第二幕(2)
警察署へ行った日の午後、不安な気持ちを拭うため、『CSC』へ向かう。
※この物語はフィクションです。作中に登場する人物・組織・団体その他もろもろは、現実とは一切関係の無いものです。
――ああ、ようやく解放された……。
その日の午後、私は警視庁を出て小説での次の標的である、大型ショッピングモール『CSC』へと向かっていた。地下を含めて7階ある、都内でも有数の大型ショッピングモールである。
小説は出版停止命令を受けたが、行動についてはこれといった制約もないので、自由に動き回るとしよう。もちろん、自分の身の安全を意識しながら。いくら未だ被害が少ないからと言って、無防備というか、まったく警戒することなく行動することは、私の本能からはばかられた。
CSCは街のはずれにある。街中にはこのような施設を建てられる土地がもう残っていなかったからだそうだ。あと、地域の活性化を図る、ということもあるようだ。
まあ、遠いものの、都市部なので、街はずれと言っても何ら不便なことはない。行ったのは一回だが。
中に入っている専門店のおかげか若者にも人気なんだとか。地域の活性化はまずまずうまくいっているらしい。
――ほんと…なんでこんなとこ標的にしたんだろうか……。
今更後悔しても遅いが、それでも後悔してしまう。現実に存在する建物を使用してしまった。小説第1巻の中盤。犯人たちの姿が目撃される結構重要なシーンだった。
ちなみに小説中のテロ組織の名前は「Weaponer」という名前だ。今思うとおかしな名前だ。英語的にもたぶん間違っているだろうな……。
一応、組織は複数人で、未だはっきりと人数は知られていない設定。小説にそういった描写はしていないが。
しかし、ダサい。
自分のネーミングセンスを疑ってしまう。いや、疑う余地もない。考えてもいいものが思いつかないのだ。そんな名前をもとにストーリーは展開していくわけで。恥さらしにも程があるというものだ。さらには文章がきちんとしているか、ということの判断すらできていない有様だ。
そして、私は国語が嫌いだった。正確に言うと、それは現在も継続している。
何が、って言われるとすべてが、だ。比喩、擬人、倒置、対句、対比……。表現技法がややこしい。
テストにはそれらを駆使した文章を読み解く問題が出されるのだ。難しいことこの上ない。
特に記述式の問題は納得がいかなかった。
当時から執筆活動に興味のあった私は、模範解答というものに疑問を感じていたのだ。
私は、たくさんの人が読み、数々の感じ方を生み出すことのできる文章こそが秀逸なものであると思っている。それなのに、なぜ模範というものに縛り付けなければならないのか、理解ができなかった。
確かに、回答する際に不自然な日本語やあまりにも不適切な内容であればバツを付けるのはわかる。
とはいっても、ある程度筋の通った回答であればマルを付けるべきではないか、と思わざるを得ない。
芸術のように、感じ方が十人十色なのが文章であり、文学なのだと考えている。しかし、文学イコール芸術ではないと思っているが。
そういった感性というものを押さえつけている感じが否めなかったので、私は国語が嫌いだった。
決して、いい成績がとれていなかったから嫌いなわけではない。むしろ得意教科の一つだった。元来、頭はいい方なのである。
まあこれは、私の文章構成力のなさを言い訳しているに過ぎないと思われるだろうが。
こんなことを思い返して自分が無力なのは事件解決の能力だけではないんだ、といくら認識していても犯人の見当は依然つかないが、一つの救いとして標的の見当はつく。正直、心強いのはそこだけと言ってもいい。
なぜなら、同じエンブレムをし、犯行手段・場所まで同じでも、小説どおりの名前や人相をしているはずがないからだ。
情報の乏しい今、取り押さえるための要素は狙っている場所。それだけしかなかった。
そして私は、次の標的と予測されるショッピングモールへ到着した。
どうやらテロ事件があったせいで、人の足は減っているようだ。
駐車場に止まる車もまばらで、エンジンの音が嘘のように聞こえない。
車を駐車しようとすると、ふと家族連れの姿が見えた。
5歳くらいの男の子と、その両親であろう男女が話しながら歩いている。
話している内容はわからなかったが、とても平和でほほえましい光景だ。
……テロについての小説を書いて儲けている私が惨めに思えてきた。よし、事件を解決したあかつきにはもっとファンタジーな小説を書こう。
しかし、泣き言ばかり言ってはいられない。
一刻も早く、日本の平和と、私の経済活動を阻害している犯人を捕らえなければならなかった。
もっとも、直接捕まえるのは警察だが。
そんなことを胸に秘めながら、店内の様子を観察していた。専門店の立ち並ぶ店内は、様々なビビッドカラーの看板が羅列されているようで落ち着かなかった。
しばらく店内をぶらぶらと歩きまわっていたが、さっき感じた人足の少なさは現実味を帯びていた。
いつもは大阪の商店街のような賑わいを見せるこの場所。今日は、そんな賑わいがなかった。
