若き騎士団長
エーデルガルドが目を覚ますと、窓の外の空は漆黒の闇が包んでいるにもかかわらず、街はまばゆいばかりの光で包まれていた。
「姫様!お逃げください姫様!」
部屋の窓から一種幻想的とも言える風景をぼんやりと眺めていたエーデルガルドは騎士団長の声で我に返り、ベッドから跳ね起きた。
(あれは火だ 火が街を焼いているんだ)
街を焼く炎の恐怖に青ざめたエーデルガルドが寝間着のまま部屋を出ると、廊下には騎士団長が数人の騎士と、エーデルガルドの弟であるユリウスを抱えた侍女を従えて当たりを警戒していた。
「さあ、エーデルガルド様。ユリウス様と共にお逃げください。ヘクトールとシエルがお守りいたします」
「お前たちはどうするの?」
エーデルガルドの問いに、騎士団長は笑顔で振り返る。
「我々は―」
「バルトぉっ……って…なんだ、夢か…」
エーデルガルドはもともリュリュの居城であったアミサガン城の中にある自分の部屋で芽を覚ました。
イデアでの戦いの後、すべての兵がアンドラーシュ・アレクシス連合に降っていたアミサガンの街はアンジェリカやデールの手引きもあり、連合軍が街を包囲して半日。全く抵抗出来ずに陥落した。
リュリュの前に引き出されたアミサガンの反乱の首謀者であったフィオリッロ男爵については、アンジェリカが強く処刑を望んだが、リュリュの裁量で地下牢に幽閉されることで決着し、リュリュはひとまずアミサガンの街を取り戻す事に成功した。
それから3日。エーデルガルド達はつかの間の平穏な日々を過ごすことになった。
しかし、平穏な日々であっても、容赦なくエーデルガルドを襲うのが、10年前自国が滅びた時の夢だ。10年間毎日のように見続けているせいで怖くて眠れないということはないが、それでも寝起きは毎朝最悪なものだ。
「…起きて仕事するか」
そうつぶやいて、エーデルガルドはベッド出て着替えを始めた。
「ふむ。やはり、この街、この城、この部屋が一番落ち着くのう…」
留守中に溜まっていた公務を片付けたリュリュは、自室のベッドに横になりながら、感慨深くつぶやいた。
「うんうん。なんかその気持ちわかるなあ。旅をするのは楽しいし、この街も居心地いいんだけど、私も元いた村に帰りたくなっちゃう時があるもん」
丁度いいタイミングで、前が見えない程山積みになったシーツを抱えて部屋に入ってきたエドがそう言って笑う。
「そうであろう。旅の空というのもいいが、やはり自分の暮らし慣れた場所が一番良いもの…」
途中で言葉を止めてリュリュはガバっと起き上がった。
「って、なぜエドが自然にメイドの仕事をしている?しかもエプロンドレスまで着けて」
「え…いやあ。もう何年もやってきたことだから、身体が動いちゃうんだよね。それにエプロンドレスって可愛いしさ」
「かわいいかのう…」
「かわいいって!それに動きやすいし、変な人も寄ってこないし」
「ふむ…それでおぬし、今度は一体何をやらかしたのじゃ?」
リュリュの言葉に、エドはビクっと肩を震わせ、そして視線を逸らした。
「や…やらかしたって…何のこと?私、何も悪いことしてないよ」
「とぼけようとしても声が裏返っておるわ。リュリュはちゃんと知っておるぞ。お主、昨日は挨拶で手にキスをした貴族の男を投げ飛ばし、一昨日はつまみ食いしようと忍び込んだ厨房でドレスの裾を踏んづけて、豪快に料理をぶちまけおったらしいではないか。さあ、白状せい。今日は何をやらかしたのじゃ」
リュリュがそう言いながらエドに詰め寄ろうとした時、丁度通りかかって、開けっ放しになっていたドアから中を覗いたソフィアが声を上げた。
「あ、こんな所にいた。ジゼルちゃーん、こっちこっち」
「うわっ、ソフィアはジゼルの味方なの?私達友達じゃなかったの?」
「だって、今日のことはエドが悪いからジゼルちゃんに協力してやれってレオ君が…」
「ソフィアはレオの言うことを聞くだけじゃなくて、もう少し自分の意思で行動したほうがいいと思うよ!」
「なんじゃエド。ジゼル姉様から逃げておったのか」
「エド!観念してダンスの練習をなさい!この先男性と踊ることだってあるんだから」
「く…い…嫌だ!」
部屋の入り口に現れたジゼルに背を向けて、エドが窓に向かって走りだした。
「ちょ、ちょっと待てエド!ここは三階…」
リュリュが止めるのも聞かずに、エドは窓から飛び出した。リュリュが慌てて窓際に駆け寄ると、既にエドは器用に屋根を伝って地面へと達していた。
「ああもうっ!逃げられた」
「猫みたいな奴じゃのう…」
窓際に走りよってきたジゼルと共に、城門の方へと全速力でかけていくエドを見ながら、リュリュはそうつぶやいた。
城を逃げ出したエドは、城で採用されているメイド用の衣装を着ていたせいもあって、すぐに追っ手に見つかってしまった。
ただ、彼女にとって救いだったのは、彼女を見つけた追っ手が、ジゼル配下の人間ではなく、騒ぎを聞きつけて、自主的に探しに来てくれたリシエールの騎士だったという事だ。
「ありがとうシエル。着替えまで持ってきてもらっちゃってごめんね」
彼、シエルが持ってきてくれた男装風の着替えを広げて、エドがお礼と謝罪をした。
