イデアの街の精鋭?達
ジゼルと合流できたおかげで、リュリュ達はその日の宿をキャンセルして、城へと入城することができた。
リュリュの叔父のアンドラーシュは不在だったが、急な来城にもかかわらずジゼルはリュリュたちに出来る限りのもてなしをしてくれた。そして予めリュリュの身の回りに起こりそうな事情についてアンドラーシュから聞いていたジゼルは改めて協力を約束してくれたのだった。
そして次の日のこと。アンドラーシュが戻るまではアミサガンへの出兵はできないため、リュリュは暇を潰そうと城の図書館へとやってきていた。
この図書館は、帝国随一の蔵書量をほこり、帝国の頭脳とまで呼ばれる施設だ。しばらく出兵できないのであれば時間はあるし、いい機会だからここで本を読めるだけ読んでやろう。そう思ってのことだ。
この規模の施設なら、さぞかしたくさんの人間が働いているのだろう。リュリュは図書館の外観を見たときにそう思った。
しかし、いざ中に入ってみると、図書館の中に居たのはたった一人の、黒髪でメガネをかけた、おそらくはジゼルやエドよりも年下の男性司書だけだった。
入ってきたリュリュに一瞥をくれただけで、本に視線をもどした司書に、リュリュは読みたい本をリクエストすることにした。
「ちと、訪ねるが」
「・・・・・・」
「おーい。聞いておるか?」
「・・・・・・」
「のう、お主。仕事をせぬのか?」
「・・・聞いてるよ」
本を読む姿勢のまま、顔も上げずに司書がぶっきらぼうに答えた。
「児童書なら西の3番通路」
「じ、児童書じゃと?児童書などに興味はないわ!医学書じゃ医学書。医学書がどこにあるか教えよ」
「医学書?君みたいな子どもが?」
顔を上げてリュリュを見た司書の顔は、明らかにリュリュをバカにしたような表情を浮かべていた。
「ぶ、無礼者!リュリュは子どもではない!こう見えて立派な十二歳じゃぞ」
「・・・子どもじゃないか」
そう言って司書は本に視線を落とし、憤慨したリュリュはバンバンとカウンターを叩いた。
「子どもではないのじゃ!」
「うるさいなぁ・・・わかったよ。医学書は東の5番通路だ」
「まったく、最初からそう言えばよいものを」
ぶつぶつ言いながらリュリュが立ち去ろうとした時だった。
リュリュよりも少し年下の少女が現れて司書に尋ねた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。わたしお料理の本がほしいのよー」
「ん、料理だね。なんの料理の本かな?」
先ほどのリュリュの時の対応とは打って変わって、司書はカウンターから身を乗り出すような格好で、優しげな表情と声色で少女の相手をしている。
「シチュー」
「わかった。シチューだね。じゃあ一緒に行こうか」
そう言ってカウンターから表に出た司書を、リュリュは大きな声で呼び止めた。
「ちょっと待てい!」
「・・・何だよ。まだいたのか。児童書なら西の3番通路だって教えただろう」
「まだいたのか。ではないわ!なんじゃリュリュとその娘に対する態度の差は。と、いうか児童書に用はないと言っておるじゃろうが!」
「ふん。君は子どもじゃないんだろう。だったら一人で大丈夫じゃないのか?それともこの子みたいに手をつないで棚まで連れていけばよかったのか?」
「どうしてそうなる!そうではなくて、ちゃんと対応せよと言っておるのだ。リュリュを人間とも思わぬような扱いをしおっていったいどういうつもりじゃ」
「・・・人間扱い?」
リュリュの言葉を聞いた司書の表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「人間扱い。君の口からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったよ。リュリュ・テス・グランボルカ」
「な・・・貴様、リュリュの事を知っておるのならなおさらじゃぞ。不敬だとは思わぬのか?リュリュが一言言えば貴様の首を飛ばすくらい、造作も無いことだということをよく考えよ」
