第一話 邂逅
クルルに頭を打ち抜かれた日から一週間が経過した。あれ以降クルルとは顔を合わせていない。この学園の生徒数からすればそれも当たり前といったところだが、あれだけしつこく付きまとっていたのが嘘のように感じる。
(あいつの探し人じゃない事がわかったんだ。離れるのは当たり前か)
案外合理的な部分もあるらしい。用もない人間と一緒にいるなど非合理的にも程がある。人間なんて結局そんなものだと、ライズは菓子パンをかじりながら考える。
今は昼休み、ライズは後者裏の日だまりで昼食をとるのが日課になっていた。理由は、ここはほとんど人が訪れないのと、日向ぼっこをしに訪れた動物が昼寝をしていたりするのを見られるからだ。
「動物はいいな。気楽そうで」
今日、日向に集まっていたのは大量の猫達だった。ライズが来たときには数匹がやや警戒の色を見せたが、ライズが日向を荒らしに来たのではないと察すると、また昼寝を始めている。
「……ん?」
数匹の猫がライズにすり寄ってくる。人間に慣れているのだろうか。中にはライズの持っている菓子パンを見ながら物欲しそうに鳴いている猫もいる。
「はは、これはきっとお前らには良くないよ。また今度、お前らの好きな食い物持ってくるから」
他人に興味を持たないライズが、好きな物を答えるとしたらほぼ確実に動物と言うだろう。人間と違って絡んできても鬱陶しくないし、気楽だ。
「……!」
何者かの気配を感じ、ライズは息を潜める。にゃあにゃあと足元で鳴いている猫を申し訳なく思いながらも払い、気配に音を立てずに近寄る。
(……誰だ?)
気配があるのはライズから見て左の方向。モンスター研究科のモンスター飼育小屋がある場所だ。
モンスターと言っても、本質的には動物とは変わらない。ただ環境の変化に対応するために凶暴化し、周囲の環境や人間に危害を及ぼす種をモンスターと呼んでいるに過ぎない。モンスター研究科は、動物がモンスター化するに至った経緯やその生態系を研究する学科であり、軍事学科でのモンスター討伐訓練にも使用される事から、訓練に使用されるモンスターの一部はこの軍事学科で飼育されている。
小屋といっても施錠はカードキーとパスワードによる厳重なもので、それぞれ軍事学科の一部教員とモンスター研究科の一部しかそれを所持していない。
(……あれは)
白衣にメガネ、そして短く纏められた髪。その姿にライズは見覚えがあった。
以前、モンスター討伐訓練の授業でこの小屋からやけに大きい体毛の生い茂ったモンスターを連れてきていた人物だ。名前は覚えていないが、研究科の大学生だという事は覚えている。
立場を考えれば、彼が小屋の施錠を開けられるのも納得がいく。だが、ライズは彼がやけに周囲を気にする素振りを見せているのが気になった。
(……邪推だといいんだけど)
他人に無関心であるながら人並みに正義感を持つライズは、何も起こらない事を祈りつつ小屋に近付こうとする大学生を遠目に見る。
カードキーをスライドさせ、パネルに何かを打ち込む。見るだけでわかる事は、彼は小屋のロックを解除しているという事だ。理由は不明だ。もしかしたら彼はこの小屋のモンスターを自由にする権利を持っているのかもしれないが、それにしても何かがあった時のために誰か、主に軍事学科の人間を付き添わせるのが普通だ。
よほど危険の少ない動物ならともかく、相手は命の危険すら伴うモンスターだ。一人でロックを解除など、普通の用事であれば、しない。
小屋の中にその大学生が入る。自分も中に入ってなぜこんな所に来たのかと追及しようかとも思ったが、理由はどうあれ相手はここに立ち入る事を許されているであろう人物だ。ここで追いかけても、追い詰める事はできないだろう。
(誰かに報告……)
軍事学科では、不明な点や何かしらの問題が起きた時、それを即座に報告する義務がある。その際には(遵守している生徒がどれだけいるかどうかはともかく)いかなる場合であろうと携帯端末を使用する事が許可される。
ライズはポケットからタブレット型の端末を取り出すと電話帳を開き、真っ先に報告するべき存在である、四年生学年主任の番号に電話を掛ける。
「……」
『もしもし、アンジェラス学園ですが』
数回のコールの後、電話が繋がる。
「アンジェラス学園軍事学科四年、ライズ・デュエルです。モリス先生をお願いします」
『わかりました。少々お待ちください』
小屋の中に入った大学生の様子を気に掛けながら学年主任、モリス・コランドに電話が替わるのを待つ。
『もしもし、モリスだ』
