月下強襲
ざわっと寺内が騒がしくなる。敵襲、という言葉に村人は混乱に陥る、その、一歩手前。
―――シャーン
鈴の音が響き渡る。
その音色に、誰もが動きを止めた。
「この寺には防御の為の結界が掛けてある。皆は騒がずこの中にいろ。敵は俺と奇里が食い止める」
どん、と。
錫杖を手に太い声を張るその姿はまさに威風堂々。
泰然としたその立ち姿に自然と村人の緊張が和らいだ。
向けられた視線に、奇里はしっかりと頷きを返す。
「ええ、それが最良ね。一応念の為あなたたち三人は武装して皆を守って。典明さんは宗次郎をお願い」
武士たちはそれぞれの武器を手に、典明は宗次郎を抱き力強く頷いた。
それに笑顔で頷き、奇里は宗次郎を起こす。
「……ん。おねぇ、ちゃん……?」
「ごめんね、起こしちゃって。いいかい、宗次郎。ここは戦場になる。だからおじちゃんから離れちゃダメだよ」
「お姉ちゃん……?」
寝ぼけまなこのまま首をかしげる。
それに奇里は笑顔で宗次郎の頭を撫でた。
「じゃあ典明さん、お願いします」
「わかりやした」
二人は互いに頷いた。奇里は宗次郎に背を向ける。
「行こう、安慶」
「うむ」
手に太刀を、錫杖を握り、二人は外へ出る。
その背に、
「がんばって、お姉ちゃん、安慶さん!」
今だよく状況を理解できぬなか、宗次郎は声を張り上げた。
それは幼心に今の危機を感じ取ったが故。
それに二人は片手を挙げ答える。
堅守、必勝をその背に誓って。
―――それはあまりにも凄惨な光景だった。
暗夜の中、月明かりの下に集ったモノは死者の群れ。
皆それぞれが甲冑を身に纏い、手に太刀や槍を携える。
体は血と泥で赤黒く、青白い相貌が茫と浮かぶ。
口々から溢れるのは怨嗟の声。
死して尚その身を襲う境遇に呪咀を吐く。
その中を舞う魑魅魍魎。それはまさに地獄絵図。
「―――」
「―――」
二人は何も言わない。
否、言えない。
この様な惨状を作り上げた者に対する怒りを表す言葉を持ち合わせてはいなかった。
「早く終わらせましょう。こんなの、宗次郎にだけは見せたくない」
苦々しげに言う奇里に対し、安慶は無言で頷く。
「すぐに、土に還してあげる」
抜かれる太刀。刀身が、月下に映える。
「奇里、ほんの少しで良い。時を稼げるか?」
「構わないけど、何か策が?」
「うむ。妖どもはともかく、死者だけでも救ってやらねば」
懐に手を入れる。取り出したのは数珠。
「ふぅん。了解よ。準備ができたら合図して」
太刀を片手に奇里は頷く。
その姿勢は低く、いつでも駆けられるように構えている。
「では、頼んだぞ」
―――シャーン……ッ!
地に突き刺された錫杖。玲瓏と鈴が鳴る。
奇里が地を蹴った。
馳せ進む奇里に、妖が一斉に牙をむく。
前方、左右、そして上空。
ほぼ全方位からの攻撃に、それでも奇里はひるまない。
それどころか、奇里の速度が跳ね上がる。
「ハアァァァア―――ッ!」
真横に振るわれる太刀。旋回するかのようなその動きに、周囲の妖が一斉に弾き飛ぶ。
それでも奇里は止まらない。
妖の群れのなか、死者だけを無視しその悉くを斬り払う。
その最中、
―――ジャラン……ッ!
