黎明の刻
夜も更け明け方に近くなった闇の中、奇里は一人縁側に腰掛ける。
見上げるは満天の星。
薄く青みがかった空が奇里を見下ろす。
「ふぅ……」
零す吐息に長い一日の疲れをのせる。
この村に来てまだ一日。もう随分と過ごしたかのように長かった。
それも明日で終わりを向える。
あの男がいる気配を奇里は肌で感じ取る。
長かった一日。
それ以上に長かった自らの旅路。
その旅路の果てに一つの終着を見いだせるだろう。
決意を胸に、夜空を見上げる。
「――――奇里様」
声が一つ、かけられた。
「典明さん……」
障子の向こうから典明が顔をのぞかせる。しずしずとどこかぎこちなくやって来た。
「隣、座ったら?」
「へい」
頷き、ぎこちなく腰掛ける。お互い、何も話さない。ただ黙って空を見上げる。
「今日は大変な一日だった」
しばしの沈黙の後、何ともなしに奇里が言った。それに典明はただ頷く。
また、しばしの沈黙。
「……奇里様っ」
意を決したように典明が口を開いた。
「奇里様。今日はほんにすいませんでしたっ。申し訳ねぇ……」
床に擦り付けるかのように典明は頭を下げる。それに奇里は一瞬目を丸くし、やわらかく微笑んだ。
「いいのよ、典明さん。私は気にしてないから。
確かに少し取り乱しちゃったけど、ああいうのは慣れてるから。だから平気。
それに、全部宗次郎のためだったんでしょ?」
「奇里様……」
「だからいいのよ」
微笑む奇里に、典明はもう一度頭をさげた。
深く、深く。感謝するように。
「宗次郎はわしにとっちゃあ宝みてぇなもんなんです」
そう言って典明はゆっくりと口を開いた。
「宗次郎に親はいねぇ。あいつが赤ん坊ん時に死んじまったんですだ。だから宗次郎は親の顔を知らねぇんです。わしぁあいつにとっちゃあ叔父なんで、だからずぅっとあいつを育ててきた。親の代わりなんですだ。でも、わしにとっちゃあ宗次郎が子供なんです。自分の息子だ。だから可愛くて可愛くて、ほんに、宝もんなんですだ」
嬉しそうに語る典明を見つめ、奇里は黙って耳を傾ける。
「だからあいつぁわしが守んなきゃあいけねぇ、守ってやりたいんですだ。何に代えてでも」
「だからあの時私を宗次郎から遠ざけようとしたのね」
「そうですだ。けんどそれは勘違いで、わしぁほんにひでぇことをしちまった。」
「それは気にしてないわ。さっきも言ったでしょ、慣れてるって。だからそんなに気に病まないで」
もう一度典明に微笑みかける。それより、と言って奇里は典明の顔を見つめた。
「典明さん、あなたに一つお願いがあるの」
「お願い、でやすか?」
「ええ、宗次郎のことよ。
私と安慶はあの男を倒しに館へ行く。その間ここはほぼ無防備になるわ。だから、宗次郎を守って欲しいの。これはあなたにしか頼めないことだから」
「もちろんですだ! 宗次郎は命に代えても守って見せやす。さっきも言ったとおりあいつぁわしにとっての宝もんなんで。ぜってぇ守ってみせますだ」
ドン、と典明は胸を叩く。その姿はとても頼もしく、奇里は安堵する。
これで心配事は何もない。
「ええ、お願いね、典明さん」
「へい!」
互いに見合い、笑い合う。
もう気まずさはどこにもない。
「じゃあもう寝ましょう。体を休めて少しでも英気を養わなくちゃ」
闇空に薄く光が差し込める。
空がだんだんと青白く明ける黎明時。
長い一日の終着に、やがて朝がやってくる。
闇から光へのほんの僅か、その境目で。
奇里は漸く、まどろみについた。
黎明の刻/了