表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/41

成人能力検査

 春の終わりの月の十日。

 大陸の北側にあるラウデリア国でも、そろそろ初夏の気配が近づく頃だ。一年で昼間が最も長いこの時期は、夜が明けるのも早い。朝、リュウト・オルディスが目覚めた時には既に陽の光が部屋の奥にまで射し込んでいた。

 これだけ気温が上がるのならば、暖房用の魔力の追加購入は止めておくべきであった。失敗したな、とリュウトは小さく呟く。亡母は病弱で寒がりだったから、この季節でも朝の冷え込みから身を守る必要があったが、若く健康なリュウトには無駄でしかない。


 今日は第三月の第二週の翠の日、成人能力検査の日だ。己の能力を国のために役立てるのはラウデリア国民の義務であり歓びであるといえば聞こえはいいが、魔力を持つ者とそうでない者を峻別して所属する軍を決める、要は徴兵検査のことである。

 検査は生まれた季節の第三月の第二週の翠の日すなわち十日と決められていて、春の中の月に十五歳になったばかりのリュウトは、今日がその検査の日である。


 彼は昨夜のうちに寝床の脇に揃えておいた服を手早く身に着けた。白シャツに薄茶の吊りズボン。洗い晒しの安物だが、平民であれば取り立てて文句を言われることもない普通の格好だ。

 戸棚からパンとチーズを出して、皿に乗せたのが朝食だ。多めに出して昼食用にも紙で包む。飲み物は水。節約は大切だ。

 二年前に母が亡くなり一人暮らしをしてきた彼は、もう少しまともな料理もできる。だが試験前の緊張からか、あまり食欲がないのだ。

 それにもうすぐこの家を引き払う予定なので、魔力の補給もぎりぎりに抑えている。貯蔵庫にまで魔力を回す余裕はないから、季節的にも余計な食材を買い込みたくないのだ。調理をすればその分の魔力も消費するし、魔力工房に連絡して臨時に追加購入するのにかかる手間と金額を考えれば、外食や買い食いにかかる程度の出費は已む無しと彼は考えている。


 腹違いの兄という人物から、援助を打ち切るので家を明け渡すようにとの連絡がリュウトの手元に届いたのは、今年に入ってひと月ばかり経った頃だった。彼らの共通の父親である人物が亡くなり、兄が跡を継いだというのだ。

 驚いたことにというべきか、亡母は元下級貴族の愛妾で、この家もその元貴族に宛てがわれたものだったらしい。その連絡を受け取るまで、リュウトは父親に会ったこともなければ、どこの誰だかも知らなかった。それどころか生活費の出処についても、薄っすらと察してはいたものの、確かめたことはなかったのだ。


 ラウデリアでは貴族制は廃止されてはいるが、未だに高い社会的地位や豊かな資産を持つ元貴族であれば、親の力で有利な職業に就くことも可能だし、そうでなくても食うに困ることなどあり得ないだろう。だがいくら元貴族の血を引いていても、庶子であるリュウトはその恩恵には与れない。

 成人に達したら自力で稼いで食べていく――それは平民すなわち一般市民にとっては常識であるし、リュウトとしても母が存命の頃からそのつもりではあった。

 だから家を明け渡すように求められても当然だと納得できたのだが、さすがに誕生日の当日に出て行くように申し渡されたのには困った。


 十五歳になる季節の三の月の末日まではラウデリアの国民は義務教育である幼年学校に通う。次の季節の最初の紅の日、つまり季節の始まりの月の一日からは特別な事情がない限り、成人能力検査の結果によって通常軍か魔法軍のいずれかに振り分けられた上で兵役に就く。どちらの軍に所属するかで期間は変わるが、少なくとも一年間は寄宿舎生活となる。しかし誕生日から徴兵の開始までの僅かな期間とはいえ、正式な就職ができない未成年には引っ越す宛などどこにもない。