「知っていたから人間扱いをしなかったんだよ。僕はお前のことが大嫌いだからね」
「は・・・はぁっ?なぜじゃ。リュリュは貴様のことなど知らぬし、恨まれる覚えもないぞ」
「僕は、十年前、君の父親が滅ぼした国、リシエールの生き残りだ」
「・・・・・・」
「それだけで僕には君を恨む理由がある」
「恨む理由か・・・」
司書に言われた言葉は、図書館を後にした後もリュリュの胸に突き刺さっていた。
「どうかされましたか、リュリュ様」
リュリュが肩を落として廊下を歩いていると、後ろからオリガが声をかけてきた。
「オリガか・・・。そういえば、オリガも元リシエール人じゃったのう」
「え?はい。そうですが」
「・・・少し話を聞いて貰えるかのう」
リュリュは歩きながらぽつりぽつりと図書館でのことを話始める。
「なるほど。リシエール人だからリュリュ様が憎いと。うーん・・・わたしには理解できませんね。たしかに十年前、いきなり『国がなくなります。明日からグランボルカ帝国の国民です』と言われたときは驚きましたけど、それとリュリュ様は直接関係ないですし」
「父上のした事ゆえ、直接関係ないとも言い切れんがのう・・・。それにしてもオリガ。あの図書館の嫌味メガネは何者なんじゃ?あやつリュリュが不敬罪で首をはねると申しても鼻で笑いおったのじゃ。只者ではあるまい」
「司書は何人か居ますが、おそらくリュリュ様が言っているのはシリウスでしょうね。他の司書は何人かでシフトに入っているのですが、彼は一人ですべてこなすという条件と引き換えに、一人でシフトをしている変わり者なんです」
「ふむ。だがすべての仕事などと言いつつ、奴はずっとカウンターの中で本を読んでおったぞ」
「彼は朝が早いですからね。日が昇る前には図書館の掃除をしていますし、もうこの時間にはひと通りの仕事は終わっているはずですよ」
「オリガ、お主妙にくわしいのう。もしかして、あのメガネに執心なのか?だとしたら正直言ってオリガの男の趣味を疑うが」
「いえ。彼はエドの弟なんですよ。ですから、彼女から話を聞くことが多くて、自然と事情に詳しくなってしまったんです」
「ふむ。エドの・・・弟のう」
昨日、晩餐の給仕をしてくれていたエドの様子をみるかぎりは、彼女がリュリュを。ひいてはグランボルカ帝国を恨んでいるといったようなことはないように見えた。と、いうかそもそもあの陰険な、全てのものが面白く無いと言わんばかりの司書と、ジゼルと冗談交じりのやり取りをして、世界のすべてが素晴らしいと思っていそうなエドとがとても姉弟だとは思えない。
「あまり似ていないのう・・・」
「わたしもそう思います。ただ、シリウスもエドもアンドラーシュ様が直々に連れていらしたので、司書長もシリウスには手が出せないらしいのです。・・・正直、あまりシリウスに無法を働かれてしまうと、同じ元リシエール人としては少し肩身が狭くなるのですが」
「オリガはよくやっておるし、奴一人のせいでオリガの評判が下がるようなことはないじゃろ。オリガは真面目じゃし、シリウスのような陰険さもないしのう。それに何より、強い」
「いえ、私などまだまだ。お恥ずかしい話ですが、エドにも試合で負けるような有様ですから」
「ほう、エドはそんなに強いか。さすがに一介のメイドが城内最強というわけでもないじゃろうし、だとすればこの城の兵は相当な強者があつまっているのう」
昨日の市場の一件で、ただのメイドだとは思っていなかったものの、リュリュの城では新入りにもかかわらず城内の御前試合で決勝まで残った腕前を持つオリガが負けたと聞いて、リュリュは俄然エドに興味を持った。
「ええ。強いですね。エド以外にもジゼル様付きのメイドの中には相当な腕前の者もおりますし、傭兵部隊の隊長であるヘクトール殿。この方もリシエール出身なのですが、かなりの腕前でいらっしゃいます。おそらく、一騎打ちとなった場合、ヘクトール殿と騎士団長のヴィクトル様は別格でしょう」
