第二幕(1)
テロ事件から一夜明け、翌朝、利賢は警視庁へと向かう。
※この物語はフィクションです。作中に登場する人物・組織・団体その他もろもろは、現実とは一切関係の無いものです。
翌日。全身筋肉痛の痛みとともに嫌な目覚めを迎えた。
すっかりサイン会の存在を忘れていた私だが、あの一件があったため無期限延期になったらしい。
その点では運が良かったと言えるだろうが、そんなことがどうでもよくなるような(こんなことを言ってはダメなのだが)ことが発生している。朝食のパンの焼きあがる匂いをかぎながら、あることについて考えていた。
テロ事件――。記憶の中にはっきりと残っている。実際に目撃し、恐怖という感情よりも、喜びの感情が湧いてきたことも鮮明に覚えている。
昨日はあまり眠れなかった。まるで小学生が次の日、遠足に行くことを楽しみにしているかのように。……しかし、久々に興奮したものだ。
案の定、いつもに増して目の下に暈ができてしまっている。
普段から寝不足ぎみの私だが、いつも1時までには眠り、7時に起きるという生活だ。だが、昨夜はどうしても寝付くことができなかった。
本来ならば昼まで眠っておきたかったのだが、6時に起きなければいけなかったので、結局2、3時間程度しか寝れていない。
まあ、そんな贅沢を言っていられる状況でないことは十分わかっているし、職業柄、睡眠不足には慣れている身である。
朝早く起きたせいか、家の周りは不気味なほどに静かである。部屋の中が少し薄暗く見える。
寝惚け眼をこすりながら、テレビをつけてみる。すると、やはりあのテロ事件の話題で持ち切りだった。どうもマスコミというものは、くだらない情報に限って収集が早いらしい。私の小説が各局で取り上げられていた。表紙から、題名、作者名、出版社がバッチリ放送されていた。……こんなことで世間に広がるということほど不名誉なことはない。
昨夜の晩、家に帰って湿布を貼っていると、電話がかかってきた。相手は警察だった。『ミドリカワ』と名乗る男性で、テロ事件についてさっそく調査をしているらしい。〝――本来ならば今すぐ来てほしいのですが、お疲れでしょうし……。そうですね、明日の朝8時に警視庁まで来てもらえますか――――〟と言われた。
私は快諾し、警察の寛大さ(?)に感心しながらありがたく休ませてもらった。……湿布の効果も薄く、寝不足のせいで実際にはあまり休まっていないが。
しかし……。あのような重大事件で重要参考人の私がなぜあの時無理矢理に連れていかれなかったのかが不思議で仕方がない。多分、あまり重要視されていないだろうな……。
そんないろいろなことを考えて身支度していたら、急に電話が鳴りだしたので、思わず驚いてしまった。受話器を取ると、昨日と同じ声がした。
〝――ミドリカワです。昨日はよく眠れましたか?――――〟
最初に言うことがそれか、と拍子抜けしてしまう。まあ、警察なりの気遣いだろう。
「……いえ、全然」
〝――そうですか。まあ、無理もありません。体調のほうは大丈夫でしょうか?――――〟
「……はい、一応は大丈夫です」
〝――なら安心です。では、昨日お話しした通りの時刻でお願いします――――〟
しかし当たり障りのない声だ、と思った。昨日の電話でも思ったが、印象としては『さわやかな好青年』だ。もしコテコテの関西弁でしゃべるような、ドラマの刑事さんのどすの利いた声だったら、きっと少ない体力がさらに奪われていただろう。
「わかりました。定刻通りで」
〝――はい。……それでは失礼します――――〟
受話器を置いた。なんだか自分の中の『警察』というイメージが大きく変わった気がする。だが、きっとそれは妄想で、現実にはドラマに出てるような人ばかりなのだろう。
時計を見ると時刻は6時50分を指していた。そろそろ出かけないといけない。
何か持っていくべきか迷ったが、結局いつも持ち歩いているメモ帳とペン、携帯電話、その他財布などの貴重品だけにした。余計なものを持っていく必要はない。さっさと車に乗り込んだ。
夏の早い朝日の光が、私の体に刺さっているようだった。
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少しだけ早い朝だからだろうか、道はいつもより空いていてスムーズに走れる。
警視庁は、そう遠くもないが近くもない。なので車の中から事件後の街の様子を観察することができた。一目でわかる違いはないが、気分の問題もあってか、街の雰囲気に違和感を覚える。……そんなことが杞憂であればいいのだが……。
しばらく車を走らせていると、ときどき執筆作業の場所になる、都立中央図書館が見えてきた。
この図書館は昭和51年にできたもので、書物の数も豊富だ。40年弱という年月が経っているが、外装も内装も未だ立派なもので、非常によく管理されているといえるだろう。
私は学生のころからここをよく利用しており、ここの館長さんとは顔なじみだ。名前は『東 清司』さん。いろいろな雑学を知っていて、たまに内緒で小説に引用させてもらっている。
花が大好きで、図書館の前にはいつも色とりどりの花が並んでいるのだ。季節に合わせて、たくさんの種類を育てているようだ。おかげで虫も多い。虫嫌いな人にとってはまさに地獄だろうな……。
ちなみに少し前、久しぶりに立ち寄ったとき、ついでに私の本があるかどうかを確認してみたところ、全13巻、すべてが揃っていた。少し鼻が高い思いである。
東館長はたぶん私の本を読んだことがないだろうな……。今度聞いてみることにしよう。
車が黒色のアスファルトを走り抜けていく。警視庁まではあと少しだ。
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警視庁につくと、若い女刑事が迎えてくれた。どうも『ミドリカワ』という刑事の後輩らしい。その女刑事は、懇切丁寧に私を案内してくれた。庁内は、たくさんの刑事が走り回っていた。
「こちらです」
「……会議室、ですか?」
「はい。先輩がお待ちです」
部屋に入ると2人の刑事であろう人物と野村さんが席に着いていた。おそらく、あのさわやかな好青年、という印象の人は『ミドリカワ』という刑事だろう。もう一人はベテランの刑事さんだろう。
というか、会議室……設備が豪華すぎるだろ。
かなり広い部屋だ。たくさんの高価そうな机と椅子、部屋の奥には巨大スクリーンがかかっている。もちろん、プロジェクターもあり、必要なのか疑問だが観葉植物が隅に置かれており、捜査資料らしきものが詰まっている棚もある。
「お待ちしておりましたよ。朝早くからどうもすみません」
目の前に出された警察手帳を見ると、警視庁公安部部長『水鳥川 正順』と書いてあった。
「公安部長……!?」
「ええ、よく驚かれますよ。実はこう見えて42歳なんですよ」
水鳥川公安部長は笑いながら言った。見た目はいかにも新米刑事、という感じなのだが……。しかし、私には公安部の部長というのがどれくらい偉いのかは、実際のところわからない。これぐらいの年でもなれるものなのだろうか……?