「軍事学科四年、ライズ・デュエルです」
『用件は?』
「報告します」
未だ大学生は出てこない。小屋とはいえ家一軒程の大きさはある。何か特定のモンスターに用があるというのならまだもう少し時間が掛かってもおかしくはないのだが。
「五分前、研究科らしき学生が軍事学科のモンスター小屋に入るのを確認。学生は周囲を警戒しながらモンスター小屋に近づき、しかも単独であった為、不審であると判だ……」
轟音が鳴り響き、ライズの声が途切れる。同時に、受話器と屋外から同時に聞こえた音に、モリスは顔をしかめる。
『どうした、ライズ』
端末を落としそうになるような、呆然するしかない目の前の現状から、モリスの声でどうにか現実に戻り、ライズは報告を続ける。
「……追加で報告します! 学生が小屋から逃走すると同時にモンスター小屋が倒壊、モンスターが脱出しました!」
『なっ……!』
モンスターはライズの声に気付くと、一斉に威嚇を始める。元々学生の戦闘経験を積ませるために飼育されているモンスターだ。よほど危険なモンスターはいないものの、どれも血の気が多い事には変わりない。
「とにかく、モンスターを食い止めるために戦闘に入ります」
『待て! お前のランキングは何位だ!』
「……五百六十位です」
『だったら無理だ、お前じゃあ無駄死にするだけだ! その場を速やかに脱出し、周囲の学生を避難させろ!』
「……」
ライズの前方には、何か動きがあった瞬間に襲いかかるであろうモンスターの群れ。その中でモリスの言う速やかな脱出をする自信が、ライズにはない。
「……了解しました」
そう言って電話を切る。指示は絶対。ひとまずはその場を離れようと、モンスターの視界から外れる。
「ガァウ!!」
案の定、四足歩行のモンスターは獲物を逃がすまいとライズを追いかける。その速度はライズを数倍上回り、ものの数秒でライズに追い付く。
「クソッ!」
剣を抜き、モンスターを切りながらその横を通り過ぎる。
「獣型のモンスターに速さで勝てるわけないだろ!」
ここにいないモリスに対して文句を言いながら、ライズは次々と襲いかかるモンスターと殺陣を繰り広げる。
ライズは周囲を見渡す。モンスターを運ぶために存外広く作られた小屋への通路は、一本道でありながらライズを取り囲むようにモンスターの侵入を許す。ライズの向かいたい中庭への道は先程ライズを襲ったモンスターの仲間が、仇を討たんと殺気を剥き出しにしてみれば唸っている。
(ほれみろ、逃げられるもんか)
ライズは行動内容を逃走から戦闘に切り替え、中庭とは逆方向に棒立ちしている人型のモンスター、ワーウルフに剣を突き立てる。
剣とはいえ、刃は入っていない。あくまでも剣という形を成しただけの打撃武器。しかしながら鋭角に尖ったその切っ先は、モンスターの不意を突きその意識を飛ばすのには十分な威力を見せる。
ライズの行動に負けじとモンスター達が一斉に襲いかかる。授業で行う個人戦でも、定期的に行われる学年対抗戦でもない。油断すればそこで終わりの、命懸けの戦い。ライズとしても初めてとなるこの経験。しかし不思議とライズに恐怖はない。
心のどこかで戦いを楽しんでいるのか、はたまたライズの無関心さ故のものか、それは本人にすらわからなかった。
ライズの手の甲に蜘蛛の紋様が浮かぶ。そして左足を軸にその場で一回転。勢いを利用し、両手に握る双剣を手から離す。
「さあ……本気を出すのは、久し振りだ」
空を切り裂く鋭い音を鳴らしながら、高速回転する剣が空中で無防備に牙を向ける愚鈍な生物をなぎ払っていった。
†
「ね、ねえ、クルルちゃん。やっぱり先生に報告するのが先じゃないかなあ……?」
「どうせ報告するんだから、何が起きたか確認してからでも遅くないでしょ」
「諦めろエスポワール。この脳筋に落ち着いて報告するなんて選択肢、あるはずがないだろ」
「だってシルビアちゃん……」
中庭で仲良くランチタイムと洒落込んでいたクルルは、校舎裏から聞こえた轟音に対して真っ先に原因の確認へ向かった。共にいたエスポワール・エウアンゲリオンとシルビア・カンパネラは事態を報告し指示を仰ぐ事を提案したが、クルルは聞く耳を持たずに突っ走っている。
「あっちにはモンスター小屋があるんだよ? もし何かあったら大変だよ」
「だったら尚更、誰かの指示を貰った方が……」
「モンスターが逃げ出してからじゃ遅いの! まだ戦闘経験のロクにない一年生だっているんだよ!」
