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ニイナの学生記録、中継中。

9月10日。(火)


その日は一時間目に体育の授業があった。女子は陸上。男子はバスケだった。教室を移動していると、生物室と美術室をつなぐ廊下でリリー・サンディーとすれ違った。


オリーブ色の長い髪を一房にして、右斜めに垂らしている。薄く化粧がされたほっぺも唇も中学生なら当然のたしなみで、背丈もまあまああって(ぼくより高い)、スタイルのいい、おまけに愛想もいい。ついでに でファッションセンスもいい、男女先生生徒問わずみんなに人気の女子だ。そしてぼくのなかのかわいい女子ランキング2位、イケてる女子ランキング3位の同級生だ。


歴史と生物の授業以外は別だから、ホント久しぶりに会った。


何か印象付くことを言わないと。ぼくの口だけが焦るなかりで肝心の言葉は出てこない。


リリーがどんどん遠くなる。どうやら美術室に入るらしい。あと三歩で教室に入るそのとき、勇気を出してぼくは声をかけた。


「リリーだよね? 今から美術?」


リリーは振り向いた。ぼくを見つめること三秒。ぼくはリリーの言葉を待っていた。そしたら、


「あなた誰だっけ? 転校生?」


リリーは言って、髪を触りだすとぼくが返答しないのに気にするふうもなく美術室へ入っていった。


ぼくは老人ホームに居るおじいちゃんみたくふらふらと体育館へ向かった。授業が始まってからも呆けていた。反響するボールの音。キュッキュッとしたスニーカー音が妙にぼくの気分をフラットにさせる。グレン先生の笛がピーピーする中、ぼくに仲間からパスが飛んできた。バスケットボールって意外に危険なんだね。今日初めて知ったよ。


受け損なったボールを顔面にあびることになる。鼻がかみなりになったように感じた。口元も含めて鼻孔のあたりがしびれてくる。鼻を押さえていると何かがつーと流れきた。


ぼくは殴りあいのケンカもしたことなかったから、鼻血を見るのは初めてだった。ぼたぼた落ちる赤い液体に、ぼくは卒倒した。



目を開けたら保健室だった。見慣れたカーテンと天井がある。夜更かしした日の一時間目はここでお世話になってたんだ。そういう意味で保健の先生がリンディ先生に変わったのはホント残念だった。

 

リンディ先生はけっこうお歳をめしていて、その上肥満体だから、あんまりウキウキしないんだよね。その点、去年までのコニー先生はよかった。若くていつもにこやかにベッドをかしてくれたから。

 

今のリンディ先生は融通がきかない。保護者の『疾患状況確認書』か『医師の診断書』がなければ生徒の自由でベッドを使うことは許さない。そんなふうだからぼくが、


「ちょっと頭が痛くて」とか、


「ふらふらして」とか言っても、


「教科の先生から連絡がありません」って取り合ってくれない。

 

ぼくが重病だったらどうするんだ?

 

不満を思い出してぼくはゆっくり体を起こす。ベッドに横座りしているのはリンディ先生が来たときすぐよこになれるためだ。今日は堂々と眠るよ。

 

あれ? 鼻に何か詰まってるな・・・・・・。抜き取ると赤く染め上がったティッシュペーパーだった。丸めて、足元のゴミ箱へ。


 ・・・・・それにしても。この部屋にあるものを観察していると、ほどほど元気なときには退屈でしかないものしかない。たとえば、虫歯予防のポスターとか、ドラッグ禁止のポスターとか。


大人の人の前ではあまり声を大にして言えないけど、ぼくは集中力がない。ケガ人やってるのにも飽きてきた。


あくびを一つ大きくすると、ぼくは立ち上がり、真っ白のカーテンをサーッと引いた。

 

「あら、起きたの? 授業戻れそう?」

 

リンディ先生がメガネを光らせ訊いてくる。

 

そりゃあもちろん、

 

「今まだちょっと頭がフラフラして」

 

ぼくは頭をおさえた仕草をとる。

 

リンディ先生はふんと鼻をならすと、「じゃあもうちょっとゆっくりしてなさい」と天使みたいなことを言った。

 

お言葉に甘えようと思った。リンディ先生はデスクに向き直っていた。ペンでなにやら丸をつけている。何をしているんだろう? 