水鳥川さんの話では、マスコミには小説の詳しい内容と、そこからわかる情報を流さないでくれ、ということをお願いしたらしいのだが……。
あまり、効果はなかったようだ。
自慢ではないが、もともと売れていたからかもしれない。
断じて自慢ではない。驕りかもしれないが。
外国人が「冷たい」と揶揄する日本人特有の雰囲気が立ちこめる店内で、私はあるひとつの店に目を引かれた。
「ハワイアン……ブルー?」
とても読めたものではない英語の筆記体で書かれた看板と、いかにも若者が好みそうなトレンドの店だった。私は誘われるように足を踏み入れた。
特に買うあてもなく、ハワイの空気を彷彿させる店内をさまよっていた。爽やかすぎて私には似つかわしくない場所。だが、一応若者の部類に入れてもらいたいと願う私であった。
しかし、十年一昔とはまさにこのことで、こんなにも浮いてしまうとは思いもしなかった。しばらくさまよい歩いていたが、もうその空気に耐えられなくなり、店を出ることにした。
商品の棚を曲がった瞬間、私の体に何かがぶつかった。
ぶつかったその何かは、抵抗もなくそのまま床にふわりと倒れた。
どうやら、私は人にぶつかったようだ。だが、あまりにも軽いその衝撃は、どうも人にぶつかったことを私に認識させてくれなかったようで、状況を理解するのに少し、時間がかかった。
「痛たたた……」
ようやく地面のほうから聞こえてきた、自らの痛みを主張する声で、私はようやく状況を理解することになる。
「えっと……大丈夫ですか」
そう言って私は手を差し出した。弱々しく私の手をとったその人物は、まだあどけなさを感じさせる女性のようだ。立ち上がると、肩よりも少し伸びているつややかな黒髪がより目立って見える。かわいいとも、美しいとも言えない、独特の雰囲気だ。そんなことを考えていると、清楚な見た目とは違った、はきはきとした元気な口調で私に答えてくれた。
「全然大丈夫です! 本当に申し訳ありません! 全然前見てなくって……」
「ああ、いいよ。私も悪かったから。こちらこそ、すまない」
一方的に責任を押し付けるのはいけないし、私も謝ってもらう必要はなかった。
「そんな……! 本当に申し訳ありません!!」
めちゃくちゃ大きな声だった。やばい……みんなこっち見てるじゃないか!
「いや……そんな大声で謝らないで……。周りの人にも迷惑だから」
「あ……。すみません」
その女性は、夏だというのに黒いコートを羽織っていた。それが推理小説好きの私にはどうも引っかかったが、深くは詮索しないでおこう。触らぬ神に祟りなし、だ。
そして私が立ち去ろうとした瞬間、その女性に腕を強引に引っ張られた。
「ちょっと待ってください!」
女性が何かを思い出したように私の顔を見つめる。理科の授業で植物の観察でもしているように。
……しかし、こんなに女性に見つめられたのは初めてだ。思わずほおが紅潮してしまう。
すると女性は、何かを確信し、囁くようにこう言った。
「やっぱり……! あのライトノベル作家の、『岡本健一』さんですよね?」
突然身分を言い当てられ、戸惑ってしまう。今までこんな経験はない。街中で声をかけられるなんて。第一、サイン会以外に顔が知られる機会がない。どうしてこの女性は私の顔を知っているのだろうか。
「あ……はい。わかりましたか」
とっさに言葉を発したが、慣れていないので不自然な格好になった。その女性が一瞬顔をしかめたように見えたが、すぐに囁くような声で言った。
「大丈夫なんですか! こんなところにいて! あんな事件があった後ですよ?」
「まあ、そうなんですけれど。じっとしているとどうも罪悪感にさいなまれるんですよ」
まぎれもなく認め、真実を言った。外出するのは悪いことではない(と思っている)ので、ごまかしたり、嘘をつく必要などない。あんな小説を書いてしまった責任感などはあるけれど。
「そうですか……でも、気を付けてくださいね! どこに犯人がいるかわかりませんから」
ごもっともな意見だ。だが、それを素直に従うわけにもいかないのが今の私だ。
「ありがとうございます。それでは――」
もう一度立ち去ろうとした時だった。
「あ、待ってください! サインお願いします!!」
どうして持っていたのか、有名人にサインを書かせるときによく使われるアレが差し出される。あまりにいきなりだったが、今やサインは書き慣れているので特に問題はなかった。
「お名前は?」
偏見かもしれないが、サインをするときにはあげる相手の名前を書き入れるのがマナーというか、作法なのだと思い込んでいる。サイン会のときも欠かさず聞くようにしていた。
「あー……。もしあたしが岡本さんのファンじゃなくなったときに人に渡せなくなるんで、そういうのはいいです」
「そ、そうか……」
えらくはっきりものを言う子だと思った。正直、ファンじゃなくなる可能性があると思われているのはショックだった……。
私がサインを渡し終わると、「ありがとうございました!」とだけ言い、店の奥へと消えていった。
――やれやれ。これは喜んでいいのか?
