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妖物語  作者: 飯綱 華火
因縁奇譚
5/11

奇里

「典明、さん……?」


 呆然とする奇里を典明は睨み付ける。その余りにも激しい憎悪の表情に誰も何も言えない。


「おじちゃん?」


 不思議そうに宗次郎が見上げる。典明は宗次郎を抱きしめたまま動かない。

 まるで奇里から大切な宝物を守るかのように。


「あ、あの……」

「来るでねぇっ!」

「―――っ!?」


 ビクッと奇里の体がふるえ、恐怖で怯えるような、悲哀のこもった表情を浮かべる。

 そこに今までの凛とした佇まいは微塵も浮かばない。むしろ、典明の瞳に気押され振るえる、まるで幼子のような姿。


「わしは、わしは知ってんだ。お前は化け物だっ!」

「違うよ! お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ!」

「ちがかねぇっ! わしぁ知ってんだっ、見たんだ! おめぇは化け物だっ! そうだろっ、おめぇはっ……」

「――落ちつかんかっ!」


 一喝。

 場を砕く様な太い声が聞くもの全てを止めた。


「落ちつけ典明。いったいどうしたのだ」

「あ、安慶様! こいつは化け物なんですだっ。あいつとおんなじ化け物なんだっ!」

「だから落ちつけ典明。あいつとは誰のことだ」


 典明は暗い顔でうつむく。そうして、ふるえる声で口にした。


「……見たんですだ。あの夜に。キリシマっちゅう化け物を……」

「何?」

「まちげぇねぇ。見間違いでもねぇ。わしぁハッキリ見たんだ……。キリシマを……。おめぇと、おめぇとおんなじ蒼い目をした男をなあっ!!」

「――――ッ」


 指を突き出し、声を張り上げた拍子に唾が飛ぶ。

 宗次郎と同じ人懐っこい笑みを浮かべていた彼から発せられる怨嗟に奇里は体をふるわせた。

 何かを言おうとして、けれど、哀しそうにその口を閉ざす。


「待て典明。それは本当なのか?」

「間違いねぇです! きっとこいつも化け物なんだっ」

「だから落ち着け。そう決め付けるな。もしそうなら何故奇里は皆を助けた? おかしいだろう?」

「けんど、なら何故あいつは目が蒼いんですかっ? それのほうがおかしいっ。あんなん普通の人間ならありえねぇ。化け物しかありえねぇっ!」

「典明っ!」


 安慶が怒鳴り、強引に典明を黙らせる。


「良いか典明、物事はそう簡単に決め付けるものではない。まずはきちんと見極めるべきだ」


 諭すように言い、安慶は奇里へと顔を向ける。


「奇里、お主もだ。そう黙っていては何もわからぬ。誤解を招くだけだ。だから何か言え」


 安慶の声音は低く優しい。

 それに奇里は小さく首を振った。


「…………りだよ」

「何?」

「……無理だよ、言い返せないよ安慶。


 だって、全部本当なんだから……」


 ―――ポタリ。


 雫が一筋、零れ落ちる。


「私の名は――《キリシマ》奇里」



 ◯◯◯



 夜もふけた宵闇の中、行灯の火がちろちろと揺れ動く。

 寺の中、村人は隅へ寄り、中心に歪な円ができている。

 行灯の火が、不気味に彼らの影を揺らす。


「さて、話を聞こう」


 奇里と典明。

 典明の近くには武士と宗次郎が座り、奇里の側には誰もいない。

 そんな二人の間に座り、安慶が口火を切った。


「安慶様! 何故ですだ!?」

「何故もない。俺には奇里が悪人、ましてや化け物には見えぬ」

「そうだよ、お姉ちゃんはいい人だよ。悪い人じゃないもん!」

「私たちもそう思います」


 真っ先に口火を切った宗次郎に追随して武士らも頷く。

 宗次郎はすぐにでも奇里の側に行きたいのだろうが典明がそれを許さない。


「私たちは奇里さんに助けてもらいました。なんの縁もない、むしろ武器を向けたにも関わらずです。もし奇里さんに出会わなければ私たちは今も妖に操られていたでしょう」

「けんど、けんどわしぁ……」

「良い。お主の言い分もわかる。なにより奇里が認めてしまっているのだからな。だからこうして場を設けたのだ。だからまずは奇里の話を聞く、全てな。決めるのはそれからでも遅くはなかろう」