でも正直いうとぼくが気になったのは、リンディ先生のマグカップなんだ。こうばしい香りからするとコーヒーだ。甘い匂いも混ざっているから砂糖入りだろう。


ぼくは先生に頼んでみた。一度目は断れた。コーヒーは眠れなくなるからとかどうとかで。だけど、二回目、「何か甘い飲み物が欲しいです」と言うと、先生はのっそりと腰を上げて、薬や本の置かれた棚へ向かった。


「ココアでいいかしら?」


「はい。お願いします」


ぼくの機嫌はすっかりよくなっていた。ハイテンションとニュートラルテンションの中間みたいなテンションで、何気なくデスクの上を覗き込む。いくつかの書類の中に、宝石と見違う光りが入ってきた。


光りの源は生徒の写真だった。学生証明書みたいな小さな写真じゃなく、生徒の顔がきれいに写っているやつだ。


血液型とか家族構成とかいくつかの説明文章があって、美少女の顔が張られている。


今まで見たことのないタイプの顔だった。


大きくつり上がった目に白い肌小さな唇、細い輪郭を援護するようにセミロングの髪。

顔だけでいったら間違いなく、ぼくのかわいい女子ランキング1位をかざる。

 

「あら、ミルクがきれてるは。お湯でもいいかしら?」

 

リンディ先生の声がちょっとうっとうしかった。「いいよ」とぼく。どきどきする鼓動をこらえきれず、写真のついた書類を手に取る。


ごくんとしてから、名前の項目を見た。


 

ルゥ・レモンヘイズ。

 

 

スリッパのすれる音がする。向くとリンディ先生がココアカップを運んできていた。

 

「はいどうぞ」

 

受け取って、一口飲んで、あちちと感じて、ぼくは先生に尋ねた。

 

「写真のこの子、誰ですか?」

 

「あらだめよ。勝手に見ちゃ」

 

先生はたしなめたようだが、ぼくはかまわず言った。

 

「この子誰ですか?」

 

ぼくの声があまりに真剣だったせいか、勢いに飲まれるように先生は口にした。

 

「て、転入生よ。明日来る予定の」

 

「はー、そうですか」言ってぼくは書類をまざまざと見つめる。学年と年齢のところを見つけた。


7グレード。


13歳。

 

 

同級生だ。うまくいけば一緒の授業がたくさんあるかも。

 

「あなた、もう元気になったんじゃない?」

 

リンディ先生は、ぼくを凝視してきた。ぼくは口元をゆるめておちゃめな顔を作りつつ、書類をちらりと一瞥した。


住所。それが知れたらもういい。


224番地。ブラックストリート。#502。バニラアパート。


よし。


ぼくはまだけっこうの温もりのあるココアを飲み干すと、保健室をあとにした。ヒリヒリする喉の痛みを引き連れて、


3時間目の歴史の授業を受ける。白地図に埋められていく国も都市も山も何もかも頭に残らなかった。


だって、『224番地。ブラックストリート。#502.バニラアパート』って教科書にメモするのにいそがしかったからね。

 

チャイムが鳴ってこの日の授業は終了した。ロッカーのカギをガチャガチャいわせていると、向こうから声がした。


「ニイナ、いっしょにかーえろっ」


ダズリー・モービーだった。よたよたとした足取りは体の重いいい証拠。風船みたく膨らんだ容姿と赤茶色の髪と小さな目を持つ同級生だ。今日もモスグリーンのリュックサックを背負っている。


「学校ではぼくの名前を呼ぶなって言ってるだろ?」


ぼくはなるべく小さな声で言った。ニイナなんて名前、キュート過ぎてぼくのイメージと合わない。ぼくはこの名前を隠すためにあらゆる努力をしている。先生がレポートや宿題を返すとき、「ニイナ」と呼ぶのを一回ムシして、次ぎのやつが呼ばれるとすぐ、隣の子に「君呼ばれてたみたいだぜ。ぼくのとついでに取ってくるよ」としている。すると必然、隣の子に別の子の宿題やレポートがいくはめになるんだけど。ぼくの名誉のためにつづけさせてもらってる。ただ、先生は「毎度毎度意味不明なことをするなあ」なんて言ってるんだけどね。


思い出とあいまってぼくはやれやれと息を吐く。


なで肩をよりいっそうなで肩にして、ダズリーはうなだれた。


「ごめん。でも何て呼べばいいの?」

 

「レインフル」

 

「だけど友達だよ。僕たち。その言い方じゃ仲悪いみたいだ」

 

「心配ないよ。中学生にもなればなれなれしさは逆にダサく見える――そういう意味で、さっきみたく『いっしょにかーえろっ』は無しだ。無言で並んで歩く。これが中学生のスタイルだ」

 

ぼくはびしっとダズリーに念押しした。ダズリーはしぶるように顔をふってから、一言。

 

「わかった」

 

これが最初のやりとりだったらぼくも安心しきっちゃうんだけど、実はこれ、今日で150回目なんだ。

 

今じゃ、ダズリーの頭がおかしいのか、ぼくがからかわれてるのかわからなくなってきている。

 

2年生のときからの付き合いだから大目に見ることにしている。ちなみにダズリー・モービーはぼくの中でイケてる男子ランキング160位だ。後方の理由は、容姿とそのしゃべり方にある。要するに幼稚なんだ。

 