そんなことを考えていると、もう一人のベテランっぽい刑事が自己紹介していた。
「……『山下 太志』だ。これからよろしくお願いする」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「……ちなみに、水鳥川さんより年下だ。……よく勘違いされる。それと、あそこの女刑事は俺と同じで水鳥川さんの部下だ」
「申し遅れました。『寺町 美衣』です。今後よろしくお願いします」
そういえば名前を聞いていなかった。よく見るとかなり私好みの美人だ。なぜ先に名前を聞かなかったのだろう……。しかし、山下さんが水鳥川さんより年下とは……驚きである。
「はいはい。堅苦しいご挨拶はそこまでにして……。嶌村利賢さん。いや、岡本太郎さん?でしたっけ。そっちのほうがいいですかね?」
冗談めかして水鳥川さんが言った。
「嶌村でけっこうです。ペンネームは何かと面倒なことも多いので……。あと、〝太郎〟じゃなくて〝健一〟です。」
そういうと、水鳥川さんは微笑んだ。思ったより緊張していない私の様子にほっとしたのだろうか。
「わかりました。……それでは、さっそく本題に入らせていただきます」
私はうなずいた。
「今日僕たちが呼び出したのは他でもなく、あなたと、あなたの小説についてです」
やはりそうだろう。というか、それしか考え付かない。
「単刀直入に言わせてもらって、心当たりなどありませんか?…たとえば、最近変わった人物を見かけたり、変わった出来事、誰かから恨まれるようなことなど…」
「ないですね。小説がヒットしたので、同業者から知らず知らず恨まれているかもしれないですが」
少し自意識過剰みたいだが、自他ともに認められるほど売れているのだ。それ以外の心当たりは確かにない。
「……そうですか。我々としても正直、まったく情報がないんですよ。どんな目的があって、どのような人物、もしくは組織なのか。テロ事件当日は自衛隊も出動させたにもかかわらず犯人を見つけられませんでしたし……。恥ずかしい限りです」
「いえ……そんなことは……」
仕方ないだろう。現場に向かうまでに逃げられてしまったのだから。まあ、一般の意見としては「なにをしているんだ」というところだろうが。
「……一番気になっているのは、なぜあなたの小説と同じ手口・手段を使うのか。そして、次はどこになるのか」
そうだろう。私も一番知りたい。そういえば次はなんだっただろうか……。
「小説を読ませていただいた限り、次は都内のショッピングモールですね」
思い出した。次の標的は都内でも大型のショッピングモール『CSC』だった。
CSCとは、Cheap Shopping Centerの略ということらしい。都内最大ともいわれる規模で、数々の専門店が中に入っている。私は家から距離があるため、一度行ったくらいだ。
「しかし……。よりによって現実の建物や組織名を使用するとは」
「申し訳ありません……! 以後気をつけます」
野村さんが謝った。すかさず私も謝る。今まで何の問題にも思っていなかったが……こんなことになるなんて!
「本当に……申し訳ないです……!」
「いえいえ!別に謝っていただく必要はありません。むしろ、助かる要素のほうが多いかもしれませんから」
「は……? と言いますと?」
「もしこれからもこのまま小説と同じ場所で事件を起こすなら、情報のない僕らにとっては大助かりですからね。小説をそっくりそのまま実行するのではないでしょうが」
なるほど。今はプラスに受け取っておこう。
それからは、今後の対策と調査の方法について説明を受けた。どうやら私の小説は、当分の間販売差し止めらしい。どうやって生活していこうか……。
「今日のところは以上です。すみませんが、連絡先だけ聞かせてもらえますかね?」
紙とペンを持ってきておいてよかった。すぐに書き上げた。
「確かに。それでは、また後日」
パトカーだろうか、サイレンの音が鳴り響いている朝だった。