リュリュの決意
日の出と共に出発したアリス達は朝霧に紛れて敵本陣の真上の崖まで移動することに成功した。
「じゃあ、よろしくね皆。・・・絶対全員揃って帰るわよ」
アリスの言葉に全員が力強く頷いて、各自が持ち場についた。
まずアリスたちが降下を始め、キャシーが遠眼鏡でアリスたちが降下をし終わったことを確認すると、グレンが爆発札を括りつけた矢を射り、本隊と本陣を分断する。爆発札によって突然爆発が起こった敵本隊は大混乱をきたした。
その様子を見たアリスはレオとソフィアと頷き合うと、自分の得物である小ぶりなメイスを二本取り出して両手に持った。
「よし、いくわよ、二人共」
レオとソフィアもそれぞれ武器を持ってもう一度頷く。
まず、アリスが飛び出して本陣真ん中に陣取っていたキツネ目の男に飛びかかる。
キツネ目の男、エリヤスはアリスの襲撃に見事に反応し、自分の剣を抜いてアリスのメイスを受け止めた。
「あら、絶対取ったと思ったの・・・にっ!」
アリスはエリヤスに蹴りを入れ少し後ろに飛んで距離を取り、メイスの柄についたボタンを押して武器をモーニングスターへ変化させた。
「はっはっは。いやあ、これはこれは、嬲りがいのありそうな女性がきたものですね。貴女やあっちの彼女のような女性を与えてやれば兵士たちの士気も上がるというものです。くくく・・・」
「どうやら、わたしが当たりと言うわけね・・・念のために確認しますけど、あなたがエリヤス男爵で間違いないですね?」
「いかにも。私がエリヤスですよ。・・・アリス・シュバルツ将軍」
「・・・あら、私って意外と有名人なのかしら」
エリヤスに見事に正体を見ぬかれたアリスの顔に、一瞬動揺の色が浮かぶ。
「貴女があの街に滞在していることはわかっていましたからね。奇襲戦を得意とする貴女が奇襲を仕掛けてくるのは予想していましたよ。まあ、ご本人がいらっしゃるとは思っていませんでしたが」
「・・・・・・」
「歴戦の女将軍を好きにできるなんて部下たちはさぞ燃え上がるでしょうな。ああ、でも貴女は部下たちにはもったいない。辱めず剥製にして我が家に飾るのもいいかもしれませんね。貴女にはその価値がある!」
「それ・・・いままで言い寄ってきたどの男性よりも最低の口説き文句ですよ」
若干引きつった笑いを浮かべながら言ったアリスの言葉を聞いてエリヤスは満足そうに笑った。
「その言葉、私にとってはご褒美ですよ」
気味の悪い笑顔を浮かべてエリヤスが剣を振りかぶる。
「壁に賭けるのなら、どうせ肘から先はいらないんですから、さっさと切り落としましょうかね」
「ごめんなさい。こう見えて、本業は旅芸人だったりするものですから、大事な商売道具をそう簡単に切り落とされるわけには行かないんです」
そう言いながらエリヤスが振り下ろした剣をかわして、アリスは腕を振ってモーニングスターの鉄球をエリヤスに飛ばす。
鉄球は的確にエリヤスの顔に向かって飛んでいったが、エリヤスはいとも簡単にその鉄球を剣で払い落とした。
「・・・私は少し貴方のことを侮っていたかもしれませんね。少しテンションを上げて行きましょうか」
アリスはそう言って笑うと、小さな声で歌いだす。
「おお・・・歌声も美しい。そうだ、剥製などではなく、生きたまま壁に埋め込んで歌う胸像にするのもいいかもしれませんね。毎朝私の為に歌ってくださいよ」
アリスはエリヤスの挑発に動揺することもなく、歌い続ける。そして、逆に挑発するようにエリヤスに向かって指でかかってこいというジェスチャーをしてみせた。
「・・・いいでしょう。まずは手足を落として身動きを取れなくして差し上げますよ。地面を芋虫のように這いずりまわる貴女もきっと美しい」
エリヤスが振り回す剣をすべて寸での所でかわしながら、アリスは更に歌い続ける。
やがて、アリスの歌が終わりを迎えると、エリヤスは何が起こったのかわからないまま地面に転がった。