 普通ならば宛ともなるべき身寄りによって追い立てを食らうとはあまりに惨い仕打ちではないか――そう主張することでリュウトはどうにか兵役が始まるまでの猶予を勝ち取ったのだった。


 母が遺してくれた薄手の上着を羽織る。そろそろ季節外れではあるが、試験で良い結果を修められるようにという護符代わりのようなものだ。仕立てが良かったのか、それとも母の手入れが良かったのか、いつまでも古びずに着心地もいい。元来、男物だったのだろう、それを着た母の姿は袖も裾も余らせていたが、成人となったリュウトには大きさも色合いもしっくりとくる。

 もしかしたら父の形見だったりするのだろうかという考えが脳裡を過ぎったが、父が自分と母にした仕打ちを考えれば、そんなはずはないだろうとリュウトは首を横に振った。


 時間が来たので、家を出て扉に鍵をかける。未成年のリュウトには市民登録と連動した魔力認証は扱えないが、母は亡くなる少し前に自分の魔力を登録した合鍵を作っておいてくれたのだ。

 顔を上げると、向かいの建物の陰から、孕み女がリュウトのことを睨んでいた。朝っぱらからひとりで彷徨(うろ)ついてるあたり身分が高い女ではないだろうが、身形自体は決して悪くはない。おそらくは金持ちか貴族の愛人といったところだろう、というのはリュウトの勝手な憶測だ。

 父がリュウトを身籠った母をこの家に押し込めたように、今度は兄がリュウトを追い出した後のこの家にあの女を厄介払いしようとしているのかもしれない。そう考えると、女の刺々しい視線がリュウトには哀れに思われた。


               ○◎●○◎●


 成人能力検査の会場へと、リュウトは徒歩で向かった。離れた町や村に住んでいるならば汽車に乗るだろうが、市街に住むリュウトにはその必要はない。

 それでも北の端にある会場は東の町外れのリュウトの家から歩くには些か距離がある。車でもあれば便利だろうが、元貴族でも余程の資産家でなければ個人で車など所有しているはずもない。近頃は乗り合い馬車に代わって乗り合い自動車も増えているが、軍事施設が立ち並ぶ街の北側へは民間人が利用できる路線はない。

 必然的に徒歩で向かうしか選択肢はないことになる。


 到着した会場の門は見上げるように大きく、その門柱には「魔法軍事応用研究所」と「独立第一魔法師団」の二つが掲げられていた。どちらの看板にも偽りはなく、事実上、ここがラウデリア国魔法軍総本部にあたる。

 すぐ脇にはひと回り小さな門扉があって、そちらにはこの建物の前身である「ネウリズマ皇国立魔法学院」の看板がひっそりと残されていた。ラウデリアがネウリズマ皇国の属国だったのははるか昔のことなのだから、こんな看板はさっさと取り外してしまえばいいようなものだが、魔力や術の関係で外せない理由があるのかもしれない。


 建物の中は元学院の名に相応しく、教室のような部屋がいくつもあった。リュウトは予め送付されていた受験票を片手に、自分が受験する部屋を探した。

 入り口のところの机には灰緑色の軍服の係官がいて、入室してきた新成人を一人ひとり確認している。リュウトが言われるままに受験票を渡すと、係官は筆記用具を差し出してきた。


「ここに氏名を書くように」

「はい――」


 リュウト・オルディス――リュウトが母から与えられた名前と母から受け継いだ名前である。父の名も家名も、彼には二度と思い出したくもないものだ。

 感情に任せて筆圧ばかりが強くなったせいか、枠の中には白い筋がつくばかりだった。係官が「むぅ?」とくぐもった声を出しながらリュウトの手元を覗き込んできたが、次の瞬間、ペンに力が引き出されるような感覚と同時にインクが溢れ出ていた。

 結局、用紙に書き込まれたリュウトの名は、書き始めは擦れ、書き終わりは滲んだ、実に読み難いものになってしまった。係官は難しい顔で「うぅむ……」と唸りながらも「まあ、良いだろう。魔力検査は合格だ」と受験票に何やら印を書き込んでリュウトに返却した。


