藤村の旅路と詩について
――島崎古巡なんてしらない。
どこの二流画家なのだろうとおもった。いま白状する。
少しばかりまえの話,わたしは第二のふるさとにいた。
「『藤村の旅路』-島崎古巡水彩画展」。
こんなものをみて,こころうごかされないわたしではない。未だ寒の残る信濃にあっては,炬燵でごろごろぬくぬくしていたわたしである。がばっ,と跳ね起きて,脱ぎ捨てるように寝巻から春物の服に着替え,いそいそと出掛けていくのだった。
結論から言えば,素晴らしすぎて言葉が出なかった。画集を買うほど。気になった方は,Googleせんせいをご活用いただいて検索してほしい。実物の1億分の1の魅力も伝わらない画像がHitするはずだ。たとえていうと,上記の行為は,岡本太郎やゴッホの絵画を紙面で観賞することにひとしい。息づかいも色使いも筆遣い伝わらない。じかでみてください,というよりほか,仕方ない。
――ところで古巡さんは地理学者であって画家ではない! ときいたら,さすがに安堵もするというもの。そりゃあきいたことがないわけだ。恥をかいたのはわたしだけかとおもっていた。もしかしたらその道のヒトからみたらほんとうに恥ずべきことなのかもしれないけれど,ともあれわたしの恥ずかしいバロメーターはいくぶんか軽減されたのだ。
そんなものあってたまるか。
そのころ上野ではフェルメールの地理学者がピックアップされていて,些か笑ってしまうわたしであった。
さて閑話休題(いままでが余談だったのでした)。
島崎藤村といえば,「小諸なる古城のほとり~」ではじまる早春の詩「千曲川旅情の歌」。定型詩であることを十二分に生かしきった「近代日本最高の達成」とは山室静の弁。懐古園の石碑に刻まれていることを含めて,皆様ご承知のところだとおもう。雑誌『明星』の創刊号に「旅情」として発表されたとき古城は(ふるき)とルビがふられていたそうだが,翌年「小諸なる古城のほとり」と改題されて『落梅集』に掲載されたころ改められているよう。当該作品ついて,三好達治はその調べを讃え,鮎川信夫は調べとともに,それに込められた思いとのむすびつきの美しさを褒めはやした。
さてわたしがこの「小諸なる古城のほとり」をよむと,きまって必ず思い出す詩がある。それは室生犀星の詩。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」
ふるさとの風景を思い出すばかりでなく,われわれは『ビルマの竪琴』の水島を思い出さずにはおれますまい。もちろん,ビギンの「パーマ屋ゆんた」も真理であろう。
そして「ゆふぐれ」には,堀口大學の「夕ぐれの時はよい時」の第4連を思い出さない道理はない。
「若さににほふ人々の為めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢れたひと時、
それは希望でいつぱいなひと時、
また青春の夢とほく
失いはてた人々の為めには、
それはやさしい思い出のひと時、
それは過ぎ去つた夢の酩酊、
それは今日の心には痛いけれど
しかも全く忘れかねた
その上の日のなつかしい移り香。」
まさしく「オレンジデイズ」そのものではないか。見るものによってすがたを変える。わたしにとっての「小諸なる古城のほとり」が追憶と郷愁をよびさますものであったことのように,詩もまた然り。北原白秋などはそれについての最高の語り部だとおもう。さきに掲げた鮎川信夫の「死んだ男」もそれについてのすばらしい語り部かとおもうのだけれど,みなさまはいかがお考えだろうか。
翻って高橋正英の『クレピト』は,わりと前者的であり,自然を主題にしていて比較的島崎やランボーの『イルミナシオン』寄りのような気がする。白秋の雨や雪の主題の詩が大好物であって,朔太郎の「さびしい人格」なんてこのわたしのことを詠っておられるのかと錯覚するぐらいの自身にとって,前者はまばゆいほどかがやいてみえて,自分にないものだから憧れたという経緯がある。だからこそ書いてみたいなあと思うのである。
と長々書いてきたのは,折を見て好きな詩について喋ってみたいという欲求にしたがっただけだ。
初出:2011.4.29「藤村の旅路と詩について」一部改