「ふむ。なるほどのう・・・そう考えると、アミサガンは少々武力が不足しておったのかもしれんな。この城では大分下位になってしまうオリガにかなう者がアンジェしかおらんかったしのう」
「いえ。あれは組み合わせの関係もありますから、私が特別強いと言うわけではないですよ。アンジェリカ様のブロックには他にも強い方がたくさんおられましたから」
「だとしても、決勝まで残るのは運だけでは不可能じゃろう。どうじゃオリガ、叔父上の所をやめてリュリュの麾下に入らんか?リュリュとしてはこのままお主に身辺の警護を頼みたいのじゃ」
リュリュが真面目な顔でオリガに提案するが、オリガがとんでもないと笑う。
「私は、平民の出身ですよ。ここまでは非常時の事で、リュリュ様をお守りしてきましたが、アミサガンの街でそうだったように、本来はアンジェリカ様のような貴族の方が担うべき御役目です。おそらく今後は騎士団のお歴々や、それこそヴィクトル様が護衛につかれるのだと思います。少し寂しい気もしますが、それがリュリュ様にとっても一番です。私のことなど、お忘れ下さい」
「むぅ・・・リュリュはオリガが良いのじゃがのう・・・ヴィクトルは前に一度会ったことがあるが、どうもその・・・あの髭がこわくてのう」
五十絡みの、いかにも騎士然としたヴィクトルの、いかつい顔と髭を思い出してリュリュが眉をしかめる。
「ああ見えてユーモアのある方ですよ。ヴィクトル様は」
「だとしても、リュリュとしてはやはりもう少し歳の近い、オリガやアリスが居てくれたほうが・・・そういえばアリスはどうしておるのかのう。昨日城に入ってから姿が見えぬが」
「ああ、アリスでしたら、来客用の部屋をあてがわれているはずです。丁度私も用事があって彼女の所へ行く所でしたし、もしよろしければ、一緒に行かれますか?」
「そうじゃな。もし本当にヴィクトルがリュリュに付いてしまったらアリスとも会いづらくなるじゃろうし、行ってみるとするか」
オリガとリュリュがアリスにあてがわれた客室の前にくると、中からアリスの怒鳴り声が聞こえた。
「何でそうなるんですか!」
「だ、だって・・・・」
「だってじゃありません!」
会話の内容から察するに、アリスが誰かを怒っているようだ。リュリュの頭の上にはいくつもの?マークが浮かんでいたが、オリガにはアリスが怒っている相手が誰なのか大体見当が付いたらしく、ドアを軽くノックをしながら苦笑を浮かべていた。
「はい。どうぞ」
アリスの返事を待ってリュリュとオリガがアリスの部屋へと入ると、部屋の中にはアリスの他に大柄で胸の大きな、襟足の長いボブカットのメイドが泣きそうな顔で立っていた。
「また何かやったの?ソフィア」
「ああっ、オリガちゃん」
そう言いながらソフィアと呼ばれたメイドがオリガに抱きついてきた。
女性としては大分大柄なオリガと同じくらい大柄なソフィアに抱きつかれてオリガはよろけるが、そこは一応鍛えている兵士。なんとか踏みとどまってソフィアを受け止めた。
「皆が言っていたとおり本当に帰ってきていたんだね。無事でよかったよー」
「ああ、昨日の夜戻ったんだ。君も元気そうでなによりだよ、ソフィア」
そう言って親しげに話をする二人を、アリスは、面白くなさそうに見ている。
「オリガ、随分その子と仲が良いみたいだけど。この部屋の惨状について、貴女の見解を聞きたいわね」
アリスに言われて、オリガが部屋の中を見回すと確かにアリスの言うとおり、惨状と言うのが最もしっくりくるような有様だった。
「ソフィア・・・これは・・なんというか、いつにも増して・・・」
「だって、わたし今日はスカートがこんなんだからうまくできないよって言ったのに、ジゼルちゃんがアリスちゃんの世話をしろって・・・」
「そのアリスちゃんと言うのも、できればやめて欲しいのだけど」
トゲトゲとした口調で言うアリスの言葉に、ソフィアはヒッと小さく悲鳴を上げる。
「そもそも、自分の主人をちゃん付けなどと。どういうつもりですか」
