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五、霊

 危機を感じながらも、神谷が何も返せないでいると、ツユはゆっくりと口を開いた。

 「お金の為ですか? それとも名声? 単なる好奇心かもしれませんね。いえ、或いは、それら全てなのでしょうか」

 神谷はそれに何も返さない。口の端を歪めて微かに笑うと、ツユは続けた。

 「“ペンは剣よりも強し”。どんな理由かは分かりませんが、あなたがイタズラに記事を書けば、誰かを傷つけますわ。その“お力”は、もっと別の事の為に使うべきではないかと私は思います。

 例えば、そうですね。私共が、デマの被害を受けているというのであれば、それを打ち消す記事でも書いてくだされば、大いに助かります。もちろん、私共を庇えと言っているのではありません。本来は、政治に対する不信により発生した噂を、その本来のものに戻してくだされば、それだけで充分です」

 ツユがそう語ると、ようやく神谷は口を開いた。

 「そんな事を言われても困ります。僕は既にかなりの取材を行っているのです。今更、別の記事を書けと言われても……」

 しかし、それを聞くと、ツユはコロコロとした声で笑いながら、こう返した。

 「いえいえ。何も、取材を無駄にしろと言っているのではありません。ただ、別解釈をしてください、とお願いをしているのです。仮にそうしても、あなたが記事を書く理由を満足させる事はできるのではありませんか? だから、どうせなら、弱者を守る方向でそれを行ってください、と私はそう頼んでいるのです」

 「別解釈?」

 「そうです。別解釈です。奇妙な写真を、幽霊が写っていると解釈し、心霊写真だと説明するようなものですね。

 本来ならば、未知あるいは既知の光学現象、写真機の故障、単なる角度の問題、イタズラ… 様々な原因が考えられるのに、それを幽霊によるものとし、心霊写真を“創り”出す。同じ材料を扱っても、作り手の技により、全く別の社会的存在を産み出せる… それくらい、記者であるあなたはご存知でしょう?

 そういう意味では、私共巫女と、記者は似たような立場にいるのかもしれませんね。だからこそ、私にも分かるのです。それが可能だという事が」

 神谷はそれに反論をしようとした。妙な口車だ、と思いながら。

 「巫女と記者が似ている? それは、いくら何でも無理があるのではないですか? 話が乱暴だ」

 それを聞くと、首を傾げ、「そうでしょうか」と言い、ツユは続けた。

 「仮に“霊”を社会的実存の事だとしましょう。社会の中で産み出され、社会の中だけで存在するとされているもの。例えば、法律。自然科学的には存在しなくても、社会の上でそう規定すれば、それはそこに存在している。そして、それは役にも立っているでしょう? 信号が赤なら止まれで、青なら進め。そのルールのお蔭で、交通に秩序が生まれ、事故が減る。“霊”という存在は、実はそんなものなのです。

 霊というものが、制度を産み出し、動かし、役に立っている。私共巫女は、その本来ならば存在しない社会的実存を操作する役割を担う者。情報を操作し、世論という社会的存在を産み出すあなた方と同じ様な役割ですわ」

 そのツユの語りに、神谷は多少の混乱を覚えていた。なんで、こんな事を語っているのだ、この巫女は? しかし、全く関係がない訳でもない。それも分かる。だから、馬鹿馬鹿しいとは言えない。理解できない自分が愚かなだけだという事になりかねないからだ。そんな空気が、出来上がってしまっている。

 「つまりあなたは“霊”が、社会的な道具だと言いたいのですか? それは、神職にある者として…」

 苦し紛れにそう言ったが、もちろん神谷は霊の実存を信じている訳ではなかった。だから歯切れが悪い。それに、存在しないのだとしても、霊が無意味なものではない事も自覚していた。彼女の言っている事は分かる。ツユはその神谷の言葉に対し、淡々と説明をし始める。

 「太古、霊と言えば、自然霊でした。つまりは、“神”ですね。天候により、人々の生き死にが左右される時代、何とか、それを操作しようと、交渉可能な相手を想定し、名を付けたのです。ヤハウエには、天候神としての特色があったし、アマテラスも雨乞いに関わっています。また、数多くの龍神蛇神なども同様。そもそも“霊”という文字の成り立ちは、雨乞いを示しているとも言われていますが。

 時代が流れると、それら神々は政治に利用されるようになりました。いえ、むしろ、政治と不可分であった宗教が、その分離の過程で、変化したのかもしれませんが、とにかく、霊が人間にも当て嵌められるようになった。人の霊が産み出され、それが社会に影響を与えるようにもなったのですね。御霊信仰、荒神の類。ですから、その頃の霊は、今の時代に信じられている幽霊とは、少しばかり性質が違っています。自然霊を引きずっているが為に、天変地異を起こしたり、疫病を起こしたりするのです。もちろん、それに伴い宗教儀式も開発されますし、人々がその仕来りに沿って行動しもします。結果として、それは社会を成り立たせる道具となる。

 霊という存在は、それからも時代と共に形を変えますが、その本質は変わりません。つまり社会的実存。道具です。この道具は本来、存在しないのだから、自然科学でどうこうできるものではありません。だからこそ、こうして私共のような巫女が必要になって来る。お分かりになりますか?」

 まるで、言葉の洪水。ペダンチックな語りに神谷は圧倒された。まるで、自分が馬鹿であるかのような気分になって来る。後少しで認めてしまいそうになったが、首を大きく横に振ると、神谷はこう叫んだ。

 「いや、話の内容は分かりました。霊が社会的な道具である点は認めましょう。ですが、今回の話とは関係がないはずだ。僕は記事にすべき内容を、記事にする。それだけです。真実を伝えるだけだ!」

 それを聞くと、ツユは笑った。

 「真実など、ありませんわ。いえ、真実はあなたが創り出すのです。“霊”と同じ様に。ならば、できるだけなら、役に立つ“真実”の方が良いとは思いませんか?

