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第四話 不安

 ライズが自身の二重紋様を公開してから、ライズの周囲を取り巻く環境は少し変わった。


 第一に、友と呼べる人物が増えた。


 ライズが陰口を言われ倒れた際、ライズを助けた男子生徒、ケン・ヴァルカンハート。そして彼の友人、レイス・ハルトマン。あの件から2週間、友と呼べるまでの関係になるには、十分だった。


 次に、他人から頼られる事が多くなった。以前からライズの紋様術の扱いには同級生から羨ましがられていたようで、二重紋様である事も相まってか、紋様の扱いを学びたいとライズの元へ足を運ぶ者が来るようになった。


 良くなった事だけではない。ライズの事を避けるようになった者は確実に存在する。だが、気にする程ではない。それに、あからさまに毛嫌いしてくる者まではいない。それなら、少しずつ理解してもらえればいい。ライズはそう考えていた。


「おーっすライズ、また紋様のご教授か」


「おはよう、ケン」


 朝、ライズが数人の生徒に囲まれ紋様についてあれこれと訊かれている所に制服を着崩した男子生徒、ケンがやってくる。ライズは挨拶を交わすと、再び同級生からの質問責めに答える。


「紋様は理論と言っても精神論に寄る部分が大きいんだ。紋様で何をするかを強く念じる事が大切だよ」


「イメージ力って事?」


「そうだね。自分の紋様でしたい事を具現化させる感じかな。目標は無意識のうちに紋様を発動させる事。戦いの面でも確実に役に立つよ」


 ライズの回答をメモする者、話を聴きながら頭の中で早速イメージの実践を行う者、ただ話を聞く者。様々いるが、皆ライズを慕っている事に違いはない。初対面の無愛想な雰囲気を微塵も感じさせない、活き活きとした表情が、ケンの視線の先にはあった。


「しかしまあ、ライズがあんな実力者だとは思わなかったな」


「ああ、私も驚いた。実際戦えばわかるが、あの実力は決して二重紋様に依存しきったものではない。小太刀の扱いは、何かの流派によるものだろう」


「………………何でお前がここにいる」


 ケンが席に着き、呟いた一言に真横からの反応が示される。その方向を見やれば、そこにいたのは先日ライズとの激戦を繰り広げたシルビアだった。腕を組み、机の上には一時限目に行われる授業のテキストとノート、筆記用具が置かれている。


「武器理論の単位を取ったからな。昨日から紋様関係の単位も取ろうというわけだ」


「そうじゃねえよ。何で俺の隣にいるんだよ」


「お前が後から来たんだろう。私はこの教室ではいつもこの席に座っている」


「……チッ、そうかよ」


「変わらないなお前は」


 不機嫌そうにケンはシルビアから視線を外し、鞄からよれたテキストとノートを取り出すと、頬杖を突いてふてくされる。それを見て懐かしむようにシルビアは声を掛けた。


「……変わったよ。いつまでもあの時の俺じゃねえんだ」


「ははは、確かにな。まさかクルルのファンクラブに入ってるとは思わなかったぞ」


「そこじゃねえよ! もっと変わった所あるだろうが!」


 机を叩き、シルビアを威嚇する。が、彼女はそれを歯牙にもかけずにケンを見つめ、にやりと笑みを浮かべる。


「……そうだな。お前は変わったな。背も私より高くなったし、きっと私よりも強い」


 そう言いながら、シルビアは視線をライズに移す。その先では今もライズが生徒からの質問に対し丁寧に答えている。そこに丁度クルルがやってきて、ライズと軽くあいさつを交わした後に彼の隣に着席した。


「みんな変わっていくんだな」


「そりゃあな。変わらない人間なんてそういねえだろうよ」


「……そう……なんだよな……」


 シルビアの声色が明らかに変わったのをケンは聞き逃さなかった。押し殺したような、何かを堪えたかのような、そんな声に、ケンは無意識に隣を向いていた。


「……どうした、気分悪いのか?」


 シルビアはいつの間にか机に伏していた。先程とは様子も全く違う。


「……大丈夫」


「いきなり突っ伏して大丈夫なわけあるかよ。保健室行くぞ。無理すんな」


「大丈夫だって、そういうんじゃないから」


「だったら何なんだよ。お前がそんなんなるなんてよ」


 ケンが追及してから間もなくして、シルビアから鼻をすする音と嗚咽が聞こえてきた。そこでようやくシルビアがなぜ顔を伏せているのか理解したケンは急に焦りを見せ始める。


「ど、どうしたいきなり!? 俺、何か気に障るような事言ったか?」


 首を横に振るシルビア。


「じゃあどうしたん? 言ってみ?」


「アンタに言ったら……ダメ……」


「何で!? 口止めされてるのか?」


 首を横に振るシルビア。


「だっけんわりゃどうしてそんなもうらしくなっとるん? 言うてみんしゃい!」


 シルビアに対する焦りと、その強情さによる苛立ちに、思わず故郷の言葉が出る。しかしシルビアは特に疑問を示すでもなく、むしろその言葉に反応してか、涙で赤くなった目をこすりながら顔を上げる。