「ごめんなさいごめんなさい。し、したっけ、オラ、ジゼルちゃんが良いって言ったからそう呼んどるんだし・・・」
「お黙りなさい!城の設備を壊す、自分の主人には馴れ馴れしく接する。いったい貴女はどういうつもりで・・・」
「アリス。もうそのへんにしておいてあげてくれないか。そもそも、ソフィアはメイドにはあんまり向いていないんだ。いや、できないことはないんだけど。まあ、ほら、見ての通り今日はスカートの丈も合っていないし」
「だとしても、ここまで何もできないなんて、どうかしています」
アリスはプリプリと怒っている。至極まともなことで怒っているのだが、そのまともな怒りが、逆にオリガには違和感として感じられた。
「とにかく、ジゼル様にお願いして、他のメイドと部屋を用意してもらうようにするから、少しだけ待っていてくれないかな」
「・・・わかりました。オリガがそう言うなら、それでいいです」
アリスが引き下がったことで、ソフィアはホッと胸を撫で下ろし、もう一度謝った。
そしてアリスと少し話をしたいというリュリュを残してソフィアとオリガの二人はジゼルの元へと向かうために部屋を出た。
「・・・ごめんなし、オラのせいでオリガちゃんまでアリスちゃんさ怒られっちな」
「気にしないで。・・・それよりセロトニアの方言でてるよ。レオに聞かれたらまたどやされるんじゃない?」
「あ・・・ごめん。ありがとうね。でも、本当にオリガちゃんが無事に帰ってきてよかったよ。アミサガンの話はこっちにも入ってきていて、リュリュ様をさらって逃げた兵士が居るっていう話で、しかもそれがオリガちゃんだっていうじゃない。わたしびっくりしちゃって。もうオリガちゃんには会えないんだと思ってた」
そう言って涙ぐむソフィアの背中をオリガがポンポンと軽く叩いて笑う。
「ありがとう。私が無事に帰って来られたのはソフィアが心配してくれていたおかげかもしれないね」
「オリガちゃんってさ・・・」
「うん?」
「さらっとそういう事言えるの、すごく格好良いよね。あ、そういえばこの間またオリガちゃんを紹介して欲しいって言われたんだけど、会ってもらえるかな?新人のメイドなんだけどすごく素直でいい子なんだよ」
「・・・・・・うれしくない」
がっくりと肩を落としながらため息混じりにオリガがつぶやいた。
故郷の村で農作業に従事していたころはそういうことはなかったのだが、 この城の任官試験に合格して兵士となった後は、複数のメイド達から恋文をもらったりしている。当然その気のないオリガはすべてお断りしているのだが、その誠意をもって答えてくれる姿勢に、本気で参ってしまっているメイドもいるくらいだ。
「私だって普通に恋をしたいのになぁ・・・」
「だ、大丈夫だよ。オリガちゃん美人さんだもん。きっと素敵な男の人が現れるよ!がんばって!」
「・・・ありがとう」
両手を握って励ますソフィアにオリガは苦笑しながらそう返した。とは言え、毎日毎日むさ苦しい鎧をつけ、槍を振り回すことを生業にしている自分に、ソフィアの言うような素敵な男の人などという者が現れるのか。そんなことを考えると、オリガは憂鬱な気分になってきて、もう一度大きなため息をついた。
「んー・・・でも、案外、アリスちゃんってオリガちゃんの事が好きなのかも」
「何でそうなるの・・・」
「だってだって、アリスちゃん最初から私のこと嫌っていたわけじゃなかったんだよ。最初は笑っていたし、失敗しても不器用な妹を見ているみたいで懐かしいって言ってたんだもん。でも、オリガちゃんがこのお城の中で女の子にもてるって話をしたらだんだん不機嫌になって・・・あ、もしかして二人ってお付き合いしてたりするのかな?」
「付き合ってないよ・・・私は本当に普通に男の人と恋愛したいんだってば・・・」
「あら、案外いいものかもしれないわよん。女同士っていうのも」
「いや、だから私は・・・・・・アンドラーシュ様!」