 諭す安慶に典明はしぶしぶ頷いた。

 皆が奇里を見る。


「奇里、場はできた。あとはお主が語るだけだ」

「……えぇ」


 奇里の声音は低く暗い。

 それでも奇里は顔を上げた。まるで何もかもを諦めたかのような虚ろな顔を。


「まって、お姉ちゃん」


 不意に宗次郎が立ち上がる。


「僕、お姉ちゃんの隣に行く」

「宗次郎っ!」

「嫌だよ、僕お姉ちゃんといるもんっ」


 止めようとする典明の手を振りほどき、とことこと奇里のもとへ駆けていく。


「そうじろう……」

「へへぇー」


 ちょこん、と奇里の隣に座り込む。ぎゅっと、小さな掌が彼女の手を握る。

 ふわっと、染みいるように温かさが胸を突き、その無垢な笑みに奇里もようやく微笑を浮かべた。


「はい、じゃあお話して」

「えぇ」


 くしゃり、と宗次郎の頭を撫で、奇里は口を開いた。


「私とあいつは表裏一体。《キリシマ》は、二人いる」




 ―――それは今より何十年も前の話。




 妖憑きが世間に認識されるようになってから日が浅く、まだ対抗できる者も少なかった時代。

 一人の女がいた。

 彼女は農家の娘に生まれ、他の者と何一つ変わらない生活を送っていた。

 朝早くに目覚め支度をし、農作業をし、夕餉を食べ、床につく。

 それはなんの変哲もない日常。

 退屈で、それでいて平穏な日々。

 日常はいつの日か時を過ぎ、やがて他家へと嫁に嫁ぐ。

 そうしていつの日か子を成し、年老いて朽ちていく。

 そんなありふれた、誰もが過ごす一生を、送るはずだった。


 けれど、彼女の日常はある日を境に反転する。


 仏教の世界に死魔というものがある。

 死魔とは人の寿命を奪う魔のことを指す。

 当時妖憑きはまだ周知されておらず、妖に憑かれた者たちは皆悉く理性を失い周りの人々を襲いその果てに自らも死ぬという現象から、死魔に憑かれたと言って忌み嫌われていた。

 そしてまた、死魔に憑かれた者は決してもとには戻らずその方法もないとされていた。

 それは当時だけの話ではなく、今も方法は見つかっていない。


 たった一つ、一人の例外を除いては。


 その者は伝承によると太刀を持ち、蒼い目をしていたという。

 その者は死魔だけを斬り祓い、人々を死魔より救い出す。

 その数は計りしれず、そこに何の賠償行為もなかったという。

 その、正義感のみにより行われた行為に後の人々は感謝と尊敬の念を込めてその者を『救済者』と呼んだ。

 その名は後々にまで語られていく。

 しかし、当時の人々はその者をこう呼んだ。


 死魔を斬る者――斬り死魔(キリシマ)と。



「―――キリシマと呼ばれたのは私の先祖よ。彼女はとても正義感の強い人だったわ。それ以上に愛情の深い人。

 彼女には将来を約束した人がいたの。でもその人が妖に、当時の言い方でいえば死魔に憑かれてしまった。

 憑かれた者は戻せない。死ぬのを待つか、被害を出さないために殺すしかない。それは当時すでに常識だった。でも恋人が死ぬのを黙って見てられる人なんていないでしょう? だから彼女は方法を探したの。それこそ死にもの狂いでね。

 方法も経緯もわからない。彼女がどうやったのか誰も知らない。

 でも、彼女は一つの光明に至った。

 それがこの瞳。『浄眼』と呼ばれる破魔の瞳よ」


 奇里の瞳が爛と輝く。その瞳はどこまでも深く、真夏の蒼穹のように澄み渡る。

 蒼き瞳が、皆を見渡す。


「一念鬼神に通ずっていうけれど、彼女の場合それが本当になったのよ。

 この瞳は妖の魂を見極める。これは他の人にはできない芸当よ。そしてこの瞳を発現させている間、私の太刀は妖だけを斬り祓う。だから他のモノは一切斬らないの。それが妖憑きを救う秘密よ。憑かれた人を斬らず妖だけを斬り祓う。これなら安全にその人を助けられるでしょ」