「・・・え?今いったいなにdfdvr?」
言葉にならない言葉を発しながら、エリヤスは必死に立ち上がろうともがくが、上手く身体が動かない。
「貴方の感覚を狂わせる歌を聞かせました」
「ひゃぁ?ないおljk?」
「どうです?自分の身体が自分の思うとおりにならないと言うのは怖いでしょう?」
凍りつきそうな冷たい視線を浴びせながらアリスがエリヤスを睨みつける。
「貴方の噂は聞いたことがありました。暴動の鎮圧という大義名分を掲げて、攻めいった村々での悪虐非道の限り。略奪、強姦。そして串刺し。さぞかし沢山の人に恨まれているんでしょうね。ほら、今だってあなたの首に手をかける人が・・・」
アリスの言葉を聞いたエリヤスは恐慌状態に陥り、自分の首を締める亡者の手の幻覚を見る。
「あらあら大変。沢山集まって来ちゃったみたいですね」
エリヤスの目に映る亡者の数はどんどんと増えていき、沢山の手がエリヤスの首を締める。
「ほらほら、早くその腰の短剣で手を斬り落とさないと。・・・死んじゃいますよ」
「し、死にたsmにふぉ@!」
エリヤスは腰の短剣を抜いて自分の首にまとわりつく手に斬りつける。しかし、そこには当然まとわりつく手などは存在しない。
自分で振り回した短剣はエリヤスの首を何度も何度も傷つけた。浅いものから深いもの。血が吹き出るもの。大小様々な傷がついていくが、エリヤスは意味不明な言葉を喚きながら自分の首を斬りつけ続ける。やがて、エリヤスの振り回したナイフが彼自身の喉笛を深く切り裂いた所で、喚き声はヒューヒューという音に代わり、やがてその音もしなくなる。
それを見届けたアリスは、一つため息をつくと、ソフィアとレオの方へと視線を向けた。
手数では圧倒的にレオのほうが上だった。
実際急所を狙っている打撃も何発か入っているのだ。
だが彼は倒れず、致命傷になりそうなナイフの攻撃は尽く防御されてしまう。そんな事は起こるはずがないはずなのに。
「ち・・・何なんだよ、お前。なんで俺の攻撃を防御できるんだよ」
決着がつかない戦いに焦れたレオが声を上げた。
「君の方こそ何なんだ。なぜ防御ができない」
「はぁ?どういう意味だそりゃあ。しっかり防御してんじゃねえかよ」
「どういうもこういうもないだろう。何故私の自動防御以外では防御ができないのかと聞いている」
「ああ、なるほど。それがあんたの魔法か」
「いかにも。私の魔法は自動防御だ。致命傷になるような攻撃は全て魔法が防いでくれる」
「あんた馬鹿だろ。相手に手の内を晒してまともに戦えるとでも思ってんのか?」
「当たり前だ。私には磨きぬいた剣技があるからな。私の魔法がバレた所で問題はない」
そう言ってデールは不敵に笑うが、彼の持っている得物はどう見ても戦斧だ。
「・・・ツッコミ待ちか?」
「何がだ?」
「何でもねえよ」
レオが地面を蹴って、もう何度目になるかわからない攻撃をかける。
右手に持ったナイフでの斬撃はあっさりとデールの戦斧に受け止められるがそんな事は計算の上だ。
レオはそのままナイフと戦斧を支点にして飛び上がり、デールの後ろに回ると自身の魔法を発動させた。レオの魔法の影響で振り返ることもしないデールの背中を見て、レオがため息をついた。
時間停止。それがレオの魔法だ。
「強いんだか強くないんだか。まあ、それは俺も同じか」
そう自嘲的に言って、レオはナイフを両手持ちに持ち替えて攻撃を仕掛ける。
「悪いな。殺すつもりはないけど、しばらくじっとしててもらうくらいの怪我はしてもらうぜ」
レオはそう言って渾身の力を込めて、体ごとデールにぶつかっていった。
だが、デールはそのナイフを再び戦斧で止めてみせた。
「うそだろ・・・」
ナイフと戦斧がぶつかる、キンという音が合図であったかのように、世界が再び動き出す。
「完全に死角のはずだろ。大体何で俺の魔法の範囲の中で防御なんかできんだよ。ありえないだろ」