語気を強めるクルルに対しエスポワールは涙目になり、シルビアは小さくため息を吐く。クルルの言いたい事はよくわかる。モンスターとの戦闘には危険が付きまとう。一年生が体躯の大きいモンスターに出会いでもしたらひとたまりもない。
だが、それは自分達とて同じなのだ。学年はいくらか上とはいえ、一兵卒にすらなれていない学生が、モンスター小屋から逃げ出した大量のモンスターに対象できるはずもない。
時折クルルは妙なまでの正義感を見せる事がある。有事の際にはすぐに行動を起こし、誰かが危険な目に遭っているならば身を挺して守る。それこそが、彼女が学年で七番目の強さを得た理由であり、その地位にある特別な存在でありながら強い人望を得ている理由でもあるのだが、クルルが特別な存在となる前から共に過ごしてきたエスポワールとシルビアは、クルルの見せる正義感に一抹の不安を感じていた。
「クルル、私は別にお前の行動にどうこう言うつもりはない。だけど……」
「無理はしない。でしょ? わかってるよ」
その言葉に何度裏切られた事か。シルビアとエスポワールは顔を見合わせ、小さく頷く。
無茶しがちな友のお守りをするのは、自分達も慣れっこだった。
†
空中で弧を描きながら回転する剣を右手で受け止め、ライズは近くで爪を振りかぶっていた獣型のモンスターの鼻っ柱を叩く。もう片方の剣は意志を持っているかのように弧を描き、確実にモンスターを狩ってゆく。周囲に意識を向けられないではいるものの、今のところモンスターがここを離れて逃げ出した様子はない。
「ガァウ!」
空中を飛んでいた剣を左手で掴む。この時、ライズの周囲を舞う双剣は存在しない。これを好機と捉え、様子を窺っていたモンスターがライズに向かい走り出す。
「……紋様術」
手の甲に蜘蛛の紋様が浮かび上がる。束縛を意味するその紋様はしかし、その効力を剣の刀身に付加させるでもなく、剣がライズの手から離れる事で無意味となった。
いや、無意味になどなってはいない。剣はライズを中心に渦を巻き、ライズへとひた走るモンスターの群を一掃する。剣はブーメランのように回転しながらライズの手に収まると、ライズの手の甲に浮かんでいた蜘蛛の紋様も消える。
紋様剣『螺旋花』。数年振りに放ったその技は、年月によるブランクを感じさせない見事な螺旋を描いた。
余裕も余力もある。しかしその中でライズの不安をかき立てるものがあるとすればそれは。
「……数が多い」
圧倒的なモンスターの数だった。既に三十程のモンスターを地に伏せさせただろうが、それでも周囲に広がるモンスターの群は広大であった。残りは少なめに見積もって五十。紋様術も無限に使えるわけではない。精神力と気力、そして集中力を必要とする紋様術は、多用すれば使用者の意識を奪う。この場でそんな事態になればどうなるか、想像に難くない。
それでもやるしかない。命令に背いてまで逃亡を放棄し、戦う事を決めた。物事に無関心な性格ではあるが、死を恐れて逃げ出すような臆病者になった覚えはない。
自らのプライドを掛け、剣を握るその手を強めた。その瞬間。
「はああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
何の前触れもなく、何の準備もなく、中庭へと続く道に位置していたモンスターが宙を舞う。それも攻撃をするためにライズを空中から襲うだとか、そんな格好の付いたものではない。
不格好に、惨めに、無様に。モンスターはなすすべもなく空へと飛ばされてゆく。
その大元。モンスターを空中に放るその正体を、ライズは知っている。
アンジェラス学園四学年ランキング第七位、クルル・クレッセント。あまりにも小さな身体の巨人は、しかし力強くその姿をライズに見せた。
「……クルル・クレッセント……」
「あ、ライズ君。どうしたのこのモンスター」
(どうしたのはこっちの台詞だ)
クルルの登場を好機と取るか逆風と取るか一瞬迷ったが、素直に好機と取る事にする。ライズはなおも襲い来るモンスターの横っ腹を剣で叩くと、クルルに説明を始める。
「何者かが小屋のモンスターを放した。カードキーとパスワードを知っていた事から恐らく研究科の大学生。中庭の生徒に避難勧告を出そうと脱出を試みるが……」
「で、何すればいいの?」
(……人の話を聞かない奴だな)
実力は水準以上ではあるが、軍人として出世できそうもないクルルの性格を体感し、それを嘆きながら後ろで爪を光らせたワーウルフの首に回し蹴りを当てる。
「クルル、先に突っ走るな……って何だ!?」
クルルの後方、中庭に続く道から二人の女生徒が飛び出してくる。着用している制服は共に軍事学科のものだ。
