紫の休日:工房
第十班がラララルウナに連れて来られたのは、軍の施設の中、記述魔法部門の演習場の近くであった。毎日の持久走の際には通ることのない、裏手の寂れた場所だ。演習場のような広さはないが、金網に囲われた小さな公園ほどの空き地だ。
そこには作業服の十人ほどが集まり、なにやら珍妙な道具の実験をしていた。武器や兵器の類ではなく乗り物らしく、先を尖らせた板状の魔術具に人が乗ってふらふらと動いている。
リュウトが魔術具のスケボーだと心の裡で喜んでいると、突然、そのスケボーもどきの速度が上がって金網のほうへと突進してきた。
「馬鹿野郎っ!」
罵声とともに走り込んできた真っ赤な作業服が、暴走する魔術具を蹴り飛ばす。板は木の葉のように宙を舞い、乗っていた人物は地面に転げ落ちると同時に平身低頭していた。
「魔力量に気をつけろって言っただろうがっ!!」
「すっ、すいません!」
蹴り上げた人物は作業服だけでなく、髪もまた燃えるような赤髪であった。失敗した作業員を乱暴な口調で叱りながらも、落ちてきた板を膝で軽く受け止め、そっと丁寧に地面に置く。人間よりも魔術具に対する扱いのほうが、はるかに丁寧だ。
長身で後ろから見ても明らかな見事な筋肉にその暴虐ぶりを想像したリュウトたちは、その場で二の足を踏む。ディルガなど少女のようにリュウトの袖口を引っ張り、回れ右をして帰りたそうだ。ラララルウナだけは、まるで気にした様子もなく扉を開けて、親しげに挨拶をする。
「モルヴィラ、ちょっと邪魔して良いかのう?」
「おお、ラララルウナか、珍しいな。教育課長とやらになって暇になったか?」
「あれ? モルヴィラって聞いたことあるような……?」
〝魔猫のめし処〟を気に入っているとして話題に上った人物だ。そしてなにより彼らを驚かしたのは、ラララルウナの呼びかけに振り向いたモルヴィラの性別であった。作業服を諸肌脱ぎした上半身を包む真紅の襯衣の胸は異様なほどに盛り上がる一方、腰はぐっと引き締まり、さらにその下の尻と併せた見事な曲線は紛う方なき女性のものである。しかし肩や背中、そして脚についた立派な筋肉は、飛び抜けた長身も相俟って軍の猛者連中にも見劣りしない。それどころか縺れた赤髪も、凶暴な光を帯びた金茶の瞳も、そして酒焼けした掠れ声も、彼女の雄々しさを弥増すばかりだ。
「新兵の班別対抗戦があるのでのう、工房課長の其方に相談があるのじゃ」
「お安い御用だ。何が知りたい? 何が欲しい? この魔力推進装置付き携帯式簡易移動機なんて便利だぞ?」
「いえ、僕らはまだ魔法もまともに使えない新兵ですから、工房課長のお手を煩わすつもりは……」
「気にするな。ここにいる連中は、軍人じゃないんでな。手伝わせるわけにはいかないんだよ」
「俺は一応軍人ですよー? でも忙しいんで、お客様の相手は課長にお願いしますね」
魔力推進装置付き携帯式簡易移動機の記録を取っていた兵士が、当然のような顔で上司に仕事を押しつける。彼もまた軍服とは異なる形の作業服姿だ。
モルヴィラは女豪傑といった風貌に似合わぬ優しげな顔で、忙しく立ち働く作業服たちを見遣った。
「ここに居るのは、皆、民間工房の職人連中さ。魔法軍の兵役を終えた後、優秀だった奴らをあたしが押し込んだんだ。しかし民間工房じゃ実験場も演習場も不十分でね、軍の施設の隅っこを貸してやってるのさ。ウチの上の連中も、まったくケチなんだよ。魔術兵器生産の大半を委託してるんだから、もうちっと融通を利かせろってんだよな。お蔭でこいつら、毎週休日出勤さ」
「では、やはり工房課へ伺ったほうが良かったのではありませんか?」
「軍人といっても勤務時間は市役所並みさ。紫の日は工房課は空っぽだ」
「まあ、俺は民間企業並みに休日出勤してますけどねえ。ま、どっちにしろ机にへばりついてるだけの連中に相談したって、大した答えは返って来ませんよ」
「その通りじゃ。書類仕事はきっちりしておるから、貸し出し手続きだけなら手早いだろうがのう」
課長の肩書を持つ二人に加えて、先輩兵士にも勧められ、第十班も漸くこの場で魔術具選びをする意思を固める。するとなぜか、実験に忙しいはずの民間工房の職人たちまでもが、少し離れた場所からこっそりと興味深げに彼らの話に耳を傾け始めた。
「で、何が欲しい?」
