狙って幾重にも取り巻いている。
リックタ下級詠唱士と共に周辺警戒を命じられた第十班は、盗賊たちの退路となる運河へと通じる道を封鎖をしている。運河沿いの道には人の住む建物が並ぶ。ここは商人と肉体労働者の街、仮住まいの街であり立派な家邸を建てようという意識は薄いのだろう。石造りの頑丈な倉庫とは異なり、いずれも外の音が筒抜けになりそうな薄っぺらな板張りだ。
詠唱魔法という強力な攻撃手段を持つ詠唱士候補二人の装備は銃剣だけの軽装備である。一方、詠唱士でない二人は供給士に準じた格好だ。幼児ほどの大きさの魔力樽を背負い、大盾を抱え、銃剣は背負子に括りつけている。
ヴァルエスにはリュウト、フィオメリカにはディルガがそれぞれ支援担当としてつく。詠唱の間の敵の牽制や魔法の効力を高める補助魔法を展開したりもするが、盾による物理的な防御もまた重要な役割だ。もちろん本物の供給士は全員がリックタ下級詠唱士の担当だ。
夜明け間近の街は無音だ。その無音を破る衝撃音が、突然、倉庫のほうから響いてきた。そして火花と激しい光の点滅が続き、また衝撃音が轟く。
「始まったな……」
供給士のひとりが小さく呟いた。それに答えるようにリックタ下級詠唱士が詠唱を始める。低い声の詠唱はすぐに終わり、傍らの運河に係留された小船が数隻、いきなり真ん中からへし折れる。
船の操縦士と乗組員らしき影が、すぐさま水の中に飛び込むのを供給士たちが追う。水中格闘用の魔術具を持っていたようで、次々と苦もなく捕らえていく。ディルガは「俺、泳げない……」と通常軍への転向を検討し始めた。
「テオファン中級詠唱士殿は、倉庫前で巨大な人型の機械と交戦中――」
「巨大な機械って、やっぱりレルデルクスか?」
「人型だって? すごい技術だな……」
「意思を持って動いているらしいぞ」
通信の魔術具を持った供給士が状況を告げると、皆、一様に驚いた顔をした。魔法技術立国のラウデリアで人型の兵器といえば、召喚魔獣か魔術具の人形兵になる。いずれも最高難度の知識と技術が必要だが、それと同等のことをレルデルクスの科学技術は実現できるのかと衝撃を受けたのだ。ただひとりリュウトだけは元の世界の知識と比較して、本当に可能だろうかと違和感を抱いた。
「機械兵の数が多過ぎて対応は困難を極める。雷撃詠唱は効果が高いが、鹵獲するため使用を控えるとのこと――」
「結界による侵入阻止は成功。敵の退却の妨害には至らず。包囲を突破した個体は周辺警戒担当による対処を請う――」
逐次入り続ける通信の音が消えやらぬうちに、倉庫のほうでひときわ大きな爆発音と怒声が上がる。ひと呼吸置いて、がしゃがしゃと金属が擦れ合うような喧しい音とともに、重量物が移動する地響きが向かってきた。
大火力を擁する詠唱士による討伐を要請しながらも、盗賊の殲滅ではなく捕縛が第一義の目的だという。訓練兵の詠唱士の攻撃力はさほど高くはないが、だからこそ敵の動きを封じるための手加減もまた難しい。相手を殺さずに戦力を削ぎ捕らえねばならないという重圧に、訓練兵たちの間に緊張が走る。
『我は求めん! 玲瓏なる朝の大気を集め敵を押し潰さんことを!』
近づく敵をじっと睨めつけていたリックタ下級詠唱士が詠唱を始める。敵の機械兵の頭上に冷えた空気が湧出した。
詠唱が完了し凝縮した空気の塊が下へ向かい押し潰そうとする。その瞬間、機械兵の背から紫色の光が迸った。と同時に上空の空気が霧散する。
「まさか! 機械が防御魔法を使うのか!?」
「訓練兵、足止めと牽制!」
『我は求めん! いでよ、堅牢なる岩壁!』
『我は求めん! 熱き砂にて融けよ!』
リックタの指示に従い、ヴァルエスとフィオメリカが詠唱する。牽制をのために短めの詠唱魔法を敵の足下に向けて放つ。だが地面を狙ったものはともかく、機械兵自体を狙った魔法は、いずれも紫の光によって跳ね返されていく。
「ああ……今期の道路補修予算が……!!」
直撃を狙っても無意味と悟った詠唱士たちは、魔法の狙いを機械兵の足下へと絞る。リックタの防御役を担う以外の供給士たちもそれに倣い、地面に穴を穿ち敵の体勢を崩すことに集中する。