「君の魔法がどんな魔法なのかはよくわからないが、私の自動防御のほうが、レベルが高いということなのではないかな」
「チッ、パッシブマジックはこれだから面倒なんだよ」
はっはっはと爽やかに笑うデールに対して舌打ちしながらレオが再びナイフを構える。
「あんた、バルタザールがリュリュを何に使うかわかってんのか?」
「・・・ああ」
「知っていて何でリュリュを拐おうとするんだ!」
そう言いながらレオが繰り出した一撃は、やはりデールの戦斧に受け止められてしまった。
やはり元々の体格もよく、日頃から騎士として鍛錬を積んでいるデールに比べてスカウトのレオの攻撃は軽い。
「例えば世界を敵に回そうが」
そう言って一息にレオを押し返しながらデールが続ける。
「主君を裏切ろうが」
レオを押し返して、戦斧を振りぬいたままの姿勢でデールがつぶやく。
「それでも守りたい人が、君には居ないか?」
明らかに先程までとは気迫の違うデールの様子に、レオは気を引き締め直す。
「どういう意味だ」
「人には立場と言うものがある」
隙ができることなど考えない、ただ戦斧を後ろに大きく振りかぶっただけの構えから、デールが戦斧をレオに向かって振り下ろす。
その気迫にぞわりとしたものを感じて、レオは後ろに大きく飛び退いた。
次の瞬間、ドン、と大きな音を立てて地面がえぐり取られる。
「私が悪いのだ。あの時、最初に来た晩に、アンジェの話をはぐらかすようなことをせずに、やめろと言うべきだった。全て判っていて、それをしなかったばかりに、エリヤスが来てアンジェは身動きが取れなくなってしまった」
戦斧を地面に突き立てたまま、デールは震えながら俯いている。
「エリヤスに兵達を人質に取られて、今更やめるなどとは言えない。そんな状況に、私が彼女を追い込んだ。だから私は、間違っていようが、世界が終わろうが、アンジェが是とする道に進むしか無いのだ」
「っざけんな!」
隙だらけのデールの顔面に、レオの渾身のパンチが炸裂する。
殺意のない攻撃には、デールの自動防御は働かない。
「だったら、てめえが守るべきはアンジェリカだけじゃねえってだけだ。アンジェリカを本当に救いたいなら、リュリュもアンジェリカも兵士もお前が救えよ!」
と、レオが柄でもない説教をしたところでデールが何かに気づいたように突然顔を上げ、いきなり走りだした。
「あ、ちょっとまて、逃げるなおい。ここで逃げられたら、俺がものすごい恥ずかしいだろうが!待てって!おい!」
だがデールはレオの制止など聞かずにまっすぐに走っていく。
「なんなんだよあいつ・・・」
レオはもう既に彼の相手をすることに関して、半ば面倒臭くなりかけていたが、作戦の都合上、放っておくわけにも行かずデールを追って走りだした。
アンジェリカはソフィアの攻撃に対して防戦一方だった。さらに言えば、相当な猛攻をかけていたソフィアよりも、ただ受けていただけのアンジェリカのほうが息があがっている。ハルバートの振り下ろされる向きを少し捌くだけでも疲労が蓄積していく。それだけの威力がソフィアの攻撃にはある。
「はぁ、はぁっ・・・何だ、君のその化物みたいなでたらめな攻撃力は。反撃する間がないではないか」
「ば、化物とか!女の子にいう言葉じゃないよ!・・・じゃなくて、降参してください。貴女の話はメイから聞いています。こちらには、貴女を受け入れる準備があります。リュリュちゃん・・・じゃなかったリュリュ様も貴女を待っているはずです」
攻撃の手を止めて、ソフィアがアンジェリカにそう勧告する。
「・・・ありがたい申し出だが、一度主人であるリュリュ様に弓を引いた私にはその資格はないよ」
そう言って寂しそうに笑うと、アンジェリカは剣を捨てて地面に座り込んだ。
「もう決着はついた。殺せ。私は君には勝てない。そして、アンドラーシュに降るつもりもない」
「え・・・でも・・・ええ・・・どうしよう」
