第一幕(2)
駆け出した利賢――。
彼の行く末には何があったのか?
※この物語はフィクションです。作中に登場する人物・組織・団体その他もろもろは、現実とは一切関係の無いものです。
私は走った。店の前に止めた車を使うことなんか忘れて、無我夢中に走る。
そうでもしないと、自分を保っていられなかった。
周囲の好奇な目など、気にならない。ただ、現場がどうなっているのかを知りたい。テレビでなく、この手で。
――ニュースで見たのはあの場面だ……。小説で最初に狙った場所……!
虹橋駅。店からはそう遠くない距離だが、普段の私ではきっと走りきれない距離だろう。
おそらく5キロはある。交通手段があれば何でもない距離で、昔の自分なら……とは思うが、中学、高校と野球をしていた頃から10年近く経ってしまっており、今では走り出してすぐに息切れする有様だ。体力低下は否めない。
遠くから、救急車や消防車のサイレンがビルの狭間にこだまする。
もはやフルマラソンを2回も走ったような気分だ――――しかし、自分の中から湧き出てくる〝何か〟が私を突き動かす。
アスファルトやコンクリートで固められた地面が、私の一歩に小気味悪い音をたてる。
さっきまで太陽の笑っていた空が、今にも泣きだしそうだった。
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どれぐらい走っただろうか。
足はとっくに悲鳴を上げ、呼吸をするのがいっぱいのはずの体。
ラストスパートと言わんばかりに自分の体に鞭を打ち、走る。
ふと、ひたすら走っている私の心にあるひとつの疑念が生まれた。
――なぜ、走っているんだ。
本当は、最初から思っていたのだろう。しかし、なぜかそう思いたくなかった。
自分という一般人(有名人と言えるのかもしれないが)が、本物の、現実世界のテロ集団に太刀打ちなどできるのか?
いや、できるはずがない。もとよりそんなつもりもない。
ただ自分の誤解を正しに行く。それだけだ。
だが、まったく不思議なものだ。こんな状況なのに、私は考えることができる。思考停止したくなるような状況で、この上なく頭が冴えわたる感覚。
昔から、何に関しても考えることをやめない性格だった。
中学校時代には、当時の好きな人に「頭かたいね」といわれすごくショックを受けたこともあったか。
そのときは直そうと努めたのだが、直らなかったようだ。
ごちゃごちゃと考えているうちに、警察の規制に遭遇する。
ここからでは、現場の様子はわからない。私はいら立ったが、そりゃそうだ。テロリストがいる現場に、一般人を立ち入らせることはできない。
ふと漂着した考えに、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
――まだテロリストが近くにいるかもしれないじゃないか…!
その可能性を、今までまったく考えていなかった。
足がすくむ。周りの全てが自分をあざ笑っているかのようだ。
しかし、真実を確かめたいという気持ちは変わらない、はずだ。
私は辺りを見回した。人がたくさん集まっている。スーツ姿の会社員と思われる人物、奇抜な髪形をしている若者、黒いコートを着た女、わけのわからない言語を操る外国人、新聞記者と思われる男。
それらを視界の端に、必死に走り回り、現場の見れそうな建物を探す。
近くにはたくさんのビルがあるのだが、いざこれというのがわからない。
昔は都会のビル群に憧れたものだったが、今は鬱陶しくて仕方がない。
どうしてこうもビルが多いんだ、とぼやきつつ、結局目のついたビルの屋上へ。
なぜかエレベーターを使うのが億劫で、古びた螺旋階段を駆け上がる。
何かから逃れるように、必死で、必死で。
一段一段が足に絡みつくようで、前に進んでいる気がしない。
体からはかききれないほど汗が吹き出ていた。
もはや耳に聞こえるのは自分の荒い息と乱暴に階段をとらえる足音だけ。
屋上が近づいてきたのか、外の空気を肌に感じる。ほんのり雨の香りもする。
しばらくすると光が見えた。勢いよく外へ飛びだす。
すぐさま現場の方向を凝視する。あの辺りにもビルが多いため、はっきりと見えるわけではないが、なんとなく様子がわかってきた。
だが、それと同時に頭を殴られたようなショックを受ける。思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
私が見た限り、ターゲットの駅周辺は、小説通りに、まるでドラマで再現したかのような完璧な光景。
私が事細かに表現した、あの光景。私の描いた光景そのもの。
「すげえ……」
あまりの完璧な再現に少しの感動すら覚えてしまった。
爆破される対象、爆破の具合、逃げ惑う人々の動き、――――。あれは自衛隊だろうか、迷彩服に身を包んだ集団が現場へと向かっている様子がうかがえる。
そこで私は、不謹慎な感情を抱いてしまう。
この光景を見て、普通の人なら何を思い、考え、感じるだろうか。
恐怖?怒り??それとも憤慨?はたまた憎悪??