「自分の番号の座席で着席して待つように」


 試験場はやはり教室であった。前方には大きな書字板があり、長机が三列にずらりと並べられている。机ひとつあたり三名ずつ座れるもので、全部で百人ほどが入れる。

 リュウトの座席は中央左側の後ろから五番目だった。同じ机も前後の席も既に埋まっていたが、リュウトが座るときにちらりと視線を上げただけで、誰も特に何の反応も示さない。

 ぐるりと見回した限りリュウトが見知った顔はなかった。

 髪の色や肌の色にも特に偏りはないということは、住んでいる地域や階級などで部屋分けがなされているわけではない。

 年齢は全員が同じ春の生まればかりの十五歳だが、見た目はまだ幼い子どものような者もいれば、すっかりむくつけき男の肉体が出来上がっている者もいる。リュウト自身は己の肉体は人並みに成長しているつもりでいるが、実のところ、やや細身で少年っぽさを残しているほうである。

 女の姿も見当たらないが、これは単純に男女で部屋を分けているためだ。成人能力検査自体は女でも義務だが、一家に兵役に応じられる男がいれば女は徴兵されずに済む。


 しばらくして試験官たちが会場へと入ってきた。先頭の二人は魔法軍の灰青色の軍服で、問題用紙らしき紙の束を抱えた後続の六人は、入り口にいた係官と同じく通常軍を示す灰緑色だ。

 魔法軍の二人は長い裾を翻した士官服の詠唱士である。階級章の複数線は、中級以上を示している。短髪の長身の男と肩ほどの長さの髪をぴたりと撫でつけた若い女で、二人とも淡い色の髪にやや濃い肌色をしている。

 特に女のほうの独特の肌色は明らかに元貴族、それも革命前のラウデリア皇族かあるいは元宗主国であるネウリズマで貴種と呼ばれていたような高い身分の出自の可能性が高い。それを察した受験者たちは、皆、女のほうを必要以上に見ないように目を伏せる。リュウトも当然、それに倣う。

 書字板の前の中央にすっと立った貴種の女は、軽く俯いて視線を逸らしている受験者たちを黙って睥睨した。


「本日の検査の要領を説明する――」


 女のほうが男に向かって何事か囁くと、脇に付き従うように立っていた男は小さく頷き、一歩前に進み出て淡々と説明を始めた。


「午前中は記述魔法試験を行う。問題用紙が読めない、あるいは棄権したい場合は、試験開始後ただちに申し出るように。別室にて通常軍の一般徴兵検査手続きを行う」


 ここまではいいか、という試験官の問いかけに、皆、黙って首肯する。この場にいるということは、入り口での魔力検査に合格したということだが、魔法軍に採用されるにはそれだけでは足りない。幼年学校で習った魔法理論の基礎知識を問う今日の試験の結果如何で、一般徴兵に強制的に切り替えられてしまうこともあるのだ。

 十分な点数が取れないと判断すれば自主的に通常軍を志望することが許されるということだが、リュウトにはそのつもりはないし、それなりの成績を残す自信もある。


「記述魔法試験後は昼食時間を兼ねた休憩時間となっている。研究所の構内は移動自由だが、外へ出ることは禁止だ。昼食を持参していない者は受験票を提示すれば構内の食堂が利用できる。ただし兵役中の者とは異なり有料である。午後は詠唱試験を実施する。試験自体は別室で行うが、一人ずつ呼び出して順次行うので、昼食後はこの部屋で待機するように」


 説明が終わると灰緑色の試験官たちが問題用紙を配り始めた。机上の問題用紙には地紋のように魔法軍の紋章と複雑な魔法陣が薄っすらと描かれている。

 試験開始の合図の鐘が鳴る。試験官の「始め!」の声に合わせてリュウトが紙の上の紋章に手を触れると、くっきりと試験問題が浮かび上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