「……クルルが」


「おう、うちらが愛しのクルルちゃんがどうしたと」


 ふざけた物言いに思わず拳に力が入るが、ここでケンを殴っても何の意味もないと必死に堪え、小声ながらもケンには聞こえる声で呟く。


「クルルが、ライズと付きおうかもしれん」



「……あ、すごい、紋様の発動範囲ってここまで縮められるんだ」


「一般的には範囲を広げる事が重要視されるけど、応用させるのは範囲限定の方が遥かにさせやすい。開いた時間に小さく発動させる練習をしておくといいかもしれない」


「へぇ〜、ライズ君頭いいんだね。ありがとう」


 実戦において紋様をどのように応用させればよいのかという曖昧な質問に答えた後、ライズは時計を見やる。あと十分ほどで授業だろうか。ライズの周りで質問をしてくる生徒もずいぶん減った。そろそろこれをお開きにして隣のクルルと朝の会話などをしたい。


「……ライズ」


 時計を見るライズの肩を叩く手。その方向を見ると、数分前には朝の少し気だるそうな表情をしていたケンがライズを睨みつけていた。


「ケン? どうした、そんなに睨んで……」


「どうしたはうちの台詞だで! わりゃどういうことなん!? クルルちゃんとは何でもない言うとって、実は付きおうとしてたんか!」


 突然の異郷の言葉に戸惑いを隠せず唖然とする。「どうしたはうちの台詞だで」しか聞き取る事のできなかったライズには、ただケンが次に何を言うのかを待つしかなかった。


「どうなん! あの噂は本当なんか!?」


「う、噂? だから俺とクルルは何でもないって……」


「な、なになに? もしかして僕の事で争ってる?」


「ケ、ケンー、私の言い方が悪かったで、誤解せんでー」


 ただ事ではないと悟った周囲の人間はとっさに距離を置き、渦中の人物であると察したクルルは2人の中に割って入り、シルビアがケンと同じ訛りで3人に近寄る。


「……え、何これ」



 数分後、先程まで自分の座っていた席でこの世の終わりが如く落ち込むケンの姿があった。


「……こっ恥ずかしい……また勘違いで妙な事せうて……せつねえ……」


「シルビアちゃん、ケン君はなんて?」


「勘違いで妙な事いって恥ずかしいってさ」


「てか、シルビアは何言ってるのかわかるのか」


「うん。私とケンは同郷。幼なじみだからね」


「へえ……」


 初耳の情報である。だがしかし、クルルの熱狂的なファンとクルルの親友が幼なじみというのはなかなか予想外ではあるものの、やはり別段驚愕する程の事柄でもないためか、反応は薄くなる。


「幼なじみっていうか、ケン君って昔……」


「あーっ! わーっ! 言うなアホ!」


 クルルがポソリと呟いた言葉をシルビアが大声で遮る。存外うるさい。間近にいたのもあってか、思わずライズは耳を塞ぐ。


「まあ、別に詮索する気はないけどさ。それよりも……何でまた俺とクルルが付き合うみたいな話になったんだよ」


「うぐ……」


「シルビアが泣きながらお前ら2人が付き合うかもしれないって言ったんだよ」


 目を逸らして口をつぐむシルビアの黙秘権を軽く払うようにケンが真実を話す。勘違いの元が彼女であるためか、そこにシルビアへの気遣いだとかそういった感情は一切ない。


「だろうと思ったよ……いいかシルビア。何度も言うけど、デートはあくまで俺を激励するための言葉で……」


「お前らデートするんか!?」


「ケンは黙ってろ。ともかく、デートは建前。いつするのかとか決まってないし、クルルもする気なんてないだろ」


「え、デートはするよ?」


 クルルの一言に場が凍りつく。しかしながらもケンとシルビア2人の熱い視線がライズを突き刺し、冷や汗をかく。


「……デートという建前の買い物に行くだけだ」


「建前じゃなくて、ちゃんとデートするんだってば。そう約束したでしょ?」


 次々と塞がれる逃げ道にライズは頭痛を覚える。クルルは人懐っこい。ライズに対して恩があるとはいえ、こうして近くにいるのもその人当たりの良さから来るものだと思っていた。まさかここまで踏み込んだ行動をするとは、ライズも思ってはいなかった。


