デミ・ヒューマン
馬車の中で退屈そうにしていたリュリュに、エドは細工切りを施した果物の乗った皿を差し出した。
「ふむ。エドは器用じゃのう」
差し出された皿の上からうさぎの形に切り分けられたりんごを取りながらリュリュが関心したように言った。
「ええ、細かい作業は結構好きなので。ジゼルとソフィアもどうぞ」
「・・・普通、そういうのって主人に真っ先に差し出すんじゃないかしら」
「え、だって私たちって主従関係というよりは友人でしょ。それにリュリュ様はゲストだし」
「友人!・・・エド。あなたやっと・・・」
「まあ、ジゼルが主従関係がいいって言うならそれでもいいけど」
「あ、いいのよ!全然いいのよ」
「いえ、そんな。ジゼル様に対して飛んだ無礼を働いてしまい、申し訳ございませんでした。今後は節度と距離を十分に取って対応させていただきますね」
「前より距離が開いてる気がする!」
「・・・・・・こう言ってはなんなのですが、リュリュはジゼル姉様のことを少し誤解していたかもしれません」
「え?」
「ジゼル姉様はもっと凛としていて、強い女性のイメージだったのですが、どうもエドとのやりとりを見ているとそのイメージとかけ離れすぎていて、少し戸惑っております。なんというか・・・良くも悪くも叔父上の娘なのだなと」
「・・・どう考えてもいい意味じゃなさそうなんだけど」
「良い意味じゃないよねぇ・・・」
ソフィアがそう言いながら苦笑いを浮かべた。
「そういえばソフィアやレオはジゼル姉様とはどういう関係なのじゃ?エド同様に親しそうじゃが」
朝から気になっていたことをリュリュがソフィアに尋ねる。
「わたしとジゼルちゃん。それにレオ君は幼なじみなんです。ジゼルちゃんって小さい頃はイデアじゃなくてセロトニアに居たから」
「ああ、なるほどのう。そういうことであれば納得じゃ。エドはどうなのじゃ?イデアに来てからの幼なじみなのかのう?」
「いえ、私がイデアに来たのは3年前なので、幼なじみというほどではないですね。・・・でも、気のおけない友人といったところでしょうか」
「ちょっとエド。そんな事言われたら照れるじゃないのよ」
そう言って照れくさそうに頬を染めながら抗議の声を上げるが、ジゼルの口元は嬉しそうにニヤニヤとにやけている。
「ジゼル気持ち悪い。やっぱり友達やめようかな」
「何よ、お互い想い人を教えあった仲じゃないの。親友よ、親友」
「そ・・・それは・・・。まあ、その・・・はあ、やっぱりソフィアに丸投げするべきだった・・・」
「ソフィアとそういう話をしてもつまらないもの。どうせソフィアはレオ一筋なんだから。ねえ?」
「まあねえ」
果物を口に運びながらソフィアがうなずく。
「ふむぅ。羨ましいのう。リュリュにもそういう話ができる友人がほしいのう」
「わたしで良かったらお話聞きますよ」
「あ、私も」
「ちょっと二人とも!私の時とずいぶん対応が違う気がするんだけど!」
そう言ってジゼルが立ち上がるのと同時に馬車が大きく揺れて止まった。その拍子によろけて倒れそうになったジゼルをいつの間にか馬車の中に戻ってきていたレオが支える。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとう。・・・で、何が起こったの?」
「車輪が少し深い轍に嵌っちまったんだ。ソフィア、悪いけど頼むわ」
「はいはーい、まかせておいて」
そう言って豊かな胸をドンと叩いてソフィアが馬車を降り、程なくして馬車が再び動き出した。
「ソフィアは一体何をしたのじゃ?」
「馬車を持ち上げて轍から出したのよ」
「は?・・・ですが、ただでさえ大きくて重い馬車なのに、さらにリュリュにエドに姉様にレオまで乗っているのですぞ」
「それがあの子の魔法なのよ。シンプルに身体能力を上げるっていう強化魔法」
「ふむ。実用的な魔法ですな。リュリュの魔法はイマイチ使い勝手が良くなくて。一応本で色々と学んではいるのですが・・・」
「たしか炎系、治癒の魔法よね。治癒魔法が得意な人間も結構いるからイデアに戻ったら習ってみたらいいんじゃないかしら」
「そうですな。しかし、できれば開戦前までにもう少しうまく使えるようになりたかったのですが・・・」