私は、〝喜び〟を感じた。
さっきまであった正義はどこへ、テロ集団を倒す目的は消え失せ、ただ不謹慎な気持ちが膨れ上がる。
この私が書いた小説に、ここまで馬鹿に、完璧に、そして美しく。
言葉に表せない気持ちがわかるだろうか。伝えたくても伝えられない、伝えにくい気持ち。
ここへ来て、ようやく私の小説は世間に広まっていることを実感する。
だから、嬉しかった。悲しまなければいけない大事件なのだろうが。
知らぬ間に、私は涙を流していた……?
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呆然と立ち尽くしていたらしい私は、どうやら後を追ってきていた天ちゃんに声をかけられ我に返る。
「先生……!探しましたよ……」
私が正気を取り戻したときには、土砂降りの雨が降っていた。さきほどの涙も、雨だったのか、涙だったのか、なんてことは私を含め、誰にも分からない。
「…………」
返事はしない。というより、できないのだ。今このときは、誰ともしゃべりたい気分ではなかった。
「帰りましょう!携帯鳴りっぱなしですよ!?」
天ちゃんが手に持っている携帯は、私のもの。全ての感覚が閉ざされていて、着信音が鳴り続けていることに気付かなかった。
「……これからどうするんです……?」
「…………」
再び返事をしない。
天ちゃんは、はぁー、と長い溜息をつき、落ち着いた口調で話し始めた。
「どういうつもりですか。あなたが逃げたって何も解決しないんですよ」
意表を突かれる言葉に、私は噴き出しそうになった。だが、私もいやらしい人間ではない。相手を馬鹿にすることは嫌いだ。代わりに口元がほころぶ。
「先生のことはとても尊敬していました。真面目で、誰にでも優しい先生が。今だってそうです。」
それ以上聞きたくなかった。お門違いな説教など、勘違いでされたくない。
だが、本当に怒られるべきなのは……と思うと、緩んだ口元が自然と引き締まった。
「……でも、今の先生は――――」
「……それ以上何も言うな、聞きたくない」
長い間水分を取っていなかったので声がかすれる。幸い、天ちゃんには声が届いたようで、それ以上は何も言ってこなかった。ゴホン、と軽く咳払いをして、豆鉄砲を食ったような顔をする後輩に私は続ける。
「お前は勘違いしてるよ……。まったく。せっかちなのは相変わらずだな……」
私は呆れつつ笑った。天ちゃんが何か言いそうになったが、その言葉を遮るように言う。
「私がそんなことで逃げ出すとでも? 第一、逃げるならなんで現場に向かって行くんだよ」
「あ……」
天ちゃんは天然のようだ。予想以上に。ほんとうに目の前の青年が『天才高校生イラストレーター』と呼ばれている人物と同じなのか……?
「すみません…早とちりしてしまって……」
私が叱られるのは間違いじゃないんだけれどな……と思った。
「まあ……それはどうでもいいんだが……。とりあえず、今の状況を教えてくれ」
「はい! 自衛隊がテロリストの捕縛を試みましたが、捕り逃した、とのことです」
まったく返事とイラストだけはいい奴だ……。
「死者はおらず、けが人が数名いるようです。現在芝浦ふ頭駅を中心に、テロリストを捜索中のようです」
「そうか……」
小説と同じだ。とすればこの後はしばらく何もしなくなる。
「他には?」
「警察から重要参考人として来るように、と電話が……」
重要参考人って……そんな風に使う言葉だっけか? しかも私の小説と状況が酷似していることを把握しているのか……? まったく、恐ろしや、警察。
「よし……わかった。とりあえず今は一旦家に帰ろう……疲れた」
久々のマラソンは体に毒だ。
「わかりました。警察と野村さんには、僕が伝えておきます」
「すまんな……」
「お安いご用ですよ」
こういうとき、天ちゃんは頼りになる。天然とは思ったが、妙にしっかりしているところはあるので、なんだか目の前の青年が掴めない。
ゆっくりと、今度はエレベーターを使い、私たちはビルから出た。
受け取ったタオルで頭の水分を乱暴に拭き取る。
そうこうしている間に、天ちゃんが手配してくれたタクシーが到着する。40代後半ぐらいの運転手が傘を持っていなかったと訊ねてきたが、今の私には曖昧にうなずくことくらいしかできなかった。
実際私が必死に走っっていたはずの距離もそれほど長くはないので、車を使えば早いものだ。すぐに家へたどり着いた。
――さて……これからどうしたものか。
とにかく、まずは警察だろう。ことはそれからだと思った。
話が動きましたが、相変わらずの文章力です……。
読みずらいところは勘弁してください……。
また、間違いなどがあれば指摘していただければ幸いです。