「……ライズ?」


「くっ……俺はどうすればいい! クルルちゃんはライズとデートをしたがっている! 応援するべきなのか? そうなのか!?」


「いや、大丈夫。お前らが思うような事にはならないから。な?」


 2人をなだめ、逃げるように自分の席へ駆け込むライズ。そこに丁度授業開始のチャイムが鳴り、事なきを得る。


「……クルル」


「ん?」


「お前は自分が人気者だという事を自覚した方がいい」


 これ以上クルルと親密になれば誰かに殺されるのではないか、そんな予感すらするライズをよそに、クルルは頭に疑問符を浮かべていた。



 他人と関わる事が増えても、ライズが昼食を食べる場所は変わらない。校舎裏。大学の土木学科や建築学科の生徒が一晩寝ずに修復したモンスター小屋へと続く小道、動物の集まる日だまり。そこにライズはいた。


「……」


 地面に腰掛け、黙々と昼食のサンドウィッチを口に運ぶ。やがてその匂いに釣られてか、猫が数匹ライズの足元にやってきた。


「お、来たな。今日はいいもん持ってきたぞ」


 ライズがサンドウィッチの入れてあったビニール袋から缶詰めを2つ取り出す。コンビニで一緒に買った猫缶だ。


「ほれ、喧嘩するなよ……ってうわ」


 猫缶を開けた瞬間、周囲で昼寝をしていた猫達が全員飛び起きて近くに寄る。そうこうとしているうちに、たった2つの缶詰めは猫の集団で埋め尽くされる。


「野生化してるくせに人間には懐くんだな」


 猫が密集する中、サンドウィッチを口に運ぶ。猫を眺めながら、それとなく喧嘩などが起きていないかを確認する。今の所は問題ない。というよりも、まるでこういう事に慣れているかのように周りの猫に配慮しながら、自分だけが食べ過ぎないようにしているように見える。


「……」


「あーっ! にゃんにゃんだ!」


 ライズから見て右、中庭の方向からその場にいた全ての者が驚くほどの声が通り抜ける。これには人間慣れしている猫も一切の食事を止め、一目散に逃げ出す。


「あーん、にゃんにゃん逃げるなー」


「大声出して走ったら怖がるに決まってんだろ」


 猫を前に意気揚々とした少女、クルルはライズを足元に起きながらやや落胆した様子で肩を落とした。


「だって、ゆっくり近付いたら逃げちゃうでしょ」


「だからって逃げられないうちに捕まえるってのは狩人の考えだからな? 愛玩動物は捕まえるんじゃなくて、愛でるものだ」


 ライズの説得にもあまり納得していない様子のクルルを見て、いつかする事になるであろうデートの内容に目星を付ける。それはそうとして手に持っているサンドウィッチの欠片を口に運ぶと、服に付いた毛を払い立ち上がる。


「なんでここに? シルビアとエスポワールは?」


「ここならライズ君いるかなって」


 屈託のない笑みを浮かべて最初の質問のみに答えると、地面に転がっているほぼ空の猫缶を持ち上げる。


「これ、どうしよっか」


「放っとけばまた猫が来るだろうけど、その前に片付けられるかもな」


「そうなるとどうなるの?」


「ゴミを捨てたって事で俺が怒られる」


「そっか…………どうする、これ。食べてもいい?」


「……『魔女の黒猫』は猫缶食うのか」


「じ、冗談だって……」


 クルルの軽口を受け流しつつ、猫缶の中身を出し、地面のなるべく綺麗な場所に置く。


「え、そんな所に捨てるの?」


「ここに置いておけば勝手に食うだろ」


「汚くない?」


「別に猫だって地面の砂を好んで食ったりはしないから大丈夫だよ」


 空になった猫缶を袋に入れ、立ち上がる。しばらく座っていたせいか、身体を伸ばすのが気持ちいい。息を大きく吐き出しクルルを見ると、クルルは少し微笑んだ。


「行こう。まだ中庭にシルビアいるかな」


「うん。きっといるよ」


 袋を持っていない左隣にクルルが立ち、2人並んで歩く。春の雰囲気は過ぎ去り、木々は既に青々と葉を付けている。暑さと言うほどではないが、太陽の日差しも日に日に強くなっている気がする。


