女のいる地獄というところ
日本書紀や古事記を思わせる、エッチな記述が一部あります。明治の時代なら、発禁処分を食らったかもしれませんが、まあ、現代では大目にみてくれることを祈ってR15ぐらいで勘弁してください。まあ、もっとも私の生まれ育った昭和の時代は、小学生でも結構、エッチなテレビや雑誌はちまたにあふれていて、こんなものぐらいなら、小学生時代からよく読んだ話なのですがね。
●エデンの園からの追放
私は、エデンの園から追放になり、この地獄というところ地球という星へ送り込まれてしまいました。
エデンの園では、特におなかもすきませんが、食べる楽しみは与えられているので、食べ物もリンゴのほかは、なんでも食べてよかったのです。
でも、女にリンゴをだまされて、食べさせられて、神の怒りを買って、、、
送り込まれたのが、この地球というところなのです。
●地球という地獄では
ここでは、餓える心配もあり、日々、日銭を稼がなくてはなりません。
日銭を稼ぐには、労働をする必要があります。
ここでは、この地球上の生物で、ヒトというのが、幅を利かせているので、このヒトという奴といっしょにすごしていく必要があります。
このヒトから与えられる労働というものは、ひどいものが多いわけです。
●水汲み地獄
私が、日々与えられている労働は、穴のあいたバケツで、一生懸命に、井戸の水をくんで、あなのあいた風呂おけに水をいれて、風呂をわかすというものです。
当然、穴があいているので、水は途中で半分ぐらいなくなってしまい、風呂も水を入れても、半分ぐらいは流れだし、湯をわかそうにも一苦労です。
この労働を当然と思ってやっているのと、ばかじゃないかと思ってやっているのとでは、いやさ加減がかなり違いますね。
バケツのあなをふさぐとか、風呂おけの穴をふさぐだのした方がよいと思うのですが、これが、一筋縄ではいかないわけです。
(注)
水汲み地獄は、組織の末端部分ではよくあることですね。末端部分ですので、上層部は、実態がよく分からずテキトーに予算配分するんですね。そうするとたくさん予算をたまたまもらった部署は贅沢と無駄使いがあとをたたず、足らない部署は悲惨なもので穴の開いたバケツしかなくて、しかも改善しようとすると足を引っ張ろうとする輩まで出て来る始末。
●ヒトによる嫌がらせ
まずは、ヒトというものは、予算がないといいます。金がないからできないと。でも、よく見ると、全然違うところでは、湯水のように、金を使っている。高級なリンスやシャンプーを毎年買っているものと思ってください。必要なところには、金がなく、どうでもよいところには、湯水のように使うと。金がないというのは、言いわけなのですね。
次に、予算がないならないなりに工夫をして、なんらかの形で、穴をふさぎます。
そうすると、ずるいという声があがります。どうしてずるいのかよくわからないのですが、自分たちは、苦労してきたのに、苦労していないのが憎たらしいということなのでしょう。
ヒトのあさましさを感じるばかりです。
ずるいと非難して、嫌がらせをはじめます。
●私の疑問
私は、最初、不思議で仕方がなかったわけです。なぜ、ヒトという生き物は、生きとし生ける者たちを幸せにせずに、いじめたり、嫌がらせをしたりして、日々を過ごすのか。
●だから地獄
この地球という星は、よく見ると美しい星なのですが、ヒトという大変、醜い生物に支配されており、いまや滅亡の危機に陥っています。まあ、だから、地獄だというわけなのですが、、、地獄なら、改善して住みやすくすればよいのだろうと、私は思うのですが、大部分のヒトはどうやら目先のことにとらわれているようですね。
●地球破壊兵器と人類滅亡兵器の完成
ヒトは、とうとう、人類を滅亡させることができる兵器をつくってしまった。愚かなのか、賢明なのかは、わからないが、この50年使われずに、無事にすごせています。もう少しで、使用する直前にまでいったことはなんどもあったと聞いているのですが。
(注)wikipediaから
キューバ危機(キューバきき, 英: The Cuban Missile Crisis、西: Crisis de los misiles en Cuba)は、アメリカのすぐ南に位置する小国に過ぎないキューバを舞台に、1962年10月14日から28日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、最悪の場合全世界を巻き込むことになる第三次世界大戦の勃発を意味する核戦争寸前まで達した危機的な状況のことである。
●リンゴを食べたのは相当の罪?