「あら、誰か治してあげたい人がいるの?」
「ええ・・・今は大丈夫でしょうが、戦闘が始まればけがをするかもしれませぬ。・・・それに、アンジェは恐らくリュリュに対してしたことを気に病んでいるでしょうから、成長したリュリュの姿を見せて、『お陰で成長できたわ、わっはっは』と笑い飛ばしてやりたいのです」
「アンジェ・・・ああ、あのリュリュのところの女騎士か」
ジゼルはそう言って何度か顔を合わせたことのある女騎士の顔を思い浮かべた。
「エーデルガルドが出たぞ!」
アミサガン軍の駐屯地に、ここの所毎晩響き渡る見張りの声が今晩も響いた。
事の発端は数日前のこと。見張りの兵士が音もなく倒されたのだ。そして、その兵士が気絶するまえに見た最後の人物が、蒼い髪をした、仮面の女性の姿だった。その話は瞬く間に、アミサガン軍内部に広まり、その特徴的な髪色から、十年間行方不明になっている、リシエール王国の元王女、エーデルガルドに違いないということになった。
そんな噂を知ってか知らずか、彼女はここの所毎晩駐屯地に現れる。
そしてわざとではないかと言うくらいにあっさり発見され、特にこの駐屯地を攻める素振りもなく、ただただ兵士達を翻弄し、そして行方をくらませる。アミサガン軍の総司令であるアンジェリカはそんな今の状況に不安を覚えていた。別にエーデルガルド本人が怖いわけではない。たった一人の女に翻弄される自軍の兵士達の熟練度の低さが気にかかるのだ。
以前アミサガンで行われた御前試合。そこで新参者ながら決勝まで勝ち残り、アンジェリカと勝負をしたオリガ。彼女の話を全面的に信じるとすれば、アンドラーシュの元にはオリガよりも強い人間がかなりの数居ることになる。話半分だとしても、オリガ以上の使い手が数人でもいるとすれば、一騎打ちになった場合、アミサガン随一と言われたアンジェリカやデールでも危ない可能性がある。
平和な時代が続いたせいもある。領主であったリュリュが練兵に熱心でなかったのも原因だろう。なんにしても、この軍には自分に万が一のことがあった場合に後を任せられる人間は、指揮官としても、武人としてもデールくらいしかいない。しかしデールは、アンジェリカのうぬぼれではなくアンジェリカへの傾倒が激しく、彼女に何かあった場合に指揮を取れるような状況では無くなる可能性が高い。
要するに、アミサガン軍はアンジェリカのワンマンチームなのだ。
リュリュを追い出した後、実質的なアミサガンの支配者となったアンジェリカの父、フィオリッロ男爵はおとなしくバルタザール帝から軍を借りればいいものを、アンジェリカがいれば大丈夫と言いはり、領内の戦力をすべてこの駐屯地に集めて何とかしようとしている。
元はといえば、リュリュを逃したのも彼が功を焦って、ろくな計画も練らずに彼女を拘束しようとしたのが原因だ。しかもそれを反省するどころか、さらに見栄を張り、アンドラーシュへ脅迫状まがいの親書を送ったりと、状況をどんどん悪化させている。
「父上は・・・軽率がすぎる」
「ゴキゲン斜めだねぇ」
くくくと、含み笑いをしながら、彼女はアンジェリカのテントの入り口に寄りかかっていた。
「・・・君か」
アンジェリカはため息をつきながら立ち上がると、彼女に椅子を勧めた。
荷物の中から、ぶどう酒を取り出すと、アンジェリカはグラスに注いで彼女の前に置いた。
「はー。今日もよく動いたから喉乾いちゃったわ」
そう言って蒼髪の彼女、エーデルガルドは軽くアンジェリカとグラスを合わせると、ぶどう酒を一気に飲み干した。
「本当に君は変わり者だな。毒が入っているとは考えないのか?」
「お互い様でしょ。あんたをワインで酔い潰して寝首を掻く作戦かもよ」
自分のグラスを回しながらつぶやいたアンジェリカの言葉に、カラカラと笑いながらエーデルガルドが答えた。
最初は、エーデルガルドがうっかりアンジェリカのテントに隠れたのが始まりだった。
二人の目が合うのと、見回りの兵士がテントの中に声をかけてきたのが、ほぼ同時だった。殺気立つエーデルガルドに一瞥をくれると、アンジェリカは見回りに来た兵士に異常がないことを告げ、今と同じように椅子を勧めた。