「連れか?」
「うん、エスポワールちゃんと、シルビアちゃん」
「クルル! そいつから離れろ!」
緑髪碧眼の、恐らくライズと同じくらいの背丈をした、制服のシャツを開襟している女生徒が叫ぶ。モンスターがそれに反応し、近くにいた数匹が標的をライズとクルル両名から状況を理解し得ていない女生徒へと変更する。
「チッ……おい緑髪!! 今すぐここを離脱して中庭にいる生徒を非難させろ!!」
大声を上げてモンスターの気を逸らすと同時に指示を与える。一人では困難であった非難指示も、複数人いるのならばどうにかなる。
「ふざけるな! この事態はお前が引き起こしたんじゃないのか!」
ライズの意志に反して女生徒は再び大声で返す。同時に背中から腕程の大きさを持つブーメランを取り出し、構える。
(おいおいまさか……俺を狙ってるんじゃないだろうな)
この女生徒は自分がモンスターを使役しクーデターでも起こそうとしていると考えているんだろうか。この世にモンスターを使役する方法は一つしかない。小さい頃から絶対の信頼関係を築き、人の指示を受け入れるよう調教する事だけだ。それをただの一般生徒であるライズが、しかもこの数を使役しているとでも言いたいのだろうか。少なくとも、ライズが犯人であるとしてもこの場で行う事はライズの捕獲ではない。モンスターの討伐だ。
「クレッセント」
「クルルでいいよ」
「クルル、髪の長い方の名前はなんだ?」
「えっと……エスポワールちゃんだよ?」
互いの名前を記憶し、ライズはこの場にいる全ての生物に対して叫ぶ。
「エスポワールッ!!」
「は、はい!?」
ベージュ色の長い髪をふわりと浮かせ、ブーメランを構えたままのシルビアの後ろにいた女生徒、エスポワールが返事をする。
「報告する! モンスター研究科の生徒と思われる人物によりモンスター小屋の鍵が解除され小屋が倒壊した! 私、ライズ・デュエルとクルル・クレッセント両名はモンスターに包囲され脱出が困難となった! よって、モリス先生より命令された避難指示を変更、モンスター討伐及び外部への逃走を足止めする! 従ってエスポワールに、中庭にいる生徒への避難指示を任せたい!」
この場にある全ての視線がライズに集中する。注目を浴びるのはあまり好きではない。が、今は好き嫌いで物事を判断している場合ではない。
「……あ、えっと……その……」
突然の事に驚きを隠せないでいるのか、エスポワールはシルビアにしがみつき、俯いたまま何も反応を示さない。
「……報告は以上だ。シルビア……で合っているな? あなたにはエスポワールの護衛をお願いしたい」
「ふざけるな、クルルを置いて……」
「シルビアちゃん!」
シルビアの言葉を遮り、クルルが叫ぶ。
「僕は大丈夫だから、みんなを避難させて!」
一歩、クルルが前に出る。もう一歩、また一歩。シルビア達のいる方とは逆の方向に歩く。
五歩目を踏み出したところで危険を感じ取った狼型モンスター二匹がクルルに飛びかかる。クルルは棒を構え、ゆっくりと膝を曲げる。その手には紋様が光を放ち、クルルの微笑んだ表情をいくらか映えさせていた。
「ガァ!!」
クルルの小さな身体から大地を響かせるような咆哮が放たれる。そしてクルルの身体が僅かに動いたと同時に、クルルの身体が消えた。
(これは……)
いや、消えてなどいない。クルルは場所を少しばかり移動しただけだ。元いた場所よりもやや奥、四歩ほどあるいた場所に、クルルはいた。
モンスターは空中でだらりと力をなくし、子供の折った稚拙な紙飛行機のように地面を滑る。それぞれ顔と背中に一撃ずつ、打撃の跡が見えた。
虎咆。クルルの紋様、虎の能力である『瞬発力の上昇』による、ただひたすら速さのみを求めたクルルの十八番。クルルが学年ランキングで七位を手にした最大の理由であり、七位の座を不動のものとしている最大の原因でもある。
虎咆を放ったクルルはくるりとその場で回転し、後ろを振り向く。顔には笑顔、棒を持っていない左手にはピースサインがあった。
「ねっ? 僕は大丈夫だから!」
笑顔の裏にある、クルルの確固たる意志。頑固とも言えるその意志を、クルルがそう簡単に曲げるような事をしないのをシルビアはよく知っていた。
「……おい、青髪」
直接、友の力になれない事を悔やみながら、シルビアは今現在最もクルルの近くにいる人間に声を掛ける。
「クルルに怪我をさせたら……私はお前を許さないぞ」