ぼくたちは山中特有の閉塞感を覚えながらリフトを待った。ホントはボックスタイプのロープウェーがいいんだけどわけあって今は使えない。


車道を挟んだ向こう側で30人くらいの生徒がバスを待っていた。たぶん新入生なんだろう。最初はだいたいがこのリフトを怖がる。一人分の座席だけのスペースでの移動が一番イヤな理由だと思うけど、他にも、つられて運ばれている最中に糸が切れて落ちたらどうしょうとか考えてるんだろう。ぼくも去年そうだった。だから入学してから3ヶ月一度も乗らなかった。ずっとバス通学だった。


ただ、バス通学は大変なんだ。遅いし、時間が決まっているし。その点、リフトは自動で動いているから、日に100回以上も現れる。新入生や普通のやつは乗らないからガラガラだしね。


だけど、初めはマジできつかった。


その日、夜中の2時までゲームをしていたもんだから、学校帰り、リフト待ち場でうとうとしていたんだ。あまりの眠たさにいつしか立ったまま眠っていた。そしたら、うっかりリフトに乗せられちゃったらしい。早帰りするところの体育の先生の腕によって。


落ちてきた雪の冷たさに目を開けると、そこは見渡す限り銀色で、宙を動いてて、心臓がとまるかと思ったよ。ぼくは一人分ほどの幅のベンチイスに腰掛けていた。ガタガタいいながら、ゆっくりと斜めに落ちていく感じにめまいを覚えていると、左の席に先生がいた。


あんなに嫌いだった先生のムキムキの上半身が頼もしく見えて、地面に着くまで必死でしがみついていた。先生は何度もぼくを自分から引き剥がそうとしていたけどね。


冷たい風が肌に感じる。囲まれた木々がざわざわ揺れた。妙にあたりが暗い気がする。やっぱりこんな魔女の住処みたいなところに学校なんて建てちゃダメだよ。ぼくいつも、ここに魔法を習いに来てるんだっけ? と勘違いしそうになるから。

 

ぼくとダズリーは森林の景色からあえて目を逸らして、地面のアリたちを数えた。ほんとは眺めるだけのつもりなんだけど、いつもダズリーが「一匹、二匹、三匹・・・・・・」って声に出すから、しかたなくぼくも心の中で森のくまさんのリズムと共に数えている。

 

アントワン。 

アントツー。 

アントスリー。

アントフォー。

アント、ファイ、シックス、セブン、エイト、ナイン。

アント、テン、イレブン、トゥエルブ、サー、ティーン。

このリズムでアントワンから繰り返し。だからいつまで数えても13から上にいけない。

 

リフトがやって来た。ぼくとダズリーは前に進むと腰かけた。このたんびダズリーはぼくの腕をつかむ。そして、ぼくが腰掛けるタイミングで腰を落とす。

 

ダズリーをリフトに誘ったのはぼくだ。一度、体育の先生と乗って安全なのはわかったけど、万が一ってことがあるよね。だから、もしもリフトのロープが切れたとき、側に誰もいなかったら一人で天国に行っちゃうことになる。

 

そういうことで、ダズリーだ。多分、ダズリーも嬉しいと思うよ。天国についたとき、一緒に天国1年生から始められるんだから。

 

リフトが空港のベルトコンベアーくらいのスピードで進んでいく。あとはひとりでに麓まで運んでくれるからすることなんてないんだけど、ダズリーからは目を離せない。宙に行くまでね。

 

まだ地面に降りられるところにいると、ダズリーはリフトをやめようとするんだ。

 

「やっぱり僕よしとくよ」とか言ってどすんと地面に降りる。思い切りというより、潔さがない。あいつには。


 だからぼくはダズリーの気を引くことをわざわざ話してるんだ。

 

「『クロスヒツティイ3』が来月、発売されるみたいだよ」

 

「え? 本当?」目が輝き出すダズリー。ゲームがぼくと同じで大好きなんだ。

 

こんな感じに。

 

ぼくとダズリーはのんびり地上を見下ろした。紅葉にはまだ早い、深い緑色が広がっていた。どんよりした空に山の景色がマッチしているとはいいがたいけど、鳥のさえずりとか、風の吹く心地よさは心を穏やかにする。

 

隣のダズリーは、顎のしわを何重にもしてしかめている。まあいつもの顔だと思う。ぼくはダズリーが降りられないのがわかると、家から持って来たコミック雑誌を読む。

そうして、穏やかなリフト下りにうとうとしていたんだ。そのとき、

 

『市内のみなさん、連絡です。本日午後7時より、『魔王出現時の防災訓練』を行います。みなさまの参加心よりお待ちしております』

 

スピーカーたっぷりの耳障りな声が響いた。一気にまどろみから覚めたよ。ぼくとダズリーは麓に着くと、スクールバスで家まで帰った。

 

ママとパパは夜、防災訓練に出かけたみたいだ。「二人のうちどっちか、レルの面倒を見ていて!」とママが言っていたけど、ぼくは早くからベッドに入っていた。明日の朝は早いんだ。

 


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