「まったく…ありがとうではありません。護衛も付けずに街に飛び出したと聞いたときは肝を冷やしたのですからね」
路地裏で着替えているエドの姿が通りから見えないように、エドに背を向けて、目隠しのように立ちながら、若い黒髪の青年騎士がエドに小言を言った。
「でもさあ、シエル。元々はジゼルが私の嫌がることを強要するからこんなことになったんだよ」
「エーデルガルド様が嫌がることを無理やり?それは許せません!…なんて、爺さん方なら言うかもしれないけどな。俺には通じないぞ、エド」
シエルの口調が友人のような口調に変わったが、エドは特にそれを咎めるようなことはしないで、一つため息をついた後で口を開いた。
「ちぇっ。シエル相手にはやっぱり通じないか。あーあ。連れ戻されてダンスのレッスンか。やだなあ」
シエルのほうも、エドが注意しないことに恐縮するでもなく、増長するでもなく言葉をつづける。
「俺は別にジゼル姫に雇われているわけじゃないから、エドを無理連れて帰るようなことはしないぞ。それどころか、主であるエドが望むのならば、このまま一緒にランチに行ったっていい」
そう言って振り返ると、シエルは懐から小さな髪染めの魔法瓶を取り出して、エドに投げ渡した。
「まだ、振り返っていいって言っていないんだけど」
ビンを受け取ったエドはそう言ってシエルを睨むが、シエルはその視線を全く気にも留めずに肩をすくめて笑う。
「でも着替えは終わっているだろ」
「それでも女の子にはいろいろあるの」
「は。女?エドが女の子?こりゃあ良い」
そう言ってシエルは両腕をひろげて、エドに対して、小馬鹿にしたような表情とジェスチャーをしてみせる。
「そういう事は、最低限キャシー程度には立派に化粧ができるようになって、少しでも色気が出てからいうもんだぜ」
「もう!シエルはそうやっていつも私の事をバカにする!」
「別にバカになんてしていないさ。でも、色気もない。化粧もできない。料理もできないなんてなると、アレクシス皇子もがっかりして愛想をつかすんじゃないかと心配でね。まあ、兄心ってとこかな」
リシエール王国が滅亡した時に近衛騎士団最年少だったシエルは、ヘクトールと共にエドとユリウスを守りながら、ヘクトールの故郷であるルーナ村へと落ち延び、エドたちと共に育った。その為エドやユリウスにとってシエルは既に臣下の者というよりは兄のような存在であり、逆にシエルにとってエドやユリウスは主君というよりは妹や弟といった存在だった。
数年前、エド達と共にルーナ村を出たものの、キャシーのようにイデアで士官をするでも、城で働くでもなく市場で肉を売っていたはずの彼が、グランボルカ各地に散っていたリシエールの騎士の残党をまとめてエドたちの前に現れたのは、連合軍がアミサガンを包囲する直前だった。
エドは驚き、感動したものの、千人をゆうに超える軍団を養うことはできないと、彼らをリシエール騎士団として迎え入れるのではなく、各軍団への編入することを提案したが、シエルはリシエール出身の商人の出資や王国を脱出する際に持ち出した金品で十分運用ができることを示し、エドの首を縦に振らせた。剣の腕もヘクトールに匹敵し、各所への根回しもできる。そんな仕事のできる男であるシエルであったが、もちろん欠点もある。
「わ、私だって最近は化粧くらいするもん」
「キャシーにしてもらっている。の間違いだろ。キャシーがぼやいていたぞ、『身だしなみに気を遣うようになったのはいいけど、自分で覚えてくれなくて大変だ』ってさ」
「う…」
シエル同様ルーナ村で一緒に育ったキャシーのまさかの本音に、エドは言葉を詰まらせた。
「そ、そうは言うけどさ。別にキャシーは私のことだけボヤいているわけじゃないもん。シエルのことだってボヤいていたよ」
「はっはっは。エド、『シエルが素敵』とか、『シエルと結婚したい』とかっていうのはボヤきって言わないんだぞ、それは惚気というんだ」
「『シエルが気持ち悪い』とか『シエルに早くいい人ができないかしら。』とか『真面目な話、村に帰ってくれないかしら』って言っていたよ」
「はっはっは…ウソだろ?嘘だよな?」
「いや、本当に。キャシーの事が好きなのはかまわないけど、付け回したり偶然を装って先回りしたりしたらダメだよ。さすがにそんなことしてたら私もフォローのしようがないし」
「そういう男女の気持ちじゃねえよ。あれはキャシーが危ない目にあわないか心配で見守っていたのと、危険がありそうなところへ先回りして危険を排除していただけだぞ。別にやましい気持ちがあったわけじゃない」
「まるっきり変質者だよ!」
「変質者じゃない!…そうだな。守護騎士とでも呼んでほしいな」
「はいはい。変態騎士ね」
「何か言い方が引っかかるんだが。お前今、心の中で何か余計なことを思わなかったか?」
「気にしない、気にしない。それで、どこに遊びに連れて行ってくれるの?」
そう言って魔法薬で髪色を黒く染め終わったエドが空になったビンをシエルに投げ渡す。
「そうだな…そろそろ昼時だし、どこかに飯でも食いに行くか」




