明くる年
年の暮れ。
再開と、温かな日々。
新たな年に、挨拶を一つ。
【第一話 明くる年】
「お姉ちゃん雪! 雪だよ、お姉ちゃん!」
パチパチっ、と火が爆ぜた。囲炉裏の灯火が暗くなりかけた屋内をぼんやりと茜色に染め上げる。
「ほら宗次郎、そこにいたら風邪引いちゃうよ」
ザクッ、ザクッ、と火かき棒で掻き混ぜながら、奇里ははしゃぎ回る宗次郎をたしなめる様にそう告げた。けれど、
「えー、でもすごいよお姉ちゃん! いっぱい降ってるもん!」
言葉に耳を貸すはずもなく、宗次郎は小屋の前を飛び跳ねるようにして走りまわる。
ひらひらと舞い降る雪。
風に運ばれ気ままに揺れる雪はけれど、白く確かな質量をもって降り始めている。
今はひらひらと景色に色を添えるだけの粉雪も、明日の朝には一面を白銀に彩る主役になり変わるだろう。
「宗次郎、言うこと聞かないとお雑煮あげないよ」
吹雪始めた雪の寒さに誘われながら、後ろから奇里は宗次郎を抱きしめた。
じんわりと、温かさが伝わってくる。
「え!? 食べちゃだめなの」
鼻の頭をほんのりと赤く染め、途端に宗次郎はしゅんとなる。
外ではしゃいでいたはずなのに温もりを無くさない宗次郎を抱きしめながら、くしゃくしゃ、と奇里は頭を撫でた。
「だから、中に入ろう、宗次郎。いっしょに温かいお雑煮食べよう」
「うん……!」
パァッ、と顔を輝かせる宗次郎に苦笑を零しながら、奇里は手をつないで中に戻った。
そこは小さな小屋だった。掘立小屋と言ってもいいくらいの小さく粗末な小屋だった。
板間から入り込んでくる隙間風かびゅぅびゅぅと鳴く。合わせるようにしてカタカタと揺れ動く。
そんな不安定で寒々しい小屋も、中からこぼれてくる声はそんな事を微塵も感じさせない。
「うわぁっ! 染みるよぉー!」
「あーあ、あわてて食べるから。逃げないんだからゆっくり食べないと」
蜜柑を手に持ち半泣きの宗次郎の目を奇里は服の袖で拭ってやる。
赤々と囲炉裏が屋内を染め上げる中、二人は寄り添うようにして蜜柑を頬張っていた。
ほんのりと、揺れる篝火が二人の頬も赤く染める。
「あ、できたよお姉ちゃん。ほら!」
二つ目となる蜜柑を剥き終えた宗次郎が自慢げにその皮を奇里に向けた。
「本当だ。すごいね宗次郎。私それ苦手なんだよね」
くるくると螺旋を描くように綺麗に一本でつながって剥かれた蜜柑の皮を見て、感心したように奇里は言った。
「へへー。……ぅうっ!」
得意げに笑う宗次郎の顔が歪む。ぶるっと体を震わせて奇里へと抱きつく。
隙間風が、びゅぅっと鳴いた。
「寒い、宗次郎?」
ふるふると身体を揺らす宗次郎を抱きしめ、奇里は耳元で囁く。それに宗次郎はこくんと頷いた。
「やっぱりこんな場所じゃあそうだよね。ちょっと待ってて、今掛け布団持ってくるから。そうしたら早いけど、お雑煮食べようか」
柔らかく宗次郎の頭を撫でると奇里は立ち上がった。
囲炉裏の上。火にくべられながら天井よりつり下がった紐に括りつけられた鍋が、いい匂いを醸し出している。
「え、でも……」
「いいのいいの」
何かを言い淀む宗次郎に奇里は微笑んで返す。
その時、唐突に風が止んだ。鳴いていた隙間風もしん、と静まる。
「遅れてすまないな。だが、食料は頂戴してきたぞ」
「安慶さん!」
がらりと開いた扉から、頭に肩に粉雪を着飾った安慶が顔を覗かせた。
「遅い、安慶。宗次郎が寒がってたんだから」
「すまぬな。やはりこの時期どの寺も込入っていたのでな、予想以上に手間を取られた」
纏った雪を払い落しながら安慶は言う。その手にはしっかりと寺より頂戴してきた食料を包んだ風呂敷を握って。
「ほう、雑煮か。良い匂いだ」
「うん! お姉ちゃんが作ってくれたんだよ」
「安慶が遅いからもう食べようと思ってたんだけどね」
「ふむ。なら良い時に戻ってきたというわけか。だがしばし待てるか。餅も頂戴してきた故な、こいつを入れたほうが上手いだろう」
にやっと、口元を吊り上げて安慶は風呂敷から餅を取り出した。それに奇里と宗次郎が口元をほころばす。
「ありがとう! 安慶さん!」
「これでちょっとは豪勢になるわね」
早速蓋を開けた鍋に、餅を入れていく。白くいい匂いの湯気が立ち込める。
