詠唱魔法部門(2)
詠唱魔法の訓練は次第に強力な魔法へと進んでいった。
尤もそれは詠唱士候補が対象であって、それ以外の新兵たちは供給士と同じ内容の訓練を始めていた。
詠唱士の訓練に於ける供給士たちの動きは見事なものであったが、意外なことに補助や連携には明確な方法が規定されているわけではなかった。詠唱士ごとに得意な魔法や闘い方に差があるため、対応方法もそれに合わせて臨機応変にしなければならないからというのがその理由である。詠唱士も供給士も、闘い方は個人の熟練に依存しているということだ。
それが供給士の知力の問題なのか、仕事量の多さ故なのか、はたまた単純化、明確化を図ろうとしない詠唱部門や魔法軍全般の問題なのかは、新兵たちに判断できることではなかった。
訓練は演習場での模擬討伐に留まらず、実際の討伐へ同行することもあった。例えば魔犬狩りなどだ。通常なら三ヶ月の初期訓練を終えた見習い詠唱士の出動だが、現時点では新兵の予備訓練のために臨時の編成となっている。過剰戦力ともいえる下級詠唱士が新兵に直接現場で指導することができるのだ。
第十班が街中での魔犬狩りを命じられたときは、指導担当の下級詠唱士であるリックタと正規の供給士たちで群れの大半を倒し、取り零しの始末をフィオメリカとヴァルエスが命じられた。
「デュラレネル訓練兵、空気衝撃の詠唱を」
『我は求めん! 風の力よ集まりて敵を穿て!』
緊張の面持ちで、早口になりながら詠唱するフィオメリカ。放たれた空気の塊は、魔犬を一瞬怯ませたものの、動きを止めるには至らない。
苛ついたリックタが、次の命令を下す。
「やはり女には無理か……。カッリ……ヴァルエス訓練兵、業火にて滅せよ!」
『我は求めん! 地獄の業火がすべての災厄を焼き払わんことを!!』
ヴァルエスが手を振り上げると、背よりも高く伸びた炎が一気に魔犬を呑み込み燃やし尽くした。
「絶対、フィオにだけ弱い魔法を使うように指示したよね?」
「そりゃ上司の息子に花を持たせるのは当たり前だろう」
ディルガとリュウトの小声のやり取りが屈辱に唇を噛むフィオメリカに届くことはなかった。
○◎●○◎●
黄の日の夕方。いつもなら訓練を終えて夕食を摂りに食堂へと向かう頃に、その連絡は入った。
「通常軍からの依頼だ。北東地区の魔力資源倉庫に魔獣を使う盗賊団が出没しているそうだ。テオファン中級詠唱士の班は即刻向かいなさい」
「ジュガル課長殿、現在は新兵の予備訓練に対応した班編成のため、戦力が通常時より二割ほど減じています。できれば下級詠唱士の応援をつけていただきたいのですが」
「では……リックタ下級詠唱士、テオファン中級詠唱士の指示に従いなさい」
北東の魔力資源倉庫は、北部泥炭地やレルデルクス産出の魔石炭が運び込まれる中継基地のような場所だ。そこに一旦、荷降ろしした後、軍用・民生用と分けられ、国内の各地へと輸送される。軍用に分けられたうちの大部分は、当然、独立第一魔法師団が最終の行く先だ。
「十班の諸君は急ぎ夕食を済ませ、討伐準備を整えて車両基地前に集合せよ。装備は供給士たちに訊ねよ」
ジュガルの指示に従い、十班の四名は食事を終え装備を整えて車両基地に集まる。そこで彼らを待っていたのは、魔法軍の紋章の入った二台の輸送車だった。
やや小さめの一台にはテオファンとその配下の見習い詠唱士、そしてリックタが乗り込む。外目にはわからないが、中は仮眠を取りながらの長時間移動に備えて、大きめに設えた座席に枕や上掛けまでが用意されている。
もう一台は供給士八名と訓練兵である十班の四名だ。荷台には魔力樽の蔑称の元になった移動式魔力貯蔵樽に加えて、数々の戦闘用魔術具の類が積み込まれている。供給士と訓練兵は、それらの荷物を積んだ余りの空間に、押し込められるようにして乗る。
どちらの車の運転も、供給士が交替で担当する。
「到着は夜明け前だから、今のうちにしっかり休んだほうがいいぞ」
「レルデルクスが関係してんのかね?」
「さあな? 魔獣も出たって話だから違うんじゃないか?」
「そういや訓練兵は人間相手は初めてか? 覚悟しとけよ」
同行する供給士たちの年齢層はばらばらで、訓練兵とさして変わらぬ者もいれば、三十歳過ぎの者もいる。別の車に乗った詠唱士たちが裾が長く装飾の多い士官服を着用したままなのに対し、彼らは全員が戦闘用の軍服だ。一段低い扱いをされているとはいえ、魔法軍の兵であることに変わりはなく、軍服の色は当然ながら灰青色だ。
荷台の中は外の灯りが時折漏れ入るだけの薄暗がりで、ラウデリア人特有の色とりどりの鮮やかな髪色さえも闇に溶け込んで区別がつかない。