エデンの園では、病気も老いもなかったのですがここではそういうわけにはいきません。私は冬になると風邪といわれている病に罹ります。喉がいたい、なんとなくだるい、洟がでる、頭がなんとなく痛い。私の場合はそんなに悪くなるわけではないのですが、数週間から数か月に渡って長引くわけです。
リンゴを食べたことがこんなに重い罪なのでしょうか?
まあ、リンゴは知恵の実だのといわれていて、リンゴを食べてしまったおかげでいままでみえなかったものも見えるようになり、わからなかったこともわかるようになった。でも本当は知らなかったほうが良かったのではないか? たとえば他人に嫌味をいわれても嫌味だと分からない方が幸せとか 他人が嘘をついていても嘘とわからないほうが幸せとか、「太った豚になるより痩せたソクラテスのほうがよい」といったヒトもいましたね。
正確には、「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」とジョン・スチュアート・ミルはいったそうです。
私と、ミルの解釈は違うかもしれませんが、私の思いは、智恵を持つと、いままで、平和で幸せだと思っていたことが、実は、偽善と、偽りの上になりたっていることがわかってしまう。平和ではなく、核による抑止力のために、お互いに引き金を引けず、結果としてのデタントなのでしょうね。
(注)wikipediaから
デタント(仏:Détente)とは、戦争の危機にある二国間の対立関係が緊張緩和することを意味する。
●おれにリンゴを食わせた女に復讐したい
私をこの地球という地獄へ来させられた原因となった女を見つけ出して復讐してやろうと思うに至った。まず、どうやってみつけるか、見つけてからどうするかだ。ちいっと、痛い目ぐらいはあわせてやりたいし、文句の一つもいってやりたい。エデンの園ではおもいよらなかった悪事だ。地獄にいる考え方も醜くなる、いや、これが普通だ、今まで極楽トンボだっただけだ。確かにエデンの園という極楽にいたわけだし。これからは郷に入れば郷に従えだ。復讐だ復讐だ。まず、イブの奴を探し出さないといけない。顔は覚えていないよな。やつはオレをダマしてリンゴを食わせた、ここがポイントだ。
●女を見つけたい
俺にリンゴを食わせた女に復讐したい。まずは見つけることだ。インターネットの掲示板に次のとおり「君に食べさせてもらったリンゴの味が忘れられない。もう一度会いたい。そして、あの時言えなかったことをいいたい。」
こんなんでうまくいくかって?うまくいかなきゃ話が進まんだろうが。
●女からの返信
返信が会った。「久しぶりね。私もあなたに会いたいと思っていたわ。」会うことになった。どうやって懲らしめてやろうか?いい知恵がわいた。知恵の実の効果だろうか?女が待ち合わせ場所へやってきた。のこのことやってきたものだ。これからひどい目に合わされるとも知らずに。なんだか愉快だ。エデンの園では感じたことのない感覚だ。「静かなところで話そうか。」
●女を誘う
こうして私は女をホテルへと誘った。私は、これまで大変内省的な人物で慎重な生き方を旨としてきたが、どうもこのごろいけない。復讐に取り付かれてからは自分の事を「俺」といってみたり、なんとなく悪さがしてみたいわけだ。
女は福沢諭吉の絵が描いてある紙が二枚欲しいというわけだが、これから仕掛ける悪さに比べれば何のことはないので、とりあえず同意した。福沢諭吉を二枚渡すと女はホテルへ入って来た。
シャワーがどうのこうのといっていたが、こちらは復讐だ。リンゴをむりやり食わされてこんなひどい目にあってるんだ。もともと俺の肋骨から造られた女ごとに遠慮することはないんだ。
●復讐