「殺さなければ、終わらないだろう」
「だ、だから、降参してくれれば、別に・・・」
「降参しないと言っている」
「で、でも剣を捨てたし・・・」
「私にはもう抵抗するつもりはない。だが、今更降参してリュリュ様に合わせる顔など・・・ない」
「・・・わたし、少し前に、リュリュちゃ・・様と一緒に旅をしたんです。グランパレスまで。その旅の間に何度も何度も貴女の話を聞きました。リュリュ様はすごく楽しそうに目を輝かせて貴女の話をしていました。お兄さんもお父さんも側にいない中で、貴女だけが唯一家族のようだったって。本当のお姉ちゃんのようだったって」
「・・・・・・」
「良いことも、ちょっと悪いこともアンジェに教わったって、今の自分があるのはアンジェのおかげだって。そう言っていました」
「だが、わたしは!リュリュ様を・・・リュリュを守るどころか・・・。全部知っていて、それでも父上に従ってバルタザールに渡そうとしたんだ。私だって、リュリュ様のことを・・・リュリュの事を・・・」
そう言ってうつむくアンジェリカの瞳から涙がこぼれ落ちて地面を濡らした。
「でも、渡さなかったんですよね。オリガちゃんが言っていましたよ。あの時、アンジェリカ様が本気だったら、自分はリュリュ様を助けることができなかったって」
そう言って、ソフィアはアンジェリカ同様武器を捨て、地面に膝をついてアンジェリカの手を取った。
「オリガが・・・?」
「失敗しちゃった事はもうどうしようもないです。それに、騎士さんには色々あるっていうのもわかっています。でも、それで恥ずかしいからって死んじゃうのは、それこそ一番の裏切りなんじゃないですか?私は大好きな人達のためなら、どんなに恥ずかしくたって苦しくたって頑張ります。アンジェリカさんも、一緒に頑張りましょうよ」
そう言って手を差し出すソフィアを見て、アンジェリカが笑い出した。
「ふ・・・あはははは!君は変な奴だな。メイといい、君といいアンドラーシュのところには変な奴しかいないのか?」
「変だなんてひどいなぁ。わたしたちは良い人なんだよ」
ソフィアはそう言って頬をぷぅっと膨らませる。
「そうかもしれないな。・・・私はアンジェリカ・フィオリッロ。アンジェと呼んでくれ」
「わたしは、ソフィーティア・ハルハーケン。ソフィアでいいよ。アンジェちゃん」
アンジェリカはソフィアの手を握って自分の名を名乗り、ソフィアもアンジェリカの手を引いて立ち上がらせながら名乗った。
と、二人の周りを三人の男が取り囲んだ。
「おいおい、本陣が騒がしいと思って戻ってきてみれば、裏切り者が出てるじゃねえか」
「なあ、エリヤスの奴がやられちまったみたいだけど、こいつら好きにしていいんかな」
「いいんじゃねえのか?つーか、あいつ俺ら五人ん中で一番弱いくせに家柄のせいで偉そうにしててむかついてたんだよ。あと、この女。こいつも俺達を汚いものを見るような目で見てやがった。俺は覚えてる」
そう言って男がアンジェリカを指さした。
「だからこいつは俺にヤらしてくれよ」
「ああん?おまえ、こんな男みたいなのが好みなのか?おれはどっちかってーと、あっちの胸のでっかい金髪のねーちゃんの方が・・・」
「さっきから聞いてれば、人のフィアンセに向かって、随分と失礼な物言いだな」
「ああっ?」
アンジェリカを指さしていた男は後ろから掛けられた声に振り返ると同時に、顔を殴られ、5メートル程飛ばされた。
「デール!」
「アンジェ。すまなかった。先ほど彼に言われて気がついたよ。私が、君を引き戻すべきだった。私は、君を守るということを履き違えていた」
「てめえ、何しやが・・・うげっ」
「いきなり背中向けて走りだしたから何かと思ったらそういうことかよ。ったく」
「レオ君!」
レオがもう一人の男の顔面に膝蹴りを入れて倒し、それを見たソフィアが歓喜の声を上げた。