「俺たちは見習いが取れても士官じゃないからな」
「通常軍に転向するのと、魔力樽で詠唱士に扱き使われるのと、どっちがきついですか?」
小柄な体躯が悩みで、通常軍入りを避けたがっていたディルガは、ここぞとばかりに供給士たちにあれこれと質問を投げかける。対する供給士たちも、幼さの残るディルガが相手だからか、少々失礼な質問にも怒ることなく気安く答える。
「そういやお前ら、パディヴァヌス上級詠唱士殿と同じ班なんだって?」
「小娘だが詠唱士としては凄腕だし、見てくれもいいんだが……」
「性格も悪いわけじゃないんだが……苦労するだろう?」
「俺たちはそうでもないけど、初めて会ったときフィオが、ね?」
「あ、ああ、そうだな。その……私は軍人となる覚悟が足りないと叱られた……」
口ごもりながらもフィオメリカが浴場での全裸のラララルウナとの出会いについて語ると、荷台の中は爆笑に包まれた。
「ラララルウナは単独行しかしないと言ってましたが……?」
「俺はあの娘が魔法軍に入ったばかりの頃に、小屍竜の討伐についていったことがある。あんときゃ、もうすぐ十四歳って言ってたっけ。なのに誰よりも強力な、筆頭詠唱士殿にも匹敵しそうな凄い魔法でよ。守ってやんなきゃなんねえ歳頃の小娘のくせして、銃も剣も一丁前に使いこなすわ、俺らも扱き使うわ、大したもんだったわ」
「そのせいでジュガルの野郎に睨まれちまって。他の詠唱士や供給士を危険に晒すことになるからって、以後、常に単独行を命じられるようになったんだよ」
「要するに嫉妬だろ。知ってるか? ジュガルの詠唱魔法の実力は下級以下って話だ。元侯爵の家柄のお蔭で課長に決まって、お情けで上級に昇級させてもらったらしいぞ」
「家格は元公爵のパディヴァヌ家のほうが上だ。あのままラララルウナのお嬢ちゃんが詠唱部門に残っていたら、遠からず課長になってただろうな」
意外にもラララルウナと供給士たちと親しく交流していたようだった。単独行ばかりだと言っていた割に、戦地での野営や風呂の実態を知っていたのも納得というものである。
その一方で、詠唱士との関係はあまり良好とはいえないようだ。ドマシュの苦言はともかく、ジュガルは明らかに敵意を抱いているようだし、副官であるツィレリスも敵対はしていないかもしれないが監視役のような立場ではなかろうかと新兵たちは心配する。
「工房の連中とは仲がいいんじゃないか? しょっちゅう試作品を使ってるだろう?」
「ああ、なんか宙に浮く板っ切れみたいなのに乗ってたな」
工房のモルヴィラとの交友を思い出すリュウトたち。宙に浮く板というのは、彼らがモルヴィラを訪ねたときに実験していた|魔力推進装置付き携帯式簡易移動機のことだろう。随分と以前からその開発は行われていたようだ。
供給士と訓練兵が話が興じる間にも、輸送車は着々と進んでいく。
ガタガタと音を立てながら角を曲がる拍子に大きく揺れて、運転台の近くに座っていたフィオメリカの整った顔と躑躅色の髪が月明かりの中に浮かんだ。
「そういやあ、お前さんの顔、どっかで見たことがあるな」
「おいおい、安っぽい口説き方すんなよ」
言い出した供給士は「そんなんじゃねえよ」とむっとしつつ、フィオメリカに名を問うた。
「フィオメリカ。フィオメリカ・デュラレネルです」
「デュラレネル……? 見習い詠唱士にデュラレネルっていなかったか?」
「弟が……半年ほど前まで弟のリーヴィデが詠唱魔法部門におりました」
「ああ、あの……」
車内に気不味い空気が満ちた。供給士の間でもフィオメリカの弟の退役については知られているようである。
「お嬢ちゃんの身代わりとかいう噂の奴だろ?」
「しっ!」
「身代わり……とは?」
供給士たちは俯き、言葉を濁す。だがフィオメリカは諦めずに食い下がり、問い質した。
「あの日、本来ならパディヴァヌ上級詠唱士殿が出るはずだったんだよ」
「ああ。でもジュガルがあれこれ難癖つけて……」
「つまり本当なら怪我をしてたのはフィオの弟じゃなくってラララルウナだったってこと?」
無遠慮なディルガの問いに、供給士たちは互いに顔を見合わせ戸惑っている。単にラララルウナが強運で、リーヴィデが凶運に見舞われたという話ではないようだ。そう見て取ったリュウトは、さらに身も蓋もない言葉を思い切って口にした。
「ラララルウナを狙った罠に、間違ってフィオの弟が掛かっちゃったってことだったりして?」
「まさか……!?」
その問い掛けに答えられる者は、彼らの中にはいなかった。