 私共を傷つければ、下手すれば多くの孤児達が路頭に迷う事になる。どうか、そんな酷い事はお止めください」

 それに神谷は黙る。何も返せない。

 「もちろん、無料で、とは言いません。それなりの対価をお支払しましょう」

 ツユはそう続けた。

 対価?

 神谷はそれを賄賂だと判断する。賄賂。しめた、とそう思った。それこそ、相手が悪事を働いている証拠ではないか。

 「断っておきますが、対価を支払うと言っても、何も私共に後ろめたい事がある訳ではありませんよ。頼み事をするのであれば、依頼料を払うのが筋だから、そうするというだけの話です。デマの被害から、私共も護ってもらうのですから」

 しかし、その後で釘を刺されるように、ツユにそう繋げられてしまった。優位には立てない。少し落胆する。その時に神谷は何となく、床に視線を向けた。

 ――え?

 そして、気付く。いつの間にか、そこに蛙がいる事に。

 なんだ、これは?

 そう思った瞬間、蛙は跳ねた。神谷の膝の上に乗る。

 「経済において、お金とは媒介物だと言われています。生産物の流通をスムーズにする為の、媒介物ですね。物々交換では、あまりに不効率過ぎる為に、そんなものが発明されるに至った。

 その昔は、食べ物や家畜や金属などが通貨として用いられました。だからその頃は、通貨自体に価値があったのですが、そのうちに、通貨自体からは価値が消えました。硬貨にはその価格に見合った価値は存在しませんし、紙幣などただの紙切れです。因みに、紙幣の起源は大商人の証書ですね。取引を約束した証書。つまり、その本当の価値は、大商人の“信用”なのです。通貨の価値もそれと同様。つまりは信用。その価値の本質は、社会間の単なる約束事である訳です。社会的なルールとして、価値がある事にしてしまった。これも、社会的実存の一例と言えるでしょう。

 ……つまり、お金とは一種の“霊”なのですよ。ならば、それを扱うのは、巫女である私の領分でもあると言えるのかもしれません。まぁ、こんなものは、ただの詭弁ですが」

 神谷は突然に膝に乗った蛙の存在に慌てた。ツユの説明も意味が分からない。いや、意味は分かるが、何故、このタイミングでそんな事を語るのかが分からない。「何ですか?これは!」と、声を上げる。そして、その蛙を手で掴んだ。投げ捨てようと思ったのだ。が、何故かその蛙は手から離れない。ツユは澄ました顔で続けた。

 「ご存知かもしれませんが、生産物とは何も物質であるとは限りません。サービスも同様に生産物です。サービスが“商品”と同様に扱われるのですね。だから、依頼をすれば、依頼料を支払うし、それを受けるのであれば、料金を受け取るのです。依頼を引き受けていただき、ありがとうございます」

 神谷はそれにこう返した。

 「依頼に対して、依頼料を支払うのは、当たり前の話ですが、しかし、僕は受けるとは言っていません!」

 しかし、それを聞くと、ツユは首を傾げながらこう言うのだった。

 「そうですか? しかし、あなたは既にお金を受け取っているではありませんか。しっかりと手に握って。それは、依頼を引き受けるという証拠ですよ」

 “何を言って”、と神谷はそう返そうと思った。僕が握っているこれは、蛙じゃないか、と。しかし、自分が握り締めているものを改めて見て、慌てる。それがいつの間にか、札束に変っていたからだ。ツユはニッコリと笑った。

 「依頼を引き受けていただき、ありがとうございます」

 神谷は驚きを声に出す。

 「何だ、これは?」

 ツユは返す。

 「お金ですよ。私共が用意した依頼料。それほど多くはありませんが、私共は裕福ではありませんので、それくらいでどうか、ご容赦ください」

 神谷は慌てて弁解する。

 「いえ、さっきこれは、確かに蛙だったんです。それがいつの間にか…」

 ツユはそれに慌てない。当たり前の事のようにこう返す。

 「ええ、蛙は金とも関わりが深いと言われています。ガマ口、金運のお守り。蛙に姿を変えることもあるかもしれません。あなたにはそう見えたのでしょう。ですが、お金が勝手に動くなんて、物理的に有り得ませんわ。あなたがそれを受け取っているのは、間違いなく、あなたが自らの意思で、それを受け取ったからに他なりません。取引成立ですわね」

 神谷は狼狽える。

 「いや、そんな、馬鹿な…」

 表情をきつくすると、ツユはそれに対しこう言った。

 「まさか、依頼を受けないのに、金だけ奪うおつもりですか? それは、社会のルール上許されませんわ。金を受け取ったからには、私共の依頼を引き受けてもらいます」

 「ですが、僕は、金を受け取ったつもりなど…」

 「では、どうして、あなたは手に、“それ”を握りしめているのです? しかも、それをあなたは離そうとはしない」

 確かに、神谷は握り締めた札束を離しはしなかった。それでこう思う。もしかしたら、本当に幻を見ただけで、僕は自ら金を受け取っていたのかもしれない。ツユが言った。

 「だから、それがあなたの手の中にあるのです」

 神谷は思う。

 だから、それが僕の手の中にある。そのタイミングで、ツユはまた言った。


 「――依頼を引き受けていただき、ありがとうございます」

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