「……あ、そうだライズ君。モンスター小屋を壊した人の事って知ってる?」


 クルルが道すがら唐突な質問をぶつけてくる。ライズは特に質問の意図なども考えず、記憶を遡る。


「謹慎処分受けたんだよな、確か。小屋を悪用して、最悪大混乱になっていたわけだから、軽いといえば軽いな」


「うん……でね、今日、その謹慎期間が終わるんだって」


「今日? たった数日で? いくらなんでも軽すぎやしないか?」


「理由は僕もわかんないんだけど、お兄ちゃん曰わくすごい頭が良くて、今その人がいなくなると研究が止まっちゃうとかなんとか」


 その言葉にライズは絶句した。事によっては軍事学科だけではない、学園全体がパニックになっていたかもしれない事態を彼は引き起こしたのだ。それを、優秀であるという一点において処分が軽く下され、再び自身の研究を再開する。直接の被害を受けたライズからすれば、まるでその被害がなかった事にされているような、そんな心地さえする。


 いや、都合はわかる。権力があればある程度の悪事はお咎めなしという判断となる。小屋を破壊した彼はただの一学生ではあるが、こうして軽い処分に終わったという事はそれほど権力のある人間が彼の研究を重要なものだと考えているという事だろう。しかしそれでも、ライズの腹には釈然としない怒りの虫が蠢いていた。


「……クルル、なんでそいつが小屋を破壊したのか、わかるか?」


「それは……わかんない。お兄ちゃんに訊いてみるよ」


 頼みの情報網はクルルの兄、カイルのみ。とはいえ彼と小屋を破壊した彼は学科も違う。風の噂で聞いた程度だろう。だとすれば、あまり頼り過ぎる事もできない。


「わかった。心に留めておこう。それとクルル、しばらくは1人で行動しない方がいい。帰る時も俺と一緒に帰る事」


「うん……えっ? 何て?」


「だから、1人で帰るなって言ったんだよ。なるべくでいいから、俺と一緒に帰る事。わかったか?」


 謹慎が軽く終わった以上、彼は罪の意識もなくまた小屋の破壊を行うかもしれない。考えによっては、逆恨みしてライズ達を襲う可能性もある。彼自身に戦闘をする力はないだろうが、モンスターを使えば別だ。


「……シルビアとエスポワールはカメラに映っていただろうか。表向きはクルルが解決した事になってるけど、あいつらも注意しておいた方が良さそうだな…………クルル?」


 考え事をしながら歩いていたせいか、クルルがいつの間にか横にいない事に気付かなかった。後ろを振り返り、そこに立ち竦むクルルを視認する。


「……クルル?」


 もう一度、立ち竦み下を見る少女の名を呼ぶ。


「え? な、何か言った?」


「いや、突っ立ってたから何かあったのかと」


「あ、大丈夫だよ。僕は大丈夫。えへへ〜」


 思い切り表情を崩し、にやける。そして駆け足でライズの隣へと寄ると、先程よりも少し近い距離で並び歩く。


「……重ねて言うけど、お前は有名人である事を自覚しろよ?」


 懸念材料が次々と増える現状にやれやれといった表情を見せながら、それとなく情報を収集する事を心に決めていた。当てになる情報源となるとやはり、彼しかいないだろう。



 中庭に戻ると、シルビアとエスポワールが談笑をしているのがすぐに見えた。クルルが寄りかかる形で、半ばライズに身体を押し当てるような状態の2人を見つけるなりシルビアはすぐに苦虫を噛み潰したかのような顔をした。


「ライズ……少し近いんじゃないか?」


「奇遇だな。俺も同じ事思ってた」


「だったら離れろ。クルルも困ってる」


「あれ、変だな。これどう見てもクルルが寄っかかってるよな。俺のせいじゃないよな?」


 予想通りの反応を見せるシルビア。一方エスポワールはライズとクルルを見て口元を押さえ、少し赤面していた。


「……言っとくけどもエスポワール、別に妙な意味はないぞ」


「えっ、そうなんですか? わかりました……」


「何で少し残念そうなんだよ」


「だって……男女が人気のない所で2人きりなんて……そんな、そんなダメですよぅ〜!」


 今度は頬に手を当て首を左右に激しく振る。なるほど、こういう所から噂は発展していくようだ。さればますますクルルが必要以上に接近するのを止めさせなければ。


「……とりあえずクルル、離れろ」


「何で?」


「何でじゃない。あんまりくっつかれると動きにくいし、お前のファンにも目を付けられる」


 そこまで言ってようやくクルルはライズから離れる。少し不満げにはしているが、それでいい。いくら人懐っこい猫といえども、特定の人のみにくっついていては皆も嫉妬してしまう。