「そ、そげなことが……」

「できるのよ、私の力なら」


 武士たちは納得がいったのか自分の体を眺めながら頷く。

 なにせ実体験。本当に斬られた経験を持つからこそ身に沁みてその力が理解できる。


「あ、有り得る筈がねぇ! そ、そんなおかしな芸当、嘘に決まってる!」


 けれど典明は必死になって首を振る。

 その意固地さはまるで、奇里ではなく体験してしまったキリシマへの恐怖を振り払うかのようでもあって、


「ねぇお姉ちゃん、僕を斬ってみてよ」

「え……?」

「なっ! そ、宗次郎おめぇ何言ってるっ!?」

「だってそれならおじちゃんも納得できるでしょ」

「な、納得って……」

「そうね……。わかったわ」


 ね、と言って笑う宗次郎に微笑みを返し奇里は頷いた。

 太刀を手に取り立ち上がる。


「や、やめねぇかっ」

「大丈夫だよ、おじちゃん」


 宗次郎が典明の言葉を遮る。そして奇里に頷いた。


「いくよ」

「うん」


 太刀を見据え宗次郎は笑顔で頷く。その顔に向かい、奇里が太刀を振り下ろす。


「宗っ……」

「――――うわぁ。見て、見てよおじちゃん! 刀が僕の体に刺さってるよ!」


 嬉々とした声が上がる

 それは頭から斬られたはずの宗次郎の声。今だ腹に刀を刺したまま無邪気に声を上げる。


「そ、宗次郎……」

「すごいよ! びっくりだよお姉ちゃん! 本当に刺さってる!」


 呆然とする典明を余所に宗次郎ははしゃぐ。

 奇里はゆっくりと太刀を抜いた。


「これでわかってもらえたかしら? これが私の力よ」

「うん。すごいよ、お姉ちゃん!」


 奇里は宗次郎の頭をくしゃりと撫でる。

 典明が体をふるわせながら叫んだ。


「だから、だからなんだってんだっ。じゃああん男はどう説明すんだ。村を襲ったあの男はっ!」

「おじちゃん……」


 典明の声に宗次郎の顔が曇る。それに、奇里は優しく宗次郎を抱きしめる。


「それは堕ちてしまったキリシマよ。言ったでしょ、キリシマは二人いるって。

 キリシマの力は万人を救う救済の力よ。でもそれには対価が伴う。対価、と言ってもそこまでひどいものじゃないわ。だけど力を使えば使うほど体を、心を蝕んでいく。

 私の力は妖を斬り祓うもの。だから、斬った妖に呪われる。その怨念を受けるのよ。それが対価」

「待て奇里、もしやお主……」


 今まで黙っていた安慶が声を上げた。その顔には焦りがみえる。


「私は大丈夫よ。でも安慶、あなたの予想は当たってるわ」

「どういうこと? なんなのお姉ちゃん?」


 宗次郎が不安気に奇里を見上げる。それを奇里はぎゅぅっと抱きしめた。


「妖に呪われるってことは妖気に心を蝕まれるってことなの。それはただ病んでいくというわけじゃない。だんだんと人としての理性を失い、妖に近づいていくの。つまりね、この力は使えば使うほど妖に近づいていってしまうものなのよ」


 誰も何も言わない。典明でさえ黙りこくっている。

 その中で、奇里の声だけが響く。


「昔一人の男がいたわ。その人も私の先祖で、何代か前のキリシマ。彼はとても優しい人だった。

 だからでしょうね、彼はこの破魔の瞳の力を使い万人救済しようとした。

 でもそれは叶うことはなく、そこから悲劇は始まった。

 彼は皆を救おうとして目につく妖憑きを片っ端から斬り祓っていったわ。彼に斬られた人々は皆救われ、代わりに彼は妖に呪われていった。

 そうして彼は終に妖に心を呑まれ、魔に堕ちた。

 魔に堕ちたキリシマは妖と同じ。人を襲い、殺す。元に戻す術はない。当たり前よね、妖から皆を救うはずのキリシマが妖と同じになったんだもの。

 本当は、それで終われば良かったの。それなら何の問題もなかった。でも妖は末代までをも呪う。彼の子孫はその後妖としての力をもって生まれ、人々に危害を加える者となったのよ。

 そうして、『斬り死魔(キリシマ)』は『忌罹死魔(キリシマ)』という忌み名へと堕とされた。私たちが『キリシマ』ではなく『救済者』と呼ばれるのもそういう理由よ。

 わかったでしょう、典明さん。あなたが見た男は彼の子孫よ。そして私は彼女の子孫、奇里。

 奇里というのは彼女の名前なの。代々斬り死魔を受け継いだ者が襲名するの。私の本当の名前は『悠』。

 典明さん、あなたがどう思ってもいい。それは事実で否定はできない。でもこれだけは信じて。私はあなたたちの敵じゃない。あなたたちを襲ったりしない。私が殺すのはあの男だけだから。

 それだけは、信じて……」


 斬り死魔と忌罹死魔。

 皆を救った者と、代わりに魔に堕ちた者。

 これはそんな二人の物語。

 誰も何も言わない。言えないのだろう。典明は愕然とし、悔いるように拳をふるわせている。

 安慶はただ黙って静かに目を閉じている。

 そのなかで、


「……そんなの、知ってるよ」


 宗次郎の声が凛と響く。


「僕知ってるよ、お姉ちゃんはいい人だって。だって僕を助けてくれた。おじちゃんも、お侍さんも、みんな助けてくれた。そんな人が悪い人なわけないもん。それに僕お姉ちゃんの目好きだよ。蒼くて、すっごくきれいなんだもん!」


 それはまるで清涼のよう。濁りなど何一つなく、澄み渡っている。幼さ故の、幼いからこその、無垢なる真実。

 わっと駆け寄って宗次郎は奇里に抱きついた。


「ありがとう、宗次郎」

「うん」


 抱きしめる奇里を、宗次郎は幼い手でしっかりと抱き返す。

 小さな小さな手。けれどその温もりは大きくて。

 幸せそうに微笑む奇里。涙が一筋、頬をつたった。  


                                                     奇里/了


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