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妖物語  作者: 飯綱 華火
因縁奇譚
1/11

奇妙な女

 カラン、カランと下駄が鳴る。


 澄んだ音色が空気を揺るがした。

 木霊は微かに、けれど確かに揺れ動く、空気の音曲。

 カランと一つ、鳴る度にたなびく黒髪。

 そよと揺れるそれは風に遊ぶ――まさに旋律。

 道、涼やかに音色が響く。

 ぽつりぽつりと旅籠屋が軒を連ねる旅街道、足軽やかに進む者は――女。

 紅葉の模様の入った単衣を纏い、肩までとどく艶やかな黒髪がサラサラと揺れる。

 端整な顔立ちに淡い微笑を浮かべ彼女は往く。

 それは一見してわかるほどの美貌。

 しかし、道行く人々は彼女を見た途端にさっと道を開けた。

 まるで忌避するように、関わりをもたぬよう伏せられた顔。そして畏怖と興味の交じった視線が彼女のある一点に注がれる。


 それは一振りの太刀。


 鈍く黒光る鞘に納まった、人を殺めるためのもの。 

 その、女性には不釣り合いな物を腰に差し、彼女は悠然と歩を進める。

 カラン、カランと()を鳴らし、髪を風に遊ばせながら。

 彼女を遠間に見やる人々とはまるで別種の、どこか楽しげな微笑を浮かべ。それがまたどこか、異質。

 あくまでも軽く、自然に。心の赴くままとでもいう様に。もしくは導かれでもするように。

 彼女の足は道を往く。

 その足が、ピタリと止まった。

 すっくと伸びた背筋は威厳に満ちて、その双脚はしっかりと大地を踏みしめる。

 まるでそれは、けっして揺らがないと暗に示しているかのよう。

 ふぅ、と溜息が零れた。

 身体を弛緩させ、全身の緊張をほぐす様に抜かれる気勢。けれど、それでも溢れ出る物がある。

 それのみを身に纏い、先程とは打って変わった鋭い相貌。

 そこに穿たれた(まなこ)が見つめる先。力強く見据えた瞳にその姿を映し出す。


「この先か……」


 確かめるように呟いてまた、歩を進める。

 歩み行く先は山。

 天頂を深い霧に包まれた山が目の前にはそびえ立っていた。

 さらにはその山にはすでにうっすらと影がかかる。

 既にもう、日暮れ時が近づいていた。


「え、ちょっと娘さん?」


 軒先に出て客寄せをしていた女が驚いて声をかける。

 彼女の歩みは止まらず、その足取りは山へと向かったまま。


「もうじき日暮れだよ! 今からじゃあ野宿になっちまうよっ」


 かけられた声に彼女は淡く微笑んで、静かに首を横へと振った。

 宵闇の山越えの旅も彼女は意に介さない。

 旅籠屋にも目をくれずに山へ行く。

 強く、強くその足は踏み出され。


 カラン、カランと下駄が鳴る。



                  〇〇〇



 木漏れ日が薄く道を照らす。

 射し込む光は黄昏。すでに辺りは薄暗く、夜気の訪れとともにシン、と空気が冷えていく。

 一日で深山を踏破することなど到底かなわず、その中腹で彼女は一夜を越すことにした。



〇〇〇



 パチパチッ、と火がはぜる。

 暗夜の中、彼女の白い顔が茫と浮かぶ。木に背をあずけ彼女は太刀を抱くようにして座している。

 眠っているのか、瞳は閉じられ、規則正しく胸が上下している。あるいは、視界を閉ざすことで『何か』に集中しているのか。


「―――」


 突然、キッと双茫が見開かれ彼女は立ち上がる。手には太刀。

 立つその物腰は柔らかく、何時如何なる場合にも対応できるよう備えている。

 その姿はまるで猫。臨戦体勢に入った獣を想わせる。

 すっ、すっ、と視線が宙を舞う。油断なく配られる瞳。

 しかし、すぐに彼女は諦めたのか「ふぅ……」と長く息を長く吐き、再び瞳を閉じる。


「―――」


 数瞬の後、再びゆっくりと目蓋が開かれる、その途中。



「―――ッ。―――けて……ッ!」



 遠く、何処かで、泣き叫ぶ声を聴いて取る。

 次の瞬間。

 彼女の姿は掻き消えていた。



 漆黒の闇の中、彼女の影が山中を駆け抜ける。