見事な一撃で大男を沈めたレオを見て、デールが感心したようにつぶやく。
「ふむ・・・それにしても、さっきから気になっていたんだが、君のその防御できない攻撃は何なんだ?そういう魔法か?」
「教えねえよ。つーか、あんたこそ何で全部防御できていないのに倒れないんだよ。致命傷は防げたってダメージが抜ける訳じゃないんだろ。いくら俺の攻撃が軽いからって普通ならもう立っていられない位のダメージはあるはずなんだけどな」
「はっはっは。私は、身体が頑丈なのが取り柄でね。・・・デール・ジャイルズだ」
そう言ってデールは笑顔でレオに手を差し出した。
「レオだ。レオンハルト・ハイウインド」
「ふむ・・・ハイウインド。なるほど、君はもしかして・・・」
レオがデールの手を握り返しながら言ったフルネームを聞いて、デールが口を開きかけるが、レオがそれを制した。
「ま、家のことはあんまり言わないでくれ。あんまり好きじゃないんでね」
「てめえ、何、人の事無視してんだこらぁ!」
残った一人が大声を上げて去勢をはるが、デールもレオも冷ややかな目で男を見ている。
「悪いことは言わないから、降参しとけ」
「そうだな。私もそれを薦める」
「ああっ?ふざけん・・・ぐぁ・・・」
後ろからソフィアとアンジェリカの二人に殴られ、最後の一人も気絶した。
「さて。じゃあこれで全面降伏ってことでいいかしら?」
全てが終わった後で、アリスが4人の所へと近づいてきてアンジェリカとデールに確認を取る。
二人は頷き合ってアリスの前に跪く。
「我ら、アミサガン軍一万、ここに降伏を宣言致します」
「何卒、兵たちには寛容な扱いをお願いいたします」
「了解しました。降伏を認めます。・・・と、言っても、本格的な開戦前でしたし、このまま全軍を併合させてもらうことになると思いますけどね」
そう言って、アリスが穏やかに笑った時だった。
轟音を立てて崖の上から人が降ってきた。
一人はアリスの知らない人間。もう一人はアリスの知っている人間だった。
知らない方の人間は、一目で助からないとわかる状態。もう一人はかろうじて息がある状態だった。
「グレン君!」
最初に悲鳴のような声を上げて駆け寄ったのはソフィアだった。
「動かすな!・・・衛生兵!」
ぐったりとしたグレンを抱き起こそうとするソフィアを制して、アンジェリカが本陣に向かって叫ぶと、数人の衛生兵が走ってやってきた。
「・・・どうだ?」
「あまりよくないですね。落ちるときにあちこちぶつけている。・・・正直、生きているのが奇跡です」
治療をしながら答える初老の衛生兵の男性の額には汗が浮かんでいる。
「助かる確率は?」
「・・・1割を切るかと」
「・・・聞こえるか?聞こえたらどこでもいい。一回動かせ」
アンジェリカの問いかけに、グレンのまぶたが、一回動いた。
「正直、君が助かる確率は少ない。どうする、楽になりたいか?」
今度は微かに、本当に微かにグレンの首が横に動く。
「・・・ねない。・・・が・・・る」
途切れ途切れではあるが、力強い声を聞いてアンジェリカも強くうなづいた。
「わかった・・・アリス殿は先導をお願いします。ここでは設備もない。彼を馬車で城に」
「わかりました」
「兵長、君はできるだけの装備を持って彼と一緒に馬車で城に向かえ、バカな戦いをしなくてよかったのは、彼らのおかげ。何が何でも助けるんだ」
「承知しました」
「わ、私にも手伝わせてください!」
オリガに抱えられて崖を降りてきたキャシーが叫ぶ。
「グレンは私をかばって・・・だから・・・」
「・・・早く馬車に乗りなさい。貴女が居たほうが話が早いわ。処置の手も多いほうがいい」
アリスは、アンジェリカから借り受けた馬にまたがると振り返って指示をだした。
「私は先に行って設備の準備をするように要請を出しておきます。オリガ、あなたはレオとソフィアと一緒にアミサガン軍の武装解除を」
「わかった」
「お願いね」