何かもやもやした気持ちを抱えながら、私はようやくその店を出た。今日はもう何もする気になれない。ひとまず帰ることにしよう。
駐車場は最上階にあるので、地下にいる私はエレベーターを使わざるを得なかった。特に荷物があるわけではないけれど。
エレベーターの待ち時間というものは、いつもは憂鬱で、たいがい待ちきれなくなって階段を使ってしまう私なのだが、その日ばかりはただじっと、エレベーターが来るのを待っていた。
一度最上階まで上がったエレベーターが、ゆっくりと降りてきた。エレベーターから人が出るのを待っている私は、一度だけ見たことのある顔に再会した。
「水鳥川さん!」
思わず少しばかり叫んでしまった。周りからの視線が多少痛かったが、そのおかげもあってか、相手はすぐにこちらの存在に気づいてくれた。私は続けて言葉を紡ぐ。
「どうしたんですか? こんなところに」
嫌な予感は振り払えなかった。ここが次の標的の第一候補であることなど、作者の私が常識と言えるほどに熟知していた。
「いやいや、有力な情報はまだありませんよ。ただ、あまり来たことがなかったので」
少しホッとする。とはいえ、早く犯人を捕まえてほしいので喜べはしない。
「そんなことより嶌村さん、こんなところで立ち止まっていないで、店内を観察しましょうよ」
断ろうかとためらったが、気になることもあったので一緒に行くことにした。
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警察の権力はすごいもので、店長に警察手帳を見せるとすぐにセンターの構造図を持ってきてくれた。だが、私は見せてもらえず、スタッフルームのドアの前で待っていた。思わず大きく息を吐き出した。
中からは、詳しく質問を繰り返す水鳥川さんと、必死に応対していると思われる店長の声が思った以上にはっきりと聞こえてくる。
暇になった私は、携帯に手を伸ばした。画面下のニュースを見ると、あのテロ事件が一番に流れてきていた。他のニュースの文字は頭に入ってこなかった。
しばらく画面を凝視していると、ふとあることを思い出した。天ちゃんに連絡を入れていなかった。出版の差し止めは知っているものの、あの事件以来、なぜか妙に張り切っているようで、車の運転をしているときにも電話がかかって来ていた。きっと怒っているだろうな……。
かけようかかけまいか迷ったが、結局かけることにした。ワンコールもたたないうちに声は聞こえてきた。
〝――……もしもし? 今どこなんですか!――――〟
怒気に満ちた声。予想は的中していた。
「ああ……CSCにいるよ。どうしたんだ」
〝――どうした、じゃないですよ! 先生の仕事がない、ってことは僕の仕事もなくなることになるんですから――――〟
間違ってはいないだろうが、天ちゃんは〝天才高校生イラストレーター〟のはずだ。私の小説以外にも働き口はあるはずなのだし、何より高校生なのだから、今しかできないスクールライフを満喫してほしいのが本音である。
「お前は学生だろうが……そういや聞いたことなかったが、天ちゃん、いつも学校はどうしてるんだ?」
今の今まで気づかなかったのは、私があまりにも鈍いのではなく、きっと天ちゃんが早く大人になり過ぎているからであろう。
〝――もちろん、毎日通っていますよ? ほら、イラスト描きに来ているのって、日曜日ばっかりでしょう?――――〟
そういえばそうだった。学校に通う、会社に勤めるといったことを日常的に繰り返していない私は、どうも曜日の感覚が薄れていっているようだ。このままでは、いつの間にか人生を終えかねないな……。
「そうか。健全な学生でよかったよ」
あれ? 今日は平日じゃなかったか。学校が終わるには早い気もするが……。
〝――今日だって、テストが終わってすぐ仕事場にお邪魔しようと思っていたのに、先生がいないんでびっくりしましたよ! 午後には帰ってるはずじゃなかったんですか!?――――〟
なるほどそういうことか。しかし、お前それどこで知ったんだ、と言いたくなったが言わないことにしておこう。後輩に質問攻めというのは気が進まないし、何より質問されているのは私であった。
「まあ……なんだ、気が変わってな。というより、テスト勉強をしろ。この事件は高校生が関わることじゃない」
〝――……そうですか。すみません、出しゃばった真似をして――――〟
電話はそこで切れた。別にそこまで強い意味を含んではいなかったのだが。
知らず知らず口調がきつくなっていたのだろうか。少し申し訳ない。
突然、妙な孤独感に襲われる。ドアの向こうには店長と水鳥川さんがいるはずなのに……。物音がまったく聞こえない。いや、たぶんそれは嘘で、自分がそう錯覚しているのだろう。
怖がっている? そんなはずはない。いまさら何を恐れようというのだ。
人生の4分の1以上を終えている人間が。高校生に偉そうな口を利いている人間が。お化けなど微塵にも信じていない人間が。
いや、だからこそかもしれないが。
世の中の物事をある程度知っているからこそ。中途半端に知っているからこそ。
それゆえに。そのせいで。怖がっているのかもしれない。
嫌な空気が漂う中、私は二人が出てくるまでの無駄に長く感じる時間を、ただ待っているばかりだった。