「ちょっと前に、モンスター小屋が破壊される事件があっただろ」


「あっただろも何も、私達は当事者だろう」


「いやまあ、そうなんだけどな。話のメインはそこじゃないんだ。クルル情報だけど、その犯人が今日、謹慎期間を終える」


 ライズの言葉に一瞬にしてシルビアとエスポワールは硬直し、視線をクルルに向ける。


「クルルに言いたい事があるだろうけど、今はそれよりも伝えたい事がある」


「伝えたい事、ですか?」


「そう、理由は憶測の域を出ないが、十分な謹慎もないまま犯人は解放された。犯人の頭もまだ冷えていないだろう。そこで何が起こり得るか、予測できるか?」


「…………逆恨みによる報復」


 別に彼女に向けて話していたわけではないが、いずれの言葉にもエスポワールが言葉を返す。


「正解だエスポワール。幸い、表面上はクルルが全部解決した事になってる。お前達が狙われる確率は低い。だが……」


「戦闘のできない私の存在を相手が突き止め、人質として利用される可能性がある。ですか?」


 エスポワールの勘の良さには感服する。いや、純粋に聡明なのだろうか。自分は大丈夫という楽観的な思考を持たず、相手の出方を冷静に、淡々と分析する。指揮官としては十分に素質がある。恐らく、彼女は大成する。


「その通りだな。もちろんこれは憶測だ。犯人は十分この短い謹慎期間で反省したかもしれないし、俺達を恨んではいても復讐しようなんて考えてはいないかもしれない。ただ、しばらくは各自、1人で行動しないようにしてくれ。それと、何かあったらすぐに連絡する事。いいな」


 エスポワールが頷いた後、シルビアもやや不満そうな顔をしながら首を縦に振る。後手後手になるのが彼女にとっては嫌なのだろう。ライズにとってもそれは同じだ。すぐに復讐をしてくるかもしれない。しかしその一方で、今は入念に復讐の準備を進めているのかもしれない。あるいは、復讐など考えていないかもしれない。相手が何を考えているかわからない以上、ライズ達ができる事はただ1つ。警戒する事だけなのだ。


「じゃあ、俺から言いたい事は以上だ」


「……ふうん」


 シルビアが鼻を鳴らす。


「何だよ」


「別に。お前こそ無茶するなよ」


「何を」


「特に意味はないよ。じゃあな」


 緑色の短い髪を揺らしシルビアが立ち上がる。そしてそのままライズの横を通り抜け後者の方へと歩いて行く。


「何だ、あいつ」


「シルビアちゃん、日直だからね。教室帰って黒板とか消さないと」


 ライズとエスポワールの視線がクルルへと注がれる。読心術の心得などないライズでも、今のエスポワールが何を考えているのかは何となく予想できた。そして、特に差し合わせたでもなく、自然と2人は口を揃えてクルルに言う。


「そういう意味じゃない」



「謹慎終了?」


 個人訓練の授業中、身体を慣らす目的でライズとケンは簡単な、本当に簡単な実戦形式の組み手をしながら雑談をしていた。2人のすぐ近くでは記録係のレイスが話を聞きながら紙にペンを走らせている。どうやらこうした空き時間の行動を書き込んでいるらしい。


「ああ、今日で終わるそうだ」


 話の中心は例の、モンスター小屋破壊事件についてだ。


「……妙だね。無断で、しかも危険な物を持ちだそうとしたんだろ? 僕の記憶ではもう少し処分は重かった記憶があるけど」


「詳しくは知らないけどな。重要な研究に関わってるとかで、処分が軽くなったと風の噂で聞いた」


 レイスが唇にペンを押し当てながら空を見上げる。それにライズはクルルから聞いた事を2人に伝える。


「大丈夫なのかよ。俺の情報網じゃ、そいつ結構イカレてるらしいぜ」


「報復される可能性も考えてる。とりあえず、クルルとシルビア、エスポワールには今後しばらく1人で行動しないようにと伝えた」


 シルビアと言った所でケンが、エスポワールと言った所でレイスが表情をわずかに変える。しかしケンはともかく、レイスが訝しげる意味がわからない。


「……」


 ここでライズに1つの悪戯心が芽生えた。直接本人にエスポワールとの関係を問いただすのもいい。が、ライズには何となく、本当に何となく、レイスとエスポワールの関係が予測できたのだ。


「エスポワールは特に危険だ。戦闘ができない関係上、相手に知られたら真っ先に狙われる可能性がある」


「えっ……」


 普段ならば冗談事を鋭く察知し笑顔で返すレイスが明らかに顔を青くする。とはいえ、これは冗談ではないのだが、それでもライズは悪戯めいてレイスによく聞こえるように言う。