さあ復讐だ。といっても古典的だ。男の凸部分、(世間ではペニスというらしい)で、女の凹部分(世間ではヴァギナというらしい)をせめてやろうと考えた。女は「せっかち」だのと非難しているようだが知らんことだ。さっさと復讐をやり遂げるのみだ。案外気持ちがいい。世間では、セックスというのだろう。いい気になって射精してやった。女はかなり怒っていた。「リンゴの恨みだ」といってやったが女はきょとんとしていた。
女に復讐を果たして満足した。と同時に地獄にもなんだかんだと楽しいことはあるのだと感じたことだ。また明日から水汲み地獄が待っているが、水汲み地獄をこなせば、福沢諭吉が何枚か貰えると割り切ればよいわけだ。福沢諭吉が手に入れば結構楽しめるわけだ。おかげでエデンの園での恨みは果たせたし。
●女からの連絡
女から連絡が来るとは思わなかった。「子どもができた」と。ケインとアベルとでも名をつけるのかと思ったが、女は結婚しろといってきた。
(注)
ケインとアベルは旧約聖書を題材にしました。アメリカのドラマではそのまま題名にしたものもあります。日本でもケインがカインと発音されていたこともあって「カインの末裔」という小説を書いた有島武郎という人がいましたね。
「この世界では、妊娠しても結婚しないほうが母子手当だの、生活保護だの、福沢諭吉がたくさん貰えるわけだし、そっちのほうがいいだろう。」といってやった。「酷い。」だの、なんやらかんやら罵っていたが知ったことじゃない。「中絶だ。」なんだといっていたが、「俺たちは、たとえエデンの園を追放され地球という地獄へやってきた。だからといって、生きとし生けるものを殺すわけにはいかんだろうが。」と怒鳴るわけだ。女はわめくばかりだった。「福沢諭吉だ。それをよこせ。」と五月蠅い。「中絶費はやれない。」というと「生活費をよこせ。」とだまらない。こっちは、リンゴの恨みを晴らしたかっただけだが、この女の凹んだ部分の感触はよかった。だんだん面倒臭くなってきた。あれから味をしめて様々な女と関係したのだが、この女が一番よかった。この女と一緒におればまたいい思いができるのか?と考え直すことにした。
● 女の体が忘れられない
結婚なんて面倒臭いが、この女の体は忘れられない。何とはなしに、とりあえず一緒にいることにした。俺はこの女の体が目当てだ。この女はおれの福沢諭吉が目当てのようだった。エデンの園では、愛をささやいた気がしたが、もうここは、地獄なんだしどっちでもいいことのように感じるわけだ。女は福沢だけでなく愛のささやきも求めているようだった。
ただ発見があった。女の凹んだところを攻めている時に愛をささやくと感度がよくなるということだった。味をしめて何度も繰り返すうちに何だかこの女を愛しているような気になってきた。
●女が出産
不思議なものだ。女はやがて出産した。双子だった。ケインとアベルと名付けようとしたが、女は嫌がった。女が適当な名前を考えたようだった。なにをしたところで、人の力は神には及ばないわけだし名前を違うものにしたところで、運命・宿命からは逃れる術はないのだ。でも女はあくまでも現実的だ。美味しいものを食べ、着飾り、華やかに、とこしえに贅沢をしたいのだそうな。私の場合は旨いものを食するには酒がいるし一時期は鼻が悪くて味がしなかった。贅沢よりも不安が先にきて贅沢をするとまた神の怒りを買うのではと戦々恐々としている。女は福沢諭吉をもっとたくさんもってこいというわけだが、水汲み地獄の報酬は減らされるばかりだった。他の地獄の商売もいまいちなものばかりだし、嘘つき地獄がよいと聞くがエデンの園をまだ引きずっていると決断できないし、そもそも苦手だ。
●うそつき地獄へ転職か?