アリスはそう言って馬の腹をけると、全速力で馬を走らせ、グレンとキャシーを乗せた馬車もその後を追った。
エド達がアミサガンの本陣に到着すると、アミサガン軍の本陣は片付けがほぼ終わった状態だった。
背後から挟撃をしようと意気込んでいたアレクシス軍は何が起こったのかわからないまま、本陣のあった所をゆっくりと歩いて進む。
ちらほらと、アミサガン軍の兵士の姿が見えるが、皆一様に戦意はなく、ほっとしたような顔をしている。
「お、エド。・・・って何だその髪の色」
「レオ!どうしたの、こんなところで。・・・というか、何でアミサガン軍は撤収しているの?」
「ああ、アリスさんが敵の大将を打ちとって、全面戦争はなんとか回避したんだ。アミサガンが降伏して、今は武装解除と本陣の撤去作業中だ」
「そうなんだ・・・じゃあ、みんな無事で?」
エドの問いかけに、レオは少しうつむいて首を振った。
「いや、グレンの奴が崖から落ちて、大怪我をした。さっき馬車で城に向かったけど・・・あまり良くはないらしい」
「グレンが?」
「ああ。あいつは崖の上から俺達の進路と退路を確保する役だったんだけど、崖の上にも敵が現れちまって、それでオリガと一緒にキャシーをかばって敵ともみ合いになって一緒に落ちたらしい」
「そんな・・・レオ、ちょっとこの子お願い」
エドはそう言って乗っていた白馬から飛び降りると、レオに手綱を渡して自分は元来た方向へと走っていった。
しばらくして、馬群の中から猛烈な勢いで、顔色の悪いジゼルを後ろに乗せたエドの馬が走りだしてきた。
「レオ、その子のことお願いね!」
エドはそう言いながら文字通り、風のようにレオの横を駆け抜けていった。
続いて、リュリュを前に乗せたアレクシスの操る馬も街に向かってまっすぐに駆け抜けていく。
「そっか・・・そういえばジゼルの奴・・・」
城内の噂はレオも聞いたことがあった。
だから、隊で一緒になった時にグレンが『絶対に騎士叙勲を受けるんだ』と息巻いていたときに、「ああ、そういうことか」と納得もしていた。
ジゼルはジゼルで、グレンのことなど何とも思っていないと公言していた。だが、それが彼を守るための嘘であることもまた、公然の秘密だった。
「やりきれねえよな・・・」
レオは、そう言って空を仰いだ。そして、一度頷くと、少し離れた所で作業をしていたソフィアに声をかけた。
「ソフィア!俺達も城に戻るぞ。何かしてやれることがあるかもしれねえ」
「うん!」
レオはソフィアを後ろに乗せるとぽんぽんと馬の首を叩いて「もう一働き頼むな」とささやき、馬は答えるように一ついなないた。
「大隊長!」
集中治療室から出てきた衛生兵隊の大隊長にキャシーが駆け寄る。
「グレンは?グレンはどうですか?」
「今は少し持ち直しているけど・・・明日はむかえられないと思うわ」
「そんな・・・だって、さっきまで元気だったんですよ!なのに・・・」
グレンの容態を聞いて取り乱すキャシーの肩を抱いて落ち着かせると、大隊長は廊下に設置してあった椅子にキャシーを座らせた。
「・・・貴女、実戦は初めてだったわね」
「はい・・・」
「一番最初の教練の時、私は仲間の死を割り切りなさいと教えたわよね」
「・・・・・・」
「辛いだろうけど、割り切りなさい。この先戦争になればもっともっと沢山の人があなたの前で傷ついて、死んでいくわ。でもね、救えなかった一人にこだわっていたら、次の一人を見殺しにしてしまうかもしれない。辛いけど、それが私たちの仕事なの。それができないなら辞めなさい。そんなことでは、貴女の命だって危ないわ。・・・とにかく、あとは私や他の皆に任せて、今日の所は少し休みなさい」
「・・・はい」
「大隊長!心停止です!」
「わかりました。今行きます。キャシー、いいわね。きちんと休んで考えなさい」