「それは……魔術具には詳しくないので、どんな物があるか説明していただけるとありがたいのですが」
「対抗戦では三種類の魔獣を討伐します。一種類は必ず群れをなす魔獣がいて、大型や討伐難易度が高い魔獣は出てきません。軍管理の召喚魔獣ですから種類もある程度は限られるかと」
「うーん、それだけじゃ漠然としすぎだなあ」
生真面目なヴァルエスとフィオメリカが交互に説明するが、モルヴィラは渋い顔をして答えようとしない。それも尤もだとばかりにリュウトは元の世界の知識から思いついた考えを気軽に口にする。
「連射銃は? 銃弾を間断なく撃ち続けられたら便利だし、攻撃力も上がるんじゃないか?」
「流す魔力の量を調整すれば、速射は可能だろう?」
「速射じゃせいぜいタンタンタンタンって程度だろ? 連射ってのはそうだな、ダダダダダッて感じだ」
「無茶を言うなよ、リュウト……」
「連射銃ならあるぞ。アグダ、見せてやれ!」
モルヴィラが呼びつけると、休日出勤中だと言っていた工房課員が銃を手にして現れた。新兵が使う銃剣よりも一・五倍ほど長く、筒の径もやや太めだ。別の作業員が用意したひと塊の藁苞の上半分を、薙ぎ払うように掃射する。
「凄い……。藁苞十本以上、まとめて吹き飛ばしちまった。これなら――」
「駄目だ……銃器は指定されている。支給されている制式銃剣しか使えない」
「残念だったな。まあ、どっちにしろこの連射銃は、下級以上の詠唱士か中級以上の魔力供給士向けの装備だから、お前ら新人には使いこなせねえな」
「だったら制式銃を改造してってのはどうだ?」
「……それも駄目だな。正式な記述魔法の習得前だから、魔法陣の自作も改良も禁じられている。工房に直接作業を依頼するのも不可だ」
目に見えて意気が下がる新兵たちに対して、見物の民間工房の作業員のひとりが我慢しきれないといった様子で立ち上がる。
「速射速度を上げたいなら、魔力量を増やせばいいってだけの話だろう?」
試験用に工房が所有する制式銃を持ち出し、半分に千切れた藁苞へと向ける。暫し祈るように頭を垂れてから、きっと顔を上げて銃剣の引き金へと手を触れる。
タッタッタタタダダダダッ!
撃ち始めの左のほうの藁苞に向かって飛んだ弾は数発だけだが、右へと銃口が移動するに連れて弾数が次第に増え、最後の三本は完全に先端部分が千切れ落ちた。
おお、というどよめきが走り、バラバラと拍手の音がする。
「この部分の補助魔法陣が魔力の供給量を制限してるから、その部分だけ起動しないように避けるんだ。で、一気に魔力を流し込めば、な」
「すごいな、俺にもできるかな? やらして、やらして!」
好奇心旺盛なディルガが、自分の銃剣を手に、やり方の説明を受ける。すぐさま要領を呑み込んで真似をするが、連射の弾数は手本の三分の一にも満たなかった。
「うわぁ、あっという間に息切れってか魔力切れしちゃうよ……。よくあんなにいっぱい撃てますねぇ」
「俺は魔力保持量が多いのが自慢でね。軍では設計士だったんだけど、魔力が多いからってんで魔力樽に移籍させられたのさ。民間では設計士に戻れたし、魔力が多い分、人より実験もたくさんできて得してる」
「つまり連射は技術的には可能だが、魔力量的に私たちには無理ということだろうか? 少なくとも私は連射に耐えられる自信がないのだが……」
「僕もたぶん無理だろう。ラララルウナならどうだ?」
「吾は魔力量はそれなりに多いほうじゃが、そちらの御仁には負けるのう。だが魔力量が足りないだけなら、ほれ、補う方法があるじゃろう?」
「だが一度の射撃で魔石を使い切るようだと意味がないな。それにディルガのそれ、銃身が熱くなってないか?」
リュウトの指摘にディルガが銃身部分に触れて「熱っ!」と手を振る。真似をして手を伸ばしたフィオメリカも、驚いた顔をしてすぐに手を引っ込めた。
「限度を超えると熱で壊れる可能性もある。それに銃弾は銃身から生成されているから、材料が足りなくなる可能性もある」
「ただでさえ魔力量の使い過ぎなのに、これ以上、連射に回したら他の攻撃が一切できなくなる。僕は連射を用いるのは反対だ」
「そうじゃのう。魔術具の持ち込み数に制限は設けていないが、全員の保持魔力量に魔石分を加えたのが事実上の最大限じゃ。作戦はそれを考慮せねばならんのう」
「別に俺は自分の意見が採用されないからって不機嫌にはならねえよ」