数珠の音が、木霊する。
ジャラン
ジャラン
ジャラン
縦横無尽に数珠が空を凪ぐ。
本来とは違い、長さのある数珠の環。
紡がれたその数は百八つ。
煩悩。
衆生の心身を煩わせるといわれる妄念のその全て。
それが空を凪で、音を奏でる。
それに重なるかのように、安慶の口からは真言が零れる。
「―――」
紡がれるは異国の言。
繰り出されるは人ならざる業。
数珠に、光が灯る。
それはさながら星の洪水。
―――ジャララン……ッ
数珠の音が、鳴り止んだ。
「―――奇里!」
暗夜の戦場に安慶の声が木霊する。
さらに、安慶は数珠を天へと放つ。
それはいかなる現象か。
縦横へと散った数珠玉が、ピタリと天空で静止する。
そのさまはまさに満天の星。
「安慶―――!」
奇里が叫び返す。
立つ位置は安慶の技の範囲外。
それに、安慶はわずかに口元をゆるませた。
「地へ帰れ、輪廻の環を外れし亡霊どもよ」
ゆらり、と安慶が片手を上げる。
見据える先は死者の群れ。
「修験法――星崩し」
振り下ろされる手。
星の雨が降り注ぐ。
それに奇里はただ立ち尽くす。
声ならざる声を発し消失していく死者。
降り注ぐ蒼い光はまるで浄化の炎のようだった。
ちりちりと残火が舞い散る。
死者は今度こそ死滅し、妖もほとんどが消え去った。
安慶と奇里。この二人の前では数ばかりの雑魚など何の意味もなさないのだろう。
「あとは私がやるわ。安慶は休んでて」
再び奇里が太刀を取る。
烏合の衆とはいえど、その悉くを瞬時に消滅させるにはかなりの霊力を使うのだろう。
平静を保っていても安慶はうっすらと汗をかいていた。
「油断するなよ」
「誰に言ってるのかしら」
不適な笑みに、安慶も笑みを返す。
カチャリ、と太刀を握る音がした。それに妖が身構える。勝てない状況でなお妖の戦意は衰えない。
「脅威を排除しようというのは動物といっしょね」
奇里が再び霊力を身に纏う。
宗次郎がこの場にいたならば蒼い輝きが奇里を包むのを見てとっただろう。
「行く――」
「うわああぁぁぁあっ!?」
突如、叫び声が上がり寺の中からどっと人が押し出してくる。
「どうしたの!?」
「ぬ、布が……っ」
村人が指差す先。
白く長い布に体を締め付けられた武士が一人、寺の中でもがき苦しんでいた。
「ぬ……。あれは一反木綿か!」
「あ、安慶様。あの人がわしらを庇って……」
「ちっ。一反木綿め、風に乗り結界内に侵入したか」
ギリッと安慶が歯を鳴らす。下手に手を出せば一反木綿ごと武士までをも巻き込んでしまう。
『ギ、ギギギッ』
それは小馬鹿にしたかのような笑い声。
布の端に赤い線が走り、それが顔を形どる。ニヤリ、とその口元を歪ませた。
そこに、
「安慶、後ろの妖をお願い!」
奇里が立ちはだかる。
「奇里?」
「安慶は残った妖から皆を守って。あの人は私が助ける」
奇里は安慶を見ず、安慶も奇里を見ない。
背を向け、互いの敵を視認する。
―――シャーン
錫杖が地を穿ち、手に四枚の札を握る。
「皆、近くに固まれ!」
安慶の号令の下、村人たちがあわてて身を寄せ合い、
札が、宙を舞う。
「持国、増長、広目、多聞。四柱に配し、天を護す。
包囲せよ。
修験法――四極陣」
線が走る。
それは匣。四方を囲む薄焔の結界が人々を包み込む。
同時に、奇里が地を蹴った。
『ギ、ギギギッ!』
一反木綿がその体を伸ばし奇里までをも絡めとろうとする。
それをひらりひらりと奇里は躱し銀線を振るう。
襲い来る妖の布。それを躱す様はまるで演舞。
斬られた箇所からは鮮血が散り、その中を進む奇里の動きはまさに戦神楽。
蒼く。奇里の眼光が輝いた。
「じっとしていなさい」
言葉と共に振り上げる太刀は天を突く大上段。
見据える先。
斬り祓うべき妖と、救うべき人をその瞳に映し出す。
「魔絶ち――!」
振り下ろされる真っ向両断の唐竹割り。
武士もろとも妖を斬り祓う。
『ギッ……』
血飛沫が上がり、両断された布が宙に散る。
「ど、どうして……?」
「驚いた? でももう大丈夫。だから結界の中に入っていて」
斬られたはずの体を不思議そうに眺める武士。
それに蒼い瞳で声をかける。奇里の声音はとても優しかった。
「残るはお前たちだけね」
奇里が背後を振りかえる。
結界に守られた人々の向こうに安慶と対峙する妖がいる。
「お待たせ、安慶」
「ああ」
再度武器を構え直す二人。
その背後、
「違う、後ろだよお姉ちゃんっ!」
「―――え?」
―――キィィィンッ!