それからかれこれ一週間。
兵士達が、外にいるわけのないエーデルガルド捜索に出ている間の二人のささやかな酒宴は毎晩のように行われていた。
「そんで、うまくいっているの?」
「ん?ああ。エーデルガルドはリュリュ皇女領内から現れている。うまい具合にそういう報告が上がってきているし、私もそういう報告を父上に送っている。アンドラーシュと事を構える前に、領内のエーデルガルドを確保する方が先決だ。と添えてね」
「まあ、お互いやりたくない戦争は避けるに限るからね」
「そうだな」
そう言ってアンジェリカがグラスの中身を口に含んだのを確認すると、エーデルガルドがニヤニヤしながら口を開いた。
「そういえば昨日の夜、ちょっと忘れものしちゃって取りに戻って来たんだけど、お楽しみ中だったから寄らなかったんだよね」
エーデルガルドの言葉に、アンジェリカがぶどう酒を吹き出しかける。
「あれ、あんたの彼氏?」
「ケホッ・・・か・・・彼氏とか、そういう、俗な言い方はやめてくれないか。彼は・・・その。親の決めた婚約者で・・・べ、別にそんなす・・・好きとかそう言うのではなく、し、仕方なくだな」
「あらあら、彼氏ったら可哀そう。・・・あの感じだと、彼のほうはあんたの事が好きで好きで仕方ないって感じだったけど。あんただって、本当に嫌ってわけじゃないっしょ?」
「・・・・・・まあ。それは・・・嫌いではないが」
アンジェリカの反応が楽しいのか、エーデルガルドはニヤニヤしながら話を続けた。
「そりゃあそうよね。じゃなきゃあんな甘い声出ないもんね。まさかいつも凛々しいあんたが、あんな甘い声を出すとは思ってもみなかったから、びっくりしちゃった」
と、アンジェリカはおもむろに黙りこんで、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「・・・る」
「え?」
「・・・・・・斬る」
そう言って抜剣するアンジェリカから慌てて距離をとってエーデルガルドが謝罪する。
「ご、ごめんごめん。あんたの反応が面白くてつい。ね。悪気は・・・あるけど。怒らせたいわけじゃないんだよ。そ、それにここであたしを斬っちゃったら色々面倒臭いことになるんじゃないかなー・・・なんて」
「・・・・・・はぁ」
まだ納得行かないという表情だったが、そこはリュリュ皇女配下随一の女騎士アンジェリカである。深呼吸を一つついて気持ちを落ち着けると、剣を納めて席に戻った。
「ごめんねえ。調子に乗っちゃうのがあたしの玉に瑕な所よね。よくそれでヘクトールに怒られるんだけど。なかなか直んないにゃあ」
「ヘクトール・・・ふむ。確かアンドラーシュ殿のところの傭兵隊長だったか」
「あちゃ・・・失言した」
エーデルガルドがポロリとこぼした名前をアンジェリカは聞き逃さずに拾い上げた。
「まあ、聞かなかったことにするよ」
「・・・ありがと」
アンジェリカの言葉を聞いて、エーデルガルドはバツが悪そうに頬を掻いて笑った。
「それはそれとして。君と彼の関係を聞きたいな。上司と部下とか、そういう話ではなく。・・・わかるな?」
「にゃ?」
「にゃ?じゃなくて。その、ほらあれだ。私とデールの話のような。夜の睦事だとか。そういう・・・」
「ああ、そういうこと。それならたくさん・・・」
エーデルガルドが話を始めようとした時だった。
遠くから人の走り寄ってくる足音と声が聞こえた。
「アンジェリカ様!至急の伝令です!」
「・・・ベッドに隠れていろ」
エーデルガルドをシーツの中に隠すと、アンジェリカはテントの入口へ出て伝令の兵士の前に顔を出した。
「どうした」
「は・・・フィオリッロ男爵より危急の伝令ということで、使者の方が・・・」
伝令の兵士が報告をしようと口を開いた瞬間、兵士の首元に抜き身の剣が押し当てられた。
「使者の方、じゃないでしょう。今後君たちの上司になるんだから、あんまり無礼な口を聞くと、殺しちゃうよ」
そう言って暗がりから20代前半の、目の細い若い騎士が現れる。
「エリヤス男爵・・・」
「やあ、アンジェリカ。久し振りだね。2年ぶりかな」
そう言ってエリヤスは軽薄そうな笑顔でひらひらとアンジェリカに手を振った。