最初はソフィアだと思って対応したオリガだったが、すぐにそれが自分の主人であるアンドラーシュ・モロー侯爵であることに気づくと、姿勢を正して向き直った。
「お、お戻りでしたか。大変失礼をしました」
「別に、アタシはそういうの気にしないわよ。それよりも、おかえりなさいオリガ。アミサガンからここまで、よくリュリュを守ってくれたわね。礼を言うわ」
そう言って笑う、自称女装美人のアンドラーシュの笑顔は、中性的な魅力にあふれていて、思わずオリガは彼の笑顔に見とれてしまった。
「それでリュリュにちょっと話を聞きたいんだけど、どこにいるか知らない?」
「あ、リュリュ様なら、アリス・・・いえ、道中共にした旅芸人のところにおります」
「旅芸人のアリス・・・ふむ・・・それはもしかして。こんな髪型をしたおっぱいお化けかしら」
そう言ってアンドラーシュは自分の長い髪をアリスのように頭の横で縛っているように握ってみせ、空いている方の手で胸を模ったジェスチャーをして見せる。
「そうですが・・・ご存知なのですか?」
「・・・まあ、昔ちょっとね。でもま、助けてくれた仲間と楽しく過ごしているところを邪魔するほど危急の話があるわけじゃないしリュリュに直接話を聞くのは後でいいか。代わりにオリガ、貴女が報告してくれないかしら。これからヴィクトルとヘクトールとジゼルを交えて、今後のこの領の身の振り方を考えなきゃならなくてね」
「わ、私が、でありますか?」
本来、領主と騎士団長、傭兵隊長で行われるような会議に、オリガのような兵卒が参加することなどありえない。緊張と不安で目を白黒させるオリガの肩を、ぽんぽんと叩きながらアンドラーシュが笑う。
「そ。あなたを信用しての事よ。と、いうか当事者の口から今のアミサガンの話を聞きたいわ」
「か、かしこまりました。わ、私でよろしければ!」
オリガはそう言って姿勢を正して敬礼をした。
アンドラーシュにつかまったオリガと別れて、ソフィアは一人でジゼルの部屋へと向かっていた。
しかしその歩みは、彼女の身長から推測される歩幅を考えると、驚くほど遅い。
理由は見ていればすぐに分かる。とにかく何もないところで転ぶのだ。別に歩くのが苦手というわけではない。長いスカートが彼女の歩みの邪魔をしているのである。本人も言っていた通り、先ほど、アリスに咎められた失態も、大部分がこのスカートのせいだ。
「うわっ」
ソフィアがまたスカートの裾を踏んで倒れそうになったところを、ソフィアよりも大分小柄な金髪の男性が支えて助け起こした。
「ったく、何やっているんだお前は」
「レオくぅん」
「レオくぅん・・・じゃ、ねえよ。なんでお前はそうやってドジばっかりなんだよ」
レオと呼ばれた男性はソフィアの手を握って起こしてやると、ソフィアのエプロンドレスに付いた埃をポンポンと叩き落とした。
「ありがとうレオ君。いつ戻ったの?」
「侯爵さんと一緒に、ついさっきな」
ソフィアの幼馴染である彼の仕事は偵察兵で今回もアンドラーシュが安全に旅をできるよう本隊から先行して様子を探るため、旅に同行していたのだ。
「で、お前は一体こんなところで何をしてるんだ?」
「えっとね、アリスちゃんが、別のメイドが良いって言うから、ジゼルちゃんに伝えに行くところなんだけど」
「ちょっと待ってくれ。・・・アリスちゃんって誰だ?」
説明を端折ったソフィアの言葉を遮って、レオが訊ねる。
「個人的にはアリスって名前は、ちょっとトラウマのある名前なんだけど」
「オリガちゃんと一緒にリュリュ皇女を守ってここまで来てくれた人。旅芸人なんだって」
「ふうん・・・旅芸人ねえ。旅芸人にしちゃ、メイドを代えてくれなんて図々しいことよく・・・ああ、でもお前が付いていたんじゃ、どんな聖人君子でも変えてくれっていうか。落ち着かないもんな」
「酷いよレオ君。そんなことないもん。このスカートがなきゃ転んで部屋の物壊すこともないもん!だからわたし、『スカート脱いでいいですか?』って聞いたんだよ。そしたらアリスちゃんったら、『何でそうなるの!』とか、怒りだしちゃって」