キャシーは治療室に駆け込んでいく大隊長を見送ると、ふらふらと立ち上がり、出口へ向かって歩き出した。キャシーが出口の扉を開こうとした時、猛烈な勢いでドアが開き、顔面蒼白のジゼルが飛び込んできた。ジゼルはキャシーを見つけると、肩を掴んで尋ねた。
「彼は・・・グレンはどこ?」
「だ・・・第一治療室です」
「第一・・・」
ジゼルは投げ捨てるようにキャシーの肩を離すと廊下の奥へ消えていった。
乱暴に離されたキャシーがふらふらとよろけて倒れそうになるのを、アレクシスが受け止める。
「大丈夫かい?」
「あ・・・はい。ありがとうございます」
「ところで、グレンという兵士の病室は?」
「だ、第一治療室です」
「ありがとう。リュリュ、エド。彼は第一治療室だそうだ。いくぞ」
「解りました、兄様」
二人はバタバタとジゼルの後を追って廊下の奥へ消えていった。
「大丈夫?顔色悪いけど」
エドは今にも倒れそうな顔色のキャシーに尋ねた。
「うん・・・」
「グレンの容態、そんなに悪いの?」
「・・・うん」
「そっか・・・」
「あのね、エド。・・・わたしもう駄目かも。こんなの、無理だよ」
「・・・無理はしないで。元々私やヘクトールが村を出るときに無理やり一緒に来てもらっちゃったんだし、キャシーが無理をすることはないよ。今は自分の事だけ考えて。私はちょっとグレンに会ってくるからちょっとだけここで待ってて。もう少し話をしたいから、宿舎まで一緒に帰ろう」
「でもグレンはもう・・・」
リュリュとアレクシスが治療室に着くと、ジゼルが数人の衛生兵に取り押さえられていた。
「離しなさいよ!離して・・・嫌ぁ・・グレン!」
リュリュはアレクシスと頷き合うとグレンの遺体の横に立って手をかざして何かを唱え始めた。
遅れて病室に入ってきたエドは取り乱すジゼルに近づくとジゼルの頬を叩いた。
その音と痛みに、ジゼルが冷静さを取り戻す。
「・・・落ち着いてジゼル。騒いだらグレンの傷にさわるから」
「エド・・・だってグレンは・・・もう・・・」
「なん・・だよ。泣くなよ、ジゼル」
「グレン?あなた・・・意識が」
一番聞きたかった最愛の人の声に、ジゼルがグレンのベッドへと視線を移すと、ベッドの上で、グレンが首だけ動かしてジゼルの方を見て少し苦しそうに笑っていた。
「姉様、5分です。それ以上はリュリュには無理です。時間がありません。早く側に」
そう言いながら、リュリュがグレンの身体の上にかざしている掌からは、ほのかに赤色を帯びた光が放たれている。
「エド、僕らは外に出ていよう。他の皆もな」
「うん・・・じゃあグレン。私たちは外に出てるから、ジゼルのことお願いね」
「ああ、すまねえな。エド・・・いや、エーデルガルド王女。・・・かな」
「あ、ジゼルに聞いたんだね。まったく、ジゼルはおしゃべりなんだから・・・しかた・・・ないなあ」
そう言って笑いながら、エドは溢れてくる涙を袖で拭った。
「じゃあ、私はもう行くから。ちゃんとジゼルに気持ちを伝えなよ」
「ああ。・・・みんなによろしく。あと、キャシーは気にしそうだから、気にすんなって言っておいてくれ。女の子を守って死ねるなんてのは、男にとっちゃロマンなんだからな」
「そんなことジゼルの前でいうことじゃないでしょ。・・・じゃあね。グレン」
エド達が病室を出ていったのを確認すると、グレンは枕元にすがりつくようにして泣いているジゼルを抱き寄せた。
「ジゼル」
「・・・何?」
「ありがとうな。色々あったけど、俺はお前のお陰で幸せだったよ」
「・・・」
「最初は、『何だ、このいけ好かない生意気なお嬢様は。』・・・なんて思っていたんだけどな。人の縁ってのはわからねえよなあ」
「あ、あたしだってアンタのことなんか、いけ好かないやつだと思ってたわよ。・・・でも、アンタだけが普通にあたしに接してくれた。それがすごく嬉しかった。・・・グレン、今までちゃんと言ったことなかったけど、あたし、貴方が好き。大好き」