それだけを言い、シルビアはエスポワールの手を引き元来た道を戻る。数匹のモンスターがシルビアに意識を向けたが、その数匹に対して直ちに蹴りを加える事で意識をこちらに引き戻す。
「……無茶言うよな」
クルルが怪我をしないように守れ、という意図の言葉なのだろうが、実力から見て守ってもらうのはクルルというよりもむしろライズであるはずだ。そもそも、戦闘において怪我をさせるなというのが無茶そのものだ。
「へっへぇ〜ん、僕は怪我なんてしないよっ!」
「そうしてもらいたいね。理不尽に恨みを買いたくはない」
嫌味を交えて言うが、クルルは元気な声で返事をしただけで、あまり言葉の意図を理解してはいないようだ。
(さて……)
人がいる以上、ライズは動きが制限される。とはいえそれでモンスターに歯が立たなくなるわけではないが、やはり一抹の不安は残る。もちろんクルルが来たのは嬉しい誤算だ。一切のカバーが効かない孤独での戦いよりも、複数人による共闘の方が遥かに効率的だし、気が楽だ。
「なるべくそっちに合わせるから、あまり俺を気にせずに戦っていい」
「えー……」
不満そうにクルルが言う。
「何だよ」
「ライズ君の本気、見たいな」
「……別に実力の出し惜しみなんてしてないぞ」
「逆手と順手の持ち替えに秘密があるんでしょ? それに、ランキング五百位台の人がこの数を相手できないよ、普通」
そういえばそんな事を言った。今ここで嘘だと言ってもいいが、それによってクルルのモチベーションが下がるのは避けたい。命懸けとはいえ、気分が下向きでは実力も発揮できない。
「……周囲を巻き込む技だ。お前がいると使えない」
「僕が来る前は使ってた?」
「…………来るぞ、集中しろ」
ここまで戦ってきた事には触れないまま話をはぐらかし、前方に見えるモンスターに切りかかる。実際はモンスターが来る様子などなかった。ただ膠着状態が続いているだけだ。それをクルルも理解しつつ、ライズの崩した均衡に便乗する。
「ガァッ」
クルルの二倍の背丈はあろうかという人狼の鳩尾に棒を抉り込ませ、その巨体を文字通り突き飛ばす。吹き飛んだ事すら理解しないまま人狼は意識を失い、地面に力なく倒れる。
「後でどうやってここまで戦ったのか、しっかり聞かせてもらうからね!」
クルルが少し離れた場所で狼型のモンスター二体を相手にしているライズを棒で指し、大声で言う。ライズは蜘蛛の紋様術でモンスターの動きを遅延させ急所に二発ずつ攻撃を当て吹き飛ばし、クルルを見る。
「……後ろ」
「お? うぉぉ!?」
振り向きざま、クルルに飛びかかっていた狼型モンスター三体を棒で同時になぎ払う。手の甲には虎の紋様。無意識に腕の瞬発力を飛躍させ、棒の速度を上げていた。
「生きるか死ぬかの戦いだ。集中してくれ」
「うー、わかったよー」
残りのモンスターは四十四匹。標的が分散したのもあるが、やはり幾分か戦いは楽に感じられた。
†
「シルビアちゃん、まってぇ〜」
中庭へと続く道を走る中、エスポワールが息も切れ切れに言う。軍人を育てる学科という手前、基礎的な運動能力は十分にあるのだが、巨大なブーメランで近距離ないし中距離における戦闘を得意とするシルビアと後方での指揮や情報処理が主な仕事であるエスポワール。体力には雲泥の差があった。
「あ……悪い」
シルビアは立ち止まり、人五人ほどの距離があったエスポワールが追いつくのを待つ。ここでエスポワールを置いて中庭にいる人を避難させるのは簡単だ。それをしない理由は二つ。モンスターと戦っている二人が一匹でもモンスターを逃がした場合に攻撃手段をほとんど持っていないエスポワールが危険に晒される事と、単純にエスポワールを置いては行けないという感情だ。
「……ハァー、ハァー……最近走り込みしてないから、やっぱり大変だね」
「どうしようか。早く避難させて、私も応援に行きたいし」
「ハァー……いいよ、後で追い付くから、置いてっても」
「それは……できないよ」
周囲を確認してモンスターを警戒する。この通路は狭い。投擲武器を扱うシルビアにとって、この狭さはかなりの命取りになる。物体を巨大化させる『扇』の紋様も、ここでは威力を発揮できない。
「エスポワール、あんたの紋様、使えない?」
「『手紙』の紋様?」
音、視覚、思考。あらゆる情報を保存・拡散させる『手紙』。学年ランキング二百二位のエスポワールが、戦闘を一切行う事なくそのランキングへと上り詰めた所以である。
「そう、だね。それが一番手っ取り早いかな」
「頼む」
エスポワールが杖を両手で握り締め、手の甲に紋様を浮かべる。四角く、ハートのシールで綴じられた可愛らしい手紙が彼女の甲で光り輝く。