「捕虜が一般的に思う以上に邪魔なのは知ってるだろ?」


「ああ、逃げられないようにしておかないといけない上、面倒も見ないといけない。危害も加えられないし、移動の際には完全に荷物だからな」


「もしエスポワールが捕まった場合を考えるとより最悪だ。それは捕虜じゃなく人質になるからな。俺とクルルを呼ぶのに使った後は邪魔と判断されて処分される可能性も高い」


「処分……」


 ペンを持つ右手が震えている。右手だけではない、膝から崩れ落ちてしまいそうな程、レイスの身体は小刻みに震えていた。


「どうしたレイス。四面楚歌を絵に描いたような顔して」


「……いや、何でも……ない」


 何でもないわけがない。そうさせたのはライズだが、予想以上に重く受け止めているようだ。さすがにやり過ぎたと反省する。


「レイスはエウアンゲリオンが好きだからな」


「ちょっ……ケン!?」


 やはりか。というライズが内心で呟く一方、さっきまで真っ青だった顔を急に赤くしながらレイスが珍しく声を張り上げる。


「へえ……付き合ってるのか」


「いや、まだ片思いだろ? ってか会話も殆どした事ないはずだ」


 続くケンの注釈には、少し意外であった。てっきりレイスとエスポワールは恋仲になっているのだと思っていたからだ。存外、レイスは奥手らしい。


「2人とも、この話はもういいでしょ!」


「そうでもない。いざとなれば恐らく2人にも協力を仰ぐ事になる。今の内に話した方が得だろ」


 勢いにまかせて言った言葉だが、一応の理屈は通っているように思う。


「はあ……僕の秘密が」


「秘密って程隠せてもないけどな」


「うるさい。ケンこそシルビアちゃんとはどうなのさ」


「ああ、そうだ。ケンはシルビアと付き合ってるのか? 仲良さそうに見えたけど」


「別に俺は……あいつとは腐れ縁だっけん……」


 またよくわからない訛りが口に出る。動揺しているのがライズにもよく伝わった。


「と、とにかく! あいつとは何もねえて!」


「お前も大概動揺を隠せないタイプだよな」


 レイスとは違い、顔が紅潮するような事はないが、それでも「過去に何かあった」と自分から申し出るような反応である。


 いつの間にか恋話に発展している事に気付き、レイスはライズに思いついた質問をぶつける。


「そういえばさライズ君、結局の所クルルさんとはどうなの。一時期結構大きな噂になったけど」


「デマだよ。あいつ人懐っこいだろ。だからだと思うんだけど、さすがに身体を密着させるのは誤解も生むからやめろって言ってんだけどな」


 当然の事であるかのように言うライズに、ケンは眉をしかめ、レイスは首を傾げる。クルルは確かに人懐っこい。人に対して一切の壁を作らないと言ってもいい。故に彼女は『魔女の黒猫(ウィッチズキャット)』の異名が付けられたのだし、また実力者でありながら皆に慕われているのだ。しかし、彼女は不用意に、不躾に、他人の身体を触ったりだとかはしない。他人に触れられる事を拒絶する者もいる。それを彼女はわきまえていた。


「……なあ、ライズ」


 ケンが組み手を中断し、恐る恐るといった様子で口を開く。


「クルルさんはそりゃ他人に壁を作るような人じゃない。だから俺みたいにファンも多いわけだ。でもな……」


「他人にベタベタ触るのを見るのは、ライズ君が初めてだね」


 レイスが続け様に言う。2人の言葉の意味を理解するのに、しばし時間が掛かった。そしてその意図を汲み取った時、ライズにとって初めてとなる「恥ずかしい」という感情が湧き上がった。


「…………いや、クルルとは、そういうんじゃ……ないから」


「ライズ君がそう思ってなくても、クルルさんの気持ちはわからないだろう? 面と向かって訊くような事じゃないけど、今まで気付かなかったの?」


「クルルはすこしやりすぎと思ったけど……と、友達ってあれくらいフランクに接するもんじゃないのか?」


「そりゃあ……男同士ならあれくらいはするだろうが、異性の友人ではあまり見ないぞ」


 カルチャーショック、とでも言えば良いのだろうか。友人と呼べる人物など12年前に近所に住んでいた年の近い女の子がいて以降はクルルが初めてだったからだ。近所に住んでいた女の子も、年齢の関係もあってかよくライズにべったりと着いていたのを覚えている。人生の中で出来た友人2人の影響で、ライズの友人というイメージがそのまま形作られていた。