「ああ。俺もだ。俺もお前のことが好きだ。・・・なんだかなあ。最後の最後。こんな場面で言わなきゃいけなくなるなんて、思っても見なかったんだが。・・・そういえば、知っているかジゼル。遠い遠い小さな島国の風習なんだが、カタミワケってのがあるらしい」
「何・・・それ」
「死んだ人の持っていた品をその人の遺志と思い出を引き継ぐために、もらうんだそうだ」
グレンはそう言って、弱々しく首元に手を持って行くと、鎖を通して首に書けてある指輪をジゼルに見せた。
「この指輪さ、俺が死んだらもらってくれないか?価値はよくわからないけど、一応、うちの家に代々伝わる指輪なんだ。俺だと思って、大事にしてもらえると嬉しい」
「嫌よ」
「お前なあ、こういう時くらいは・・・」
「でも・・・アンタがあたしの指に嵌めてくれるなら貰ってあげる」
そう言ってそっぽを向きながら手を出すジゼルを見て、グレンは苦笑を浮かべながら、自分の首から指輪のかかっている鎖を外して指輪をジゼルの指にはめる。
その指輪は燃えるように真っ赤な色をしたルビーの指輪だった。
「うん。似合うな。ジゼルがわがままでよかったよ。おかげで、その指輪をつけているジゼルが見られた」
「わ、わがままって何よ!」
「怒るなよ。・・・俺は、お前のわがままな所が好きだ。誇り高いところも、優しいところも。ちょっと間抜けなところも全部好きだった。最後に好きになったのが、お前でよかった。最後に好きになってくれたのがお前でよかった」
「な・・・なんでこれで最後みたいなこと言うのよ。やめてよ・・・私まだ話し足りない。まだまだ伝えたいことがいっぱいあるのに・・・やめてよ。グレン」
「姉様!・・・これが、本当に最後です」
リュリュに言われて、ジゼルは涙を拭うと、グレンの手を取った。
「・・・グレン、あたしもね、あなたの図々しい所が大好き。普段憎まれ口ばかり叩いていても、本当は誰よりも仲間想いな所とか、傷ついているくせに傷ついていないって強がるところとか。みんなみんな大好き」
「なんだよそれ、褒めてんのか?」
「あなただってわたしのこと褒めているんだか、貶しているんだかわからないじゃない」
「まあ、俺たちらしいか」
「あたしたちらしいわよ」
そう言って笑いあうと二人はキスをした。
「あーあ。次に会うときは、ジゼルはヨボヨボの婆さんか。なんかそれはそれで残念だな」
「ふん。そう言うあんたはガキのまんまってわけね」
「・・・ヨボヨボのシワシワになるまで、会いに来るんじゃねえぞ」
「頼まれたって、あんたに会いになんかいかないわよ」
「ならいい。俺ほどのいい男はいないだろうけど、ちゃんと幸せになれよ」
「あんたよりいい男見つけて嫉妬させてやるわよ」
そう言ってもう一度キスをすると、グレンはゆっくりと上体を起こし、リュリュに向き直って頭を下げた。
「リュリュ様、ありがとうございました。これ以上話をしていると、未練がましくみっともなく泣き叫びそうなんで、もう結構です」
「そうか・・・グレンよ、向こうへ行っても姉様を見守ってやってくれ」
「ええ。もちろんそのつもりです。リュリュ様も、ジゼルのことお願いしますね。こいつ、図体ばかり立派で、中身はリュリュ様より子どもなんで」
「・・・ああ、任せるが良い。ではグレンよ・・・よい旅を」
リュリュが開いていた手を閉じると、手のひらから放たれていた赤い光は消え、グレンの命の火も静かに消えた。
しかしグレンの顔には数分前までの苦悶の表情はなく、とても安らかな、いい夢を見ているような、すっきりとした顔をしていた。
「姉様。リュリュは先に行きますので、また後ほど」
リュリュが退室して、後ろ手にドアを閉めると、部屋の中からジゼルのすすり泣く声が聞こえてきた。
(・・・リュリュは強くなる。姉様を守るために・・・皆を救うために)
リュリュは心のなかでそうつぶやくと、血がにじむほどの強さで唇を噛んだ。