「みなさん、モンスター小屋のモンスターが逃げ出しました。各自校舎内へと避難してください! なお、五年生以上でランキング三百位以内の方はモンスター小屋へ応援に来てください。お願いします!」
彼女の声が、手紙となって周囲に拡散される。範囲は半径五キロメートル内にいる人物全て。
紋様術『ギフトカード』。不特定多数の人間に情報を送る、『手紙』の能力をこの上なく体現した紋様術。
「……うん、これで大丈夫かな」
手の甲に浮かぶ紋様が消える。単純で強力な能力であるが故に精神力の消費は激しい。案の定エスポワールは立ち止まりある程度息を整えたにも関わらず、疲労が更に上乗せされているように見えた。
「さて、私はクルルの所へ行く。クルルの事だ、もう片付けてる可能性もあるが、万一の事もあるしな。エスポワールは避難を始めるといい」
シルビアの言葉にエスポワールは首を振る。
「私も一緒に行くよ。戦術指揮は、私の得意分野だもん」
前線で戦えない、しかし戦う術である紋様を持つ彼女が選んだ戦いの形。それが指揮官。未熟ではあるが、それでも乱戦の中で指揮をする人間がいるというのは重要であると、エスポワールは考えていた。
「お前はギフトカードで疲れてるだろ。もうすぐここには実力者達が集まる。そうなればそれこそお前の存在は邪魔になる」
真っ直ぐな悪意のない言葉がエスポワールに刺さる。戦いの場において邪魔になるという事は、最悪の場合そのまま見捨てられるという事に直結する。戦士としても指揮官としても、これ以上の屈辱はない。ましてエスポワールは四年生、十六歳である。一般的に指揮官が一人前となるのは年齢が三十を回ってからだ。実力不足はどうしても浮き彫りになる。
「わ、私は……クルルちゃんの役に立ちたい」
「お前はもう仕事をこなした。時間を掛けることなく大人数にこの状況を伝え、助けまで出した。これ以上の仕事は、私達兵士に任せておけ」
唇を固く締めるエスポワールの肩にそっと手を置き、空いている手で頭をなでる。二人にとってはいつものスキンシップだが、今はゆっくりとしてもいられない。シルビアは背中のブーメランに手を伸ばすと、再びクルル達のいる小屋の方向へ走り出した。
「……クルルちゃん、シルビアちゃん」
シルビアの向かった方向とは逆方向へエスポワールは歩みを進める。疲労のため走る事はできない。その、走る事すらできない自分の非力さが、エスポワールの心を軋ませた。
†
二匹のモンスターを相手していた最中、突如手紙がひらひらと落ちてきたかと思うと、ライズの耳元で滞空しこの場で起きている現状を説明した後、消失した。あまりの事に呆気を取られたが、すぐに『手紙』の能力だという事に気付くと、クルルに確認をする。
「なあ、今の」
「エスポワールちゃんの紋様『手紙』だよ。きっと今のでみんな避難してくれると思うよ」
手紙。指揮官を目指す者としてはこの上なく便利な紋様だ。その上数も少ない。いつか軍に入り出会った時のために、顔見知り程度にはなった方がいいかもしれないなどと考えながら、モンスターの腹に蹴りを加える。
「……あのさ、ライズ君」
「何だ」
「僕が来るまでにライズ君が倒したモンスターって、本当にライズ君が倒したの?」
「……どういう事だ」
一瞬、心臓の鼓動が早くなったが、それでも平常心を装い対応する。
「単純に、ライズ君のモンスターを倒すスピードが、僕が思ってたよりも遅いから、かな?」
「悪かったな。こちとらずっと戦ってて疲れてるんだ」
「それだけじゃないよ。ライズ君のランキングで、これだけの数を相手にして、僕が来るまでほとんど無傷だったっていうのも、少しひっかかるんだ」
「……何が言いたい」
クルルは何かに気付いている。ライズはそう直感し、額に冷や汗を滲ませる。
「ライズ君……実力を隠してたりは、しないよね」
「…………」
『蜘蛛』の紋様を発動。襲い来る三匹のモンスターと後方で待機していた二匹の人狼に相次いで軽く一撃ずつ加え、その動きを遅延させる。そして首や鳩尾といった急所を突き、紋様を解除する。意識を失ったモンスターはその場に崩れ落ち、ライズはクルルを睨む。
「お前が来た事で負担が減って、精神力の消費を抑えていただけだ」
「……ふーん、なんかアヤシイね」
「何でお前はそんなに俺の実力を疑う。俺はお前の言う命の恩人じゃないんだ。もう俺に構うな」
「それは……そうだけど」
母親に叱られた女児のようにしゅんと落ち込んだ顔をする。表情はそれなのに、モンスターに囲まれながらしかもその対処をしながらの表情なのだから珍妙な光景だ。