「そりゃあ怒り出すだろ。いきなり部屋で下着になるメイドなんて嫌だぞ。普通」
「し、下だけだよ。これツーピースだし、エプロンしているし」
「いや、まあ。そういうのが好きな下世話な中年オヤジとかは居そうだけどな。そのアリスさんは残念ながらそうじゃなかったんだろ」
「それで気に入られても嫌なんだけど。ねえレオ君、もし暇だったらジゼルちゃんの部屋まで手を引いてくれないかな。あとでもう少し裾の短いのに着替えるからさ」
そう言ってあはは、と照れ隠しのような笑いを浮かべるソフィアを見て、レオは、一つため息をつきながら、ソフィアの前に右手を差し出した。
「・・・ったく、ジゼルの部屋まで連れていくだけだぞ。自分の部屋には一人で戻れよ」
「ええっ!?レオ君冷たい!」
「ジゼルのこと苦手だって前から言っているだろ。それに俺は帰ったばっかりで疲れてんだよ。少し寝かせてくれ」
「あ、じゃあ一緒に寝る?」
「寝ねえよ」
「ちぇっ、残念」
「残念がるな。大体俺はこの後休養だけど、お前は仕事だろ。ちゃんと仕事しろ、仕事」
「はいはい。でも何でレオくんはジゼルちゃんのこと苦手なの?結構優しいと思うんだけど」
「なんか知らないけどあいつ俺には厳しいんだって。・・・ところでソフィア。お前の言っているアリスって、もしかしてこんな感じの髪をした胸のでかい女の人か?ソフィアと同じ歳の」
アンドラーシュ同様、レオもアリスの特徴を捉えたジェスチャーをしてみせたことに、ソフィアが驚きの表情を浮かべる。
「そうだけど・・・なんでレオ君がアリスちゃんの事を知っているの?アンドラーシュ様も知っていたし、有名な人なの?」
「ん?・・・ああ、昔ちょっとな。そっか、なるほどなあ。それなら合点がいくか」
「何がなるほどなの?アリスちゃんとレオくんってどういう関係なの?」
レオの口から出たアリスの名前を聞いてみるみるうちにソフィアの表情が不機嫌そうなものに変わった。そんな彼女を見てレオは苦笑を浮かべる。
「別にお前が考えているような関係じゃねえよ。ま、とりあえずジゼルのとこに行こうぜ。俺とアリスさんの話は歩きながらするからさ」
ソフィアの手を引いてジゼルの部屋へ向かって歩き出そうとした時、レオは正面から歩いてくるエドの姿を見つけて声をかけた。
「おーい、エド」
「あ、レオ。帰って来たんだ。お帰り」
「ああ、ただいま。なあエド、お前この後暇か?」
「あとは庭掃除くらいで暇だけど、デートの誘いとかならソフィアの居る所じゃちょっと・・・」
「いやいや、何で俺がお前をデートに誘うんだよ。そういうのやめてくれよ。ソフィアはすぐ本気にして頭に血がのぼるんだからさ」
「まあ、それが見たくてやったっていう部分もあるんだけどね。で、何?」
「ソフィアがドジ踏んで、いや踏んだのはスカートだけど。とにかくアリスさんを怒らせちゃったらしいんだよ。それで、悪いんだけどジゼルかメイド長に言って別のメイドを行かせてくれないか」
「ああ、なるほどね。わかった」
「もう少し裾の短いスカートだったらあんなにひどいことにはならなかったと思うんだけど、昨日洗った洗濯物が乾かなくて。替えのスカートは丈詰めできてなくてこんな感じだし」
そう言って、自分がスカートの裾を踏んでいるのに気づかず、持ち上げて見せようとしたソフィアは、再び体勢を崩してレオに支えられた。
「お前、本当に気をつけろって」
「ああ・・・何だか部屋の惨状が目に浮かぶようだね。じゃあ、アリスさんの所にはわたしが行くからソフィアはスカートを取り替えてきなよ。もう昼過ぎだし、さすがに乾いているだろうからさ。着替えたら、私のやるはずだった裏庭の掃除をお願いね」
「本当にごめんねエド」
「いいって。そのかわり今度城下街でケーキおごりね。いい?」
「うん。そのくらいで済むならホールだって構わないよ!任せておいて!」
そう言ってドンと自分の胸を叩いた拍子に、ソフィアは再びバランスを崩して転びかけ、レオはまたすかさずフォローに入った。