うそつき地獄では、いかにうまくうそをつき相手を言いくるめることができるかがポイントだ。うそと簡単に見破られるようでは、嘘の意味がない。本当と思わせる、上手い嘘がつけるかだ。だんだんとハードルが上がっている。困るのは自分の良心の対処だ。
自分の言葉を嘘で固めていくとその都度自分が壊れていく。大事なのは真実ではなくてこちらに有利な材料だとはいうが、なかなかエデンの園が忘れられない私はなかなか嘘つきにはなれないわけだった。女は贅沢のためだったら、うそをつくことになんの躊躇いもないようだった。これから、「嘘の」とでもよんでやろうかしら。
(注)
うそつき地獄は、弁護士とか、御用学者とか、御用マスコミ(マスゴミとネットではいわれているようですね)、政府与党の偉い人には、必要な能力ですね。いかに、多くのヒトたちを言いくるめるかですね。
●穴掘り地獄へ
嘘つき地獄には馴染めず才能もなかった。女はあいわからず文句ばかりだが、エッチだけは超一流だった。どこを探してもこの女より気持ちよくしてくれるものは見つからなかった。仕方なく女が望み悦ぶ福沢諭吉増加策に取り組むことにした。水汲み地獄から穴掘り地獄への転職だ。穴掘り地獄では、午前中ひたすら穴を掘る。午後はひたすら午前中に掘った穴を午前中に掘り出した土で埋めるわけだ。これを来る日も来る日も繰り返す。ただそれだけ。雨の日も晴れた日もひたすら遅れず休まずバレないように働かずがポイントだ。
(注)
穴掘り地獄は、大きな組織ではよくあることです。上役の意思がブレまくり、ようするに信念などなくあちこちのヒトの顔色を伺い、あちこちに右顧左眄しながら決めるので、その間、右へいったり左へいったり、穴をほったり穴を埋めたり。まあそれが仕事だと割り切れるヒトは幸せなんでしょうが、しょうもないと思った瞬間に不幸が始まるわけですね。とはいうものの、日本の社会では、右顧左眄する能力が、調整能力として、尊ばれるわけですから、まあ、こういった能力のある人が結局、雇われ社長やら、役員やらに勢揃いするわけで、日本経済が順調なうちは、よいのですが、荒波に襲われるようにひとたまりもありませんな。危機に直面した時の日本の大企業の迷走ぶりをみればよくわかりますね。
●結論
なんだか復讐のはずがとんでもない。女のアソコにつかまって女のいうがままだ。
でも、見方を変えれば、これが幸福かもしれない。
穴掘り地獄だろうと、穴掘り地獄だと、思わなければ、別に問題はないのだし、穴をほっては埋め、自分のやっている仕事に意味なんてない。福沢諭吉がもらえて、女が満足して、俺をより気持ちよくしてくれればそれでよいではないか。
親子4人がとりあえず、餓えることなくすごし、私が女と愛し合ってというよりは、女の体がとりあえず気持ちいいと、一時の快楽に身をゆだね、これが幸せだと、感ずるならばそれでよいのだろう。
これを諸法実相というらしい。
(注)
らしいと書いたのは、諸法実相は宗派やそれを解釈する人によって定義が異なるためだ。私に教えてくれた者は、「ものの見方を変えれば、同じことでも、幸福にも、不幸にもみえる」ということを、諸法実相と定義しているので、私もそれにならうことにした。
もっとも、途中で、書いたミルのように、「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。」などと血迷ったことを言い出すと、地獄へ「まっさかさまに落ちてデザイア」。
(注)「まっさかさまに落ちてデザイア」は、歌手中森明菜のデザイアの曲の一部。デザイアは欲望をあらわす。欲望地獄のなかで、もがき苦しむ衆生といったイメージでしょうか?
●最後に問題を解いてください。全部できたらよいことがあるかもね。
問1 核戦争の一歩手前までいった危機はなんですか?
問2 「カインの末裔」という小説を書いた小説家はだれですか?
問3 「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。」といった、哲学者はだれですか?
問4 戦争の危機にある二国間の対立関係が緊張緩和することを意味するフランス語を語源とする言葉は?
問5 筆者が、定義した、諸法実相の意味は?
答えは、小説の中にでてきますが、あとがきに正解を掲載しました。
問1 キューバ危機 問2 有島武郎 問3 ミル 問4 デタント
問5 「ものの見方を変えれば、同じことでも、幸福にも、不幸にもみえる」
賢明な読者は、問5が作者が一番言いたかったことと察してくれと思います。