残りのモンスターは六体。ほとんどは後から来たクルルが倒したものだ。それほどまでにランキング七位の実力は凄まじいものかとライズは感心する。
ライズの近くには狼型のモンスターが三体。恐らくこれの相手をしているうちにクルルが残りを片付けて終了だろう。先程の『手紙』では増援の申し出もしていたが、無駄足になりそうだ。
そうだ、報告もしなければならない。仮にもライズは、当初指示された「退避して避難指示をする」という命令に背いたのだ。それに関する謝罪と説明。それに加えて戦いの結果も報告しなければならない。まあいい、ほとんどクルルが倒したという事にするのが簡単だろう。そう思いながら、ライズは向かい来るモンスターの一匹に剣の一撃を加える。
「……?」
モンスターに斬撃を与え、ライズは違和感を覚える。モンスターそのものは地面に伏した。何の問題もない。
問題は、そう、ライズに飛びかかったモンスターが一匹のみだったという事だ。
残りの二匹はどこか、ライズは辺りを見回す。残りはすぐに見つかった。ライズの後ろ。しかしライズを目標にしているのではない。向かっているのは、二匹の人狼と一匹の狼を相手にしている、クルル。
「……冗談だろ」
信じられない光景であった。獰猛な性質を得た代償として知能を大幅に失ったモンスターが、仲間を囮にしてもう一方の敵を一斉に攻撃するという連携を見せたのだ。モンスターは仲間が近づくのを見ると、前から打ち合わせでもしていたかのようなタイミングでクルルに襲いかかる。
「クルル! 気をつけろ!」
「え? あ、え!? きゃっ!」
五匹のモンスターを同時に相手しようとして、クルルの足と腕がもつれる。クルルは尻餅をつき、武器も手放してしまう。
「クルルッ!!」
走っても間に合わない。『蜘蛛』の紋様も、この距離からではとても届かない。焦り、必死のライズは、左手に『蜘蛛』の紋様を浮かばせ、両手に握る二刀一対の剣を投げる。
剣はしかし、クルルのいる方向から外れ、回転しながら斜め上へと投擲される。目測を見誤ったわけではない。ライズは右手に新たな紋様を浮かばせると、腕と指を動かし、剣の軌道を変化させる。
見事な弧を描き、剣は空中にいた狼をそのまま巻き込み、そして地面へと叩きつける。ライズは再び腕と指を動かして剣を操作する。
剣は、いつか科学の時間で見た、原子の周りを回り続ける電子のイメージ図のような、あるいは惑星の周回軌道のような動きをしながら、次々とモンスターに斬撃を加えてゆく。
裏技『ファレノプシス』。剣を空中で周回させ、何度も斬りつける紋様剣の一種。ライズの持つ『蜘蛛』、そして『花』。二つの紋様を掛け合わせる事によって偶発的に発生する非物質の糸『念糸』によって剣に触れる事なく自在に操作する、ライズのみしか成し得ない、まさに裏技。
「……すごい」
ライズの剣が周回するのを内側から見ていたクルルは、それを美しいと思った。それと同時に、過去のある出来事を思い出していた。
まだこの学園に入学してから間もない頃の事、兄と共に工事現場の近くを歩いていたところに、鉄骨が上から降ってくるという事故が起きた。真上から降ってくる巨大なそれに、クルルは死を覚悟した。
しかしクルルは無傷だった。鉄骨は器用にクルルの周囲にのみ落下し、クルルには傷一つ付けることはなかったのだ。ふと前を見ると、少し遠くに人が立っているのがみえた。混乱して顔もよくわからなかった中、ただ一つだけ見えたのは、手の甲に浮かぶ『蜘蛛』の紋様のみ。
『蜘蛛』を持った、遠くから物を操作する事が可能な人物。クルルの中で、全ての条件が合致した。
「……ふぅっ!」
ライズは剣を両手に戻し、そのまま腰の鞘に納める。そして倒れたモンスターを押しのけクルルへと駆け寄り無事を確認する。
「大丈夫そうだな。立てるか?」
「……え、あ、うん」
クルルは傍に転がっている自分の棒を手に取ると、それを杖代わりにして立ち上がる。そしてどういった仕組みなのか、棒を捻り両サイドから棒を押し込むと、棒はコンパクトに縮まり、そのままクルルの服の中へ収納される。
「ねえ、さっきの、どうやったの? 蜘蛛にそんな能力あった?」
「それは……」
「クルル!」
先刻も聞いた声が中庭へと通じる道から聞こえる。二人がその方向を見ると、そこにいたのはエスポワールと共に中庭へ向かったシルビアだった。
「大丈夫かクルル、怪我はないか?」
「大丈夫だよ、僕はなんともないって。それよりもライズ君の方が消耗激しいから……」