「やけに仲がいいくせに恋仲を否定すると思ったら、ライズ君が無自覚だっただけか」


「やっぱりお前達から見てクルルは……その……俺の事……」


「間違いなく好きだろうな」


 ケンが間髪入れずに言葉を繋ぐ。レイスも同調し首を縦に振っている。その行動が、ライズの無自覚を瞬時に自覚へと変貌させる。


「……どうしよう」


「恋愛経験の薄い僕らに訊かれても困る」


「そ、そもそもクルルと付き合ってるなんて事になったらファンに……」


「みなまで言うな。クルルさんが好きになった男だ。それに、お前ならクルルさんを幸せにできると信じている」


 話が一気に飛躍を遂げている気がするが、いずれにしてもライズの思い付いた逃げ道はすぐに塞がれた。情けない話だが、ライズには恋愛に関する知識というものが一切ない。とてもクルルの気持ちを真摯に受け止める自信はなかった。


「で、どうするのさライズ君」


「……何が」


「クルルちゃんの事。直接言われた訳じゃないにしても、いつかは向き合わないといけなくなるかもしれない」


 的確にライズを追い詰める。どうするも何も、今の混乱した頭ではまともな答えなど見つかるはずもない。


「クルルは、大切な友達だから……」


「ふんふん」


「あんまりそういう感情は持たないっていうか……」


「それでそれで」


「と、ともかく、クルルにはまだそういう感情は抱かないというか……」


「なるほどね。あ、クルルちゃん」


「やっほー。三人お揃いで……ってライズ君、何やってんの?」


 心臓が跳ね上がりその場に崩れ落ちたライズに、その場にいたレイス、ケン、そして今し方やってきたクルル、シルビア、エスポワールの視線が注がれる。端から見ればそれは奇特な行為だろう。しかし突然のクルルの来訪に驚き焦ったライズが起こそうとした、精一杯の行動なのだ。


「……聞いてたか?」


「何が?」


「いや……聞いていないならいい」


 運動の際に出る汗とは明らかに違う、焦りによる発汗を深呼吸で抑えつつ、ライズは精神を整える。大丈夫だ、問題ない。さっきまでの会話はどうという事はない。男同士のからかい合いというものだろう。クルルがライズに恋心を抱いているという情報など、あくまで憶測に過ぎない。そうだ、シルビアかエスポワールにでも聞いてみればいいではないか。そうすればはっきりする。


「……なんか、すごい疲れてるけど大丈夫?」


「いや、別に、何もないよ」


「そう? 時間あったら少し組み手に付き合ってもらおうかと思ったんだけど、本当に大丈夫?」


 付き合って、の辺りで再びライズの脳裏に2人の言葉がよぎる。なるほど、これが話に聞くパニックというものなのだろう。戦場において孤立したり敵に囲まれたり、あるいは深手を負った際、冷静さを欠き思考がままならなくなる。こうなってしまうとその人物の生存率は著しく低下すると言われている。まだ学生の、しかもこのように平和な世界の中でそんな事にはならないだろうと思っていたが、まさか学生のうちに、まして戦場でもない所で起こるとは夢にも思わなかった。


「あ……ああ、組み手だな。わかった」


 落ち着け、落ち着け。ライズはそう呟き続ける。非常に簡易的かつ安全、準備運動的役割の強い組み手とはいえ、戦いをするのだ。冷静にならなければまともにできるものではないし、そうなれば相手にも失礼になる。


 今は戦いだ。その思いが徐々にライズを平常心へと戻してゆく。流石は10年間感情を全く変えなかっただけはあると自画自賛しつつ、右手は順手、左手は逆手に剣を持ち左足を一歩前に出す。


「……よし、いつでも来い」


「お、なんだかやる気だね。よーし僕も頑張るよ!」


 クルルが棍を構え、下段に払った所で組み手が始まった。見切っては攻撃、見切っては攻撃。これを繰り返し、相手の隙を突く。しかし攻撃を当てる事はしない。あくまでもこれは準備運動。隙を突き相手を崩したとして、寸止めをする。それが軍事学科における『組み手』だ。


「さーて、私らは私らで組み手するぞ。付き合え、ケン」


「……大方、クルルちゃんが言い出してお前らここに来たんだべ?」


「そうだよ」


「はあ……やっぱりクルルちゃんは……」


「何ブツブツ言ってんだよ。話なら組み手しながら聞いてやるから、来い」


 怪訝な顔をするケンをシルビアが強引に引っ張り出す。シルビアがクルルと仲良くするようになってからはあまり見られなくなっていた、久しい光景だ。


「……」


「……」


 1人、いや性格には2人だが、取り残されたレイスとエスポワールはぽつんと立ち尽くし、何をするでもなくライズとクルルの組み手を見る。しかしエスポワールはともかく、レイスは気が気でない。