憐れむような、気遣うような視線を向けられ、少しばかりむっとするリュウトであった。
五人で工房課と民間工房が演習場に持ち込んでいる、数々の魔術具を物色して歩く。実験場としてだけではなく物置としても使っているようで、兵器の試作品からどこの家庭にもあるような生活魔法用まで、様々な魔術具が転がっている。
出自が貴族の三人や二種類の記憶が入り交じるリュウトはともかく、平民として生活魔法に馴染みの深いディルガは、片っ端から魔術具を手にとってあれやこれやと使い方を説明する。
「あ、これは燻蒸の魔術具だよ。火を使わないで煙が出るから、火事の心配無しに虫退治ができるんだ」
「いくら虫型とはいえ、煙で燻したくらいで退治できる魔獣などいるのか?」
「害虫は魔獣とは限らないからね。普通の虫が相手なら十分だよ。どっちにしろ開けた場所じゃ煙の効果なんてないから、対抗戦では使えないだろうけど」
「これで倒すのは無理でも、撹乱には使えるんじゃねえ?」
物置には金槌や釘、鋸などの工具類や、鋤や鍬などの地面を掘る道具もあった。魔術具を作ったり修理をしたり、あるいは必要に応じて実験場を整備するのに用いるのだそうだ。一般人の労働を知るリュウトやディルガは、何故、その道具類も魔術具化しないのかと首を傾げたが、ヴァルエスたち元貴族にはその疑問のほうが却って理解できていない。彼らにとっては労働は他人を雇ってやらせるものという意識が強く、作業の効率化などにはなかなか思い当たらないのだ。工房の職人たちは、その必要性も有用性も理解はしているが、「道具の開発に割く時間はない」で片付けてしまっている。
「あ、網もあるんだね。これも使えそうじゃん」
「網って魚でも捕るのか?」
「違うよ。リュウトは野犬狩りには、あんまり参加したことなかったっけ?」
魚を食さないラウデリアで、網と聞いて漁網を思い浮かべるのはリュウトくらいのものである。街中に中型以上の魔獣が出没するのは珍しいが、野犬ならばしばしば見かけることがある。それを網を使って文字通り一網打尽にし、住民たちが寄って集って打ち殺すのだ。
「たまに大きくて強い奴がいるけど、何枚も重ねて投げれば大抵は身動きできなくなるからね」
「なるほど。魔法を使わずとも動きを封じる手段はいくらでもあるということか」
「網も手で投げるより、道具を使ったほうが遠くへ飛ばせるんだろうけどな。銃剣を弄るのは駄目だってことだし、石に巻きつけて投げるくらいで諦めとくか」
「だったらいい物があるぞ、待ってろ」
リュウトとディルガは適当な思いつきを次から次へと口にする。それを面白がった職人のひとりが、物置から筒のような物を持ち出してきた。
「こいつは魔力を直接射出するための魔術具なんだ。銃剣や砲撃用魔術具の原型みたいなものだな。適当な魔法陣を詰め込んで、一緒に発射することもできる。射出型の武器を作るときは、まずはこいつで実験して形にしていくんだよ」
「でも試作品は対抗戦に出すわけにはいかないんではありませんか?」
「こいつは試作品じゃなくて、正規の軍用魔術具さ。ただ汎用性が過ぎて、使い勝手が悪いってんで、誰も実戦には使わないってだけだ。もしお前らが上手く使いこなせるってんなら、いくらでも貸してやるぞ」
「「是非、お願いします!」」
モルヴィラの提案に、他の班員の意見を確かめもせず、リュウトとディルガがすぐに飛びつく。ラララルウナはもちろん、考え方が堅いヴァルエスとフィオメリカも否やはなかった。
「モルヴィラよ、今日は、世話になったのう」
「あんたとあたしの仲さ、いいってことよ。ま、対抗戦で優勝でもしたらその時には何か奢ってくれや」
「そういえば魔猫のめし処の食事を気に入ってらっしゃるんですよね? そちらでのお食事はいかがでしょう?」
「ああ、それがいい。優勝できるか否かは僕たちの問題であって、対抗戦に出るための相談には十二分に乗っていただいたんだ。勝ち負けに関わらず、是非とも招待させてください」
「本当かい!? その言葉、絶対に忘れるなよ?」
「ああ……皆、吾の財布を当てにするでないぞ?」
肉食獣のように目をギラつかせるモルヴィラに、逃げ腰になるラララルウナ。二人の様子を見た第十班の班員たちは、早まった約束をしてしまったのかもしれないと肝を冷やすのであった。