クルルのその言葉に、シルビアはライズを睨む事で返す。この反応を、ライズはよく知っていた。ライズの力を見た者は、大抵こういう目をしていたからだ。
「お前……二重紋様だったのか」
「えっ?」
この受け答えも、ごまんとしてきた。ライズは冷めた目でシルビアとクルルを見て、両手を見せ『蜘蛛』と『花』の紋様を浮かばせる。
「その通り。俺は二重紋様の持ち主だ。『蜘蛛』の束縛と『花』の延長。この二つの能力を組み合わせて生まれる『念糸』。これを使った戦いが、俺本来のスタイルだ」
二重紋様。一説には数千分の一とも言われる、世界に的に見ても非常に希有な特異能力。その意味とは、通常ならば一つしか発現しないはずの紋様を、二つ発現させるというものだ。原因は一切不明。かつては今よりも存在していたというが、現在は先述した人数にまで減少している。その理由は一つ。
『二重紋様は穢れた呪いの証』。古来よりそういった風習が世界各地で蔓延し、時代によっては二重紋様というだけで殺されるという事もあった。端的に言えば、差別の恰好の的にされてきたのだ。
とはいえ現代はさすがにそういった考えはかなり薄くなってはきている。一切気にされず、むしろその器用さから歓迎されるという事もある。しかし一方で、シルビアのように二重紋様を疎ましく思う人物も確実に存在する。特に、伝統を重要視する昔気質の人間やその家系に属する人には、それが顕著だ。
そしてライズの実家もまた、昔から続く剣術道場の本家という事もあり、ライズは二重紋様が発覚してからの四年間、苦汁を飲まされながら生きてきた。
そのためか、シルビアの敵対的な視線には慣れていたし、こうして毛嫌いされるのも別段どうとも思わない。静かに、誰とも関わらず、二つ目の紋様である『花』を見せなければ、周囲も忘れる。万一二重紋様が周囲に知れてもどうにかなるように、この国最大のこの学園を選んだのだ。
「……俺は報告に行ってくる」
「待ってライズ君、僕も……」
クルルの言葉に反応し、横目でクルルを見る。戸惑いの隠しきれていない表情が、ライズの心をそっと痛めつける。
「クレッセント、俺は二重紋様だ。もう関わるな」
低く、全てを悟ったようなライズの声を、背中を、クルルはただ眺めているしかなかった。
自分のために行動してくれたであろうシルビアの目は、相変わらずライズを睨んでいる。そのシルビアが今は邪魔に思える。二重紋様だから何だというのか、一般家庭に生まれたクルルにとって、二重紋様とはその程度の事でしかない。それなのに、シルビアがいるせいで素直にそれを伝えられない。
友であるシルビアを恨み、そして自分を守ってくれたライズに対して何も言えない。他人を恨み、体裁を気にするその心の弱さが、今のクルルには非常に辛く感じた。
中庭への道を通る途中、校舎の壁に寄りかかって休むエスポワールの姿が見えた。
「あ……えと、戦い、終わりましたか?」
休んでいるのならとそのまま目の前を通ろうとした時、エスポワールがライズに声を掛ける。
「……終了した。クルル、シルビア両名は裏庭で休憩している。じきに戻るだろう。俺は報告するため職員室に向かう」
「はい、お疲れ様でした」
エスポワールの頬は少し紅潮していた。息も少し上がっている。『手紙』の能力は紋様術の中でも群を抜いて精神力を使うと聞いたことがあるが、ここまで疲労が露わになるのだろうかと実際に目の当たりにして思う。
「大丈夫か?」
「はい、いつものことです」
「…………そうか。先に失礼する」
彼女が自分の二重紋様について知ったら、どう思うだろうか。彼女の名前と顔と、ごく表面的な性格しか知らないライズにはわからない。
二重紋様に理解のある人間と知り合いたいと思った事は何度でもある。しかしそれと同時に、その人に依存するのが怖いとも思う。自分の理解者がいなくなり、周囲には自分を疎んずる人間しかいなくなる。そうなるのがライズにとっては、最も恐ろしいと感じる。
ならば最初から理解者は必要ない。一人で生きていくための実力と、二重紋様を差別しない動物がいれば、どうにか生きてはいけそうだと、ここに入学してから知った。
家族とは事実上縁を切った。今は学費と生活費が送られてくる以外は何の音沙汰もない。三歳年下の弟だけは、自分が家を出る際に悲しんだ記憶があるが、それも今はどうなっているかわからない。弟もあの家の風習に染まって、兄を害悪と思っているかもしれない。
夏が近付く、いつもより強い日差しの中、ライズの身体は氷に浸したように冷え切っていた。