「・・・どうして、エリヤス殿がここに?」
「やだなあ、わかるでしょう。モタモタしていて、やる気のない貴女に代わって僕がこの軍の指揮を執るんですよ」
「し、しかし、わたしは何も聞いておりませんが」
「そのための伝令でしょう。伝令君。彼女に伝令書を」
「・・・アンジェリカ様」
伝令が懐から手紙を取り出してアンジェリカに渡し、手紙を受け取ったアンジェリカはすぐさま腰の短剣で封を切ると、中の手紙に目を通した。
「・・・・・・了解しました。以降私はエリヤス殿の指揮下に入ります。それで、引継ぎなのですが・・・」
「そんなのいりませんよ。既に僕の部下が諜報活動をしています。・・・領境を超えてね」
「な・・・それは・・・」
「まさか、協定違反だとか、まだ開戦もしていないのに。なんて言わないですよね。戦争なんて、裏のかきあいでしょう。だったら、かかれる前に裏をかかないと。それともあなたはまさか、戦いたくないなんて言うんじゃないでしょうね」
細い目を更に細めて嫌な笑いを浮かべながらエリヤスがアンジェリカに尋ねた。
「・・・いや、貴殿の言うとおりだ。私が甘かった。・・・すぐにこの指揮官用のテントを明け渡したほうがよろしいか?」
「いえいえ。テントはちゃんと持参しておりますので、このまま使っていただいて結構ですよ。どうやらお楽しみの最中だったようですし、僕は今晩の所はこの辺で失礼しましょう」
テーブルの上のグラスとベッドのシーツのふくらみを一瞥して下品な笑いを浮かべると、エリヤスは伝令を伴って踵を返して森の奥へと消えていった。
二人が完全に森の奥へ消えるのを確認すると、アンジェリカはベッドへと腰掛けて小さな声で囁くように言った。
「・・・行ったぞ」
「ありがと」
エーデルガルドがもぞもぞとシーツの隙間から顔を出して礼を言う。
「しかし、どうしたものか。おそらく既に奴の手のものが、この辺りの警戒に当たっているだろうし、万が一君がこのテントから出ていくのを見られでもしたら、後々面倒なことになる」
「ああ、それなら大丈夫よ。変装をとけばいいだけだし」
あっけらかんと言い放つエーデルガルドの言葉に特に驚くこともなく、アンジェリカが笑う。
「やはり、君はエーデルガルドではなかったんだな」
「まあ・・・ね。あんたはいい奴だから早めに打ち明けようと思っていたんだけど、ちょっとタイミングを失っちゃって。・・・それに、あたしあんたの事結構好きだから、嫌われたくなかったんだ」
「私が君を嫌う?そんなことあるわけがないだろう」
「いいや、嫌うよ。あたしデミヒューマンだからさ」
そう言って、エーデルガルドはあっという間に、頭のてっぺんから猫のような耳の生えた女性へと姿を変えた。
「・・・嫌いだろ、こういうの」
「森の偵察者、ケット・シーか・・・なるほど、兵士たちが捉えられないわけだ」
そう言って、アンジェリカは可笑しそうに笑った。
「だが、それがどうした」
「え・・・?」
「それと、わたしが君を嫌うということの関連性がよく見えないのだが」
「だ、だって・・・帝国貴族は・・・デミヒューマンのこと、嫌うじゃない」
「そういう奴も確かにいるな。私も、人を襲って盗みを働くゴブリンやコボルトの類は嫌いだ。だが、ケット・シーやエルフを嫌う理由はないぞ。それに、君だったら、ゴブリンやコボルトだったとしても、一向に構わんよ」
そう言って笑うアンジェリカに、彼女はやれやれと諦めたようなため息をついた。
「そんなこと言われたら、あんたと戦いづらくなっちゃうじゃない」
「私も君とは戦いたくないな。・・・君の本当の名前教えてもらえるか?」
「・・・メイよ」
「わたしは、アンジェリカ・フィオリッロ。親しいものはアンジェと呼ぶ」
「そう・・・じゃあ、アンジェ。あたし行くね」
「ああ。侯爵にくれぐれもリュリュ様を頼むと伝えてくれ。・・・おそらくエリヤスは難癖をつけて開戦を早めようとするだろうから、その警告もつけてな」
「・・・ほんと、変わり者だよね。アンジェって」
「お互い様だろう」
そうしてもう一度笑いあった後、メイは黒猫に姿を変えると、どこかへと走り去った。