三人は囲炉裏の周りに腰をおろし、ぐつぐつと煮える鍋を見つめる。安慶は道中で寒さに赤くかじかんだ手をかざした。
「でもやっぱり安慶がいると違うわね、すごく温かいもの」
「ふっ、これも日頃の功徳の賜よ。結界もこうして役立てることに意味がある」
手をかざしながら寺の坊主連中が効いたら卒倒しそうな言葉を吐く安慶。温めた手にじんじんと血が通い始めていく。
「本当、坊主の台詞とは思えないわ」
「なに、既に破壊僧だ。破門されている身故、戒律など意味をなさんよ」
「でもそんな貴方の方がお寺にいるお坊様よりも徳があるなんて皮肉よね」
「ま、それは言うてやるな。連中とて徳がないわけではない」
小屋の周り全体に安慶が張り巡らせた結界が、外気の侵入を阻んでいた。それにより先程まで冷気の鳴いていた小屋の中も、今ではぽかぽかと暖かい。
けれどこの結界も安慶だからこそ張れる皮肉に奇里は苦笑した。
「?」
宗次郎は難しすぎて話がわからず首をひねる。
――――くぅぅー。
と。可愛らしい音が鳴った。
「あ、お腹空いちゃったか、宗次郎」
「うん。だってすっごくいい匂いなんだもん」
虫の鳴った腹を両手で触れながらこくんと頷く。
「うむ。だがそろそろ良さげではないか、奇里」
「うーん……、そうみたいね」
鍋をかきまぜながら奇里は言う。それに宗次郎は顔を輝かせた。
「ぼくお椀とお箸取って来るね!」
たたーっ、と勢い良くかけていく宗次郎。それを二人は笑みを零しながら見つめる。
「良い事だ。食欲は成長の証故な」
「ええ。宗次郎はああじゃなくっちゃね」
「はい! 取ってきたよ」
箸と椀を奇里に渡し、ちょこんと隣に腰かける。
頭を撫でてから奇里は順々に椀に雑煮を盛っていく。
熱々とした湯気の立ちこめる椀を受け取り頬を崩す二人。
「じゃあ、食べましょうか」
最後に自分の分を盛り終え、奇里が告げる。
「いただきまーすっ!」
元気な声が、小屋を震わせた。
ゴォーン、ゴォーン、
ゴォーン、ゴォーン、
夜も更ける寒空の中、重く厳かな音が鳴り響く。けれどどこか澄んだ響きをかもし出す音の数は百八つ。
行く年。
来る年。
新たな年の幕開けを、今年一年に感謝を告げて開く、除夜の鐘。
「今年ももう終わりね」
「うむ。思えば実りの多き一年であったか」
囲炉裏に手をかざしながら、二人は静かに鐘の音に耳を傾ける。
想い馳せるのは約半年ほども前。
奇里。宗次郎。安慶。
三人の出会った夏の季節。
「よもや再びこうして会するなどとは思わなかったな」
「えぇ。私もこんなに早くの再会とは思ってなかった」
夏の季節。
始めて出会ってくぐり抜けた死線。そしてまた訪れた別離。
互いにまたいつか、とそう思ってもそれはまた別の戦場であろうと描いていた出会い。
まさかこうして共に年越しを迎えるなどとは露とも思い描いてはいなかった。
「でも、こういうのも縁、って言うんでしょうね」
既に夢の世界にいった宗次郎の頭を優しく撫でながら奇里は告げた。
それに安慶も頷く。
「私は宗次郎がいたから平気だったけど、安慶は寂しかった?」
「……。いや、寂しいとは思いはせん。だが時折、背中を任せられる者がいないという不安は湧いたがな」
「へぇ。それはちょっと、嬉しいかな」
奇里の膝の上で気持ち良さそうにまどろむ宗次郎。その寝顔を見ながら、くすり、と笑みを零す。
「貴方の噂はたまに聞こえてきたから、その度に宗次郎はまた会いたいって言ってたわ。だから会えてすごく嬉しがってた」
安慶も宗次郎の寝顔を見つめる。
遠く、凍える様な星空の中を鐘の音が渡りゆく。
いよいよ本格的になった雪が、銀世界へと変えていく。
「年を越し、しばらくしたらまた互いに旅へと出向くか」
「えぇ。また道はバラバラね」
住む道。進む道。
共に違う三人は、今は奇里と共にいる宗次郎でさえ、いつかは分かれゆく。
けれどそれが人生だと二人は想う。
そして偶然にまた出会うのも人生だと。
「今はまだ、共に在る」
「その時を楽しまなくちゃだものね」
互いに顔を見合わせて零れる笑み。
除夜の鐘が、鳴り終わった。
「さぁ、ここからまた新しい一年」
「ふむ。ではひとまずは、」
『――また一年、よろしくお願いします』
第一話 明くる年 了