 レイスは、エスポワールの事が好きである。


 出会いのきっかけはケンだ。彼の友人。つまりシルビアと共にいる所を見かけ、一目惚れした。長く黒い髪、紫の輝きを放つ瞳、そして華奢で弱々しく、男なら思わず守ってあげたくなるその雰囲気。全てがレイスの好みだった。


「……取り残されたましたね」


 精一杯の勇気を振り絞り、シルビアに話し掛ける。ライズの気持ちが、今ならいくらかわかる。


「そうですね。えっと、レイス……さん?」


「は、はい、レイスです。エスポワールさんはスコアリングですか?」


「ええ、今日の分は終わったので、今は暇ですけど……あれ?」


 エスポワールが首を傾げる。


「私の名前、覚えていてくださったんですね。長くて呼びづらいのに」


「そんな事はないです。その……素敵な名前です」


「ありがとうございます。……『希望』って意味なんですよ」


「確か、西方の国の言葉でしたよね」


「あら、博識なんですね。びっくりです」


 エスポワールがレイスに微笑む。非常に可愛らしい。できるなら永遠にその笑顔を見つめていたい。などと詩的な言葉も思いついてしまう。さすがに気障(きざ)ったらしいので口には出さないが、それほどまでにレイスは幸福感に包まれていた。


「そういえば先程、ライズ君が崩れ落ちていましたよね。何かあったんですか?」


「あー……その、話がライズ君とクルルさんの話になったんです。それでその……僕とケンはクルルさんがライズ君に好意を持ってると思っていて、その旨を伝えたらクルルさんが丁度来てしまったんです」


「まあ、そうなんですか。それは何と言いますか……奇遇です」


「奇遇?」


 レイスの疑問に、エスポワールはしまったという表情を見せる。しかしここまで言ってしまえば同じ事と諦め、少しはにかみながら言葉を続ける。


「私達もクルルちゃんとライズ君の話をしていたんです。そしたらクルルちゃんがライズ君に会いたいと言い出して……」


「そうだったんですか」


 ここまで聞いて、再びレイスに疑問が生まれる。この際と眼前で組み手をしている2人には聞こえないよう、小声で言う。


「……実際、どうなんですか? クルルさん、ライズ君の事どう思ってるんでしょう?」


 その疑問を耳に入れ、果たして答えるべきか答えざるべきかと少し悩み、エスポワールは立ち上がる。そしてレイスの方に向き直り少し意地悪な顔をする。


「女の子のヒミツです」


 ウインクをして、口元を指で押さえ、彼女はそう呟いた。可愛いというその余韻に浸る間もなくエスポワールは後ろを振り向き組み手をするライズとクルルを止めに入る。最早白熱しすぎて実戦訓練の域にまで達していた。


「……可愛いなあ、エスポワールさん」


 質問に答えてもらえなかった事などどうでも良い。彼の頭は既に、小悪魔の表情を見せた彼女で一杯一杯だった。



 全身の関節と筋肉が悲鳴を挙げる中、ライズはどうにか身体を前へと送り帰路に着く。隣ではクルルが若干申し訳無さそうにライズの身体を気にしている。


「明日動けるかな」


「あははー、ごめんね」


「それは別にいいんだよ。俺も止めなかったし」


 クルルとの組み手は非常に面白いものだった。一撃一撃が速く、ほとんど隙も見せない。なるほど彼女といつも組み手に付き合わされているシルビアが強くなるはずだと感心するばかりだ。


「今日はゆっくり休むといいよ。あ、そうだ、ご飯は僕が作ろうか?」


「お前料理できんのか?」


「失礼な。僕のオムレツはホテルのシェフ顔負けの美味しさなんだよ」


 どこまで本当かわからないクルルの言葉に相槌で返し、前を見る。ライズ達の住むアパートがもうすぐ目の前に見えた。



 深夜、不意に鳴った液晶の携帯端末にライズは飛び起きた。端末に表示された名前はシルビア、昼の事があるだけに、嫌な予感が頭をよぎるのだ。


『クルルのオムレツ食べたんだって?

私だって数回しか食べた事ないのにさ!』


 心底安堵すると共に深夜に送る事でもないだろうというやり場のない苛立ちが湧き上がる。


『おいしかったよ。おいしかったけどさ、深夜はやめてくれ、心臓に悪い。』


 眠いせいか妙にズレた返信と釘さしをした所で端末を置き、ライズは妙に浅い眠りへと戻っていった。

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