金属音が轟く。
咄嗟に振り返った奇里をナニかが襲った。
「何っ!?」
―――ヒュンヒュンヒュンッ
風切り音が鳴り響く。見えないナニかが宙を舞う。
「ぬっ!? ちぃぃ――」
「なん、なのっ?」
顔を庇い防戦する二人の肌が刻まれる。
それでも二人にはそれが見えない。
手に足に、傷が走る。
「だい、じょうぶか?」
「ええ、今のところはね……。思ったより出血が少ないから」
「いきなり防戦だ。どうする?」
「ふん。私からはにげられない――!」
カッ、と奇里が目を見開く。蒼い眼光がよりいっそうその輝きを増していく。
「……見つ、けたっ!」
声と同時に奇里が中空へと飛び上がり、真上に向かって剣線が弧を描く。
しかしその先にあるものは安慶の目には何も映らない。
それでも、
『ギ、ギギャ……ッ』
苦悶の奇声が零れ落ち、微かにナニかの姿が現れまた消える。
だが安慶はその一瞬の間にそれを視て取った。
「カマイタチか」
「ええ、でも浅かったわ。それにカマイタチには姿を消す力なんてないはず……」
「なら、他の妖の力か」
―――ヒュンヒュンヒュンッ
答えるかのように再び見えない攻撃が二人を襲う。
それは空気の刃。
姿を消したカマイタチが二人へと襲い掛かる。
「妖のくせにいい連携してるわ」
「これでは、もう一匹を探しだせん」
―――ヒュンヒュンヒュンッ!
さらに速度と威力の増す風の刃に、二人の体が朱に染まっていく。
「これで、どうだ!」
安慶が数珠の束を四方へと投げ放つ。
まるで散弾銃のようなその数珠玉が残った妖たちを引き裂いていく。
しかし、
『ギャギャギャッ!』
「ぬ、く……っ」
「あっ……」
見えない刃が容赦なく二人を切り裂く。
「上! 上だよお姉ちゃんっ! 煙のお化けっ!」
宗次郎が声を張り上げ、中空を指す。
その先に、今度こそ奇里の瞳がその姿を捉える。
「安慶!」
「奇里!」
奇里が安慶の錫杖に飛び移り、それを安慶が天へと打ち上げる。
それは天へと向けた大跳躍。
「ハアァァァアッ!」
斬り裂く銀線。
霧が晴れたかのように視界が広がる、その中で。
「見つ、けたぞ……!」
ついに安慶もカマイタチを視認する。
「ぬぅぅんっ!」
『ギギャッ……』
錫杖がカマイタチを穿ち取った。
「大丈夫、安慶?」
「ああ、なんとかな」
二人は周囲を見渡す。
そこには妖の姿も気配もない。
「お姉ちゃん!」
よほど怖かったのか、その頬を涙で濡らしながら宗次郎が駆けてくる。
「宗次郎っ」
奇里は手を広げ抱き止めようと――
「宗次郎に近づくなっ!」
典明が物凄い形相で宗次郎を奪い去った。
「え……」
「そ、宗次郎に近づくな! こん、化け物がぁっ!」
興奮で顔は赤く染まり、恐怖のためか体がガチガチとふるえている。
そして瞳が、まるで仇でも見るかのように奇里を睨む。
「典明、さん……?」
呆然と。
ただ呆然と奇里は典明を見つめた。
月下強襲/了