抉られた道路を見て憐れっぽい悲鳴を上げているのは、階級章の線が多めの通常兵だ。
待ち構える詠唱士たちを突破することに決めたのか、機械兵の足取りに迷いはない。それどころか走りながら抉れた舗装の欠片を器用に掬い取っては、包囲網に向かって投げつけてくる。
リュウトもディルガも、仲間の前に進み出て大盾を構える。人の頭ほどもありそうな大きな瓦礫を盾で受け止めるのは、訓練を受けても実戦経験の不足した彼らにはまだまだ難しい。供給士たちのように上手に受け流せずに、正面から直撃を受けて、何度も尻餅をつきそうになる。
倉庫のほうからは何台もの軍用車両が機械兵を追ってくる。運河沿いに停められていた訓練兵たちの乗ってきた車に向かって、運転役の供給士が慌てて駆けていく。魔法で駄目なら、物理的に大きな力を以って制止しようという算段だ。
軍用車の前後からの照明に機械兵の異形が浮かび上がる。その高さは輸送車よりも高く、人の背丈の優に三倍はあるだろう。背中には黒尽くめの人影がしがみついている。強い光を浴びても、黒覆面のせいで瞳の色も髪の色もわからない。身体の線から明らかに男であることだけが見て取れる。
前方からの軍用車が機械兵の右側面に体当りする。踏み止まろうとするところを、後ろから迫った軍用車が前輪を膝関節の部分へとねじ込む。足が揃った機械兵の上半身が、ぐらりと大きく揺れる。駆け寄った供給士が鈎つきの縄を振り回し、勢い良く引き倒す。
倒れた機械兵にリックタが再び雷撃の詠唱を浴びせるが、またもや紫の火花に弾かれる。すぐさま供給士が場所を入れ替わり、長銃の魔術具を脚部と頭部に向ける。断続的な射撃音がして、機械兵の動きが完全に止まる。
乗っていた男は少し離れた地面へと振り落とされていた。脳震盪でも起こしたのか、頭に手を当て呻き声を上げながらも、まだ諦めずに立ち上がり逃げようと試みている。それに気づいた通常兵が、魔法軍のものとよく似た銃剣で脹脛を突く。低く唸りながら蹲った男の覆面を供給士が剥ぎ取ると、照明の強い光にも負けないほどにきらびやかな銀色の髪が溢れ出た。瞳の色は薄い青緑で、肌の色も明るい。
「ネウリズマ人か!?」
「レルデルクスの手の者じゃなかったのか?」
ラウデリアの兵士たちの間からは、口々に驚きの声が漏れる。リックタ下級詠唱士は、驚きながらもすぐさまに長い長い詠唱を始めた。
『我は求めん! 長き夜闇の帳よ、紡がれし言葉の聖邪を峻別し、悪しき心の発露を妨げよ!』
詠唱を終えたリックタが身振りだけで供給士に指示を与えると、魔術具の拘束具がネウリズマ人らしき囚われ人の腕と足に手際よく着けられていく。男は悔しそうに俯き、唇を噛んでいるようだ。
「ネウリズマ人よ、お前の詠唱は封じたぞ。口は動かせるし喋れる。呪文も唱えられるが発動はしない。魔力の流れも魔術具で止めている。諦めて大人しく背後関係を吐け!」
「下級詠唱士殿、僭越ながら申し上げます。捕らえた盗賊の取り調べは通常軍の管轄であります」
「通常軍で魔法使いの訊問は無理だ。こいつは魔法軍に連行する」
「しかし……」
不毛な主導権争いが続く間、下を向いた男の唇は、ぶつぶつと何かを呟くように動き続けていた。
「……何を無駄なことをやっている?」
『――――解放せよ!!』
ばしっ! と何かが弾け飛ぶような音がして、次の瞬間には、拘束を解かれた銀髪の男が自らの足で地面を踏みしめ立ち上がっていた。
「なっ! なんだと!?」
「ふん、この程度の魔法が解けずにどうする」
男は余裕の表情で自らに詠唱魔法を掛けていった。流れていた血が止まり、引き摺っていた脚が真っ直ぐに伸びる。
そしてラウデリア兵たちに向かって、にやり、と男は嗤う。
『いでよ、傀儡!』
ひと声、詠唱するなり、身を翻して男は水路へと飛び込んだ。
運河沿いの建物の隙間から、一条の朝日が運河へと射し込んでいる。その光に導かれるように浮かび上がった機械兵の背に飛び乗り、男は悠然と去っていった。