 光は僅かな星明かり。人道でも獣道でもない雑木林の真っ只中を駆け抜ける。

 その速度は常人非ずして、ましてや女の身となれば尚更に異常。

 しかし、それ以上に驚嘆べきはその身のこなし。

 乱立する草木の中を、その柔肌に一度も触れる事無く駆けて抜ける。

 さぁっ、と。静寂の夜の中を彼女の駆けゆく音のみが幽かに木霊する。

 その最中、彼女の瞳が異形の姿を見てとった。

 それは狒々(ひひ)。

 黒毛に覆われた毛むくじゃらな体躯に、獰猛な貌からは尖った乱杙歯が覗く。身の丈は七尺(約二メートル)にも及ぶだろう。

 そんな狒々に見下ろされるようにして、地べたで腰を抜かす子供が一人。

 只々その恐怖にガタガタと身を震わせて、幼い顔をボロボロと涙に濡らす。

 遂にあまりの恐怖で動けなくなったのか、子供は後退ることもできず、すっくりと這い寄る狒々を見上げる。

 その姿に狒々の口元が大きく釣り上がる。

 歪な三日月。

 それが、目元を覆う程に上がる、その刹那。

 

『―――ッ』

 

 喉元まででかかった狒々の哄笑が止まり、苦々しく閉じられる口元。

 子供の姿はすでにない。

 充分に距離をおいたその先に、背で子供を隠すように優然と女が立ちはだかっていた。


「ここで待ってて、坊や」


 狒々から目を逸らすことなく彼女は子供に言う。

 その声音は優しく穏やかで、子供は幼心に彼女が味方であると理解した。


「さて……」


 狒々を睨み、彼女は腰元の太刀に手をあて鯉口を切る。


「山の翁がどうしてこんな所にいるのか知らないけどさ、この子には手出しさせないよ」


 宵闇の中、月下に燦と白刃が煌めく。


『ヒッ――ヒヒヒヒヒィッ―――!』


 唸り声が上がる。口元を三日月形に釣り上げた狒々の声。あるいはそれは狂笑の雄叫び。

 同時に狒々の腕が空を凪ぐ。

 いかなる現象か、突如暴風が巻き起こり、彼女めがけて荒び行く。それを、


「ふっ―――」


 一刀の下、彼女は逆袈裟に斬って捨てる。

 真っ二つに割れる暴風。彼女の髪がサラサラと揺れた。

 果たしてそれは他者にどう映ったであろうか。

 子供は、彼女の体が蒼い光で包まれているのを見てとった。


「そろそろ終わりにしようか」


 背後へと太刀を引き、背で隠すような脇構え。

 同時に、彼女を包む蒼い光がその量を増す。


『ヒヒヒヒヒヒヒィ―――!』


 一際高く狒々が吠える。轟、とその周囲を暴風が包み込む。

 互いの殺気が場を包む。その、あまりにも異様な空気に、ゴクリと子供が喉を鳴らす。

 刹那。


「―――ッ!」

『―――ッ!』


 それが合図であったかのように両者の体が交差し、蒼穹の輝きを放つ太刀と暴風の弾丸が衝突し攻めぎあう。

 ザワッ、と夜の山が震えた。

 寝静まった鳥や獣が一斉に逃げてゆく。


 一時の静寂。


 ぐらり、と狒々の体が揺れ、地面に倒れ伏す。

 血切りをするように彼女は大きく太刀を振り、その刀身からはサラサラと蒼い光が舞い散った。

 後に残ったのは彼女と子供。

 振り返った彼女は優しく子供に微笑んだ。


「終わったよ、坊や」


 その笑顔で張り詰めていた緊張が解けたのか、わっと子供は泣きじゃくる。


「もう大丈夫。だからたくさん泣きな。――坊や、名前は?」


 近づくと子供は彼女にすがりつき泣く。それでも、 


「そう……じろう……」 


 自らの名を告げた。


「よかったね、宗次郎。命、拾ったよ」


 宗次郎を抱き上げ、ぎゅっと抱き締める。

 

「私は――奇里(きり)

 

 彼女――奇里に抱きつき宗次郎は咽び泣く。

 くしゃり、と奇里は宗次郎の頭を撫でた。

 二人を照らす月光はどこか優しげだった。



                                                                            奇妙な女/了


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